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『入学前日譚』 その四

 さて、家に着いたけれど、お父さんもお母さんも仕事中なので、出迎えてくれる人は居ない。


「いらっしゃい、ショコラちゃん。これからよろしくね」


 はずだったのだけど、なぜかお母さんは、裏口の扉を開けた先でスタンバイしていた。


「はい〜、これからお世話になります〜」


 ショコラちゃんは礼儀正しく深々とお辞儀をした。


「マリィ、仕事はどうしたのですか」

「まぁまぁ、堅いことは言わないで。新しい家族を迎えるんだから、お出迎えするのが礼儀でしょ。ささ、ショコラちゃん、上がって上がって」


 呆れているシュリちゃんを尻目に、お母さんがショコラちゃんを促す。


「お邪魔します〜」

「っと、ストップ! うちは土足厳禁だよ。内履きの靴かスリッパ、持ってきてるよね?」


 土足で上がろうとしたショコラちゃんを、お母さんは慌てて止めた。


「あ、そうでしたね〜。失礼しました〜」


 旅行かばんを漁って新品のスリッパを取り出し、それを履くことで、やっとショコラちゃんは我が家の床を踏むことができた。

 わたしは小さい頃から土足厳禁で育ってきたから違和感はないけど、他の家の人からすると、変わった習慣なのだろうか。


「さて、じゃあ、部屋に案内するよ。ショコラちゃんには、二階の空き部屋を使ってもらうからね」

「案内はシュリがするのです。マリィは早く仕事に戻ってください」

「番はクラーラちゃんがやってるし、今日はそんな忙しくないもん。ちょっとだけ! お願い! わたしも、ショコラちゃんと触れ合いたいの!」


 お母さんは、両手を組んでシュリちゃんに頼み込む。しかめっ面のシュリちゃんだけど、さすがにまだ我が家に来て間もないショコラちゃんの前でお母さんを怒るのもはばかられるようで。


「……はぁ、わかりました。部屋の案内は任せました。シュリはその間、錬金工房アトリエの方に顔を出していますね。部屋の案内が終わったら、すぐ仕事に戻ってくださいよ」

「やったぁ! ショコラちゃん、行こ!」

「はい〜」


 お母さんはスキップでもしそうなほど、足取りが軽やかだった。我が母親ながら、その無邪気さはわたしと同年代か、それ以下のような気さえする。

 ショコラちゃんが案内されたのは、最低限の家具を備えた殺風景な部屋だ。この部屋は元々、書庫として利用していた。ここに溢れていた本の山は、今は屋根裏に詰め込んである。


「とりあえず一通り家具はあるけど……こまごまとした足りないものもあると思うから、欲しい物があったら、遠慮なく言ってね」

「ありがとうございます〜」


 ショコラちゃんはベッドの上に旅行かばんを広げ、荷物を出し始めた。衣類、お菓子のレシピ本、筆記用具、謎の小さなぬいぐるみ等々。自分の荷物を他人に見られることに、抵抗はないようだ。


「お父さんは夜に帰って来るから、紹介はまたその時にするよ。お父さんも、ショコラちゃんに会うの楽しみにしてるよ」

「そうなんですか〜。私も楽しみです〜」

「あ、そうだ。ショコラちゃん、うちの“錬金工房”覗いてく? 面白いものがいっぱいあるよ。あとね、紹介したい人も居るんだ。うちで暮らすなら、あの子と知り合っとけばなにかと都合が良いし」


 よほどテンションが上がっているのか、お母さんのお喋りが止まらない。こんなに話しかけられては、ショコラちゃんも落ち着かないだろう。


「はい〜、是非お願いします〜」

「あとね――」

「お母さん。そんなにたたみかけたら、ショコラちゃん、おちおち荷解きもできないよ」

「む……ごめんね、ショコラちゃん」

「いえ〜、大丈夫ですよ〜」


 ショコラちゃんはのんびりとした手つきで、荷物を並べている。旅行かばんの容量よりも明らかに物が多い気がするのだけど、気のせいだろうか。


「そんなに一杯、自分で持ってきたんだね。“郵便箱”で送ってくれたらよかったのに」

「あ〜、その手がありましたか〜。うっかりしてました〜」

「まぁ、もう持ってきちゃったからしょうがないね。けっこう荷物あるみたいだし、荷解き、手伝おうか?」

「いえ〜、お気遣いなく〜」

「いいからいいから。遠慮は体に毒だよ」


 お母さんはショコラちゃんの答えに関わらず手伝う気満々だったようで、すでにショコラちゃんの荷物の山に手を突っ込んでいた。


「わかりました〜。では、お言葉に甘えてお願いします〜」

「任せなさい! ほら、ユリィも手伝って」


 そういうわけで、ショコラちゃんの荷解きの手伝いをすることになった。


「ねぇショコラちゃん、このぬいぐるみ、どこに置けばいい?」

「ベッドの上に置いておいて〜」


 近くで見ても、この小さなぬいぐるみがなにを象っているのかは謎だった。兎にも見えれば、犬に見えなくもない。


「うわ、大きい! いやぁ、やっぱりキルシュちゃんの娘だね。あの子もでかかったからなぁ。ショコラちゃん、これ、試しに着けてもいい?」


 お母さんはショコラちゃんのブラを天に掲げ、興奮している。恥ずかしいからやめてほしい。


「あはは〜、いいですよ〜」

「どれどれ……おー、服の上からでもぶかぶかだぁ」


 ショコラちゃんの懐が深すぎる。おっぱいが大きい女性は懐が深いとよくいうけれど、本当にそうなのかもしれない。 

 ブラと胸の間にできた隙間に手を入れてはしゃいでいるお母さんを横目に、ショコラちゃんが持参したレシピ本を手に取る。よれた多数のふせんや表紙の擦れで、彼女がいかに読み込んでいるかがうかがえる。


「本はどうすればいい?」

「とりあえず机の上〜」


 この机は書庫だった頃、本がうず高く積み上げられていて天板が埋もれていた。ショコラちゃんが来なかったら、この机は机としての本分を全うすることなく朽ち果てていただろう。

 服をしまうのを手伝い、それも終わって、さて次の仕事はと身構えてみると、ベッドに置いてあるのは、大口を開けた空っぽの旅行かばんだけとなっていた。


「ありがとうございます〜。おかげさまで早く終わりました〜」

「いいってこと。さぁ、次はお待ちかねの、錬金工房見学だよ!」


 勇んでお母さんは立ち上がって、部屋から出ていこうとした。


「ちょっとお母さん、ブラ着けっぱだよ!」

「あれ? あははっ、忘れてた。ごめんごめん」


 危うく、下着を服の上から着用して錬金工房に顔を出す変態錬金術士という汚名を、お母さんが被るところだった。


「ずっと着けてたから私も気付かなかったよ〜。ユリィちゃんよく気づいたね〜」


 普通気づくはずだ。こう言ったら失礼だけど、もしかしたらショコラちゃんは、懐が深いのではなく頭がゆるいだけなのかもしれない。 

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