『錬金術部へようこそ』 その二
――なんて、一瞬でも思ったわたしがバカだった。そこに広がるのは、とても錬金術を志す者たちが集う場所とは思えない空間だったのだからりかい。ぷしゅう、と音を立てて膨らんでいた期待がしぼんでしまったのを、たしかに感じた。
アフタヌーンティーに使うような、白い円卓と椅子が教室のど真ん中にあった。円卓の上には、お盆にのったティーセットが置いてある。視線を移すと、ファンシーなぬいぐるみやクッションがのっかった、ごつい革張りのソファーが飛び込んできた。でっかい食器棚まである。そして、なぜか、タタミが敷いてある空間もあった。錬金術の部活のはずなのに、錬金術に使うような器具は、全て隅っこに追いやられ身を寄せ合っていた。
「失礼しましたー」
きびすを返して外に出ようとしたら、先輩に羽交い締めにされた。
「ちょっと、どこ行くの!!」
「いや、部室を間違えたかなと思いまして……」
「あたしが間違うわけないでしょ!! ここが錬金術部の部室だよ!!」
こんなところを錬金術に使う部屋だと言い張るなんて、錬金神のバチが当たる。錬金術部と名乗るなら、この部屋だってもっと、薬臭くて本や器具だらけで用途不明のものが散乱しているべきなのだ。
「……なんかイメージと違うんですけど」
「世の中、イメージと違うことなんてよくある話だよ!! そんなことより椅子に座った座った!!」
先輩は強制的にわたしを円卓の椅子へ座らせた。椅子にはふかふかのクッションが敷いてあって、座り心地はなかなかだった。
「逃げたら承知しないからね!!」
彼女は椅子に座らず、わたしに釘を刺してから教室の奥に鎮座している食器棚を物色し始めた。
「錬金術の部活なんてあったんだね〜」
右隣に腰かけたショコラちゃんは、部室を見回している。のんきなものだ。
「うーん、それにしては、道具があんまり使われてないっぽいけど……本当に活動してるのかな」
器具を乾燥させるためのラックに置かれたフラスコや試験管は、ホコリが積もっているのかくすんだ灰色に見えた。釜も、磨かれていないのか、光沢がなく錆びついている。この諸々の道具たちは、手入れされた家具たちと違って、明らかに長い年月使用されていない。
「あんまりっていうか〜、ぜんぜん使ってないみたいだね〜」
「せっかく一通り揃ってるのにもったいないね」
「なにがもったいないって?」
先輩は白い丸皿を円卓に置きながら言った。お皿の上にはハートや人形を模した一口大のクッキーが、無造作に積まれていた。
「はい、クッキー。食べていいよ!!」
「あっ、ありがとうございます」
「ありがとうございます〜。いただきます〜」
「ほんとは紅茶も淹れたかったんだけど、あたし紅茶の淹れかたよく知らないし、めんどっちいから紅茶なし!!」
それは胸を張って言うことだろうか。
「いえいえ、お構いなく〜。もぐもぐ……ん〜、おいし〜」
お菓子が大好きなショコラちゃんは幸せそうにクッキーを頬張っている。
「あたしも食べよっと」
先輩はわたしと対面の席に座ってクッキーをつまんだ。
「あの、実際、この部活ってどういう活動をしているんですか? 錬金術関連の活動はちゃんとしてるんですよね?」
なけなしの期待とひとさじの勇気で、先輩に質問を投げかける。器具を使っていないからといって、まだちゃんと活動していないと決まったわけではない。もしかしたら、座学が中心なのかもしれない。
先輩はクッキーを一口かじって、にやりといたずらっぽい笑みを浮かべた。その口角には食べかすが付いていた。
「ふっふっふっ、よくぞ聞いてくれたね。……あたしたちはね、“賢者の石”を現代に復活させるために活動しているのだ!!」
「えっ、“賢者の石”ですか?」
その名前が出て来るとは思わず、聞き返してしまった。
「そう!! “賢者の石”!! “人造人間”、“エメラルド碑文”に並ぶ錬金術界三大浪漫の一つだよ!!」
“賢者の石”といえば、卑金属を黄金に変成させる力を持ち、また所有者に不老不死を授けるという、錬金術の最終到達点の一つだ。一説によると、それら特殊な力は“賢者の石”の力の一部に過ぎず、ほんとうは所持するだけで森羅万象を思うままにできる代物なんだとか。
「でも、“賢者の石”って、まだ誰も創れてませんよね」
