『七不思議』 その三
音楽室へ向かう道中、膝を抱えて震えているモニカ先生がいた。その傍らには、充足した表情のアンさんも居た。
「モニカ先生! どうされたんですの!」
シャリーさんは大わらわで、縮こまっているモニカ先生に駆け寄った。わたし達もその後に付いて行く。
「ううっ、こ、怖いですぅ」
「何が怖いんですの?」
「お、音楽室におば、お化けが出るって……」
「モニカちゃん怖がり過ぎだって。だいたい、お化けかどうかなんて、まだわからないじゃん」
「お、お化けじゃなかったら、なんだって言うんですか」
「うーん、幽霊?」
「い、言い方変えただけじゃないですか! もう、私絶対付いていきませんからね!」
モニカ先生は顔を膝に埋めた。まるで甲羅に閉じこもった亀のようだ。
「えー、それは困るよー。流石に、モニカちゃん抜きで音楽室入ったのバレたらまずいし。……あっ、メグがモニカちゃんのこと、お化けから守ってくれるってさ」
「本当ですか?!」
モニカ先生は手近にあったメグちゃんのしなやかな脚にすがりつき、ほうほうのていでよじ登って、ひっしと抱き着いた。
「ちょっ、モニカ先生!」
「お、お願いですシュヴァイツァーさん、私を守ってください!」
頼られたら断れないのがメグちゃんだ。モニカ先生もそれを分かっているからこそ、すがりついたのだろう。
「……あー……はい、わかりました、私が守りますから。だから、とりあえず離れてください」
モニカ先生は抱きつくのをやめ、メグちゃんの背中にささっと隠れた。さっきまでは亀みたいだったのに、やたら俊敏だ。
「さ、先に行かないでくださいよ?」
「えぇ、わかっています。先生を置いては行きませんよ」
「メグちゃんかっこいい〜」
「茶化すな」
「男前だね」
「それは褒めてるのか?」
「メグちゃんは昔から女の子にモテていましたものね」
「今それは関係ないでしょう?!」
「はぁ、モニカちゃんには困ったもんだね。……ん? みんな、なにか聞こえない?」
雑談をやめて耳をすますと、確かに調律を確かめるように鍵盤を叩く音が、ぽろん、ぽろん、と廊下に反響している。モニカ先生は短い悲鳴をあげ、身をすくませた。音は徐々に速度を増し、数が増え、遂には曲を奏で始めた。
「こ、この音はなんですかぁ」
「ひとりでのくせに結構なお手並みですこと」
「キタ!! 七不思議だぁ!!」
「やや、やっぱり、お化けが居るんじゃないですかぁ……もうやだぁ、職員室に帰らせてくださいぃ……」
モニカ先生は涙を溜めて、メグちゃんのジャケットの裾をぎゅっと握っている。
「お化けがどうした!! 出て来たら生け捕りにして好事家に高値で売ってやる!! それに、万が一何かあっても、メグが命をかけて守ってくれるよ。だから、安心して、行こう」
お化けが生け捕りできるのかとか売れるのかとかいう突っ込みはさておき、アンさんの笑顔はそれはもう素晴らしかった。モニカ先生がこんな状態になった元凶で、さらにそのお守りをメグちゃんになすりつけているとは思えないくらいに。
「いや、命をかけるとまでは言ってないのですが……」
「う、うぅっ、シュヴァイツァーさん、守ってくれないんですか?」
「うっ……わかりました。私が、命をかけてあなたを守ります。だから、そんな不安な顔をしないでください」
きりっとした表情で言うそのセリフは、まさに騎士のよう。
「ひゅー、かっこいいー」
「メグちゃん素敵〜」
「だから茶化すな!」
(しっ、静かに!! 早くしないとお化けが逃げちゃうよ!! 慎重かつ迅速に音楽室前まで移動する!! 全員わたしに続け!!)
みんな姿勢を低くして、教室沿いを抜き足差し足で一列になって歩く。なんとなくノリでやってるけど、こんなカモの親子のモノマネみたいな縦隊進軍を誰かに見られたらと思うと、ヒヤヒヤする。けれど、そんな心配は杞憂に終わり、誰と遭遇することもなく音楽室の前に到達した。
(あれ? 鍵開いてる。借りてきた意味ないじゃん。……まぁいいや。いい? いち、にの、さん、であたしが突入するから、それについて来てね)
ジェスチャー混じりの指示に、みんな顔を見合わせうなずく。警察の突入みたいな感じで、ちょっとかっこいい。
(いくよ……いち、にの、さん!!)
ドアを勢いよく開け、アンさんが音楽室に転がり込んだ。わたしたちもそれに続いてなだれ込む。さっきまで軽快に奏でられていた演奏が、ぴたりと止まった。入ってすぐの一段高くなっているところにあるグランドピアノの下に、何者かの足がのぞいている。彼奴が音楽室の七不思議の元凶だろうか。
「な、なんですか、あなたたち! 急に入ってきて!」
でかい図体のピアノの陰から顔を出したのは、小奇麗な感じの女生徒だった。彼女はかなり狼狽していた。
「出たなお化け!! 捕まえてやる!!」
「はぁ? 意味がわからないんですけど!」
「問答無用!! 覚悟!!」
「アン、待て!」
「ぐえっ!!」
女生徒に飛びかかろうとしたアンさんのパーカーのフードを、シャリーさんが掴む。みょーんとフードが伸びて、アンさんの首を絞めつけた。さすがのアンさんでも、そうされては大人しくするより他は無いようだった。
「なにすんだよー!! 伸びちゃうだろー!! 離せよー!!」
「落ちついてよく見なさいな、彼女は幽霊じゃなくて、普通の女の子ですわよ」
「さっきからなんなんですか? 私はコンクールのために練習してるだけですよ! 邪魔しないでください!」
「ごめんなさい、練習に集中していた所の邪魔をしてしまった非礼をおわびしますわ。これ以上お邪魔にならないよう、わたくしたちはお暇させていただきますわ。みんな、行きますわよ」
シャリーさんは謝罪の言葉を述べた。わたし達も謝罪をそこそこに、音楽室から退散した。
「ちぇー、お化けじゃなかったかー」
唇を尖らせる彼女は、しかしながらあまり残念がっている様子ではなかった。
「け、結局勘違いだったんですね。お化けじゃなくてよかった……」
「モニカ先生ひと安心ですね〜」
「は、はい……心底ホッとしました」
「いや、まだ安心するには早い!! 一つ目は空振りだったけど、まだ七不思議はいっぱいあるんだから!! 数撃ちゃ当たるさ!!」
「そ、そうでした、“七”不思議ですもんね。ううっ、怖いですけど、シュヴァイツァーさんが守ってくれるから、私は大丈夫です。つ、次に行きましょう」
メグちゃんの影に隠れながらも、モニカ先生は腹をくくった顔つきになっていた。
「言ったことは曲げません。最後までちゃんと守りますよ」
「よ、よろしくお願いします」
「メグちゃん二枚目だね」
「男の人よりかっこいいよ〜」
「これは……キマシタワー!」
「あぁ、もうわかったから! みんな茶化すのはやめてくれ!」
「さーて、二人のいちゃいちゃも済んだところで、次、行ってみよーか!!」
「もう、ほんと、勘弁してくれぇ!」
人のほとんど居ない校舎で、軽快なピアノ曲をバックに、メグちゃんの叫びがこだました。




