序列2位:バナナ
水曜日、昼休み。
隔週のイベントに関わる情報が全校生徒の端末に届いた。
水曜日のこの時間に内容が確定して、金曜日朝のホームルームまでにエントリーを済ませるというのは、この学園の通例だ。
恵流は購買で買ったばかりのチョコレートを持った手で画面を展開して、早速そのメッセージを開いた。
「競技内容はなんだって?」
壁に寄りかかりオニギリを頬張っている菖蒲が尋ねると、恵流は忙しなく両目を動かして情報を拾いながら答える。
「基本的にはVRでの争奪戦、かな。一月前に見つかったバグを改善したものをまた試すみたいだよ」
「一月前の争奪戦? バグなんてあったんだな」
「死亡した際にチームで拠点を保持していれば、ポイントの二割を失ってそこに戻れる筈だったんだけど、複数保持していた場合に、そのちょうど真ん中に位置するあたりで復活してしまうってバグがあったらしいよ」
壁にめり込んでソ○トンさん状態となり、身動きが取れなくなった者も居たらしい。
「とりあえず、参加費は500桜貨。参加時に報酬の500桜貨が配布されて、その1000桜華を奪い合うのも前回と一緒」
どうする? と目で聞く恵流に菖蒲は勿論と頷く。
「参加するぞ」
「そっか。それじゃあ――」
今回も一緒に頑張ろうーと続けようとした恵流の言葉を遮るように、二人の中心に一人の女生徒がすっと割り込んでくる。
「探しましたよ、菖蒲」
陽光を乱反射させて、銀色に輝く神秘的な銀の長髪。
やや目じりの上がった力強い空色の瞳が菖蒲の赤い瞳を捉える。
「な、ななっ……」
驚いた菖蒲の手からオニギリが滑り落ちた。
突然乱入してきたその女生徒は二人には馴染みの深い相手であった。
「やぁやぁ、バナナさん。先週ぶりだね」
気さくに愛称を交えて挨拶をすると、二日前に浴びたモノとは比較にならない程の敵意の滲んだ視線が恵流を射抜く。
「その呼び方だけはやめて下さいと、あたしはいつもお伝えしていると思うのですが?」
恵流とこの女生徒は犬猿の仲にあった。
正確には、女生徒の方が一方的に毛嫌いしている。
「でも自由に呼んで良いって許可したのもバナナさんだよ」
「勝手にして下さいと言っただけで、許可をしたのではありません」
凍えるような冷たい瞳で恵流をもう一度強く睨んで牽制してから、女生徒は再び菖蒲の方に体を向ける。
「くるくると忙しいね、バナナさん」
「貴方は少し黙っていて下さい」
にべもない。恵流は苦笑を零して、大人しく購買で購入した昼食に手を付けることにした。
一方、邪魔者を蚊帳の外に追い出したバナナさんは、階段踊り場の隅の方でぎこちない愛想笑いを浮かべる菖蒲に、底冷えするような無表情を少しだけ和らげて見せる。
「改めて。こんにちは、菖蒲。こうして面と向かって話をするのは久しぶりですね」
彼女としては笑みを浮かべたつもりなのだが、無表情がデフォルトである少女には優しい笑顔は無理があった。
「よ、よぉ、なななななないろ」
菖蒲には、そのバナナさんの表情が般若にしか映らない。
「よぉ? 貴方の事情はある程度把握しているつもりですので、その恰好にまでは目くじらを立てるつもりはありませんが、言葉遣いだけは普通になりませんか? それと、『な』が四つ多いです」
「ご、ごめん。七色」
土下座せんばかりの勢いで頭を下げる菖蒲に、バナナさん――霧羽七色――は、お気になさらずと無表情で言う。
「バナナさんは相変わらず細かいなぁ」
と、透かさず茶々を入れてくる恵流に対して、七色は無視を決め込んだ。
正しい判断だと、菖蒲は、幼馴染というか……とにかく長い付き合いのある少女に対して内心で惜しみない賛辞を送る。
「本題に入ります」
「あ、あの。その話って、いつもの?」
「はい。何度もしつこいと思われても仕方ありませんが……菖蒲。今からでも遅くはありません。執行部のコミュニティに入りませんか?」
「それは、ね。わ――俺は、前から言ってるけど、今のスタイルに満足してて、ね?」
執行部。現在、この源王学園の頂に君臨し、第一設定世界フラグナを攻略した──と、される──コミュニティである。
発足当初は生徒会傘下にあったが、瞬く間に勢力を伸ばし、今では独立して完全に力関係を逆転させている。
もし、その一大コミュニティーに厚遇されるのであれば、それはこの学園において最大級に豪勢な立場になれると言っても差し支えない。
「現状、貴女の置かれている状況は、お世辞にも良いものだとは見えません」
「良いか悪いかを判断するのは自分だから」
「幾ら菖蒲が学業成績も優秀とは言え、それだけで最高グレードの部屋代を支払って行くのは難しいことを、あたしは知っています。週末になれば、食べる物に事を欠く日もあるのではありませんか?」
隔週のイベントで菖蒲と恵流の二人が取っている行動は効率的とは言い難い。
