第十二話:思いやり
『ごめん、飯田。あたし今つきあってる人がいるんだ。』
『知ってるよ。保だろ。どこがいいんだよ。調子いいし、なんていうかその・・。』
『太ってる?』
『そう!』
『・・・・。』
『あいつ、デブじゃん。小藤に似合わないよ。』
『調子に乗らないでよ。保はかっこいいし、あんたより百倍いいやつだよ。人を見下すなんてサイテー、もう話かけないで。』
「恋の庭」に威勢のいい平手打ちの音が響いた。
美里は肩をいからせながら、「恋の庭」を出た。大好きな保を馬鹿にされ、腹が立って仕方がない。
飯田。いい奴だと思ってたのに。
美里は立ち止まると空を仰いだ。と、背後で話し声がする。
『やっぱり良くないよ。こーゆーのは。』
『何言ってるのよ。こんなおいしいシーンが見られるなんて来たかいあったじゃない。』
『しっかし、美里のやつ派手にやったよなあ。飯田の顔見たかよ?』
声の主は全員分かっている。美里は、息を吸い込んだ。
『あんたたち!』
美里の良く通る高い声が響いた。
一瞬、静寂が訪れしばらくすると、背後の茂みから三人が現れた。
『ご、ごめんね。』
最初に声を発したのは、新メンバーで栗色の髪の少女、小梅。顔を真っ赤にして、謝っている。
『学校一の正統派美女、小藤 美里が告られた現場を押さえに来たの。いやあ、貫禄あったわ。』
悪びれもせず、目をキラキラさせながら話しかけてくるのが日野 華乃子。名家のお嬢様で、見た目もおっとりしとやかなのに、中身は一癖も二癖もあり、まだ底知れずの恐ろしさを含んでいそうだ。
『悪かったよ。でも、スッキリした。美里ホントかっこよかったよ。』
そう言って、ニカっと分かった短髪の少女は、今井 岬。
『そうそう、スカッとした。』
小梅と華乃子の声が重なる。
『どうも。』
美里は何か腑に落ちないけれど、丸め込まれてしまったようで怒ることが出来なかった。
『でも、あいつホントやな奴。飯田!』
華乃子は苛立たしげに、手帳を片手にシャーペンをカチカチ鳴らした。
『ほんとしょーもないよな。』
岬も鼻息荒く同意した。
『いーよ、もうどうでも。』
美里はため息交じりで言った。
よくなんかない。保のことを言われた時、すごく悲しかった。
美里は唇ときつく噛んだ。その時、澄んだ声が響いた。
『保君て、すごくかっこいいよね。外見だって癒し系でかわいいし、それに心がすごく強そう。目がしっかり周りや相手を見てて、みんな保君と友達になりたいと思っちゃうの。美里ちゃんから保君に告白したんでしょう?』
小梅は背の高い美里を見上げた。
美里は自分の目の奥がカーっと熱くなるのを感じた。
なんで、分かるんだろう。
そうだ。最初に好きになったのは、美里からだ。席替えで三回連続で隣になり、話をよく聞いてくれた。何にも言わないけど、良い話の時は笑ってくれて、悪い話の時は黙って聞いていてくれた。
好きで好きでたまらなくなって告白したのは高1年の秋。保も同じ気持ちだと言ってくれたときは泣くほどうれしかった。
涙が美里の頬を伝い、嗚咽が漏れる。
『あ、あたしね。悲しかったの。なんで、飯田なんかに保のこと馬鹿にされて。太っているのだって、小さい頃に両親が離婚問題でもめてたストレスからだし。』
『うん、そうだね。』
小梅は優しく頷いた。
『悔しい、あたしすっごく悔しい。』
言葉が急き切ったように、美里の口からあふれ出す。
悔しい、悔しいと美里は何度も繰り返した。
小梅はそんな美里を黙って見ていたが、やがて口を開いた。
『うん。でもね、保君は美里ちゃんが思ってるより、気にしてないんじゃないかな。こんなにきれいで優しい彼女がそばにいるんだもん。幸せだよ。』
小梅の茶色い瞳の中には強い自信が宿っていた。
『そう見える?』
美里はしゃくりあげた。
『うん。そ・・。』
『そーだよ!』
明るい声が重なり、小梅の声をかき消した。
『ちょっと小梅ったら、おいしいところ独り占めはだめよ。』
華乃子が小梅に腕を回す。
『そうだぞ。それに美里だって言ってくれなきゃ。あたし鈍感なんだから。』
岬が小梅と美里の肩に手を伸ばす。
美里は息が楽にできるようになった気がした。
『保ったら、うざいくらい幸せそうよ。保って顔は微妙だけど、なんか美里と一緒にいるとかっこよく見えるのよね。』
『ちょっと、華乃子。うざいって言っていいのは、あたしだけよ。それに微妙とは何よ。』
美里が怒ったように口をとがらせた。
大きな瞳から流れていた涙はもうとっくに乾いてた。
*
なんで、いつもこんな場所に出くわしてしまうんだろう。
小梅たちから少し離れた場所で、志野は苦い顔をしていた。
昨日は東棟を通って気まずい現場に出くわしたから、今日はわざわざ西棟まで回ってきたのに。
志野は自分の運の悪さを呪った。
結局、美里が泣き出したところから、その場を動けず、ずっと待っていたのだ。
ようやく、少女たちが動き出したのを確認すると、志野も歩き出した。
美里にも保にも興味はない。ただ、なんとなく、小梅の言葉がいつまでも耳に残っている気がした。
そうなんだ。大切な人の気持ちを何もかも推し量って守ってあげる必要なんてないのだ。
小梅にも大切な人がいるのだろう。なんとなくだけど、ふと思った。
志野はなんとなく重くなった足をゆっくり進めた。
志野の心が動き始めました。多分、ものすごいゆっくりだと思いますが。