九話「劇的な入場」
洞窟を抜けると山岳の中腹に出る。
ゆるやかにうねる崖道には点々と咲く野生の花が風に揺らめいており、歩いているとシャマルの言っていた通りすぐに目的地が見えた。
そびえる絶壁からはみ出るようにひっそりと外壁の一部を覗かせている。
道なりに進んで僅かな傾斜を上ると徐々にその全容が見え始め、ついに教会の入り口へ辿り着いた。
私とクララは繋いでいた手を解き、合わせて「「着いた~!」」と一息吐いてから膝に手を付く。シャマルは多少息が乱れているがそんなに疲れていないようだ。さすがアマゾネス。
正面口に立ってみると、私の身長よりもずっと高くて見るからに分厚い木製の扉が備わっていた。外壁は不揃いの白い石をパズルのように組み重ねて高くまで築かれており、見上げればあちこちにある窓は左右に開かれて朝陽を迎え入れている。
厳かな雰囲気に気圧されて黙り込んでいると、クララが壁に沿って走り出した。
「月詠さんはそこで待ってて! シャマルさん、私達が最後みたいだよ!」
クララが立ち止まった先は、従者が出入りするような身の丈サイズの扉だった。
続けてシャマルも「月詠さん、後は打ち合わせ通りですから!」と言って駆け足でそこに向かうと、クララが勢いよく扉を開き、慌ただしく二人揃って中に入って行った。
――打ち合わせ通りって……大丈夫かなあ。
私が不安に思うのも無理もないだろう。
打ち合わせたのは、教会の皆にクララの結魂を知らせることだ。しかしそれが実に強引なもので、シャマルが夜間の報告をする際に一緒に済ませるという、ただそれだけのことなのだ。
クララの結魂報告をすれば当然のように祝福ムードになり、後はそのまま勢いに乗って私の紹介をするのだという。
招かれし来訪者である私は、初の入場は正面口からとなるらしい。つまりこのまま出番が来るまで待機していればいいのだが。
「まったく、クララのお転婆はどうしようもないな。 後で叱ってやらねば」
正面口を向いて立っていると、何処からか女性の声が聞こえてきた。
その声は老婆のようにしわがれているが、風に紛れてもはっきり聞き取れるほど口調は強く、貫禄と畏怖が感じられる。
何者かと思って背後を振り返るが誰もいない。左右前後を見渡すが何処にも見当たらない。
「ほお、聞き慣れない声だと思ったがまさか異世界者とは。 しかしアルテミスが認めているならば心配ないか。 これはいよいよアテナが『アポロン』を欲しがりそうだ」
その言葉が上から聞こえてくることに気付き、外壁をなぞるように視線を上げていくと、ひらひらと風に翻えされる純白の何かが見えた。
窓の中央から浮かんでいるそれはカーテンではなく、金色に縁取られている為かどことなく神々しさを漂わせている。
言葉を忘れたまま見上げていると、そのひらひらは窓の内側へと吸い込まれるように消えていった。
――今のはもしかして……。
余韻を残す神々しさ、貫禄と畏怖を感じさせる独特な声色、それらを束ねると一つの答えが導かれる。
いつの間にか窓から私達を見ていた声の主、おそらくはクララ達が言っていた『あの人』で間違いないだろう。
よくわからないことを言っていたが、しかしその口からはっきりとクララ達の説教フラグが出ていたのは間違いない。その中に自分が含まれていないことを願うばかりだ。
そんなことを思っていると、鐘が二度鳴らされた。予鈴を聞いた時より近くにいる為に大きく聞こえる。
どうやらクララ達は朝礼に間に合ったようであり、少しはお咎めが和らぐかと思うと私は胸を撫で下ろした。
☆ ☆ ☆
あれから多少の時間が経ったがまだ私の出番がこない。まさか早くも説教タイムに突入したのだろうか。
まあ中のことを私が気にしても仕方がないので、結魂報告の流れを頭の中でシュミレートする。その響きの通りに結婚報告と似た感じになるのだろうか思っていると、なんだか妙に胸がざわついてしょうがない。
勢い任せのできちゃった結魂だし、落ち着いていられる訳もないか。
そういえば――結婚といえば女の子は誰しもウェディングドレスに憧れるものだけど、結魂の方に正装とかは無いのだろうか。
現にこうして皆の前に出てお披露目をしようと言うのに、こんな野暮ったいひらひらの羽織物ではどうにも格好がつかない。とは言っても私とクララは女の子同士だし、仮にウェディングドレスがあったとしても二人して同じような格好をするのも何か違う気がする。
こめかみに人差し指を当てて考えていると、我ながら良いアイデアが浮かんだ。
そもそも私はこの羽織物の下に“正装”を着ているじゃないか。
うん、これは実に良い。クララの修道服とは全然雰囲気が違うけど、こっちの世界にはまず存在しないと思うし、何より私はこの“正装”が大好きだ。
善は急げとばかりに早速羽織物を脱いで折りたたむと足元に置いた。この際だし羽織物は多少汚れたって構わない。
“正装”になった私がアルテミスを持ち直して正面口に向き直る。
すると――待ってましたと計ったようなタイミングで正面口の扉は左右に割れ始めた。いかにもな感じの重厚な音を響かせながら内へと開かれる。
扉の向こうは城のような外観にはそぐわない絵に描いたような聖堂だった。なるほど、これは確かに教会と認めざるを得ない。
真っ赤な絨毯が奥まで敷かれ、左にはシスターの列があり、右にはアマゾネスの列があって、その中にはシャマルの姿も。並んでいる敬虔な乙女達は皆揃って私を笑顔で見ている。
中央奥には当然クララ――これまでとは異なって、きちんと被るヴェールの中には品の良い微笑みがあり、天使のような高潔さを放っている。
どうやら結魂報告は無事に成功したらしい。
さてそれでは、いよいよ時が満ちた。天乃神月詠、いざ参る!