運が悪ければ、七色の指摘の通りに週末まで食費が持たない事もままある。
「我慢したことは、ない、よ?」
「まぁ、優しい優しい僕が恵んであげてるからね」
「いつもありがとうございます。でも、俺の認識違いでなければ、恵むって言うのは、無償だよな? 毎回、与えられたもの以上の労働で返済をさせられてるような……」
これまでのあれこれを思い返すだけでも、菖蒲はげんなりしてしまう。
「えー? 僕は特に強制をした覚えは無いけどなぁ。まぁでも、裏のない慈善事業なんて無いよね」
「菖蒲……どうして、あたしの誘いを断ってまで、こんな男と行動を共にしているのでしょうか」
菖蒲もちょうど自分に問い直しているところだった。
結果、答えあぐねる菖蒲。
「でしたら、あたしが貴方を助けます。執行部には籍を置くだけでも構いません」
そもそも、七色が菖蒲を誘っているのは戦力確保が主目的ではない。
七色にとって、菖蒲は妹のような存在だ。
だからこそ、許せないことがある。
「そうすれば、今後はその男と共に行動する必要が無くなります」
それは、菖蒲が恵流と組んでいること。
噂に流されまいと何度か接触を試みたものの、およそ耳にした話しにそぐわない人柄で。
恵流の評判は控えめに言っても最悪だった。
「七色……ごめん、その誘いは受けられない」
だというのに、七色の慈悲の差し伸べた手を、菖蒲はハッキリと拒否する。
「何故です? 貴方にとって、悪い話ではないでしょう?」
それどころか、イイトコづくめだと菖蒲は苦笑いする。
それが菖蒲にとっては後ろめたいとは七色は思わない。
「とにかく、ごめん。七色の気持ちだけ受け取らせてよ。俺は、今のやり方が気に入ってるからさ」
「菖蒲……貴方、もしかして」
一拍を置いて。
「その男に懸想しているのですか」
七色は、とんでもない方向に話を飛躍させる。
傍観者に徹していた恵流も、これには吹き出してしまった。
「俺が、のえるを、好き?」
その指摘があまりにも見当外れで、まだ咀嚼しきれていない菖蒲を他所に、七色は一人勝手に納得していく。そして。
「平野恵流、貴方は噂以上に恐ろしい男です」
この二人、気持ちの向いてる先は同じなのに噛みあってないなぁと恵流は思う。
でも、そのおかげで今しがた恵流の中では歯車が噛みあった。
「ねぇねぇ、バナナさん」
「なんでしょうか?」
「菖蒲と僕と、VR戦で勝負しない?」
恵流の学内序列は1201位――最下位だ。
ついた渾名は『ゲス』。
一部では『チョコレート』の通名で呼ばれる事もあるが、それは本当に一部だった。
それに対して、霧羽七色は、6位の菖蒲をぶち抜いて2位に君臨している。
そのエフェクトの性質から執行部の『空の女帝』と呼ばれ、恐れられており、七色と恵流では格どころか次元が違っていると言っても過言ではない。
「気でも触れましたか? いえ、元からでしたね」
「そうかもね」
恵流は否定しない。
最下位が空の女帝に挑もうと言う。
それも、運の要素が限りなく除外されたVR戦で。
「いずれにせよ、このままじゃ平行線でしょ。バナナさんが菖蒲に会いに来る度にけなされれば、僕だって嫌気も差すよ。だから、ここは後腐れがないように、この学園のルールに則って決闘をしようって提案をしたんだ」
「理にかなってはいますが……」
疑わしい。相手はゲス。七色の警戒は当然の身構えだ。
「そもそも、二人が相手というのは公平さに欠けるのではありませんか?」
「僕を一人と数えてくれるんだ?」
「はい」
微笑む恵流。そこには嫌味は一切ない。
「ありがとう。やっぱり、一桁台の人間は違うなぁ。でも、僕は菖蒲と協力関係にある。それを引き裂こうって言うんだから、それくらいの不利は飲んでほしいんだ」
「とりあえずは、それで納得しましょう。進めてください」
「勝負内容はシンプルにしよう。僕を倒したら君の勝ち。倒せなかったら君の負け。バナナさんが勝てば、菖蒲は執行部に入って、僕は菖蒲との接触を金輪際しないことを誓う」
あれ? と菖蒲が首を傾げる頃にはもう遅い。
「貴方が勝った場合は?」
「そうだなぁ。バナナさんには、僕達に協力して貰おうかな」
中身はまとも。変則なのは数が違うことぐらいだが、それだって、珍しいことではない。
「確認しても良いでしょうか?」
「どうぞー」
「エフェクト及びデバイスの使用あり。アイテムの持ち込みはなし。戦闘はあたしたちだけで行う。これらに間違いはありませんか?」
「肯定。VR規定は争奪戦時と同じルールにしよう。解り易いでしょ」
すなわちベーシックなVR戦。
七色は暫し思考に耽って、頷く。
「解りました。その勝負、受けて立ちましょう」
「そうと決まれば早い方が良いよね。バナナさんに不都合がなければ、今日の夜に決着しない?」
「調整は可能です」
「それじゃあ22時ぐらいに昇降口エリアで開戦という事で」