『錬金術部へようこそ』 その一
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人ごみは嫌いだ。一般的な女性よりも少しばかり背の低いわたしが人ごみの中に入ると、とたんにもみくちゃにされ、右も左もわからなくなり、ボロ雑巾のようになってしまう。
そんなわたしは今、人ごみに流されている真っ最中だ。広いアトリウムになっている玄関ホールは、今は新入生とそれを狙う部活の勧誘でごった返している。周囲からは様々な部活の謳い文句が、半ば怒号のように聞こえてくる。
片手では学生かばんが人の流れに持っていかれないようしっかり持ち手を握り、もう片方ではショコラちゃんの手を握っている。ぎゅっと手を握ると、彼女はしっかりと握り返してくれる。
足を踏まれ、背中を押され、押し合いへし合いしているうちに、わたしたちは絞り出されるホイップクリームのごとくぬるりと人ごみから押し出された。
「ぷはぁー、やっと出られたね……」
「うん〜……でも〜、人ごみから出られたのはいいけどどうやって帰ろうか〜」
振り返ってみると、ひしめき合う人の川だ。見渡せば、ここはまだ川の中流あたりだった。河口にあたる玄関にはまだほど遠い。帰るためには、また人ごみの中に入って流されないといけないのだ。気が遠くなりそうだ。
周囲には、ぼんやりと人ごみを眺めている人がけっこういる。しゃがみこんでいる人もいる。皆一様に、疲労の色が見て取れる。
いつもにこにこしているショコラちゃんも、さすがに疲れた顔をしている。翡翠色の瞳はぼんやりと遠くを眺め、肩の下まで伸ばしたふわふわな赤毛も、こころなしかぼさぼさになっている。
途方に暮れて天を仰ぐと、古風な魔女装束で箒にまたがって飛んでいる人たちが目に入った。
「飛翔部! みなさん、ぜひ飛翔部に入ってください!」
メガホンを片手に叫んでいる人と、『飛翔部部員大募集! 君も風になろう!』と書かれた垂れ幕を箒から垂らしている人がいて、人ごみの頭上をゆっくりと旋回している。
「はぁ……どうやって出よう」
「また人ごみの中に行くのは、ちょっときついかも〜」
「人がはけるまで待つしかないのかなぁ」
「それしかないのかな〜」
「いつになったら人がはけるんだろうね」
「う〜ん、いつなんだろ〜」
「はぁ、暗くなる前に帰りたいね」
「だね〜、早く帰りたいね〜」
「せめて外に出たいんだけど」
「そうだね〜」
「あんたたち、外に出たいの?」
突然後ろから声をかけられた。いつの間にか背後に、わたしと同じくらいの背丈の女の子が立っていた。長い黒髪をポニーテールに結い上げ、パーカーにホットパンツという、活動的な格好をしている。春といえどまだ肌寒いためか、アーガイル模様のサイハイソックスを履いていた。
女の子はらんらんとしたヘーゼルグリーンの瞳で、値踏みするようにわたしたちを見比べた。パーカーの紐にくっついてぶらぶらしている“環蛇”のバッジは、その腹に青い石を抱いている。青は、確か二年生の色だ。こんなちんちくりんな見た目でも、彼女は先輩なのだ。
「外に出たいんだよね?」
再び、小さな先輩が問いかけてきた。
ショコラちゃんの顔を見る。彼女も困惑した顔で、わたしを見返してきた。
「……出られるなら、出たいですけど〜」
控えめにショコラちゃんが返事をすると、先輩は、にいっと八重歯を見せた。褐色の肌によって、歯の白い輝きが強調される。
「あたし抜け道知ってるよ!! 教えてあげる!!」
言うが早いか、彼女は、なぜかわたしの左腕を掴んできた。
「えっ」
腕を引っ張られ、駆け出す先輩について行くしかなかった。彼女の後に続いていると、柑橘系の爽やかな香りがかすかに鼻をかすめてゆく。
「こっちこっち!! そっちの友達も早く!!」