長い錬金術の歴史の中で、どんな優秀な錬金術師でも“賢者の石”の精製には成功していない。なぜなら、“賢者の石”は、おとぎ話の類だから。どんな見た目かは話によってまちまちだし、世に出回っている“賢者の石”の作りかたはどれも嘘っぱちだし、“賢者の石”が実在した証拠も全くない。そもそもそんなものを作ることができたら、たぶん、錬金術師は神様になっている。
「だからこそ、あたしが一番乗りして、富も名声も思いのままにするの!!」
先輩は夢を語る子供のように輝く目をしていた。
「そう上手くいきますかね」
「上手くいく!! そう確信してる。我らフレイヤ区立高等魔法学校の錬金術部が、歴史に名を刻むことも、もはや時間の問題だね!!」
現代において“賢者の石”の探求なんて、錬金術師の本分から外れた荒唐無稽な行為だ。そんなことにうつつを抜かすくらいなら“ちり”を集める方がよほど有意義だ、なんて言われているほどだ。彼女の言っていることは都市伝説やオカルトの類を追い求めてます、と言っているのと変わらない。
「ふぇ〜、そんなにすごい野望があったんですね〜」
ショコラちゃんは、本当に関心したような様子だった。まさか、こんな与太話を信じているのか。
「ふっふーん。でもね、独り占めはしないよ。もし“賢者の石”を完成させたら、部員のみんなで均等に分ける!!」
「そんなケーキみたいに分けられるものなんですかね」
「あははっ!! どうだろうね。“石”って言うくらいだから、硬くて分けるの難しいかもね!!」
先輩は楽しげに笑った。
わたしは楽しくない。がっかりだ。
先輩の発言はいいかげんだし、部室は混沌の極みだし、錬金術の器具だってホコリをかぶったインテリアと化している。こんな状況で、この人とまだ見ぬ部活の面々が真面目くさって錬金術を学ぶ姿なんて、想像できない。
「そういえば〜、他に部員さんはいないんですか〜?」
「ん? いるよ。そろそろ帰って来るはずなんだけど」
先輩がちらりとドアに目をやった時、ちょうどがらりとドアが開いた。
「おっ、きたきた!!」
「ただいま戻りましたわ……あらまぁ、二人も連れてきたんですの」
部室に入ってきたその女性は、楚々としたお嬢様、といった風体だった。白いマキシ丈ワンピースの上に黒いカーディガンを羽織っていて、シックで落ち着いた雰囲気を全身からかもしている。カーディガンの襟元に光るバッジから、彼女も二年生であることがわかる。
さらさらしたブロンドのロングヘアとたぷんたぷんのその胸を揺らして、女性は円卓の前まで来た。
「初めまして。わたくしは“シャルロッテ・ハーゼホルン”と申しますわ。この錬金術部の、副部長を務めていますの。本日は我が錬金術部にご足労いただき、恐悦至極ですわ。どうぞ、ごゆっくりしていってくださいまし」
柔和な碧い瞳でわたしたち二人に視線を送り、丁寧に自己紹介をして深々とお辞儀した。おへその前で手を重ねているため、その豊満な胸は両腕で挟まれる形となり、これでもかと言わんばかりに谷間が強調される。
「これはご丁寧にどうも〜。こちらこそよろしくお願いします〜」
ショコラちゃんの声が、どこか遠くで聞こえているようだった。それほど、わたしの神経は目の前にある名状しがたい脂肪の塊に集中していた。なんとも重量感のあるおっぱいで、触ったらご利益があるのではないかと思えるほどだ。乳神様だ。もはやおっぱいではなく、お尻にすら見える。こんなにあるなら、少しくらい、分けてもらえないだろうか。
「あの、わたくしの胸になにかついていますかしら?」
シャルロッテさんの声で我に返った。訝しげな視線が突き刺さる。初対面の人の胸を注視するなんて、わたしは変態か。
「あっ、いえ、なにも……今日はよろしくお願いします」
「シャリー!! そっちはどうだった?」
先輩の問いかけに、シャルロッテさんは頬に手のひらを当て溜息をついた。
「あてが外れてしまいましたわ。部活が決まっていたり、高校では部活をやらないと言う子ばかりで。……一人だけ、もしかしたら今日、来てくれるかもしれないですわ」
「部活やらないって子を連れて来てもよかったじゃん。あたしら遊ぶだけの部活だし、帰宅部と大差ないよ、って言っとけばほいほいついてきたんじゃない?」
