『久しぶり』その三
わたしは椅子の背もたれに乗っかかり、ショコラちゃんはベッドに腰かけ、レイ君はクッションの上にどっかりとあぐらをかいている。
さりげなくレイ君を一瞥してみる。確かにズボンのチャックが半開きで、その隙間から得体の知れない深淵が覗いていた。いや、別に見たくて見たわけではなくて、本当に半開きかどうか、ショコラちゃんの勘違いじゃないのか、気になって確認したかっただけであって、やましい気持ちなど全くこれっぽっちもない。
「あの〜、私、自己紹介まだしてなかったですよね〜。私、ショコラーデっていいます〜」
「あぁ、そういえば、僕もだったね。僕はレイ・ヴァレンシュタイン。近所に住んでて、ユリィとは……まぁ、幼なじみだよ。以後、お見知りおきを」
チャック半開きのクセに、相変わらず爽やかさだけは人一倍だ。
「よろしくお願いします〜」
「うん。それはそうと……ショコラーデさんは、なんでさっきからあっちを向いて喋っているんだい?」
ショコラちゃんは彼の深淵を覗くまいとしているのか、明後日の方を向いている。怪しまれないほうがおかしいくらい、不自然な姿勢だ。
「ふぇ? えぇと〜……」
「ショコラちゃん、ちょっと寝違っちゃってさ! 首が痛いからだよ! ね?」
「う、うん、そうなの〜、首が痛くて〜。ぶしつけですみません〜」
「ふーん、さっきまで普通にしてたような気がするけど」
「わたし達が嘘ついてるとでも言いたいの?!」
「いやそういうわけじゃないけど……なんだよ、当たりが厳しいな」
「そんなこと無いし! ていうか、わたし達はちょっと乙女トークがあるから、耳塞いであっち向いててよ!」
「いきなりのけ者かよ。へいへい、邪魔な男はあっち向いてますよ」
レイ君が耳を塞いでそっぽ向いてから、ショコラちゃんに近づいてささやく。
(ショコラちゃん、不自然過ぎるよ!)
(う〜、でも直視できないよ〜。ユリィちゃん、魔法でこっそり閉じてあげてよ〜)
(むりむり! わたしそんな精密に操作魔法できない! 失敗したら……)
気づかれることはおろか、レイ君の、その、もにょもにょに、魔法とはいえ触れてしまう可能性だってあるのだ。なんと恐ろしい! たかが半開きのチャックを閉じるために、わたしの貞操をぶち壊す危険は冒せない!
(い、色々大変なことになるから!)
(じゃあどうするの〜)
(どうするったって……どうしよ……)
「失礼します。お茶をお持ちしました」
お盆にクッキーとティーセットを乗せ、シュリちゃんが現れた。
「あぁ、ありがと。そっちのテーブルに置いといて」
「ありがとうございます〜」
「ありがとうございます。シュリさん」
「どういたしまして。……それはそうと、二人とも、仲がいいのは結構ですけど、レイを放っておくのは関心しませんね」
お皿を並べながら、シュリちゃんはちょっと諭すような口調で言った。
「あはは、二人は大事な話があるんですって。僕は気にしてないですよ」
「そうですか。まぁ、いいでしょう。……さて、シュリは下に行きますよ。お茶が足りなくなったら呼んでくださいね」
シュリちゃんは、みんなのお茶とクッキーをしっかり取り分けてから出て行った。
(……そうだ! お茶いっぱい飲ませてトイレに行ってもらおう! トイレに行けば、気づくよね?)