ぐいぐいと腕を引っ張られる。小さい割に力が強くて、掴まれているところがちょっと痛い。
「待って〜!」
遅れてついてくるショコラちゃんのことはお構いなしに、ずんずんと先に進んで行く。
「あの! 玄関あっちですよ!」
「いーのいーの!!」
どんどん玄関から遠ざかっていく。どこに連れて行かれるのだろう。
「はい、ここで待っててね!!」
「ここって……」
先輩が立ち止まったのは、第一購買の前だった。購買の前はカフェテラスになっている。けれど、テーブル席も周辺にあるベンチも満員で、とても休めるような状況ではない。そんな混み合うテラスの中へ、彼女は分け入った。
先輩の後ろ姿が見えなくなったところで、ショコラちゃんが追いついてきた。マイペースな彼女は普通に歩いてきた。わたしだけ走らされ損じゃないか。
「やっと追いついた〜……あれ、さっきの人は〜?」
「ここで待ってろー、って言って奥に行っちゃった」
「ほえ〜。あの人、お友達なの〜?」
「いやいや、初対面だよ。わたしもなにがなにやら」
「う〜ん、誰なんだろ〜」
「あんなに強引な人初めて会ったよ……」
「おーい!! 二人ともー!!」
ひょいひょいと器用に人を避けながら、先輩がこちらに向かってきた。
「抜け道確保したよ!! ついてきて!!」
それだけ言うと、またテラスに分け入った。
「抜け道だって〜。なんだかわくわくするね〜」
ショコラちゃんは、ふわふわとそれについていった。そのマイペースさが羨ましい。置いていかれるのは嫌なので、その後を追った。
誰かの背中にぶつかったり、誰かの足に引っかかったりしながら、なんとか購買の店先までたどり着いた。購買の窓口は閉じていて、カーテンがかけられている。カウンターの上に『盛況につき本日分の商品は完売いたしました』と書かれた、手作り感あふれる立て札が置いてあった。小さな先輩はそれらを気にもとめず、脇の『関係者以外立ち入り禁止』と張り紙がしてある扉を迷いなく開けた。
「そこはダメなんじゃ……」
「だいじょーぶだよ!! 早く!!」
そんなことを言われても。ショコラちゃんのほうをうかがうと、彼女は尻込みせず、わたしの手をとってきた。
「あの人が大丈夫って言ってるし大丈夫だよ〜。行こ〜」
「……わかったよ、行くよ」
乗りかかった舟だ。付き合うより他はない。
背中に大勢の視線を感じながら、購買の店内に足を踏み入れる。
扉を閉めると、急に喧騒が遠くなった。店内では、売り子と思われる女性がこちらに背を向けて商品の整理をしていた。
「おねーさん、通るよー!!」
先輩は立ち止まって女性に一声かける。女性は一旦作業の手を休めて振り返った。どこかで見たことのあるような、気だるげな顔をしていた。
「あんた、あんま入るなって言ったよね。しかも新入生まで連れてきて。なに考えてんの」
「まぁまぁ、固いこと言わないでよ」
「はぁ……ったく、先生がたに見つかる前に早く通りな」
「ありがとー。よし、二人とも行くよ!!」
「さ、さようなら」
「さようならです〜」
「ん、気をつけて帰りなよ」
女性は短く返事をして、ひらひらと右手を振ってから、また後ろを向いて作業に戻った。
購買の奥には扉がある。おそらく、従業員の通用口だろう。特に張り紙はされていない。先輩は一直線にそこに向かい、扉を開ける。
「ほら、外だよ!! 早くおいで!!」
言われるがまま、外に踏み出す。青々とした芝生の中にあるレンガの敷き詰められた小径が、校舎に沿ってまっすぐのびている。日は傾きつつあるものの、まだ夕方とはいえない時間だろうか。
登校して以来の外の空気だ。そよ風が頭を撫で、少し頭が冷えた。そして、様々な疑問がふつふつと湧いてくる。
この小さな先輩は結局何者? どうして購買の中に簡単に入ることができた? 売り子のお姉さんとはどういう関係?
