強制の声
学内序列2位『霧羽七色』と学内序列6位『鶴来菖蒲』の決闘。
実際の所は、菖蒲の後ろに『+恵流』が入るのだが、何処から漏れたのか、この話は瞬く間に学園中を駆け巡り、間もなく22時を迎えようとしている昇降口エリアには100名近いギャラリーが集まる盛況ぶりとなった。
それぞれが向く先には、当然当事者である二人の姿がある。
七色と菖蒲だ。二人はポッドの前でもう一人の当事者を待っていた。
「もう少しで時間にになりますが、彼は?」
二人の対戦を今か今かと待ちわびる野次馬達が生み出す声の嵐に、七色が眉根を寄せる。
その機嫌が見る見るうちに良好から離れていくのが菖蒲には解った。
「さっきから端末で呼び出してるんだけど、応答が無いんだ……か、回線が込み合ってるのかも」
「たかだか通信如きで音を上げる程この学園の設備は弱くありません」
「そ、そうだよね! ごめん!」
「なぜ菖蒲が謝るのですか?」
なんとなく嫌な予感がしてるから、とは言えない。
恵流と関わっていれば、その予感が的中するのは日常茶飯事だったが、七色にまで累が及ぶとなると、菖蒲も気が気でない。
しかも、おそらく、その片棒を無自覚ではあるけど担がされている自覚があるからたちが悪い。
中空に浮かぶディスプレイを焦れったく見つめながら、菖蒲は今ここには居ない男に恨み言を漏らす。
「今何処で何してるんだ、ばか」
刻限になっても、恵流は姿を現す事は無かった。
10分、30分、更には1時間と超過しても。
対戦開始を促す声が、対戦を乞う声へ。それが乱雑な命令の声に変わり、恵流を貶す声が満ちる頃には、約束の時間から一時間半を過ぎていた。
それが七色にとっての頃合いだったのだろう。
「菖蒲。平野恵流は人との約束を平然と破る男なのですか?」
平野恵流なら、約束は破る為にある! と断言しそう。それが、この学園内に置ける恵流の認識だ。
野次からもそれが伺える声が多数上がる中、菖蒲一人は違った。
「約束なら、守ると思う。少なくとも、俺は破られたことはない。のえるなら、破らない為の約束だって言うよ」
詭弁や暴論で殆ど反故状態にまでされる事はあるけど、と菖蒲は乾いた笑みを浮かべる。
「そうですか。今回の遅刻は拠ん所ない事情があるのでしょうね」
「だと良いけど……いや、悪いのか? あれ?」
「ともあれ、そろそろ時間が時間です。今日はもう彼が来ないものとして、これからどうしますか?」
そう尋ねて、七色が周囲を見渡す。
そこには半数ほどまで減ったとは言え、多くのギャラリーが残っていた。
その全員が<七色>と<菖蒲>の試合見たさに長い時間を耐えた者達だ。
七色の言わんとする事を菖蒲は正確に悟ってしまう。
「対戦はまた後日ということで、今日は解散……は、ダメか?」
「菖蒲がそれを望むなら、私は構いませんが?」
「俺に選択を委ねるのは狡いぞ」
「あたしは賭けを度外視しても、菖蒲と戦いたいと思っています」
話し合う二人に次々と掛かるギャラリーの声は対戦を望むものばかり。
解散をするにしても、容易には行かない雰囲気だった。
後々禍根を残すくらいなら、一戦をする。それが現実的な落とし所なのだろうと、菖蒲も理解していたが……理解と納得は別物だ。
頼んでもないのに、根気よく待ち続けた野次馬達を恨みがましく一瞥して、最後に恵流に向けて胸中で呪詛を投げる。
「ああ、もう、解った。やろう、七色」
「はい」
笑顔で応じる七色。
ようやく動き出した二人を見て、興奮を隠せないギャラリー。
菖蒲の気まずげな表情には誰も気づかない。
ポッドが閉ざされると、あれだけ騒がしかった雑音が絶無となり、僅かな機械の駆動音だけが耳朶を震わせる。
力を抜き、背もたれに身体を預けて、菖蒲は束の間の平穏に一息つく。
設定は既に腕輪型の端末に記録されている。
後は起動コマンドを唱えるだけで、菖蒲の精神は肉体から離れて、七色の待つ仮想空間に向かう事になるだろう。
「七色、怒るよね……きっと」
菖蒲には男装の他にも秘密がある。
その秘密が秘密であるがゆえに、菖蒲には七色に不快な思いをさせてしまう未来が簡単に描けた。
躊躇している間も、無情にも秒針は進む。
外界から隔絶されたポッドの内部にまで、自分を急かす声が聞こえてくるような気がして、菖蒲は観念する。
「あぁぁもぉぉ。絶対に許さないからね、のえる」
設定を確認し誤りがなければ、後は幻想世界へ誘う魔法のコトバを呟くだけ。
覚悟を決めて、半ば自棄っぱちになりながら、菖蒲はそのコマンドを口にする。
「BOOT――混成現実」
菖蒲の声に応えるように、幾つかの機器が明滅する。
不備が無いことを見届けて、菖蒲は目を瞑った。
次第に薄れていく意識と現実感。
憂鬱を持参して、菖蒲の精神は戦場へと導かれていった。