八話「風の踊場」
私とクララにシャマルを含めた三人は、朝礼に遅れまいと小屋を出るなり走って教会(城?)へと向かっていた。ギブリは残って守衛を務め、シャマルは朝礼で昨晩の報告をする担当らしい。
麓の庭園地帯は既に通過しており現在は山岳内の洞窟。しかしそこはイメージとは裏腹に考えられないほど明るい場所だった。あちこちにある大小様々な穴から朝陽が注がれて中を照らしているからだ。もっとも朝陽だけでなく風も入ってくるのだが、これがまた上に登るにつれて強くなり、火照っている体には実に心地良い。
足の踏み場もそれなりに整えられており視野も良好、通路も結構開けているのでアルテミスを持ちながらでも難無く走れる。
「早くしなきゃ遅れちゃう! クララさん急いで!」
「クララちゃん転ばないようにね?」
「はぁ……はぁ……月詠さんも、シャマルさんも、待って~! 二人共なんでそんなに速いのよ~」
「アマゾネスの私とシスターのクララさんでは体力が違いますからね。 しかし月詠さんが体力あるのには驚きました」
「私? 私も日頃から体力作りで走り込んでるから」
吹き抜けが良いと言ってもやはり洞窟、私達三人の話し声を多少は響かせた。
壁には槍や洋弓をいくつか飾るように備えており、傍らには見たことの無い木の実がカゴいっぱいにあって良い香りがした。
クララの体力と朝礼開始の帳尻合わせをするべく、シャマルがペース配分をしながら小走りに先導する。息を乱さずに走る姿はアマゾネスの名に恥無い見事なスタミナだ。
しかしアマゾネスとは言うが、甲冑は羽付き兜に手甲とスネ当てくらいで胸当てすら無いから本当に簡易だ。太ももをちらつかせるミニスカートだし、首周りすら晒す格好は正直言ってとても戦士とは思えない。重厚な鎧とかは実戦をする時だけなのだろうか。
「で、昨夜のことは例の大修道女様には言ってないんでしょ? クララちゃんもシャマルさんも大丈夫なの?」
クララは昨晩、仲の良い二人に話を付けて夜な夜なこっそりと教会を抜け出して森へ向かったのだと言う。
当然のことなのだが、女の子が夜に一人で出歩く行為はとても危険かつ常識外れであり、そんな事実を良識のある大人が許容するとは到底思えない。
「まずいですね。 夜中に黙って外へ行ったのはもちろん、更に朝礼に遅れようものなら……クララさんはもちろんとして、見逃した私とギブリもお咎めは免れないでしょう」
「うぅ……シャマルさんごめん! まさか鐘が鳴るまで寝ちゃうとは思わなかった」
「気にしないでクララさん。 二人して寝ていた私達にも落ち度はあるし仕方ないよ。 それにしても寝坊して鐘に起こされるなんて久しぶりだな」
「え? 教会の鐘って、あれは目覚ましじゃないの?」
「あれは起床の合図じゃなくて朝礼の予鈴だよ。 まあ私に召喚された月詠さんはお咎めなしだろうから大丈夫、安心していいから」
どうやらシャマルもクララもある程度の覚悟はできているらしい。覚悟と言うか諦めかもしれないけど。
そうこうして走っていると、やがて細長く吹き抜けている縦穴のような空間に出て、私達は足を止めた。
「ここは?」
「『風の踊り場』って言うの。 シャマルさん、ちょっと先にお手本見せてくれる?」
「そうですね。 ようは下から吹かれる風に身を任せて一気に上昇するんです。 上に着く頃には風が拡散して弱まってるから勝手にその場で浮遊し続けるの。 だから心配しないで」
つまりは風のエレベーターみたいなものだろうか。
説明を終えるとシャマルは早速縦穴に入り、激しく波打つスカートを手で押さえながら軽く跳ねるとそのまま風に吹かれて飛んでいった。
