『久しぶり』その六
「さて、暗くなる前に、僕は帰るよ」
お皿の上のクッキーが七割くらいに減ったところで、レイ君はおもむろに立ち上がった。
「もう帰っちゃうんですか〜?」
「うん。ショコラさん、今日はありがとう。ユリィも、久しぶりに喋れて、楽しかったよ」
「わたしはレイ君にいじめられて精神ぼろぼろだよ」
「そんなこと言うなよ。じゃ、僕は行くよ。学校で会ったら、よろしくな」
「さよなら〜」
「……じゃあね」
ずいぶんあっさりと、レイ君は部屋から出ていった。もう少し名残惜しくしてくれても、よかったのではないか。
「はー。なんか疲れた」
もそもそとベッドに這い上がって、腰掛ける。わたしに続いてショコラちゃんもベッドに腰掛けてきたので、その太ももの上に頭を乗せ、寝転がる。彼女は静かにわたしの髪を撫でたり指にからめたりする。くすぐったい。
「レイさん帰っちゃったね〜」
「ふん、帰ってくれてホッとしたよ」
「ホントにそう思う〜?」
「うん」
「ふ〜ん」
「……なに?」
「なんでもないよ〜」
ほっぺたをつんつんされる。
「やめて」
手を払う。
「も〜、機嫌直して〜」
また喉元をこしょこしょと撫でられる。
「ごろごろ……って、だからやめぃ! しゃーっ!」
起き上がっておっぱいに猫パンチしてやろうと思ったら、手首を、がっ、と掴まれた。
「私に同じ技は二度も通用しないよ〜」
「なん……だと……」
「修行が足りないよ〜」
「……ふふっ」
「な、なにがおかしいの〜?」
「甘いよ、甘過ぎる、砂糖菓子のように甘いよショコラちゃん! 知ってる? 猫パンチってのは片手より両手の方が強いんだよ! 必殺! 邪王なんたらかんたら波あぁっ!」
両手を振り上げ、ショコラちゃんのおっぱい目掛けて振り下ろす。――捉えた。
けれど、確信とは裏腹に、わたしの両の手は空を切った。目前にあったはずの二つのお山は、紙一重でわたしの攻撃をかわしたのだ。
「ま、まさか、この技は、無から転じて生を拾う、深い哀しみを背負った者のみが会得できるという、あの技ッ!」
「なにそれ〜。……は〜、久しぶりに本気出して動いたら疲れた〜」
ショコラちゃんは身をかわした体制から、そのまま仰向けに倒れ込んだ。
「隙有りっ」
重力に引っ張られ少しとろけたおっぱいに狙いを定める。今度こそ、とった!
「だめ〜」
彼女はさっと両腕で胸元をガードして、ころんと寝返りをうってうつ伏せになった。わたしの手は布団を掴むだけだった。
「なんでそんなに胸触りたがるの〜」
「そこにおっきな胸があるから」
「登山家みたいなこと言わないでよ〜」
「ショコラちゃんこそ、なんでそんなに触らせてくれないの。減るもんじゃなし」
「減るよ〜」
「減るんだ」
「ストレスがたまって牛乳の収穫量が減るの〜」
「あぁ、そっち……って、えぇ、牛乳出るの?!」
「嘘だよ〜」
「だよね! 一瞬、信じかけたよ……」
「ともかく、私、胸を触られるのは嫌なんです〜」
「そんな殺生なー……しょぼーん」
「そんなに残念がらないでよ〜。……むむぅ〜、しょうがないな〜」
ゆるりと起き上がり、彼女は、ふわ、とわたしのことを柔らかく抱きしめてきた。ちょうどわたしの顔の位置に彼女のおっぱいがあって、すごくふかふかだ。
「むご」
「触られるのは嫌だけど、たまにこうしてあげるから〜。これで勘弁して〜」
「ふむぅ……ぷはっ、まぁ、こうしてくれるなら、勘弁したげる」
谷間から顔を出して見上げると、すぐそこ、息のかかるところまで彼女の顔が近づいている。色白だけど、血色のいい、もちもちしてそうなほっぺた。優しげな垂れ目を縁取る長いまつ毛、その奥の翡翠色の瞳が淡くきらきらと輝く。いわゆるたぬき顔女子の中でも、上位に入る愛くるしさだ。
こんな巨乳美少女とひとつ屋根の下で暮らし、あまつさえそのおっぱい様に顔を埋める許しを得るなんて、わたしが男性だったら総スカンを食らいそうなシチュエーションだ。女で良かった。
「ふふっ、こうしてると、ユリィちゃんホントに妹みたい〜」
「お姉さま! お慕い申し上げておりますわ!」
「うちの妹はそんなこと言わないよ〜。それじゃあシャリーさんみたいだよ〜」
「なんでだろ、わたしの中の妹像ってこんな感じなんだけど」
「歪んでるよ〜」
「端的に言わないでくださいまし、お姉さまのいけず」
「ちょっと〜、どさくさに紛れてお腹触らないで〜」
「もにもにしていて触り心地抜群ですわお姉さま」
「む〜、おいたする子にはお仕置きだよ〜!」
ショコラちゃんがわたしを抱く腕に力を込め、わたしの胴体に、ぎゅうっ、と圧がかかる。彼女のおっぱいも、わたしの喉元から口にかけてを覆って、わたしを窒息させんと牙をむく。
「ぐえーっ! 苦しっ、中身出るぅ!」
これで死ねたら本望の変態諸兄もいるだろうけど、生憎とわたしは変態ではないので、彼女の背中をタップしてギブアップの意思を示す。割とすぐに、彼女は離してくれた。
「はーっ、はーっ……ちょっと魂口から出た……」
「もうしないでよ〜。……は〜、疲れた〜、エネルギー補給しなきゃ〜」
ショコラちゃんはベッドから降りて、クッキーを一つつまんだ。
ぱたぱたと階段を上がってくる足音が聞こえる。シュリちゃんだ。
「ユリィ、レイの見送りくらいしたらどうですか。甲斐性なしですね」
ドアを開けて開口一番に、そんなことを言われると、少しムッとしてしまう。
「ふん。そのうちまた来るんだから、見送りなんかしなくていいいでしょ」
「また遊びに来ると言っていたのですか?」
「言ってないけど、また来るでしょ」
「ふむ……まぁいいです。お茶とクッキーを下げに来ましたけど……クッキーがまだ余ってますね。捨てるのは勿体ないですから、全部食べちゃいましょう。ほら、ユリィも手伝ってください」
「んー」
「シュリさん、このクッキーすごく美味しいです〜」
「シュリが厳選したものですからね、当然です。あむっ……うにゃぁ、やはり美味しいですねぇ!」
「あむ……うーん、これならいくらでもいける」
「私ももう一枚食べる〜」
わたしもショコラちゃんも、男の子の前では猫を被っていて、クッキーにがっつけなかった。けれど、女だけになった今、なにを気にする必要があるか。クッキーはものの数分で、皿の上から消失した。




