第一話:悲しい確信
『見て、小梅。桜が咲いているよ。』
小梅が振り向くと、神社の塀から突き出た枝に、白い花が咲いていた。
『何言ってるの、温ちゃん。あれは梅だよ。ほら、梅のいい香りがするでしょう。』
『あれは桜だよ。』
少年は小さい子特有の意地を張った。
『あれは、梅。』
『桜だよ。』
『梅!』
『桜。』
『梅だってば!温ちゃんの馬鹿!もう知らない。』
つないでいた手を振り払うと、小梅は駆け出した。なんだか、自分の名前まで否定されたような気がして、腹が立った。
『なんだよ。』
放された手は冷たくて、口の前にかざして息をはいた。まだ、白く見える息が青空に上る。
温は、白い花をぼんやりと見つめた。
*
『俺、東京の高校を受けようと思ってるんだ。』
温は、シャーペンをクルクルと回しながら、独り言のように呟いた。
『ふ〜ん。いいんじゃない?』
小梅は、さも興味がなさそうに参考書のページをめくった。震えているのを、気づかれないように小さめの声を出す。
『冷たいじゃん。保育園から一緒なんだから、もうちょっと寂しがってくれたっていいのに。』
温はつまらなそうに口を尖らせた。
『寂しいよ。寂しいけど、どうせ高校は別のところに行くつもりだったから、どっちでも変わらないよ。』
そう。こうなることは分かってたから、ショックを受けないようにわざと別の学校を志望した。
『美智子ママに言ったの?この前の面談では、地元の学校で話が進んでたんでしょ。』
『うん。昨日、話した。いきなりで驚いたみたいだったけど、好きにすればいいってさ。』
『そう。』
美智子ママなら言いそう。
小梅は、田舎の地主の家の人にしては珍しくタイプの温の母親を思い浮かべた。
例に漏れず、過疎化がどんどん進行しているこの地方では、長男が東京に出ることはほとんど許されない。
殊に、温は一人っ子だ。温のことだ。東京に行ったら、帰ってこないかもしれない。それでも、好きなようにさせてあげるんだ。
美智子ママのそうゆうところが好き。
跡取りの事は、温の祖父母がすでに他界していることも、大きいかもしれないが。
『どこの高校なのか聞かないの?』
温はなぞなぞを出す時みたいな顔をして、小梅を見た。期待がこもった視線が、小梅に注がれる。
『どうせ、風立大付属でしょう。』
1年前からそこしか行く気ないくせに。
『さすが、小梅。』
『さーちゃん、サークルに入ったんだって。大学すっごく楽しいみたいだよ。』
小梅はこれ見よがしに、声を張り上げた。
『か、彼氏とか出来てないよね?』
『まだ、そんな話聞いてないけど、さーちゃんかわいいからなあ。』
さーちゃんの本名は三沢 桜。小梅の三つ年上の姉だ。去年、東京の私立風立大学に入学した。
温の家と違って、保守的な三沢家は、長女の桜を東京に行かせるのを大分渋った。
大きな土地を持っているわけでもないが、先祖代々の土地を受け継ぎ、地味に暮らしてきた。
桜の上京を最も反対していたのは、祖父の宗助であった。長女は、おとなしく婿を取って家を継ぐべきだと明治なみに古臭い考え方の持ち主だった。
結局、宗助の出した条件は私立では最難関であるといわれている風立大学への合格だった。
元々、優秀だった桜は、一年間の猛勉強の末、上京を勝ち取り今に至るわけ出る。
小梅たちの両親は最後はむしろ、応援していた。厳格な父親がいたおかげで、上京をあきらめたことのある小梅の父、明は自分のあきらめた道を
せめて娘には自分の好きな道を進んで欲しいと思ったようだ。
母親の雪江は、初めは猛反対していたが、桜の頑張りに感動し、加えて
『あたしはここが好きだからずっといるつもりだよ。』という小梅の一言で完全に賛成派に寝返った。
祖母の奈津が生きていれば、話は違っていたかもしれないが案の定、奈津は5年前に他界しており、頑固な宗助をいさめる者はだれもいなかった。
桜の上京後、意固地になりすぎた宗助は、東京にいる孫を心配する気持ちからか、張り詰めていた気持ちがふっと切れてしまったからか体調があまり芳しくない。
最近では、趣味の盆栽からもすっかり離れてしまっている。
小梅は、宗助の将棋相手になってあげるのだが、あまり慰めになっていないようだ。
宗助は、小梅のことを時々「桜」と呼ぶ。
その度に、小梅が心を痛めていることも彼は知らない。
『そうだよな。さーちゃんってほんときれいでかわいくてすっごく優しくて・・・。なっなんだよ!』
うっとりしていた温は、小梅のあきれたような視線に気が付くと顔を赤らめた。
『え?いや。温ちゃんってほんと一途だよね。』
『お?おお。まあ、5歳の時からさーちゃん一筋だから。』
温は、照れたように頭をがりがり掻いた。
『ま、頑張ってね。風立大付属ってかなり難関でしょう。』
『うん。でも、大丈夫でしょう。』
その自信はどこから湧いてくるのか。温は余裕の笑顔を見せた。
小梅も確信があった。きっと彼なら、受かるだろうと。
悲しい確信。
小梅は目の奥に溜まって溢れてきそうな涙をぐっとこらえていた。
今書いている連載で起きている迷走の鬱憤を晴らすため、書いてみました。更新はゆっくりだと思いますが、よろしければ読んでみてください。