最終話「天照らす月女神の旅」
彦星のたてがみを撫でると、彼は顔を私に近づけ体ごと寄り添ってきた。
真っ白なたてがみと馬体、つぶらな瞳、身に付けてる手綱と装具。何もかも変わらない。
毎朝私が手入れしていた毛並みの手触りだって懐かしい。
心にポカポカした温もりが込み上げて来ると、私は自然と彼の首元に頬をすりつける。
「それじゃ彦星、よろしくね」
耳元でそっと囁くとそのまま彦星のおでこにキスをした。
刹那の時を置くと直ぐに手足が熱くなり始める。私と彦星の魂約ルーンは四肢に発現するようだ。
既にルーンがあった私の手先には、新たなるルーンがぴったり重なってより強い光を放ちだす。
彦星の方も前後の足にそれぞれルーンが現れ始める。少々熱い為かその場でくるりとまわるのが可愛いらしい。
程無くして――結魂は完了した、はずである。
彦星がつぶらな瞳で私の顔を見つめているので、思わず私もジッと見つめ返す。
すると――
「そんなに緊張してどうしたんだい? 月詠には笑顔がお似合いさ」
彦星はとても柔らかい声をしていた。
落ち着いた老紳士のような言葉運びにして、あどけない少年を思わせる無邪気な声色。
「え? いやさ、まさか彦星と話す日が来るなんて、今でも信じられないよ」
「でも、こうして話している訳だから」
「あはは! そうだね。 私これからも彦星のこと信じて頼りにしてるからよろしくね」
「こちらこそよろしく。 月詠が僕を信じてくれるのなら、僕も君のことを信じるとしよう」
互いに見つめ合い微笑むと、真っ白な世界は砕けて割れた。
こうして森に戻ると、激闘はなおも継続中だったがサイサリスと森狼達の方がやや劣勢に見えた。
森狼達に大きな傷は見当たらないが、疲労で呼吸が荒くなっている。
対するルーン・ベアの方は、いまだ疲れ知らずに両腕を振り回して暴れていた。
ルーン・ベアが豪腕を振り上げると、長鞭で顔面を打ち据えて標準ギリギリで狙いを外させるサイサリス。彼女の鞭捌きもお世辞抜きに達者だと思うが、既に息が荒く見てて危なっかしい。
「月詠、あの子は君の友達かい?」
「うん! あのクマをやっけて助けたいの! 力を貸して!」
「良いよ。 その手にある光る弓で流鏑馬をするのかな?」
「そうしたいんだけど、矢が手元に無くて」
「それなら良いのがある。 僕に付いてる矢筒の中を見てご覧よ」
言って彦星が身を翻すと、彼は脇に矢筒をぶら下げていた。
これは素晴らしいご都合展開だ。しかし手綱に装具も着用しているなんて、一体どうして。
彦星に跨りながら問いかける。
「あの日、私ちゃんと装具外したよね? なんで今着けてるの?」
「月詠がいなくなってから毎日着けられるようになったんだ。 君のお父さんが願掛けをしてるんだよ」
「おお……それは申し訳ない」
「それとお母さんは仏壇の写真にいる朧さんに泣いて謝ってるみたい。 毎日ね」
「ほ、本当にご迷惑をおかけしてます、はい……」
「でも梅さんは笑顔で見送ってくれたよ。 帰ってきたら武勇伝を聞かせろって黄金の矢を託されたんだ」
「えっ? 見送ったって、お婆ちゃんが!? それどうゆうことよ!?」
「詳しくは後、今はあの子と狼達を助けるんだろ?」
「う、うん! 最初から全開で!」
「了解、それじゃあ行くよ!」
跨るなり矢筒を背負い手綱を握ると、途端に彦星はルーン・ベアを目掛けて走り出す。
徐々に速度が乗ってくると手綱を離し、そこから背に手を伸ばして一本の矢を掴む。
言葉からして金箔で装飾されただけの観賞用かと思いきや、アルテミス同様にキラキラと光る粒子が零れ落ちていた。
「うわあ……何この矢。 彦星何か聞いてる? 絶対アルテミスと関係ある何かだよ、これ」
「『天照』っていう特別製らしいよ。 なんでも星霊龍の爪から作ったとか」
ここにきて星霊龍って、ステラですかそうですか。
私のお婆ちゃん一体何者だよ。こんな時にすごい謎ができちゃったよ、まったくもう。
しかしこれで準備は整った。
弓のアルテミスに矢の天照、それを引くのは私こと月詠。これが神話のお話しならばこれ以上無い采配だろう。