「ぼんやりしてないで行くよ!!」
背中をばしと叩かれ、頭に浮かんでいた疑問符が向こうに飛んでいってしまった。
「あっ、はい! ……って、行くって、どこへですか?」
「ん? お願い通り外に出してあげたんだから、今度はそっちがあたしの言うことを聞く番だよ?」
「そんな、お願いなんてしてないですよ」
「よーし、それじゃあしゅっぱーつ!!」
聞いちゃいない。
先輩はまたわたしの左腕を掴まえて、小径をゆく。相変わらず、すごい力だ。ひ弱なわたしでは到底振りほどけない。
「どこにいくんですか〜?」
焦るわたしとは裏腹に、ゆるゆるとした口調でショコラちゃんは訊いた。どうして彼女は腕を掴まれないのだろうか。わたしは捕まえておかないと逃げ出す人間だと思われているのか。
「どこって、あたしたちの部室だけど?」
「あの、ひょっとして、部活ですか?」
「そうだよ。とりあえず見学してってよ!!」
部活の勧誘だと最初から言ってくれたら、断りようがあったのに。なんて強引なやり方だ。けれど、強引だったとはいえ、この人のおかげで外に出れただけに、帰りたいなんて言えない。……仕方ない、適当に見学してこの場はしのごう。
先輩に手を引かれて道なりにずっと歩くと、小径のレンガが石畳に変わる。ここからは、旧校舎の敷地だ。旧校舎は古臭いハーフティンバーの三階建で、長い年月風雨にさらされてきたらしく、全体的に薄汚れている。
そういえば、旧校舎は新校舎に部室を確保できなかった部活の部室棟になっていると聞いたような気がする。
「あの、部活って、なんの部活ですか?」
「んっとね、ヒミツ!!」
「秘密部ですか? なんですか、それ」
「違う違う、部活の内容はまだ秘密ってこと。部室までのお楽しみだよ!!」
どうやら見当違いのことを口走ってしまったようだ。恥ずかしくて、顔が熱くなる。なぜ秘密にするのだろう。どうせ、すぐにわかることなのに。
「部室はすぐそこだよ!!」
旧校舎の玄関ホールは吹き抜けでもなく、新校舎のそれよりだいぶ小さなものだった。人影は一つもなく、ひっそりと静まり返っている。他の部活の人はみんな、勧誘のために出払っているのだろうか。
先輩はわたしの腕をぐいぐいと引きながら突き当りを左に曲がる。道中の教室を見ると、確かに部室として使われている様子だった。“文学部”や“手芸同好会”、“オカルト研究部”などにここまで広い部室が必要なのだろうか。
廊下の突き当たりの教室で、先輩は足を止めた。ついでに、腕も離してくれた。掴まれていた腕をわざとらしくさすってみたけど、先輩は特に気にしていない様子だった。
「ここだよ!!」
かけ札にはⅠ年A組と書かれていたけど、ドアには、“錬金術部”という文字と共に、イラストが多数描かれたポスターが貼ってあった。達筆で流麗な文字と、へんてこでふにゃふにゃしたイラストが、なんともミスマッチだ。
「錬金術部……」
なんという巡り合わせか。まさか、錬金術の部活が存在して、さらにはその勧誘を受けるとは思わなかった。これも錬金神の思し召しだろうか。
お母さんの顔が脳裏によぎった。わたしの夢。“お母さんのような立派な錬金術師になる”という夢。先程まで身じろぎ一つしていなかった期待が、ぷうっと膨らんだのを感じた。
「さぁ、入った入った!!」
部室のドアが勢い良く開けられる。それと同時に、錬金術師へと続く道の門扉が開かれたように思えた。




