『久しぶり』その二
「ユリィ、せっかくですし、お仕事を切り上げてレイとお喋りでもしたらどうですか? 最近ロクにレイと遊んでいないですよね?」
シュリちゃんがそんなことを口走ったのは、レイ君が薬のお会計を終え、帰ろうとした時だった。
「えー、でもなぁ……」
中学までは毎週のように遊んでいたのだけど、レイ君が一年先に中学を卒業してからは、とんと遊ばなくなっていた。錬金工房で会っても軽く会話を交わす程度だった。よって、約一年ぶりに降って湧いたレイ君と遊ぶ機会が小恥ずかしくて、尻込みしてしまうのは仕方ないことなのだ。
「レイもお話、したいですよね?」
「まぁ、少しゆっくりしていくのも良いですね」
レイ君は乗り気のようだ。わたしはまだ心の準備も部屋の準備もできてないのに。
「いやいや、レイ君、お母さんのお薬は早く持ってかなくていいの?」
「薬切らしてるわけじゃないから、大丈夫だよ」
「でもでも、帰り遅くなったらお母さん心配するかも」
「連絡入れとけばいいだろ?」
「ぐぬぬ」
「では、家の方に入って、ユリィの部屋でゆっくりしてください。後でお茶を持っていきますね」
「わたしの部屋なの?」
「なにか不都合でもあるのですか?」
「……片付けしてない」
「僕は気にしないよ。ていうか、今更恥ずかしがるなよ」
「むむむ」
「ほら、大丈夫ですよ。さて、ショコラもお仕事上がっていいですよ。ユリィだけ上がるのは不公平ですからね」
「そうですか〜? ではお言葉に甘えて〜、お先に失礼します〜」
「二人ともお疲れ……レイ、ごゆっくり……」
あれよあれよという間に、レイ君が部屋に上がることになってしまった。別に彼を部屋に上げるのは嫌じゃないけれど、片付けをしていないのもまた事実。男の子には見せられない乙女の秘密が、部屋中に散乱しているのだ。
片付けの口実を思案する傍ら、ショコラちゃんがいつもより三割増し(※わたし調べ)の速度でそそくさとレジ裏から家へ入っていこうとしたのを、わたしは見逃さなかった。
「ちょっと待って! ショコラちゃんどこ行くの?」
彼女はびくりと身をすくませ、バツが悪そうな顔で振り返った。
「……私はお邪魔みたいだし〜、自分のお部屋で大人しくしてようかなと思って〜」
「いやいや、邪魔じゃないよ! ショコラちゃんも一緒にお喋りしよ? ね? 一生のお願い!」
「ここで一生のお願い使っちゃう〜? う〜ん、でもな〜」
そう言いながら、彼女は遠慮がちにレイ君の顔色をうかがった。
「僕は構わないよ。マリィさんから話は聞いてたけど、会うのは初めてだよね。せっかくの機会だし、仲良くしよう」
年頃の男子のくせに、一分の下心もまろび出させずにさらりとこんなセリフを言い放てるなんて。彼は高校生になってから、爽やかさが五割増し(※わたし調べ)になったような気がする。
「……う〜ん……あっ……あの……じゃあ〜、お邪魔させて、もらいます〜」
ショコラちゃんが視線をそむけて、頬を赤らめた。えっ、なにその反応は。乙女? 乙女なの? ショコラちゃんの中の乙女が目覚めちゃった? ……えらいこっちゃ。
彼女の乙女の目覚めを感じた時、ちくり、と胸の奥に針が刺さったような気がした。どろ、となにかが、空いた穴の隙間から漏れ出したような気もした。それは初めての感覚で、わたしには、それの正体がなんなのか、皆目見当もつかなかった。
「おじゃましまーす」
頬を赤らめる彼女の横をすり抜け、レイ君は慣れた感じで靴を脱いで来客用のスリッパをひっかけ、家の中に入っていった。