ただこの弓矢の威力は謎のままだ。いかにアルテミスが月光浴で力を蓄えようとも、私がきちんと能力を引き出せるかも定かでないのだから。
蹄が大地を叩くと、足音にに気付いた森狼達がこちらを見ながら左右に割れた。
続けてそこから現れた私達にルーン・ベアも気付くと顔をこちらに向け、サイサリスと頭領狼も次いでこちらを振り向く。
「サイサリスさん、待たせてごめん!」
「月詠さん! 召喚の儀、成功したんですね!」
「うん、後は私達に任せて!」
サイサリスと頭領狼の間を颯爽と走り抜けると、みるみるルーン・ベアに近付く。いよいよあいつと決着を付ける時だ。
天照の数は5本、ただ今回のバトルで使い切るつもりは毛頭無い。
旅の出だして初のボスに割けるのは1本限りだ。今の私ならできる、彦星と私ならやれる。
ならばまずはやはり、このアルテミスでビリビリさせよう。
決意を改めると首元に下げたステラの牙が入った皮袋が光を帯び、次いで共鳴するようにアルテミスが一層強く光りだす。
そのまま突撃武将の如く勢いづいた私は、四肢で這うルーン・ベアのうなじに向けて、輝くアルテミスを全力で振り下ろした。
「紫電一閃!!」
ギリギリのところで避けられて背中を撫でるに留まったが、それで十分。神器に触れさせることこそが目的なのだから。
ただそれでも威力は十分だった。
月光浴とステラの牙で強化されたアルテミスの打撃は、本来の用途とは異なる上にかすっただけにも関わらず、ルーン・ベアに稲妻が落雷したような雷光を浴びせたのだ。
全身から煙をぶすぶすと昇らせて膝を付くルーン・ベア。
その様子を見て予想以上の威力に放った私自身が唖然とする。
しかし落雷してようやく膝を突く程度とは、これは実際問題アテナでさえもアンジェロ無しでは相当に苦戦するんじゃなかろうか。
低く唸り声を出し、私達を睨みつけるルーン・ベア。やつは次にこちらを目指して全速力で駆け出した。
クマの速度は非常に早く時速60キロを越え車と並走する。
「月詠、捕まってて」
見事ルーン・ベアの意識を移すことに成功した私達は、その場から颯爽と走り去った。
馬の速度は70キロに達するが、もちろん私はその速度に耐えることができる。彦星と私の呼吸は完璧で振り落とされることはない。
確かにルーン・ベアは四肢を魔力で強化してより早く走っているが、それは今の彦星も同じだ。
駆ける彦星はぐんぐん加速して少しずつルーン・ベアを引き離す。
「そろそろ準備は良いかい?」
「うん、いつでも大丈夫!」
「それじゃ月詠……後は頼んだよ!」
私が彦星の首にしがみつくと、彦星は全力で急ブレーキをかけた。
蹄は地面を抉りながら少し進むが――それよりも加速し過ぎて止まりきれないルーン・ベアがこっちに迫って来る。
それを確認するなり停止した馬上で体勢を整えた私は、これ見よがしにアルテミスを構えて天照を添えて弦を引く。
こっちを見て強く唸るルーン・ベア。だが後は天照を眉間か心臓へ射れば私達の勝ちだ。
しかしそれでもなおルーン・ベアはまるで怯まない。おそらくこのまま射られても弾く自信があるのだろう。さすがはボスといったところか。
当然そんなのは私もお見通しだ。だから私は――強く弦を引いたまま好機を待つ。
するとルーン・ベアは丸太のように太い両腕を大きく振り掲げて――大きく飛び跳ねた。
助走は申し分なかったので、クマの重量としては考えられない程の高さに達する。
アルテミスの標準を跳躍したルーン・ベアに合わせていると、ちょうど満月の辺りに奴は重なっていた。
やがて落下が始まり瞬く間に巨躯が私に迫って来る。
――まだ、まだ、まだ、もっと、もっと、もっと、目と鼻の先まで引き付けるつもりで。
時間にすればきっとほんの数秒だったろう。
しかし今の私には時の流れがとてもゆっくりに感じられる。
こうしてルーン・ベアの影に全身が覆い隠されようとも、微塵たりとも焦らない。
やがてついにルーン・ベアの振り上げた両腕が、睨み付ける私の頭を覆った。
鋭利な爪先が髪に触れる、まさに今この時だ。
今この瞬間、ルーン・ベアを護る両腕は無い。何せ奴はそれを私に向けているのだから。
