『入学前日譚』 その三
列車から降りてくる人たちを観察するのにも飽きてきた頃、ついにその列車が姿を表した。
『間もなく、三番ホームに、ファイシア行き快速列車が到着します。危険ですので、黄色い線の内側まで、お下がりください』
連なる青い箱のような車体が、金属の擦れる音を立てて徐々に速度を下げ、停車する。扉が開いて、箱の中からたくさんの人が降りてくる。スーツ姿のおじさん、子連れの母親、学生らしき集団、年齢も性別もバラバラの人たちが、ぞろぞろと。
そんな集団からワンテンポ遅れて、大きな旅行かばんを抱えた赤髪の女の子が、もたもたと降りてきた。ホームの出口には向かわず、誰かを探すようにきょろきょろと辺りを見回している。
「む、あの子がショコラーデさんですよ。行きましょう」
シュリちゃんは真っ直ぐに、赤髪の女の子――ショコラーデさんの元へ歩み寄る。わたしもその後をついて行く。
「こんにちは。ショコラーデさん、ですよね?」
シュリちゃんに声をかけられ、ショコラーデさんと思われる人は振り返った。
「はい〜。ショコラーデは私です〜」
とてもクセのある喋り方だった。のんびりというか、ゆるゆるというか、そんな類のものだ。
「マリナルカ・アルケイナムの“弟子”の、シュリです。お迎えにあがりました」
「ご丁寧にどうも〜。これからお世話になります〜」
ショコラーデさんは深々とお辞儀をした。その間もずっと旅行かばんを抱えていたけど、重くないのだろうか。
「……こら、ユリィ、挨拶するのです」
「あう、ど、どうもショコラーデさん。わたし、ユリナルカです。よろしくお願いします」
自分で言うのもあれだけど、わたしは人見知りなので、初対面の人と喋るのは苦手なのだ。シュリちゃんに小突かれなかったら、空気になることに徹していただろう。
「あなたがユリナルカちゃんなんだ〜。これからよろしくね〜。私のことはショコラでいいし〜、言葉遣いもそんなに丁寧じゃなくていいよ〜」
ショコラーデさん――いや、ショコラちゃんの笑顔はふんわりとしていて、人の良さがにじみ出ている。彼女のこの言葉と態度は、わたしの心の壁を難なく崩した。この子となら、仲良くやっていけそうな気がした。
「う、うん。わたしのことはユリィでいいよ。よろしくね」
「ふふっ、よかったですね、ユリィ。……さて、長旅の疲れがあるでしょうし、荷解きもしないといけないでしょう。ひとまず、家に帰りましょうか」
「はい〜。よろしくお願いします〜。あっ、ちょっと待っててください、お財布出すので〜。……よっこいしょ〜」
ショコラちゃんはやっと旅行かばんをおろした。今まで隠れていた胸元が『でーん!』とあらわになった。服の前ボタンが弾けそうだ。
自分の胸元を見る。『すとん』と、視線が床に落ちる。少し、ほんの少しだけ、悲しい気持ちになった。どうして同い年なのに、こんなにも発育状況が違うのだろう。神様は不公平だ。
家へと向かう路面列車に乗っている間、ショコラちゃんは物珍しそうに流れてゆく景色を眺めていた。
「ユリィちゃんはずっとこの街に住んでるの〜?」
「うん。生まれてこのかた、お出かけ以外で街の外に出たことはないかな」
「そっか〜。私もこっちに来るまでは、ほとんど地元を出たことはないな〜」
「地元かぁ……ショコラちゃんって、どこから来たの?」
「ブラゥアヴァルトの奥の方だよ〜。リンデンバウムってとこなんだけど、田舎だからわかんないよね〜」
「あー……ごめん、わからないや」
「だよね〜。……あっ、ねぇユリィちゃん、あの像って誰なの〜?」
彼女の指差す先には広場があって、その真ん中には女性の彫像がある。ローブを纏って、杖を掲げている。こんな意匠の像はありふれたもので、どれが誰だかわからなくなることがままある。
「あれは……誰だっけ」
「旧フレイヤ国建国の母、“ジルヴィア・へーネス”ですよ。さらに言うと、広場は“立国広場”です。あの広場で、ジルヴィアは立国宣言をしたと言われています」
「あ、そうそう、ジルヴィアね。うん、知ってた知ってた」
「へ〜。そうなんですか〜」
「この街の礎は彼女が造ったのです。ここに住むならば、ぜひ、彼女のことを覚えておいてあげてくださいね。……ところでユリィ、なにか渡さなければいけないものがあるのではないですか?」
シュリちゃんに言われて、はてなんのことかと一瞬考え、かばんに入れてある紙袋のストライプが頭をよぎった。
「あ……そうだった。あの、ショコラちゃんのお母さんから、預かってるものがあるんだけど」
