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『入学前日譚』 その二

 ご飯を食べ終わり、シュリちゃんが片付けをしている間に身だしなみを整える。寝ぐせを直して、服を着替え、そうしている間にシュリちゃんが部屋に来て忘れ物の確認をしてきて、それにわたしは適当に答えながら、ポーチを肩にかける。


「ほんとうに忘れ物はないですよね?」


 裏口で靴を履くためにかがむと、本日ニ度目の忘れ物確認が頭上から降ってきた。


「もう、大丈夫だってば。ちゃんと渡すやつも持ったよ」

「そうですか。……それではマリィ、いってくるのです」

「うん、いってらっしゃい、気をつけてね」

「いってきまーす」


 お母さんに見送られて、わたしたちは家を後にした。

 わたしの家から駅までは歩くと一時間弱かかるため、路面列車で向かう。目抜き通りにある停留場まで、シュリちゃんと他愛のない会話をしながらしばらく歩くことになる。

 駅までお出かけとなると、さすがに彼女もメイド服ではなく普通の服を着る。わたしのお下がりのワンピースを着て、その上に、お母さんから貰ったオーバーサイズ気味のカーディガンを羽織っている。しっぽを通すための穴は、自ら繕ったそうだ。


「ユリィ、まずはちゃんと挨拶をするのですよ」

「努力するよ」

「努力じゃダメですよ。必ず挨拶をするのです。いいですか、挨拶は交流の始まりです。それを欠かすということは、交流を放棄することと同義なのです! 挨拶を制する者が、円満な人間関係を制するのです!」


 シュリちゃんは説教くさいきらいがある。わたしのことを思ってくれているからだというのは、十二分にわかっている。けれど、それを鑑みてもやっぱり小うるさい。


「うるさいなー。わかってるってば」

「そうですか。では、シュリに向かって挨拶してみてください」

「えぇ? なんで?」

「練習ですよ。あぁ、ちゃんと、初めて会う人に挨拶する感じでお願いしますね」

「練習ねぇ……こ、こんにちは」

「もう少し声を大きくしてください」

「でも、家の外だし」

「駅だって家の外ですよ。やれやれ、まずはシュリがお手本を見せるべきですね……こんにちは!」


 家々に反響して、澄んだ空に抜けていく挨拶だった。向こうにいるチョークで道に落書きをしていた子供たちが、びっくりしてこちらを振り返るくらい、明朗だった。


「あら、こんにちは」


 あまりにいい挨拶だったからか、すれ違おうとしていた知らないおばさんが挨拶を返してくれた。


「あっ……」


 さすがのシュリちゃんも想定外だったのか、間の抜けた声を漏らした。


「二人でおつかい? ちゃんと挨拶できて偉いねぇ」

「……まぁ、そんなところです」

「ふふっ、気をつけてね。……そうだ、飴ちゃんあげる。二人で仲良く食べるんだよ」

「どうもありがとうございます」


 おばさんはニコニコして手を振り去って行った。


「……と、このように、ちゃんと挨拶をすれば思わぬ報酬が転がり込んでくることもあるのです。だから挨拶は大事なのです」

「ふーん」

「な、なんですか、その胡散臭そうな目は。……飴、食べますか?」

「うん、せっかくだしもらうよ」


 飴は舌触りの優しいミルク味だった。

 飴が半分くらいになった頃、停留所に着いた。停留場には、仲の良さげな老夫婦が一組居るだけだった。

 路面列車の中は、ロングシートの真ん中にわたしたち二人が座っても両隣が空くくらい、人が居なかった。わたしみたいな学生は春季休業中だけど、一般的には平日なわけで、この空き具合も当然だろう。