「貰った! 光の一矢、一輝闘閃!!」
放った天照はルーン・ベアのノドへ突き刺さると、そのまま一気に遥か上空の彼方まで連れて行った。
一瞬にして見えなくなると、夜空にキュピーンと一瞬の光がきらめく。
夜空には天照の辿った軌跡をなぞるように輝く粒子がキラキラと残っていた。
激闘を終えた私達はサイサリスと合流して例の地底洞窟前まで行くと、2人で仲良く泉に浸かって疲れをとっていた。
ここの泉は傷への効能もあるようで、手負いの動物達が使うのも珍しくないらしい。
おそらくだが、治癒の効能はかつてこの地に眠ったステラの影響なのだろう。
しばらくサイサリスと泉でキャッキャウフフを楽しんだ後、鮎を焚き火で焼いて夕食を済ませた。
満腹感に満たされると次に来るのは当然睡眠欲。
座ってくれた彦星を枕にするように2人してもたれかかると、徐々に瞼が重くなってくる。
「月詠、とりあえず今日のところはお疲れ様」
「再会して早々にごめんね~」
「彦星さん、私からもごめんなさいです。 せっかく感動の再会だったのに」
「気にしないで良いよ。 僕としては『ごめんなさい』じゃなくて『ありがとう』の方が嬉しいかな」
「あっはは、さすが彦星。 優しいねえ」
「そ、それでは……どうもありがとうございました」
「どういたしまして」
それからずっと気になっていたことだが、あの森狼達はやはり私とアテナでドンパチしたことのある群れらしい。
サイサリスの話では、あの時の狼はとりあえず生きており、また今回私がルーン・ベアを退治したので水に流してくれるとのこと。
ありがたい話の一方、サイサリスの才覚はやはり末恐ろしそうだ。
「そういえば彦星、お婆ちゃんの話なんだけど」
「なんだい?」
「彦星ってお婆ちゃんと話せるの?」
「まさか、君と魂約してから梅さんに言われた言葉を理解できるようになったのさ」
「あー、なるほどね。 魂約すれば言語が……あれ?」
「どうしたんだい?」
「今私が話しているのがヴィエルジュ語だから、彦星の言語もヴィエルジュ語な訳でしょ? じゃあ……そうするとお婆ちゃんはヴィエルジュ語を彦星に話してたってこと?」
「僕は人間の言葉がどうかなんて知らないけど、見送ってくれた梅さんが今の月詠と同じ言葉で話してたのは確かだね」
「えー! んもう、訳わかんないよー! ねえサイサリスさん、ちょっと聞いてよ」
「ん~……」
「もう彼女は夢の中みたいだ。 僕らもそろそろ寝ようか」
「むぅ~!」
少し前から肩に違和感を感じていたが、その正体はサイサリスの頬っぺただった。
柔らかい頬っぺたをつんつんしても起きそうな気配は無い。
うん、確かに今日はもう疲れた。私も寝よう。
「もう寝る! 彦星、明日からはもっと色々なお話しをしようね」
「そうだね。 長旅の道中で僕を退屈させないでおくれよ」
「大丈夫、とびっきりのお話しがあるの。 それも2つ!」
「それは明日が楽しみだね」
彦星に話したいとっておきの2つのお話し。
一つ目は言うまでも無く、この世界を旅するお爺ちゃんの事。彦星はさぞかし驚くことだろう。
いや、むしろ彦星から私の知らないお爺ちゃんの一面が聞けるかもしれない。そう思うと私の方も楽しみだ。
二つ目は私の大好きなクララのこと。彼女の為に私が今旅をしていること。
いつかクララと2人でお爺ちゃんを捜す旅に出ること、もちろんそこには彦星もいて欲しい。
現実はとても残酷で厳しい、けれども楽しいことがまだまだ山積みだ。落ち込んでいるなんて勿体無い。
隣で眠るサイサリス、教会にいる皆、私の帰りを待つクララ。
私の旅はまだまだこれから。今はまだ序章にも満たない物語の端っこ辺りだろうか。
色々と考えていると隣からサイサリスの可愛い寝息が聞こえ始め、いよいよ私にも睡魔が訪れる。
たまには夢の中でくらいクララとお爺ちゃんに会いたいものだ。
「それじゃ彦星、サイサリスさん、おやすみなさい」
「うん。 おやすみ」
眠たい目を擦ると意識が遠退き始め、私は瞼を閉じるとそのまま心地良く眠りについた。
おしまい