「あっ、待ってよ! 部屋片付けさせてよ! ショコラちゃん、行こ!」
「う、うん。わかった」
間延びしていない、普通の返事だった。目覚めた乙女心は、アイデンティティすらも崩壊させるのか。ショコラちゃんが、急に遠い存在になったような気がする。
先に階段を上がって行ってしまったレイ君は、わたしの部屋の扉の前で、携帯通信結晶を使っているところだった。たぶん、彼のお母さんと通話しているのだろう。
「うん、わかってるって。じゃあ、切るよ。……あぁ、ユリィ、片付けするなら早くしてくれよ」
「むぅ、言われなくても片付けるし。じゃあショコラちゃん、ちょっと待ってて」
「わかったよ〜」
廊下に二人を残して、なるべく最小限に扉を開いて部屋に滑り込む。
「ふぅ、片付け片付けっと」
床に散らばった寝間着を畳みながら、ふと思った。二人きりにさせてよかったのだろうか。もし、わたしが居ない隙にレイ君が、ショコラちゃんにちょっかいかけて、なんやかんやして二人の距離が縮まっていたらどうしよう。
そう思うと、また、どろ、としたなにかが胸の奥から滴り落ちて、もやもやした気分になって、いても立ってもいられない。早く片付けを終わらせて、少しでも二人だけで接している時間を、少なくさせないと。
畳みかけていた寝間着を掴み上げ、乱雑にクローゼットの中に放り込む。いつもは整理して保管している机上のノート類も、適当な棚に放り込む。起きたまま抜け殻みたいになっている布団は、それっぽく伸ばしておしまい。急ピッチで片付けを完了して、一目散にドアを開ける。
「早いな、もう終わったのか?」
「うん、もう入ってもいいよ!」
「そうか。じゃあ、入るぞ」
「ユリィちゃん、ちょっと〜」
レイ君が部屋に入った後、ショコラちゃんはなぜか少し遠巻きに移動して手招きしてきた。なぜか、深刻な顔をしていた。
「どうしたの?」
「あのね〜、耳かして〜」
「ん?」
「レイさんなんだけど〜……あのね〜……」
彼女が彼の名をささやくと、胸がきゅっと締めつけられた。なにを彼女は言いよどむのか。彼女の言葉のその先が、気になって仕方なくなる。
「レ、レイ君が、どうしたの?」
平静を装って催促する。どうしてわたしは、こんなにドキドキしているのだろうか。胸が鼓動を打つたびに、ちく、ちく、と針が刺さる。
「その〜、ズボンの、ち、チャックが半開きなの〜!」
「……え? そう、なの?」
「そうなの〜。さっきからずっと気になってね〜、まともに顔も見れないよ〜。ユリィちゃんなんとかしてもらってよ〜」
「なーんだ、よかったー」
ホッとした。もちろん、レイ君のチャックが開いてたことに安堵したのではない。たぶん、ショコラちゃんが乙女に目覚めて遠いところに行ってしまったわけじゃないことに、ホッとしたのだ。
「よくないよ〜! ユリィちゃんもしかして変態さんなの〜?!」
「あ、いや、よかないよね。うん。……でも、いくら幼馴染といえど、わたしだって、そんな、面と向かって、その……チャ、チャック開いてるなんて、指摘できないよ」
「おい、二人ともどうしたんだ?」
レイ君が半開きの扉の間から顔を覗かせた。もう、扉も君のチャックも半開きだよ、このうっかりさんめ! ……なんて言えるわけもなく。
「あぁ、ごめんごめん、今入る。……ショコラちゃん、できるかわからないけど、わたし、頑張ってみるよ」
「うん〜、私もできる限りサポートするよ〜。だから……絶対、閉じてもらおうね〜」
わたし達は深く頷き合った。どうにかして、彼の半開きのチャックを、閉じてもらうために、少女達は部屋へと赴くのだった――




