フラグナ散策
恵流たちは学食での食事を済ませたあと寮に戻らずに、空いているポッドのある校庭まで来ていた。
「菖蒲はフラグナに潜るのは何日ぶりなの?」
「のえるが死亡したって言う日の前日に同行してからだから、八日ぶりか。何にやられたのか、結局教えてくれなかったな」
二人の利用を事前に把握していたシステムが自動的にハッチを開いて、二人を受け入れる。
「直に分かるんじゃないかなぁ」
「何したんだ!?」
恵流が内部に身体を滑り込ませて座席に腰を下ろすと、エアの放出と共に視界が閉ざされた。
僅かな機械の駆動音。
意識がゆっくりと静かな闇の洞に沈んでいく感覚は、眠りに似ている。
そして、次の瞬間――圧倒的な白を抜けて、恵流は大地に降り立っていた。
活発な市井の声。行きかう人々は、単色の生地を縫い合わせた素朴な服装をしており、およそ現代社会には馴染みの薄い恰好が目立つ。
中には鎧を着こんだ兵士の姿もあった。
更に周囲を見渡せば、街の中心に一際異彩を放つ建造物が見つかる。
街並みを形作る民家よりも、一回りも二回りも大きな白亜の壁は、この世界の王族が住まう城だ。
恵流は、その城をぼーっと眺めてから、思いついたように近くを通りがかった兵士に話しかける。
「ねぇねぇ」
「見慣れない顔だな。新参者か。なんだ?」
兵士は生きた人のように自然に反応を示した。
「最近、何か変わった事はある?」
「変わった事と言えば、やはりあれだろう。つい先日、空席になった王の椅子にご子息が即位された」
「へぇ、早いね。他には?」
「特に真新しい情報は無いな」
「そっか。ありがとう」
兵士の後姿を見送って、恵流は手早く電子画面を展開して、自分のステータスを確認する。
レベル1。装備なし。称号なし。
持ち物なし。履歴なし。
「ミスだったから期待はしてなかったけど変化なし。やっぱり、あの凶悪な裏ダンジョンをクリアしないといけないか。だとすると」
「あれ、のえる。キャラメイク(キャラクターの作成)からじゃなかったのか」
画面を閉じて、声のした方に顔を向けると、制服姿のままの菖蒲を見つける。
麻の服に身を包んだ恵流こそがこの世界では普通で、菖蒲のその恰好は目立っていた。
「キャラメイクだけなら死亡直後でも出来るから、七日前に済ませたよ」
「あ、そうか。時間が掛かると思って、先に情報収集してたんだけど、合流してからでも良かったな」
第一設定世界『竜依フラグナ』。
かつて龍王の襲撃で滅びを待つのみであった人間達の最後の砦であった王都は、名も無き勇者一行の活躍によって平穏を取り戻していた。
ありがちなファンタジーゲームのそのクリア後の世界。
しかし、フラグナは最初からそうだったわけではない。
この世界は、龍王と呼ばれる大いなる悪の襲撃直後から始まっていた。
設定世界とは、簡単に説明すると明確な目的を持ったVRゲームの中――作られた世界のことだ。
各ゲーム世界の進行度に準じて、全プレイヤー共通のミッションが発注され、そのミッションを誰かがクリアするごとに世界ごと次の段階に進む。
クリア者には難度に見合った報酬、つまり桜貨だったり特別な幻装【デバイス】が与えられる。
そうして、プレイヤー=源王学園の生徒達の行動が相互に干渉し、半永久的に反映され続けた結果が現在に繋がっている。
第一設定世界『フラグナ』は、一年前――最強とされるコミュニティ『執行部』の龍王討伐によって、一応の終わりを見た……筈だった。
クエストNo.00『この世界の真実を暴け』。
報酬は50万桜貨。
通常のゲームクリア報酬(ラスボス討伐)が10万桜貨だから、その実に5倍。
円に換算すると、およそ500万円程と破格の設定になっている。
このクエストが発注された当初は、誰もが躍起になって挑んだが……結果はこの通り。未だ、誰もがその影すら掴めずに居る。
龍王討伐から一月もすると、新しい設定世界が解放されて、多くの人間がそちらに流れた。
更に半年もすれば、一向に進展しない状況に、バグだとかクリア不可能クエストだとか、そんな共通認識にまで至り、殆どの人間が『フラグナ』を去った。
そして、一年。
今や本気でそのクエストのクリアを目論んでいるのは、恵流達だけだった。
「そうだ、のえる。攻略に繋がるか解らないけど、凄い情報を掴んだぞ」
「凄い情報? それってもしかして、新王が即位したって言うの?」
「そう、それ。俺の知る限りだと、これまで王様が変わったのは、最初の龍王襲撃後と、二度目の大戦時だけだろ? この変化が各所に波及すれば、何か糸口が掴めるかも知れない」