「それじゃ次は月詠さんどうぞ。 あ、初めてだしアルテミスは私が持って行こうか?」
「うん、それじゃお願い」
クララにアルテミスを渡して羽織物と“正装”が風に飛ばされないよう紐の結び目を改めて結び直してから縦穴に入った。下から吹きつける風は強く、長髪を激しく揺らせている。
上を見据えてシャマル同様に軽く跳ねると、風に乗って一気に飛びたった。
初めこそ台風に飛ばされるような勢いだったが、たくさんある風穴から風が徐々に抜けてゆき、今となってはエレベーターというよりエスカレーターみたいにゆるやかな感じだ。
天井付近では横穴にいるシャマルが身を乗り出して手を振っている。
「月詠さ~ん! 大丈夫ですか~!」
「大丈夫だよ~! 風がすごく気持ち良いの~!」
私達は徐々に近付き、目が合うとついつい笑顔になった。
やがて天井に着くとすっかり風力は弱まるが止むことは決してなく、ふわふわと私の体を浮かし続けている。
正面には横穴に立つシャマルがいて、私の背後を指差しながら指示を出す。
「そのまま背後の壁を軽く蹴ってください。 その反動でこっちに来れますので」
言われて頷いた私は壁を蹴り上げ、両手を広げているシャマルを目掛けて飛び込んだ。縦穴を抜けると風はすっかり勢いを無くし、シャマルを押し倒すようにして私は横穴に着いた。
下敷きにされたシャマルが「あはは、こんなの本当に久しぶり」と実にご機嫌な様子だった。彼女の胸元から顔を起こして「シャマルさんごめん」と言って体を起こすと、
「二人共危ないよ~!」
と、今度はアルテミスを抱えるクララが追い討ちをかけるように背後から迫ってきた。
すぐさま避けようとすると、下にいたシャマルが急に体を起こして血相を変え、慌てて「きゃー!」と叫びながら壁際に逃げる。
シャマルの体から強引に落とされ、ただ一人通路に残されてしまった私はそのまま飛び込んでくるクララとぶつかった。
「「いった~い!」」
今度は私が下敷きになった。
クララが私の胸元から顔を起こして「んもう~!」と唸っているが、その表情はとても楽しそうだ。
「シャマルさん避けるの早すぎ~」
「月詠さんごめん。 私がアルテミスに触っちゃうとビリビリ~ッてしちゃうからさ」
「あ~なるほど」
ルーン・ベアですら後ずさったあの反動が思い出される。そういえばアルテミスは選ばれた者でないとまともに触れることもできないんだった。確かにシャマルも血相を変えて逃げ出す訳だ。
一人納得した風にしていると、クララが急かすようにいそいそと立ち上がる。
「ほらほら、月詠さんもシャマルさんも急ぐよ! ゆっくりしてらんないんだから!」
私は立ち上がって羽織り物をパタパタと叩いて汚れを落とすと、クララからアルテミスを受け取る。
シャマルも立ち上がって肩からお尻までを軽く叩くと、私達三人は教会を目指して走り出した。
この後も『風の踊り場』をいくつか利用し、傾斜のある通路や螺旋階段を進んで行くと、やがて多量の朝陽が注がれる空洞に出た。
行く先には一際大きな洞穴があり、先導するシャマルがペースを落としてゆっくりと歩きながらそこを指差して、私にゴールを告げる。
「あれが洞窟の出口なので、もう教会はすぐそこですよ。 お疲れ様でした」
朝からこんなに激しいランニングをしたのは初めてだ。普段から部活で走りこんでいるけどさすがに結構疲れた。クララなんてもう見るからにクタクタだ。
疲れきっているクララの手を取ると、彼女はニッコリと微笑み、二人で一緒に歩きながら出口に向かう。
眩しい明かりが視野いっぱいに広がって、吹かれる風に髪をなびかせながら、私達三人は朝陽に包まれるように洞窟を出た。