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『ユリィの一日』 その一


 ☆


 さぁ、今日も今日とて学校に行かなければならない。勉強はちょっと嫌いだけど、学生の本分であるし、なにより“立派な錬金術士になる”ためには、おろそかにできないのだ。

 カバンの中身を見て、忘れ物が無いか確認する。念のため、壁に立て掛けられた姿見も確認する。青いポロシャツの襟元には、“環蛇(ウロボロス)”を象った校章バッジもしっかりついている。環蛇の抱く紅い珠は、一年生の証だ。


「……よし、今日も一日頑張るぞ」


 いつもの文句を唱えて、裏口の扉を開ける。やわらかな朝日、そして爽やかな空気がわたしを包み込む。生垣に囲まれている我が家の裏庭は、子どもの頃の遊び場でもあった。

 

 そこら辺の雑草や生垣の葉っぱを引っこ抜いてバケツに入れて調合ごっこをしたり、生垣の枝を折って剣に見立て冒険者ごっこをしたり、かくれんぼでむりやり生垣に入り込んで枝をばきばきにしたり――思い返すと、わたしはとにかく生垣を酷使していた。今でも生垣には、その頃についた傷跡が、ちらほらと見える。

 深呼吸をすると、お母さんが家庭菜園で育てているハーブ類の清涼な香りで胸が満たされる。実に清々しい。


「ユリィちゃ〜ん、待って〜」


 ふわふわした声が小鳥のさえずりに混じって、わたしの背中を追いかけてきた。彼女は、白い薄手のセーターに包まれた豊満な胸を踊らせて駆け寄ってきた。


「待たせちゃってごめんね〜」


 翡翠の柔和な瞳が、柔らかい陽光を浴びて、きらきらと輝いている。


「今出たとこだから大丈夫だよ。それよりショコラちゃん、髪もさもさだね」

「あう〜、この時間に髪とかしてたら学校に遅れちゃうから仕方ないよ〜」


 肩の下まで伸ばした鮮やかな赤色の長髪は、いつもより三割増でもさもさぴょこぴょこしている。もふもふして遊びたい衝動に駆られるけれど、そんなことをしていては、メグちゃんを余計に待たせてしまう。


「いいの? ねぐせそのまんまで」

「ねぐせなのか元からのクセなのか、私でも分からないから大丈夫だよ〜。えへへ〜」

「ショコラちゃんがそれで良いなら、まぁ、いっか。……さて、メグちゃんが待ってるだろうし、行こっか」

「は〜い」


 生垣の間には、人一人が通れる程度の片開きの格子戸が、すっぽり収まっている。押してやると、ちょうつがいが苦しそうに、ぎぎぃ、とうめいた。

 ハーフティンバー様式の住宅が軒を連ねる細い石畳の道。わたしの通学路。家によって漆喰やレンガの色が違って、歩くだけで楽しい気分になる。整然と並んだ街灯には、頭に小鳥を止まらせているものもあった。


 ショコラちゃんとわたしは肩を並べて歩く。とりとめのない話をして、笑い合って、そうしているうちに水路に突き当たる。ここは左に折れて水路沿いを進む。

 この下手な川より幅のある水路は、昔は手漕ぎ船がたくさん往来して、水上マーケットも開かれていてたいそう活気があったらしい。けれど今は、一艘(いっそう)の手漕ぎ船がゆっくりと流れをさかのぼって行くのみだ。これも時代の流れというやつなのだろう。水路の水と時代はたゆまず流れ続けるのだ。


「ショコラちゃん。今思いついたんだけど、水路の水と時代は止まることなく流れ続ける、って言葉、どうかな」

「なんだか歴史家みたいでかっこいいね〜」

「えへへ、ありがと。……うん、なんか、今の言葉で良いのが書けそう!」

「創作意欲湧いてきた〜?」

「うん、まだぼんやりとだけど、なんかいい感じかも。新しいのが書けたら見せてあげるね」

「楽しみにしてるね〜」


 しばし歩くと、右手に橋が見えてくる。彼女は今日もその橋のたもとで、そよ風に栗色の前下りのショートボブを揺らしながらわたしたちを待っていた。腕組みをして、切れ長な琥珀の瞳で、じっとこちらを見ている。わたしたちを発見しても駆け寄って来ないのが彼女らしい。わたしとショコラちゃんは、駆け足で彼女の元に向かう。


「メグちゃん、お待たせ!」

「お待たせ〜」

「二人ともおはよう」

「うん、おはよ!」

「おはよ〜」


 ほんとは待ち遠しかったくせに、それをお首にも出さない。けれど、それを言うとメグちゃんは照れてしまうので心の中にしまっておく。

 それにしても、相変わらずモデルさんみたいだ。デニムのショートパンツと薄手のタイツは、どちらも彼女の脚線美を強調している。白いブラウスだけを着ていて、余計な装飾のないシンプルな恰好なのに、絵になる。逆立ちしてもわたしにはこういう格好は似合わないから、憧れる。

