『箒の乗り方』 その五
「じゃ、シャリー、あとはよろしくね。メグ、追いかけっこやろ!!」
「なぜ私が……」
無責任なことに、アンさんはコーチじゃなくなるや否や、好き勝手に振る舞い始めた。
「メグちゃん、ご指名ですし、アンの相手をしてやってくださいな。できれば、練習の邪魔にならない場所へ誘導してくださると、とーっても助かるのですけど」
「シャリーさんが言うなら仕方ないですね。任せてください!」
「メグ早くー!!」
「アンさん、やるからには全力で行きますよ!」
きゃあきゃあ言って、アンさんは逃げてゆく。メグちゃんは付かず離れずの距離で、それに追従する。まるで忠実な牧羊犬が、やんちゃな羊を追い立てているようだ。彼女たちの背中がどんどん遠ざかって、終いには林の中に消えた。
「あの、二人とも林に入ってっちゃいましたけど」
「あの二人なら心配無いですわよ。それより練習ですわ、ユリィちゃん」
「あっ、はい」
「ショコラちゃんは、練習の補佐をしてくださるかしら? 隣で、ユリィちゃんのお手本になるよう、わたくしが言うことを実践してみてくださいな」
「は〜い、頑張ります〜」
「さて、早速ですけど、ユリィちゃん、飛ぶ前の構えをしてくださる?」
言われて、箒をまたいで地面と水平になるように持つ。ショコラちゃんも、わたしの真似をしている。
「ちょっと後ろ、失礼しますわね」
シャリーさんが箒をまたいで、わたしを抱え込むような格好になった。そして、箒を持つわたしの手を包み込むように、手が添えられた。
「箒の先端は、飛び立つ前はなるべく上向きがいいですわよ……くんくん、すーはー、くんかくんか」
わたしの箒を正しい位置に導くシャリーさんの鼻息が荒い。これは彼女いわく『ユリィちゃん吸引健康法』なのだそうだ。わたしの匂いをかぐことで健康になるとか、訳の分からない理屈をこねて、たまにこういうことをしてくる。初めは恐怖を覚えたけど、最近は慣れてきて、このくすぐったさが心地よく思えるまでになってしまった。
「くんくん〜、す〜は〜、くんかくんか〜」
ショコラちゃんもそれに呼応するように息を荒らげ、箒の先端を徐々にもたげる。酷い絵面だ。
「ショコラちゃん、息遣いは真似しなくていいですわ」
「そうなんですか〜? 魔力を高める特殊な呼吸法かと思って〜」
「……おほん、それはおいておきましょう。基本的に箒の先端は、行きたい方に向けるよう、心がけましょう。ただし、下に向けるのだけは、危ないからやめましょうね。地面に顔から激突するのは嫌でしょう」
「わかりました」
「次は飛んでみましょう。教えたいことが色々ありますから、まずは二人乗りしましょうね」
シャリーさんはわたしから離れ、体操服のポケットから黒いシュシュを取り出し、手早く髪を低めのサイドポニーテールにまとめた。
「私も一緒に飛びますか〜?」
「お願いしますわ。さぁ、ユリィちゃん、わたくしの後ろに。ちゃんと掴まっていてくださいね」
箒を手渡して、それを構えたシャリーさんの背中にくっつく。
「もっと強くしがみついてくださるかしら? 落ちたら危ないですわ」
言われたとおり、ぎゅっとしがみつく。シャリーさんの妙に色っぽいうなじが、目の前にある。彼女の薔薇のような香りが、一段と濃厚に感じられた。
「行きますわよ。……せーのっ」
ふわ、と体が浮く。ふんわりとした離陸で、気を遣ってくれているのがわかった。ヒト一人分程度の高さで、シャリーさんは上に飛ぶのをやめた。
「ふぅ……水平にしますわよ」
これまたゆっくりと、体勢を水平に戻す。
「シャリーさん慎重ですね〜」
浮いた箒に腰掛けて様子を見ていたショコラちゃんが言った。
「わたくしのせいで、ユリィちゃんをキズモノにする訳にはいきませんもの。……わたくしの手落ちでユリィちゃんを傷付けるなんて、考えただけで身が裂かれる思い! ですけど、もし万に一つその時が来てしまったら、わたくしが、着換えから入浴添い寝に至るまであらゆる身の回りのお世話を、この身を賭して行う所存ですわ!」
「その時が来ないよう細心の注意を払ってください」
「無論ですわ。さぁ、動きますわよ」
