『七不思議』 その四
続いて美術室にやって来た。噂によると、ここに飾られた“学校の主”と題された卒業生作品がいわくつきなのだとか。
「どうぞ、ご自由に見ていってください。あぁ、でも、ものには触れないようお願いしますね」
居残りして絵を描いていた美術部の女生徒は、快く調査を了承してくれた。
「この猫の瞳は、夜になると光り、外に出ようと絵画の中で徘徊するそうだ!! 学校に閉じ込められて死んだ、猫の霊が乗り移ってるに違いない!! ていうか、この絵の題名、“ヅラかと思ったら猫だった”のほうがいいと思う!! あははっ!!」
わたしたちは遠巻きに絵を眺め、アンさんの毒にも薬にもならない解説を聞いた。
その絵は初代校長の銅像の頭上に黒猫が乗っかっているという、ある意味で挑戦的な構図だった。キャンバスの中からこちらを睨む猫の不遜な瞳は、黄緑がかった乳白色とでも言えばいいか、あまり見かけない独特の色味をしていて、そこはかとなく不気味だ。
「しょ、初代校長に失礼ですよ。それにしても、また、お化けですか? なんで、そんなのばっかりなんですか」
「七不思議と学校の怪談は表裏一体、ってね。霊的なのはつきものだよ!!」
「も、もしかして、これからもずっとお化け関連なんですか?」
「それは自分の目で確かめてくれ!! ……さてと。おら、猫の霊、居るなら出て来い!! 好事家に高値で売ってやる!!」
アンさんは絵に至近距離まで近づいて、居るともわからない猫の霊を挑発した。
「うぅ、こ、怖くない怖くない、わ、私がしっかりしないでどうするの、モニカ、尊敬される教師になるって言ったでしょ……ぶつぶつ」
「猫の霊か。弱そうだな」
モニカ先生がぶつくさ言っている傍らで、メグちゃんが真面目な顔で唐突に言うものだから、ちょっと笑いそうになった。
「弱そうって、どういう判断基準なの〜?」
「いや、霊力? 呪力? っていうのか? 人間みたいに明確な意志を持った怨みみたいなのがなさそうだから、そういう意味で弱そうだと思ったんだが」
「メグちゃん、猫は殺されると七代先まで祟るらしいから、そういう意味で言ったら、けっこう強いんじゃない?」
「ふむ、そうなのか」
「へ〜。猫さんって意外と怖いんだね〜」
「それとね、猫って、リアルでもすごく強いんだよ。密室の中で猫と戦うとき、人間は刀剣類を装備してやっと互角なんだって」
「ほえ〜、猫さんって、強いんだね〜」
「なんだそれ。どうせまた、変な本から得た知識だろ」
「変な本じゃないもん。『超格闘家伝説ハンマー・キバ』っていう小説だよ」
「まぁ、ユリィちゃんも読んでいますの?」
「え? も、ってことは、シャリーさんもですか?」
「えぇ、愛読書の一つですわ!」
「シャリー先輩も読むんですか。タイトルからして、変な本感満載じゃないですか」
「変な本では断じてありませんわ!」
なぜかシャリーさんが急に声を大にした。それにびっくりしたのかモニカ先生が小さく悲鳴をあげたけれど、シャリーさんは珍しく興奮していて、それを気にも留めなかった。
「寝技でくんずほぐれつする表現が凄いんですのよ! わたくしたち“どーじん”界隈の人間にとっては、バイブルの一つでしてよ! それを、変な本扱いは、メグちゃんでも……」
「す、すみません。シャリーさんの思い入れのある本とは知らず、軽率でした」
「……はっ! わたくしとしたことが、つい熱く……か、価値観は人それぞれですから、メグちゃんが気に病むことはないですわよ。ごめんなさい、声を荒らげてしまって、はしたなかったですわね」
「シャリーさん、“どーじん”ってなんですか〜?」
シャリーさんの豹変に気を取られて気づかなかったけど、言われてみれば確かに耳慣れない単語だった。
「ああ、あの、えっと……そういう名前の、同じ趣味を持つ者が集まる、読書サークル的なものがあるのですわ」
「読書サークルですか〜。ユリィちゃんも入ってみたら〜?」