「そうだね。いい加減、何かしらの進展が欲しいところだよ」
情報交換をしながら、二人は王都の中心にある広場まで足を伸ばしていた。
この場所は、この世界『フラグナ』に初めて降り立つときに出てくるところだ。
象徴の城を臨むその間には噴水があり、広場中央のその噴水には水瓶を持った女神の像がある。
その下の石碑に綴られた文字に心踊らされた者は決して少なくない。
「『あるのに見えず、ないのに見える』。そんなにこのフレーズが気になるのか?」
「まぁ……少なくとも、王様が変わったとか、そんなことよりは」
菖蒲にとっては予想外の出来事だったが、王が変わる事を恵流は事前に予期していた。同じ既知の事柄であれば、恵流の興味は此方が勝る。
「真実を覆い隠すレイヤーを剥がす為には、まず目に見えている何かを全て偽物だと疑わなきゃいけない。でも、それはとても難しい」
目に見える領域は世界全体のほんの少しなのに、そこにある情報量だけでも途方もなく多い。
「菖蒲の性別の事だって、僕とバナナさんぐらいしか知らないんだ。それだって、僕は最初から疑ってたんじゃなかったし」
虚飾を剥げば、菖蒲の性別は明らかだ。しかし、虚飾に隠された菖蒲の性別を誰もが疑いもせずにいる。
そういうものだと一度でも思い込んでしまえば、疑う余地などないのだから。
「俺の性別云々の話を気軽に口にしないでくれないか? それと、バナナって呼ぶと、あの子がまた怒るぞ」
「ごめんごめん。バナナさんには内緒にしておいて」
疑いを掛けるには綻びが必要だ。真っ当な方法なら、精力的なコミュニティがやり尽くした。
しかし、ここにあるのは平和になった世界だけ。未踏破のダンジョンがあるにはあるが、誰もが攻略不可能と匙を投げた。
ならば、他に打てる手段とは?
「お詫びに凄い情報を教えてあげよう」
「なに?」
「王様のステータスってそこらの雑魚と同じくらいに設定されてるみたいなんだ」
「……ソース(情報源)は?」
一抹の不安を覚えながら菖蒲が尋ねる。
「遠方から広範囲爆弾を使ったら、側近の兵士はぴんぴんしてたのにそれだけで死亡したから」
その時の光景を思い出しながら、恵流はひょいっと爆弾を投げる動作をして見せた。
「のえる」
「そのあと精鋭の兵士たちに執拗に追い回された挙句、ボッコボコにされました。奴らのステータスは龍王の牙城付近の敵に匹敵してたかなぁ……瞬殺だったよ。結果、これまで積み上げてきた経験値や各種持ち物全てがパァ。側近の兵士まじ許すまじ」
「許すまじ、じゃなぁぁぁい!! なんってことしてるんだよっっっ!!」
「とりあえず菖蒲とバナナさんの協力があれば、王城の占拠が可能だと思う。名付けて、クエストNo.000『世界を征服せよ』。どうする?」
「絶対に、しない!!」
「連れないなぁ」
こんな滅茶苦茶な男の友達で居られる点、菖蒲は付き合いが良い方だ。
二人連れ立って城下町を歩いて情報を収集しながら、その道中で恵流の装備を整えつつ一応の目的地として門を目指す。
ちなみに、恵流には資金が初期の300Gしか無かった為、菖蒲から幾らか恵んであげた。
今のところはやはり目ぼしい情報は見つからず、とりあえず恵流のステータスをどうにかすることに。
このゲームでは、HPがゼロになった場合のペナルティはキャラクターの消滅と一週間のアクセス権の剥奪だった。死亡した者は蘇らない。中々シビアなシステムだった。
そんなわけで、どん!
「さて、並み居る強敵を退けて経験値を戴こうか」
平野恵流 Lv.1
装備:<ロト6><布の服>
職業:<遊び人>
「それ、まともに戦える人の台詞だからな」
鶴来菖蒲 Lv.95
装備:<ロ〇の剣><〇トの鎧>
装飾品:<学生服(男)>
職業:<勇者>
「というか、なんだその、のえるの武器は……」
「言わずと知れた宝くじ。遊び人ぽいと思わない? 迷わず全額投資したんだけど、結果はドブに捨てたようなものだったよ」
「俺の善意を返せ」
「善意なら見返りを求めたらイケないと思うなぁ」
自分の事を棚に上げて説教をかましてくる恵流に苛立ちを覚える菖蒲だったが、それを知ってか知らずか、続けて。
「でも、やっぱりギャンブルは駄目だね。菖蒲の寄付のおかげで、一つ勉強できたよ。ありがとう」
「……反省したなら良いけどな」
素直にお礼を言われてしまうと、瞬く間に菖蒲の怒る気も失せてしまう。
「もう絶対ギャンブルなんてしないよ」
恵流は真摯な瞳で菖蒲に固く誓った。