しばし、シャリーさんの後ろでゆったりとした空の散歩を楽しんだ。飛んでいる間、視線は行く先に真っ直ぐ向けるとか、箒を身体の一部だと思えばいいとか、細かい指南をしてくれて、非常にためになった。
繊細な軟着陸を決め、シャリーさんは振り返った。彼女のポニーテールが、ぺしとわたしの顔を叩いた。口の中に、さらさらの髪がちょっと入ってしまった。
「わぷ」
「あら、何かありまして?」
「シャリーさんのポニーテールが口に入りました」
「あら、それは失礼しましたわ。……はっ」
シャリーさんが箒を取り落とした。からん、と乾いた音がする。彼女はおもむろに自らのポニーテールを顔の前に持ってきて、くんくんとかぎ始めた。
「ユリィちゃんの唾液スメルを感じますわ……な、舐めたら、ユリィちゃんと間接キッス……けれど、はしたないですわ!」
ホントに、こういうところがなければ、尊敬できる先輩なんだけど。
「やめてくださいよ……」
「んんっ、つい興奮してしまいましたわ。それはそうと、どうでしょう、お手本になれましたかしら?」
「あぁ、はい。すっごく参考になりましたよ」
「それは重畳ですわ。では、次は一人で飛んでみましょうか。ショコラちゃん、随伴してあげてくださいな」
「は〜い」
取り落とされたままだった箒を拾い上げ、言われたとおり先端を上に向けて構える。よし、飛ぶぞ。
「……てぇぇ!!」
遠くから、聞き慣れた甲高い声がした。
嫌な予感と共に声のする方に視線を送ると、箒に乗ったアンさんが、もの凄いスピードで真っ直ぐこちらに向かって飛んできていた。
「どいてどいてぇぇえ!!」
アンさんは減速することなく、わたし達の間を猛烈な速度で飛んでいった。彼女の巻き起こした風が、みんなの髪を乱暴に撫でて行った。
「もうっ、危ないじゃないですの!」
アンさんの背中に、シャリーさんが文句を投げつける。けれどそれは届いていないようで、遠くなる背中から謝罪は返ってこない。
「申し訳ありませんシャリーさん! 私の力不足でアンさんを逃してしまいました……」
アンさんを追いかけてきたメグちゃんは、わたし達の所まで来ると箒から降り、苦虫を噛み潰したような顔で言った。
「メグちゃんは充分役目を果たしましたわ。アンのことは、もう放っておきましょう」
「しかし……」
「あまり構うと、あの子調子に乗りますわよ。それより、あの子がユリィちゃんの練習を邪魔しに来ないよう、わたくしと見張っていましょう」
「……シャリーさんがそう言うなら」
「さて、わたくしとメグちゃんが見張ってますから、ユリィちゃんは安心して練習してくださいな」
アンさんがお邪魔虫扱いされている。さっきの彼女の振る舞いを鑑みると、それもやむなしか。
気を取り直し、改めて箒を構える。今度こそ、飛ぼう。
それからは特に何事もなく有意義に練習できた。おかげで、曲がるのもばっちりマスターできた。
「やるじゃないか。もうこんなに飛べるようになったんだな」
「飲み込み早いね〜。すごいよ〜」
「ユリィちゃんはやっぱり天才ですわ!」
練習が一段落ついて、みんなに囲まれて撫でくり回された。丁度その時、アンさんがふよふよと飛んで帰ってきた。彼女の箒の先端には、なにか袋のような物がぶら下がっていた。
「ジュースとお菓子買ってきたよ!! ほら、見て見て!!」
箒から降りて、学校近くのスーパーマーケットの名前が書いてある紙袋を、得意げに広げてみせた。中には紙パックのジュースとお菓子が、無造作に入っていた。
「スーパーまで行ってきたんですの?」
「うん。ていうかメグ、ちゃんと帰って来てたんだね。てっきり、迷子になったかと思ったよ」
「いや、その……実は――」
「メグちゃんは貴女を見失って、仕方なく帰った来たのですわ」
メグちゃんの言葉を遮って、シャリーさんはちょっと嘘をついた。角が立たないようにしたのだろう。
「えー!! じゃあ、あたしは一人で追いかけっこしてたワケ? 虚しっ!! ……あー、あたしもう疲れた!! みんなも疲れたでしょ? 休憩しよ、休憩」
アンさんは地べたに座って、紙袋をごそごそし始めた。相変わらず自由気ままだ。
「あぁ、もう、地べたに座らないでくださいまし。休憩するなら、一度部室に戻りましょう」
部室に戻って皆でひと心地つく。結局休憩は長引いて、帰る時間までぐだぐだして過ごしてしまった。




