ゲスの品格
ヒュン――虚空を裂いた刀がなぞった軌跡を辿って蒼光のエフェクトが迸る。
肩ほどで一本に束ねた腰まで届くほどの栗色の髪を風に靡かせて、敵だった者の粒子を背にしたのは美形の男子だった。
柳眉の下には長い睫毛。更にその下には紅色の大きな瞳。
高貴な調度品のように誂えられたかのような目鼻立ちは、中性的な顔立ち、というにはやや女性的な魅力を醸している。
彼――鶴来菖蒲は血糊を払うように手にした刀を鋭い刃鳴りを伴わせて左右に二度振り、鞘に収めた。
鯉口がきんっと甲高い音を奏でると、まるで手品のようにその刀は一瞬で消滅する。
菖蒲の眼前。グラウンドの中空、何もない筈の空間に赤字で『WIN』のロゴが踊った。
「ご苦労様、菖蒲」
AR機能でVR戦を観戦していた野次馬から疎らにブーイングが起こる中、そんな敵意も顕な空気を意にも介さず、菖蒲の今回の戦いのパートナーであり、戦いの行く末を『終始』見守っていた少年が歩み寄る。
彼の名前は平野恵流。中肉中背。ぼさぼさの髪の毛に、気だるげな瞳。およそ若者らしい瑞々しさに欠けるこの男こそが、今回のVR戦の諸悪の根源だった。
「本当に疲れたよっ! いつもの事だけど、全く戦闘に参加してくれないしなっ」
声変わりを素通りしたかのようなアルトボイスは菖蒲から発せられたものだ。
その女性的な顔立ちも相まって、一部の男子から恋愛の対象にさえ見られることが菖蒲の目下の悩みだった。
「回復はしてたけど?」
悪びれもせずに言う恵流。
「なにそのやり切った顔。今回は相手が弱かったから回復が無くても勝てたぞ……」
そもそも、彼には戦闘に向いた影響/効果[エフェクト]も幻装[デバイス]も無いので、仕方がないと言えば仕方が無い。
平野恵流のバトルスタイルは基本的に他力本願だ。それを解っているから菖蒲も、額を押さえて大きな溜息を吐くしかない。
「さて、と。僕は敗残者に話を付けてくるから、菖蒲はもう帰っていいよ」
恵流のぞんざいな態度に菖蒲は眉を顰める。言い返したい気持ちもあったが、我慢した。
「いや、俺も行くよ。のえる一人だと、また問題を起こしそうだ」
「問題を起こすのは僕じゃなくて相手の方だって」
「のえるが余計に煽るから、こうして俺まで巻き込まれることになったんだろ」
「菖蒲は最初から巻き込むつもりだった」
なお悪い。ログアウトのコマンドを唱えると、恵流の視界は一面真っ黒に染まった。
寸刻の間に校庭の喧騒は遠退き、万全の静音機構によって最大限抑えられている僅かな機械の駆動音と、精密な機械の為か薄着ではやや肌寒さを覚える18℃に保たれた内部温度が、恵流に現実を知覚させる。
十秒にも満たない時間で、感覚のクールダウンの行程を終えると、圧縮されたエアが抜ける気の抜けた音と共に前方のハッチが開き、麗らかな秋の陽光が差し込んだ。
急激な変化に目が眩む。恵流は右手でひさしを作りつつ身体を起こしてポッド――肉体乖離型拡張装置――を出ると、ちょうど両隣からも同じような処理を経て装置から排出された者達が居た。
一瞥しただけで協力者の方への関心はなくなり、恵流はもう一方で仲良く自分を睨んでいる男女の元へ向かう。
「俺はもう用無しだから相手にしないって事か、全く」
菖蒲は嘆息しつつも、その後に続いた。
VR上とは言え、菖蒲に斬られた衝撃が抜けずに心臓の辺りを押さえて腰を抜かしている女生徒を見下ろす形で、恵流は蔑んだ目を向ける。
「僕の勝ちだね」
敗者に対する勝者の態度として間違ってはいないのだが、その言葉は二人の自尊心を的確に煽り、恵流に刺さる眼光が一層の険しさを帯びた。