「ねぇシュリちゃん、今日来る子って、なんて名前だっけ」

「“ショコラーデ・エンゲフリュスタ”さんですよ」

「どんな子かわかる?」

「さぁ。シュリは実際にお会いしたことがないので、わからないです」

「そっか」

「仲良くできるか不安なのですか?」


 さすが、赤ん坊の頃からわたしの面倒を見ているだけあって、わたしの気持ちは手に取るようにわかるのだろう。


「まぁ、ね」

「きっと母親に似て、のほほんとした娘ですよ。だから、そこまで心配しなくていいと思います」

「あぁ、シュリちゃんはその子の親御さんには、会ったことがあるんだね」

「えぇ。マリィとはまた違った、マイペースな感じでした。のほほんとし過ぎていて、シュリとは合わない性格でしたね。変人の友人はやはり変人なのです」

「あはは、お母さんはともかくとして、その人まで変人呼ばわりするのはちょっとどうかと思うよ」

「あれは間違いなく変人です。“弟子シューラー”の子も大変そうでしたよ」

「そうなんだ。その弟子って、どんな子だった?」

「焦げ茶の犬型亜人フントでしたね。なよなよした男の子でした」


 シュリちゃんはうつむいて、右腕に着けている亜人識別票のタグを弄んだ。


「でも……ちょっと、顔はいい感じでした」

「へぇ、イケメンだったんだ」

「まぁ、そんなところです」

「惚れちゃったの?」

「なっ、何馬鹿なことを言っているのですか!」


 しっぽをぼわっと膨らませ、頬を真っ赤にして、シュリちゃんは声を上げた。ガラガラの車内にその声はよく響き、乗客全員がこちらに視線を向けてきた。


「わわっ、声が大きいよ」

「む……失礼しました。と、とにかく、そんなことはありません。シュリが誰かを好きになるなんて、有り得ないのです。……あってはならないのです」


 自らに言い聞かせるように、シュリちゃんは言った。亜人識別票を弄る手が忙しない。ちゃり、ちゃり、とタグが鎖と擦れ合う弱々しい音が、路面列車の走行音の中でも、なぜかはっきり聞こえた。


「ふーん、そっか」

「そう言うユリィこそ、好きな人はいるのですか?」


 好きな人、そう言われて真っ先に思い浮かぶのは、お母さんだった。


「お母さんかなぁ。あ、シュリちゃんのことも、もちろん好きだし、お父さんも――」

「ふざけないでくださいよ。恋愛感情を抱いている人は居るのかと、聞いているのです」

「……そういうのよくわかんない」

「やれやれ、いい年した女の子が、好きな人の一人も居ないなんて、将来が心配なのです」

「別にわたしは、そんな人居なくてもいいけどなぁ」

「……これではあの子も報われませんねぇ」

「え? あの子って?」

「気にしなくていいのです」


 そう言われると気になるのが、人情というものだ。


「いや、気にな――」

『次はフレイヤ駅、フレイヤ駅です。本日は当列車をご利用いただき誠にありがとうございます。お降りの際は足元にご注意ください』

「さ、行きましょうか」


 アナウンスのせいでわたしの追及が聞こえなかったのか、それに乗じて聞こえないふりをしているのか。シュリちゃんはさっさと席を立った。もやもやした気分のまま、わたしはシュリちゃんの後について下車した。

 フレイヤ駅は、初めての鉄道が開通されると同時に開業した、けっこう歴史のある駅だ。赤レンガを基調としたその駅舎は、鉄道の規模拡大を考えて大きめに作られていたけれど、当初の想定を上回るほど昨今は鉄道網が発達してきているため、そろそろ建て替えを計画しているとか。詳しくは知らないけど、そんなニュースをラジオで聞いた。

 平日の昼過ぎでも、駅構内はそれなりに混雑していた。人ごみが苦手なわたしとしては、ちょっと息苦しさを感じる。ここに居る人たちは、それぞれ、どんな用事で駅に来ているのだろうか。


「お昼時ですね。ショコラーデさんの到着まではもう少し時間がありますし、ご飯でも食べていきますか」

「あぁ、確かにお腹空いたかも。……あ、でも、わたし今月のお小遣いもうあんまり無いよ」


 わたしの言葉を聞いて、シュリちゃんは待ってましたと言わんばかりに、クリーム色のポーチからこれまたクリーム色の財布を取り出した。そして、五十クルス札をぴらりとつまみ出して見せてきた。


「心配ご無用です。マリィからお小遣いをもらったのです。これで好きなところに行きましょう」

「えっ、五十クルスも?! やったー! そんなにあるなら、スシも食べられるよね? わたし、スシが食べたいな!」

「落ち着いてください。これは、余ったらユリィのお小遣いにしてもいい、というお達しがありました。スシなんか食べたら、スズメの涙ほども残りませんよ」


 ため息をついて、シュリちゃんはお札を財布に戻した。

 貴重なお小遣いのためだ。涙をのんで、スシを諦めるしかない。


「なんだー。じゃあ……オムライスが食べたい、かも」

「オムライスですね。わかりました」


 駅構内には“料理屋小道”という料理屋さんの並ぶ通りがあって、そこに卵料理屋さんもある。お昼ご飯はそこでとることになった。

 大きな木の葉みたいな形の卵にスプーンを入れると、割れ目から朱色のチキンライスが顔を覗かせる。それを掬い上げて口元まで運んでくると、湯気と共に立ち上るバターとケチャップの香りが鼻を刺激する。口に含めば、ふわふわ卵のまろやかさと、硬めなチキンライスのちょっと酸味の効いた味が、口の中で混じり合う。控えめに言って美味しい。


「うーん、美味しいなぁ」

「ふむ……なかなかですね。そういえば、オムライスは作ったことがありませんね」

「じゃあ、今度作ってよ」

「このお店と同じ味にはできませんが、やってみますね」


 お腹も膨れ、後はショコラーデさんを迎えるだけとなった。彼女が到着するのは、だいたい三十分後だ。少し早いけれど、わたしたちは入場券を買って、ホームに入って彼女を待つことにした。

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