先輩の発言は、とうにしぼんでいたわたしの期待に死体蹴りをかますようなものだった。
「それは、なんだか負けた気がしますもの……」
「ふーん。まぁいいや、仕方ないよね」
「はぁ……やっぱりわたくし、こういう活動は苦手ですわ」
「まぁまぁ、誰でも向き不向きはあるよ。あっ、そうだ、お茶淹れてきてよ!! あたしじゃこの子たちに美味しい紅茶は淹れらんないからさ」
「うふふ、そうですわね。わたくしには、勧誘よりお茶淹れのほうが向いてますわ。では、しばしお待ちを」
シャルロッテさんは円卓の上にあったティーセットに手を伸ばす。てきぱきとした手つきで、あっという間に、目の前でお茶会セットを完成させた。そして、ティーポットを持ってさっそうと部室から出て行った。
お茶を出されたらますます帰りづらくなってしまう。こんな、入る気もない部活の勧誘に付き合うなんて不毛な時間は、とっとと切り上げたい。
どうする、どうするわたし。考えろ、考えろわたし。
「あの人が他の部員さんですか〜?」
どうやってずらかるかわたしが算段する中、ショコラちゃんはまったりとクッキーを頬張りながら、先輩に問いかけた。
「そうだよ。……っと、そういえばあたし、まだ自己紹介してなかったね。あたしは“アンネ・オイレンシュピーゲル”。一応部長だよ。気軽に“アン”って呼んでね。よろしく!!」
「はい〜。アンさんよろしくお願いします〜。私はショコラーデ・エンゲフリュスタっていいます〜。ショコラって呼んでください〜」
「ショコラね、わかった。あんたは?」
「えと、わたしはユリナルカ・アルケイナムです。ユリィって呼んでください。よろしくお願いします……はっ」
しまった。つい流れで、自己紹介してしまった。ユリナルカやショコラーデなんて珍しい名前は、わたし達くらいしかいないはずだから、すぐにクラスが特定されてしまう。もし入部の件をうやむやにして逃亡しても、この人ならば、勧誘しにクラスへ乗り込んでくるに違いない。
「ん、ユリィね。ショコラと、ユリィ……うん、覚えたからね」
アンさんはご丁寧に指差し確認をしながら、わたしたちの名前を復唱した。できれば忘れてほしい。
「あの〜、部員さんはお二人だけなんでしょうか〜?」
「いや、もう一人三年生の先輩がいるっちゃいるんだけど……飛翔部と兼部だから、あんまり顔出してくれないんだよねー」
飛翔部と聞いて、玄関ホールで飛び回っていた黒装束の集団を思い出す。もしかしたら、あの中にその先輩がいたかもしれない。
「部員さん少ないんですね〜」
「うっ、痛いところを突いてくるね……そうなんだよ、去年の卒業生が抜けたら部員が足りなくなっちゃってさ、今年新入部員が入ってくれないと廃部になるかもしれなくて……あぁ、悲しいなぁ。思い出がいっぱい詰まった部活がなくなっちゃうなんて、寂しい限りだよ。いやほんと、まいったまいった」
アンさんは、わざとらしくお手上げのポーズをとってみせる。
「そうだったんですね〜……ちなみに、新入生が何人入れば部活は存続できるんですか〜?」
「んっと……今部員が三人だから、あと最低二人は入ってくれないとダメかな。ほんと、二人だけでいいから入ってくれればいいんだけどなー……はぁー……ちらり」
今度は額に手を当て天を仰いで、こちらの反応をちら見してきた。
わたしたちが入部しなかった結果、このなんちゃって錬金術部が潰れでもしたら、アンさんもシャルロッテさんも三年生の先輩も悲しむだろううし、わたしたちを恨む可能性だってある。入学早々、一つの部活と複数人の運命がのしかかってくるなんて予想だにしなかった。
「そうなんですか〜」
ショコラちゃんは視線を下げ思案顔になった。心優しい彼女のことだ、間違いなく入部に心が傾いている。これでわたしが入部しないと言ったら、ショコラちゃんはわたしに失望するだろう。
「あー、ごめん、今の話聞かなかったことにして!! こんな話持ち出すなんてヒキョーくさいよね!! もっと他の部活を見てから決めるべきだよ、うん」
そのヒキョーくさい話を聞かされた今、他の部活に入部する気になれる人間が、果たしていかほどいるのか。
「いえいえ〜、他の部活に入る予定もありませんし、私が力になれるなら、入部するのもやぶさかではないですよ〜」
なんてショコラちゃんは言っちゃっている。これはもう、入部確定だ。