紙袋を見せても、ショコラちゃんは首を傾げるだけだった。
「ありがと〜。なんだろ〜」
あまりまじまじと見るのは失礼だけど、つい、なにが入っていたのか気になって、ショコラちゃんが封を開ける様子を眺めてしまう。中に入っていたのは、四角く袋状に折られた紙だった。封がされていて、その中になにか入っているようだった。紙には丸っこい文字で『一人の時に開けてね。母より』と書いてあった。隙を生じぬ二段構えだった。
「気になるな〜。とりあえずしまっとこ〜」
わたしもすごく気になる。こんなの、生殺しじゃないか。
この時、好奇心がわたしの頭を完全に支配していた。気づいたら、紙をしまおうとしていたショコラちゃんの手を掴んでいた。
「えっ……ユリィちゃん急にどうしたの〜?」
「はっ! い、いや、あの、これは……手、きれいだなー、と思って……」
こんな言い訳でごまかせるはずがない。これは終わった。ドン引きされること確定だ。変態の烙印を押されること確実だ。これから一つ屋根の下でずっとギクシャクした関係で暮らすことになるのだ。絶望だ。
「そんなにきれいかな〜? ユリィちゃんのほうが色も白いし指も細くて〜、きれいな手してると思うけどな〜」
そう言ってショコラちゃんは、掴まれていないほうの手で、わたしの手の甲をそっと撫でた。ごまかせた、のだろうか。
「え? あ、ありがとう?」
「なにか使ってるの〜?」
「いや、別に……あ、ごめんね、急に触ったりして」
「大丈夫だよ〜。ちょっとびっくりしたけど〜」
彼女は別段気にしていないように見える。どうやら変態の烙印を押される事態は、回避できたようだ。ほっと胸をなでおろす。ついでに、そっと手を離す。
しばしの間があった。先ほどの一連の出来事で、心臓が早鐘を打っていたので、とにかく落ち着くことにした。四つ数え、息を吸う。四つ数え、息を吐く。ショコラちゃんはその間、ずっと外を眺めていた。わたしとしては、ありがたかった。
「あ〜! ケーキ屋さんだ〜! ユリィちゃん、あのケーキ屋さんはどんな感じなの〜?」
わたしがだいぶ落ち着きを取り戻した頃、不意にショコラちゃんが興奮気味に言った。
「うん? ……あのケーキ屋さんは行ったことないなぁ」
「そうなんだ〜。……そうだ〜! じゃあ今度、私にこの街の案内してほしいな〜。それでね、あのケーキ屋さんに行こうよ〜」
「うん、いいよ。ケーキ好きなの?」
「ケーキ大好き〜。自分で作るくらいだよ〜」
「ケーキ作れるんだ。すごいね」
「うん、私、お菓子大好きだから〜。自分でよく作るんだ〜」
「へぇ。自給自足だね」
「ショコラはどこでお菓子作りを学んだのですか?」
シュリちゃんが会話に入ってきた。料理番を自負する彼女にとって、料理の話題は見逃せないのだろう。
「独学ですよ〜。レシピ本を見てやってます〜」
「独学ですか、やりますね。ふむ……もし、こちらでもお菓子作りをする気があるなら、うちの台所を使ってもらって構いませんよ」
「ほんとですか〜? ありがとうございます〜」
「えぇ。ただし、一つだけ条件があります」
「条件ですか〜?」
「最初に作るお菓子はプリンでお願いします」
「プリンですか〜? いいですけど、どうしてですか〜?」
「プリンはお菓子作りの基礎なのです。プリンを制する者がお菓子作りを制す、と言っても過言ではありません。その基礎ができてるかどうかを見て、台所を預けられるか否かを見極めたいのです」
「そ、そうなんですか〜。頑張ります〜」
「ショコラちゃん、気にしなくていいよ。シュリちゃんはただ、プリンが食べたいだけだから」
シュリちゃんはプリンが大好きなのだ。プリンのためなら、なんでもする。今並べた御託も、プリンを作らせるためにでっち上げたに違いない。
「むっ、何を言うのですか。シュリは純粋に、ショコラの力量が見たいだけなのです。決して、美味しいプリンが作れるなら、定期的に作ってほしいなどとは考えていませんよ。これっぽっちも」
「本音だだ漏れじゃん」
「あはは〜。私のプリンでよければ、いつでもいっぱい作りますよ〜。任せてください〜」
「楽しみにしていますよ。……ふふふ、ついに、家から出ずとも手軽にプリンを食べられる時が来ましたね……」
ショコラちゃんの口約束で、シュリちゃんはこれ以上ないくらい、ほくほくしている。この一件で、ショコラちゃんのことをプリン製造機と認識してしまってはいないか、ちょっと心配だ。