 三人が揃い、あとは学校に向かうだけだ。わたしたちの靴が石畳を踏む音の三重奏が、住宅街に小気味よく響いた。


「ショコラ、髪がぼさぼさだぞ」

「今日は髪をとかす時間がなかったから〜」

「だらしないな。自分は気にしていなくても他人は見ているんだ。櫛はあるか? 学校に着いたらちゃんととかすんだぞ」

「……あ〜、急いで出てきたから洗面所に櫛置いてきちゃったよ〜」

「そうか……じゃあ、学校に着いたら櫛を貸してやるから、しっかりとかすんだぞ」

「わかったよ〜」

「よろしい。……まったく、どうして寝癖を放置して家を出てくるんだ」

「どうしてって言われても〜」

「ショコラちゃん、今日はいつにも増して起きられなかったからね。髪をとかす時間がなかったんだよ」

「えへへ〜、お布団が気持ちいいから〜」

「やれやれだな」

「それに〜、昨日はちょっと遅くまで起きてたから〜」

「あれ、ショコラちゃんが夜更かしなんて珍しね」

「うん〜。今日は理科学の小テストだから勉強してたの〜。私、理科学はあんまり得意じゃないから〜」

「あれ、そうだったの? やばい、わたし全然勉強してないや」

「この間の授業で言っていただろ。聞いていなかったのか?」

「多分寝てたなぁ」

「また寝てたのか……」


 こんな感じで、登校中は他愛のない話が延々と続く。誰かが喋れば必ず誰かが応え、話が途切れそうになってもすぐに別の話題が出てくる。女が三人寄れば騒がしくなるとはよく言ったものだ。

 住宅街を抜け、道幅の広い目抜き通りに出た。路面列車(トラム)の線路が道の真ん中に敷かれ、それを挟むように、喫茶店、本屋、パン屋、魔法道具屋、怪しい仮面を軒先にぶら下げた謎のお店等々、種々様々なお店が軒を連ねている。


「う〜ん、美味しそうな匂いがするよ〜」


 ショコラちゃんの言うとおり、パン屋さんから香ばしい匂いが漂ってきている。


「くんくん……確かに、いい匂いだね」


 ここのパン屋さんはプレッツェルが美味しいので有名だ。ガラス張りの小洒落た店構えへ、わたしとショコラちゃんはふらふらと吸いこまれた。


「おまえたち、朝食は食べてきたんだろう」


 後ろからメグちゃんが呆れたように声をかけてきた。


「見るだけだよ〜」

「そうそう、見るだけ見るだけ」


 こんがり狐色でかりかりのプレッツェル、かたつむりみたいな形のシュネッケン、それから創意工夫の凝らされた惣菜パン菓子パン類が、ところ狭しと棚に陳列されている。そんな店内を行き来するお客さんは、パンの海を泳ぐ魚のようだ。


「ショコラちゃん、このお店、まるでパンの海だね。で、お客さんはパンの海を泳ぐ魚って感じ」

「わ〜、すごく詩的だね〜、ユリィちゃんは才能の塊だよ〜」

「てへへ」

「……おまえたち二人の会話は相変わらずよくわからないな……とにかく、ひやかしは店に迷惑だ。私は先に行くからな」

「あ、待ってよ。ショコラちゃん、置いてかれちゃうよ」

「え〜? あ〜、メグちゃん待って〜」


 路面列車がベルを鳴らしながら、メグちゃんと合流したわたしたちを悠々と追い抜いていった。あの青い鉄の箱の中に、人がぎゅうぎゅう詰めになっている様子を見るにつけ、学校が家から歩いて行ける範囲にあってよかったと、しみじみ思う。

 だんだん小さくなっていく列車の後ろ姿を追いかけるようにして、箒にまたがったジャージ姿の生徒が、頭上を勢い良く飛び去っていった。たぶん、部活の朝練に遅刻したのだろう。


 学校前の並木道に出た。赤レンガの敷石で造られた道は、人が豆粒ほどに見えるくらい遠くの校門まで真っ直ぐ続いている。歩いている人も、箒にまたがってふわふわ飛んでいる人も、今の時間ここにいる人はみな、我が校の生徒だ。道を縁取るように植えられたポプラ達は空に向かって葉っぱを広げ、気持ち良さそうに日光を浴びている。


「そういえばさ、“鮮血のポプラ”って、あれほんとなのかな」


 この並木道のポプラの中に、秋になると一本だけ葉っぱが紅葉するポプラがあるそうだ。その根本には死体が埋まっていて、死体の血を吸って育ち、秋になると血のような赤に染まるとか。


「アンさんが言ってたやつだよね〜。どうなんだろ〜」

「そんなの嘘に決まっている」

「あはは、よくある都市伝説だよね」

「でも〜、もしほんとだったら怖いね〜」

「怖いってもんじゃない、事件だ事件」

「あはは、確かに」

「それにしても〜、どれが“鮮血のポプラ”なんだろうね〜」


 葉が色づく季節ならまだしも、新緑の季節の今においては、“鮮血のポプラ”の特定は困難だった。


「葉っぱがみんな緑だからわからないね」

「だね〜。秋になればわかるかもね〜」

「……身も蓋もないな」


 わかったところで、死体が埋まっているかどうかなんて、確かめようもないけれど。ただ、アンさんなら『ホントに死体が埋まってるか確かめなきゃ!! いっちょ掘るか‼』とか言って掘り返しかねないので、もし“鮮血のポプラ”の場所がわかってもアンさんには秘密にしておこう。

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