「ね〜、ユリィちゃんもそう思うよね〜?」
さらにわたしに同意を求めてくるではないか。これが巷で噂の同調圧力というやつか。
「う、うん、そうだねー……」
友情をなによりも重んじるわたしは、そう返事をするしかなかった。入学早々ぼっちになるのは嫌だ。
「まじ?! いやー、ありがたいなー。でも、一応今日は見学って体だからさ、本当に入部する気があるなら、明日またここに来てよ!! にしししっ」
アンさんは八重歯を見せて笑った。その目が一瞬、獲物を逃すまいとする捕食者のように、鋭く光った気がした。ぞわりと、悪寒が走る。明日も来ないと、やられる。
「お茶をお持ちいたしましたわー」
わたしが逃げられないことを悟ったその時、ティーポットを片手にシャルロッテさんが教室に入ってきた。
「ありがと、シャリー」
「どういたしまして。さぁ、どうぞ」
目の前のティーカップが、紅茶で満たされ、香りが湯気と共に立ちのぼって鼻をくすぐる。
「あ、ありがとうございます」
「うふふ、どういたしまして。はい、あなたもどうぞ」
紅茶を注ぐシャルロッテさんの姿は、それだけで絵になる。ショコラちゃんもそう思っているのか、ぼんやりとシャルロッテさんを眺めていた。
「ありがとうございます〜」
「どういたしまして。ほら、アン、あなたも」
「おっ、悪いねぇ」
「砂糖はシュガーポットから取ってくださいまし。ミルクが欲しかったらお申し付けくださいな」
そう言いながらアンさんのティーカップに紅茶を注ぎ、空席に用意していたカップにも紅茶を注いだ。
シャルロッテさんは席につくと、まず紅茶を上からまじまじと見つめ、それからソーサーに手を伸ばした。胸の前までソーサーを持ってきて、左手でソーサーを支え、右手でティーカップを持ち、香りを堪能するそぶりをみせて、やっと紅茶をすすった。息で冷ますこともなければ音も立てない。わたしには詳しい作法はわからないけれど、それでも、その振る舞いは完璧なものに思えた。
アンさんが、かちゃかちゃ、ふーふー、ずずずっ、と音を立てまくっているから、ことさらにシャルロッテさんの姿は上品に見える。
わたしは猫舌だから、とりあえず紅茶は放置して冷ますことにした。
「ねぇねぇ、シャリー。そっちのちっこいのがユリィで、こっちのおっぱいちゃんがショコラだってさ」
ショコラちゃんがおっぱいちゃんなのは同意だけど、同じくらいの身長の人にちっこいなんて言われたくない。
「そうなんですの。ユリィちゃん、ショコラちゃん、わたくしのことは“シャリー”、と呼んでくださって結構ですわよ。仲良くしましょうね」
「は、はい。よろしくお願いします」
「シャリーさん、よろしくお願いします〜」
「二人ともうちに入ってくれるって!!」
「あらまぁ、そうなんですの! 嬉しいですわ!」
「いやー、一時はどうなるかと思ったけど、これでうちも安泰だね!!」
「これでなんとか、廃部の危機から脱却できますわね! お二人には、感謝してもしきれないですわ!」
「その感謝の意味も込めて、歓迎会もやらないとね!!」
「そうですわね!」
先輩二人は、手を取り合って喜んでいた。二人から向けられる屈託のない感謝の念は、さっきまで逃げようと考えていたわたしの心に、深く染み入った。
「先輩たち喜んでくれてるよ〜。よかったね〜」
「うん……そだね」
わたし達が入部することで部活が存続して、先輩たちが喜んでくれるなら、それでいいかもしれない。よくよく考えてみると、入部を拒否する確たる理由なんて、わたしは持ち合わせていないのだ。お遊びの部活動、大いに結構じゃないか。悪くない。むしろ、今まで部活をしてこなかったわたしには、その温さがちょうどいいのではないか。遊ぶだけといっても、錬金術の名を形だけとはいえ冠しているわけだし、漫然と帰宅部生活を送るより、錬金術に触れる機会が増える可能性も、無きにしもあらずなわけで。
「おーい、ユリィ? どったの?」
アンさんの顔が急に目の前に現れて、びっくりした。
「なっ、なんでもないですよ」
「そう? なんかぼけっとしてたけど」
「ほんとになんでもないですよ」
「ふーん……ま、いいや。明日は歓迎会するから、二人とも絶対来てよね!!」
「うふふ、楽しみにしていてくださいね」