「それでは魂約者のご入場です! 皆様、盛大な拍手でお迎えください!」
その掛け声につい吹きだしそうになったので、お腹に力を込めて笑いを堪える。
出端を挫かれた。そうきたか、まさかいきなりくるとは思ってもいなかった。
進行の言葉通りに大きな拍手と「おめでとう」コールで迎えられた私は、両手の平をお腹の前に添えてにっこり微笑むと、赤い絨毯をゆっくりと進み始める。
一歩また一歩と重ねる度、左右にいる乙女達はこっちを見ながら一層に微笑んで頬を染めた。
奥にいるクララも私が近付くに連れて、つぶらな瞳をきらきらと輝かせ始める。そういえばクララも私の“正装”を見るのはこれが初めてだ。
私の正装――それは刺繍が施された和服袴。
黒を基調にした着物は、夜桜が咲き乱れておりとても雅やかで風流がある。
紫色の袴には、散り逝く桜の花びらがはらはらと舞踊を魅せて刹那的な美しさを演出している。
更に見た目だけだと侮ることなかれ。
これら一式はお婆ちゃんから貰ったオーダーメイドの特注品で、このまま乗馬して流鏑馬ができるのだ。採寸したことなど無いのに、袖丈や肩幅はもちろん袴の長さすらも私の体にジャストフィットしてるから驚きである。日頃から洗濯をしてくれるお婆ちゃんからすれば、私の体なんて採寸するまでもなく知り尽くしているのだろう。
お婆ちゃんありがとうございます! 一生大事に着ますので!
しかしクララを含める全員が食い入るように見惚れている中、唯一人だけ違うところを見ている人がいる。
例の超絶美形の王子だ。今朝麓で会ったヴィヴィアンのお相手である。王子はアマゾネスの列から少し離れた位置に立ち、とても興味深そうな眼差しで私の手にあるアルテミスを見ていた。
シャマルとギブリに会った時の反応からして、アルテミス自体はそんなに目新しい物ではないと思っていたけど。
とは言っても、王子の視線から悪意は感じられないので気にすることでも無いのかも知れない。
気にせず歩き続けていると、背後の扉が閉められる音が聞こえた。
時折乙女達を見ながら両手の平を振ると、そこかしこからキャーキャーとした黄色い歓声が沸き上がる。
やがてクララの隣に着いて花道を振り返ると、クララが私の手を握り締め――
「私達、結魂しました!」
と、声高らかに報告をした。
瞬間――重なる拍手と「おめでとう」コールが一層に強くなる。
小さな体を懸命に伸ばしているクララが可愛らしいけど、正直言って微妙に恥ずかしい。
顔が熱くて真っ赤なのが自分で解ると目を伏せてしまう。
しばらく乙女達の祝福に包まれていたが、背後から何かが床を叩く音が聞こえると――
事態を察した乙女達は途端に静まり微妙な空気が流れ始め、並んでいる彼女達の表情は一変して苦笑いを浮かべている。
それは緩みきった場を戒める存在を匂わせ、正に教師やコーチといったような『先導者』が介入した空気となった。
隣にいるクララに最早笑顔は無く、その矮躯をガタガタと震わせて――あれ、似たようなことがちょっと前にあったのは気のせいだろうか。
背後にいる存在の正体にはそれとなく気付いている。けれども空気が気まずくて振り向けずにいると、
「まずは二人ともおめでとう。 さあクララ、私に魂約者を紹介しておくれ」
祝辞の言葉と一緒に凄まじい貫禄と畏怖がこちらへ押し寄せた。こうなればいよいよ覚悟を決めるしかないだろう。
私と涙目のクララは互いを見合わせて頷くと繋いでいた手を解き、それぞれ両手の平をお腹の前に添える。そして腹を括って背後にいる『大修道女様』へ向けて体ごと振り返った。