女生徒を介抱していた男子生徒が胸ぐらを掴みかからんばかりの勢いで恵流の正面に立ちはだかる。しかし恵流は微塵も動じない。勝者の余裕だった。
「俺達はお前に負けたわけじゃない! 学内序列6位の鶴来先輩が居なければ、お前なんて――」
「え、二対一で戦えば勝てたってこと? そりゃね、数の利があればね、勝てるよね。あっ、ごめん。二人は菖蒲一人に負けたようなものだったっけ」
嘲笑。まったく、ほとんど、しゅうし、攻撃らしい攻撃をしてもいないのに恵流は格上風を吹かせる。
「お前とサシで戦ってれば、俺が勝ったに決まってるって意味だ!! 学内序列1201位、最下位の男に二桁台の俺が負ける理由が無い」
男子生徒がしかつめらしく言っている学内序列と言うのは、この学園の特殊な環境で行われているとあるゲームの強さの基準として浸透しているものだ。
新聞部独自の調査結果と偏見でエフェクトの強度を最たる指針として順位付けられており、多少の誤差や相性の問題で上下することはあっても、概ね正しい評価になっている。
恵流が入学してから能力強度が確定するまでの二ヶ月程度、そこから先は最下位の座はずっと恵流の指定席だった。
学年が変わっても、変わらぬまま。だが、それがどうしたと言わんばかりに恵流は鼻で笑った。
「それって、負け犬の遠吠え?」
あからさまな挑発だと解っているのに、男子生徒は身の内から怒りが沸き起こってくるのを抑えられない。恵流は生き生きとアルカイックスマイルを浮かべて、ひとことで自爆スイッチを押した。
「ねぇ。最下位に負けるって、どんな気持ち?」
いつのまにか校庭の中心に居た野次馬たちが、ポッドが配置されている隅に集まりだしている。
「平野ぉぉぉ!!」
衆人環視の中でこき下ろされて、今度こそ男子生徒は止まらなかった。
相棒の女生徒の制止を振り切って、振りぬかれた拳は恵流の顔面に吸い込まれるようにして――当たらない。
「あれ? 一対一なら勝てるんじゃ無かったっけ?」
上体を逸らすだけで難なく回避した恵流は反撃もせずに嘲笑う。
「くそっ! くそっ! くそっ!」
何度も何度も本気で殴りかかる。けれど、恵流は尽くを躱す。バカ正直な顔狙いだったものが腹部に、脚にと多彩になってきても、恵流の余裕は崩れなかった。
やがて、攻勢が止んだ。当初は恵流をやっかむ声で賑わっていたのに、男子生徒の荒い呼吸の音がはっきりと聞こえるほどに静かになっていた。
此処に至るまで、恵流は一切手を出していない。そんな恵流が涼しい顔をして、男子生徒の肩を軽く叩いた。
「満足したみたいだし、そろそろ勝負前の取り決めを履行してよ」
悪魔の宣告だった。それはある種の暴力だ。数多の目が集まるのを待っていたと言うように、恵流は満を持して告げる。
「土下座して謝罪してくれるんでしょ。ほら、みんなが見守ってくれているよ」
勝負に負けて、口論で負けて、喧嘩で相手にされず、プライドがズタズタにされた男子生徒に更に追い打ちが掛かる。
「負け放題で醜態を晒して、この上、約束まで反故にするようなら、醜さを通り越して、もう一コ哀れまで通り過ぎて、身の丈にそぐわない有り余る自尊心に感服しちゃうかも知れない。最後くらいびしっと決めて、この事はお互い水に流そうよ」
「う、ぐぅ……」
「大○田常務ネタは要らないからね。さっ、こういう嫌なことは早く片付けちゃった方が良いと思うよ」
歯を食い縛って羞恥に耐えながら、男子生徒は膝を折り、両手を付いて、頭を深く下げた。
「平野、先輩……バカにして、申し訳ありませんでした」
「違うでしょ」
「は?」
「弱くてごめんなさいでしょ」
此処一番のいい笑顔で死刑執行をしている恵流に、背後で成り行きを見守っていた菖蒲はそろそろ止めるべきだと判断した。