(なるほど〜。じゃあ、ガンガン紅茶飲んでもらお〜)
「ユリィ、まだ乙女トークとやらは続くのか? 一人で食べるのは、気が引けるし寂しいんだけど」
「今ちょうど終わったよ。わたしたちも食べる」
ベッドから降りて、レイ君の向かい側に座る。ショコラちゃんも着いてきて隣に座った。
(ここなら、テーブルで隠れてレイさんのチャックが見えないから安心だよ〜)
ショコラちゃんは心底安心したような声音で耳打ちしてきた。
(よかったね。でも、寝違ったって余計な設定つけちゃったよね)
(寝違ったフリ続けたほういいかな〜。でも、ずっと顔背けてるのって、首が結構疲れるんだよ〜)
(だよね。まぁ続けなくていいんじゃない? 気づかれないでしょ。たぶん)
(だね〜)
話終わってレイ君の方に向き直る。レイ君はわたしたちのことを注視していたようで、目が合った。チャック半開きのくせに凛々しい顔だ。
「追加の乙女トークはもう終わりか?」
「うん。お待たせ」
「そうか。……ところで、ショコラーデさん、首はもう大丈夫なのかい?」
あっさり気づかれた。どうしよう。……上手い助け舟が思いつかなくて肝が冷える。
「あっ、え〜と〜」
ショコラちゃんはしどろもどろになった。わたしは力になれない。どうか無事に切り抜けてほしい。
「……私お菓子大好きで〜! だからかな〜? クッキーを見たら急に治りました〜!」
わたしが言えた義理はないけど、なんて無理のある言い訳だろうか。元気に言っているのがまた、無理矢理感を助長している。
「ふぅん、そうなんだ」
「納得するの?!」
「よくあることだろ。興奮すると、痛みを忘れるなんて。僕だって、部活の試合中に怪我しても、試合が終わるまで気づかない時が、結構あるからな。まぁでも、本当に痛みがとれたわけじゃないから、ショコラーデさん、気をつけてね」
なんかもっともらしいことを言っている上に、気遣いまで見せた。こいつ、できる。
「ほえ〜、そうですか〜」
ショコラちゃんは目が点になって、上の空で返事している。適当な言い訳がすんなり通ったものだから、本人が一番驚いているのだろう。
(興奮すると痛くないの〜? 私わかんないよ〜)
(わたしは聞いたことあるけど、そんな経験ないから理解しがたいなぁ。まぁ、本人が納得してるなら、これ以上突っ込まなくても――)
「……先に食べるぞ?」
レイ君は待ちくたびれた様子だった。
「あぁ、ごめんごめん、食べよっか。ね、ショコラちゃん?」
「そうだね〜……」
ショコラちゃんは考えごとでもしているのか、生返事だったた。そして、ぴんときたのか、急に笑顔になった。
「いただきま〜す! わ〜! このクッキーすごく美味しいよ〜! 今まで食べたことないよ〜! 興奮する〜! もぐもぐもぐもぐ!」
にわかにテンション高めでクッキーを頬張りはじめた。どうしたんだ、気でも狂ったのか。
……いや、違う。寝違ったという嘘に信憑性をもたせるため、常に興奮しているふりで痛みを忘れているように装うことにしのだ。言葉にしてこの状況を説明すると、なんともややこしい。
しかし、こんな調子だと初対面のレイ君には、お菓子を目の前にするとやたら興奮する狂人と思われてしまうのではないか。
「お茶も飲んじゃうよ〜! ごくごく! あ〜、このお茶も美味しいな〜! レイさんも飲んでみてくださいよ〜!」
クッキーを口に運ぶ姿勢のまま固まってきょとんとしていたレイ君は、名前を呼ばれて我に返った。
「あ、あぁ、そんなに美味しいなら、いただかないとね」
レイ君はクッキーをひと噛みして、お茶をすする。興奮しているふりと同時に、レイ君にお茶を飲ませる欲張り作戦を、ショコラちゃんは実行している。けれどショコラちゃんよ。そんなペースでお茶を飲んでいたら、まず先に君がトイレに行くことになるよ。
いつもなら絶対にならないようなテンションで懸命にクッキーを頬張り、お茶を流し込み、翡翠の瞳がぐるぐる回っている。その様はわたしから見ても、ほぼ錯乱状態だった。
「ははっ、ショコラーデさんは、お菓子のことになると、人が変わるんだね」
彼女の努力も知らずに、レイ君はのん気なものだった。そもそも、彼のチャックが半開きのせいで、ショコラちゃんは懸命になっているというのに。
さぁ、頑張るショコラちゃんのため、そして彼のチャックを閉じさせるため、わたしもアクションを起こさねば。




