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『入学前日譚』 その五

 家から錬金工房に入ると、ちょうどレジの裏に出る。お母さんもわたしも、スリッパから置いてあったサンダルに履き替え、ショコラちゃんには予備のサンダルを貸してあげた。なぜか、錬金工房に顔を出しているはずのシュリちゃんの靴が、ちょこんとそろえて置いてあったのが、少し気になった。

 連勤工房に入ってまず目につくのは、ぼさぼさした長い栗毛の後頭部だった。レジ前でやる気なさそうに座って店番をしているその人は、わたしたちの来訪に気づいて、気だるげに振り向いた。


「その子誰ですか……? 裏からお客様入れないでくださいよ……」

「この子はショコラちゃんだよ。高校に通う間、うちに住むことになったの。って、前に言ってなかったっけ」

「よろしくお願いします〜」

「あぁ……きみが……私はクラーラ・マルクト……この錬金工房で、従業員やらせてもらってるの……以後よろしく……」


 クラーラさんは椅子の背もたれにのっかかった。丸メガネの奥にぼんやり光る琥珀色の瞳は、相変わらずどこを見ているのかわからない。デニムを履いているとはいえ、大股開きで背もたれを脚の間に挟んでいて、恥じらいの欠片もない。


「シュリちゃんはどこ行ったの?」

「シュリちゃんですか……? 着替えるとか言って奥に引っ込みましたよ……」

「そっか。ねぇ、ショコラちゃんに錬金工房を見学してもらいたいんだけど、いいよね?」

「私に確認とらなくても……ここはマリィさんの錬金工房なんですから……マリィさんの自由にしてください……」

「それもそっか。よし、じゃあ、まずは店舗のほうを見てもらおうかな。ショコラちゃん、こっちおいで」

「お母さん以外の人の錬金工房って、見るの初めてです〜。楽しみだな〜」

「……ねえ、ユリィ」


 わたしも付いて行こうとしたら、クラーラさんに呼び止められた。お母さんとショコラちゃんは先に行ってしまい、薬品や魔法道具が陳列された商品棚の奥に消えた。


「どうかしたの?」

「あのショコラって子……どんな感じの子……?」

「うーん、マイペースな感じで、ちょっと天然っぽいかも」

「そう……私の苦手なタイプでは無さそうね……一安心だわ……」

「苦手なタイプって?」

「そりゃもう……元気溌溂で暑苦しい人とか……いちいち小煩い人とか……」


 家の方から、ぱたぱたと足音が聞こえてきた。シュリちゃんが来たようだ。


「おや、ユリィ、部屋の案内は終わったのですか?」


 シュリちゃんはメイド服に着替え、“お仕事モード”だった。


「うん。今はお母さんの付き添いで、ショコラちゃんに見学してもらってる」

「部屋の案内が終わったら仕事に戻ってくださいと言ったはずですよ。まったく」

「ユリィ……こういうタイプよ……」

「なんですか、クラーラ。何か言いたいことがあるのですか?」

「別に……なんでもないわ……」

「というか、なんですかそのだらしない格好は! 仕事中でしょう!」

「いいじゃない……今お客様居ないし……」

「よくないです! 不意にお客様が来たらどうするのですか! 姿勢を正して、ちゃんとレジに向かってください!」

「はいはい……あー……よっこいせ……」


 クラーラさんはすごく面倒くさそうに、レジに向き直った。

 この二人はいつも、顔を合わせればなにかしら言い合いをしている。子どもの頃はこの光景を見る度に、いつ掴み合いに発展するのかとヒヤヒヤしていたものだ。


「あ、シュリちゃん、着替えたの」


 お母さんとショコラちゃんが店舗ご案内ツアーから戻ってきた。


「え〜、なんでメイド服なんですか〜?」


 ショコラちゃんは目を白黒させている。そういえば、彼女はまだシュリちゃんのメイド服姿を見ていなかった。


「これは仕事着なのです」

「マリィさんの趣味なの……昔、私にも着せようとしてきたわ……」

「クラーラちゃんなら似合うと思うんだけどなー」

「絶対着ませんからね……」

「ちぇー。……あっ、そうだ! ショコラちゃん、もしよかったら、メイド服着てみる?」

「ふえっ? えっと、私はそういうの似合わないですよ〜」

「いやいや、絶対似合うって! 一回だけ! 一回だけでいいからさ!」

「はう〜。でも〜……」


 お母さんのゴリ押しに、ショコラちゃんはたじたじだ。助け舟を出してあげよう。


「ちょっとお母さん、ショコラちゃん困ってるでしょ。そうやって、誰でも彼でもメイド服着せようとしないでよ」

「はーい……じゃ、ショコラちゃん、次はメインの作業場に行こうか」

「あっ、はい〜」

「見学もいいですけど、早く仕事に戻ってくださいよ!」

「へいへーい」


 シュリちゃんの小言も適当な返事でいなし、お母さんはショコラちゃんと連れ立って、『マリィの作業場。関係者以外立入禁止!』と札の掛けられた扉の奥に消えた。


「まったく! 早くしてくださいよ!亅

「そんなカッカしなくてもいいじゃない……この時間はあんまりお客様来ないし……」

「お客様は来なくても、納期は確実に迫って来ているのですよ!」

「あぁ……それは……私にはなにも言えないわね……」


 わたしも課題の提出期限が迫ってくると、なぜか片付けを始めたり創作意欲が湧いてきたりする。きっと、今のお母さんも同じような状態なのだろう。

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