「あ、あれの会員になれるのは、十五歳からなので、ユリィちゃんは残念ながら、まだ入会できませんわ」
「そうなんですか〜。残念だね〜」
「うん。シャリーさんと本読みたかったな」
「うぐぅ……わたくしも、ユリィちゃんとあの本で語らいたいですわ。けれど、決まりですので、断腸の思いで、慎んでお断り申し上げますわ……くうっ」
シャリーさんは血反吐でも吐きそうな表情だった。彼女がそんな顔をしてまでわたしを拒むなんて、相当厳格な決まりなのだろう。おそらく、お嬢様しか入っていないような、上流階級のサークルなのだ。
「そうですか、ほんと、残念です。いやー、でも、意外でした。てっきり、シャリーさんってそういう本に興味ないかと思ってました」
「うぅ、ごめんなさい、ユリィちゃん。でも、もう、その話は止めにしましょう。ね? それより、猫の霊ですわよ、猫の霊。目撃情報は夜なのでしょう? まさか、夜まで待つわけにもいかないですわよね!」
シャリーさんは強引に話をそらした。数少ない友人の中でも、あの小説を読んでいる人なんてレイ君くらいだから、話せる人が増えて嬉しいと思ったのだけど、どうにも、触れてほしくないようだ。
たぶん、世間体を気にしているのだろう。お嬢様の彼女が、あんな、汗まみれの男が半裸で殴り合う小説の話をしていたら、イメージダウンは避けられない。好きなものを好きと言えず、ひっそりとサークルを立ち上げて楽しむしかないなんて、お嬢様も大変だ。
「あのー、差し支えなかったら、猫の霊、今から呼びましょうか?」
さっきまで絵を描いていた筈の女生徒が、いつの間にかわたしたちの隣に立っていた。正直ちょっとビビった。
「できるの?!」
ずっと絵に発破をかけていたアンさんが、勢い良く振り返った。期待にヘーゼルグリーンの瞳をらんらんと輝かせている。
「簡単ですよ。少々お待ちください」
「美術部は仮の姿で、実はネクロマンサーだったの?!」
女生徒はまだ日が出ているのに明かりを点け、遮光カーテンを閉めた。
「そうだとしたら、どうします?」
その不敵な微笑みは、本当に“できる”という自信に満ちたものだった。
「ごくり……ふふふ、この子、ただ者じゃない、あたしにはわかるよ」
「あわわ、お、お化け降臨の儀式の準備ですか、シュヴァイツァーさん……」
「私に聞かれても。とにかく、成り行きを見守るしかないですね」
「みなさん、絵を、よーく、見ていてくださいね。明かりを消しますよ」
部屋の明かりが落とされる。すると、絵の中の黒猫の瞳が淡くぼんやりと発光した。まさか、本当に、霊を召喚したとでもいうのか。それにしても、この光の色味、どこかで見たことがあるような。
モニカ先生はメグちゃんにすがりつき、固まっていた。あまりの恐怖に、声も上げられないのだろうか。
「すげー!! ……けど、なんか、ショボい!! おい、猫、もっと気合入れて光れよ!! お前の限界はそんなもんじゃないだろ!!」
「ふふっ、残念ながら、それ、霊なんかじゃありませんよ。“ホタルタケ”を用いた塗料が、目のところに塗られているんです。だから、明るいところに充分な時間置いて、暗くするとこうして淡く光るんです」
あぁ、そうだ。どこかで見たことあると思ったら、ホタルタケの光だった。子供の頃、土ごと瓶に詰めて飼育していて、夜に光るのを見て楽しんでいたのを思い出す。懐かしいな。
「えー!! じゃあ、動くってのは?」
「所詮噂ですから、尾ひれがついたんでしょうね」
「ちくしょー!! また空振りかー!!」
アンさんはオーバーリアクション気味に、顔を覆って残念がった。
「お、お化けじゃなくてよかったです……」
こうして、二つ目の七不思議も解決した。美術部の人が言うとおり、七不思議は所詮噂。とるに足らない小話が、人から人へと伝わる内に誇張されて曲解されて、雪だるま式に大きくなった結果なのだ。アンさんは一体、何を期待しているのやら。




