64話「三日月の大地」
アンジェロの巣があった崖地で雲は足元より下にあったのだが、今やそのアンジェロに乗ってるので雲は綿菓子のように小さく見える。
360度見渡しても視野に入るのは綺麗な青空ばかり。
流れる風に抱擁されながらも高度と速度はみるみる上がり、ふと視線を下げると雲より遥か下には大きな大陸が広がっていた。
「ねぇ、これってヴィエルジュの大陸だよね?」
「ヴィエルジュ全土じゃないけどね。 この三日月状をした地上はクレセント大陸って言うんだ」
「三日月だからクレセント大陸?」
「そのままだから覚えやすいでしょ。 あそこに玉ねぎみたいな屋根をした建物があるんだけど見える?」
「ん、見えた見えた。 あれもしかしてソフィアの図書館?」
「そうそう。 ソフィアを囲うように広がってる荒地がウィード荒野ね」
アテナがそこかしこを指差しながらクレセント大陸の諸々な地理を説明してくれた。
この大陸には小さな町村を多数点在させながら、主に3つの都市国家が連なりクレセント連合国と呼ばれている。
その内の一つがソフィア国である。
大陸中央より南にあるこの国は、かつての世界戦争により国王と国名を変えられてしまったが元はアテナの母国フリューゲル国だ。
ソフィア国より南に広がる荒地はウィード荒野と呼ばれ、モンスターも多く出現しこれより南には大国もないことから一般人の通りは少ない。
ウィード荒野を南に進めば温泉のあった花畑の村ブルームに辿り着き、更に先を進めば洞窟や山岳にぶつかり、そこを越えれば嘆きの森に辿り着く。
その道のり、行きはおよそ3日間費やした訳なのだが、アンジェロに乗って飛び立った早々に目印である嘆きの森奥の山脈が見えてきた。
とは言っても、黄昏の教会があるあの山脈は雲を突き抜けてもなお頂上の見えない超が付く巨大峰。
なので当然建物が見えるはずも無く、地平線の向こうにぼんやりとした超巨大峰が浮かんで見える程度だ。
「お姉さま、気持ち悪い」
「やだ、もしかして乗り物酔い?」
「空飛ぶ吸血鬼がドラゴン酔い? 血竜に憑依してたのに乗るのはダメなの?」
「いや、こいつの場合は酔いじゃないだろう。 原因はあれだ」
言って空高くを指差すシエル。
指し示すその先にはぎらぎらと真っ白に輝く太陽があった。
そういえば今や雲すらも遥か下にあり、ブラッドムーンに注がれる陽光を遮る物はそれこそ魔女っ子セットだけだ。
確かに吸血鬼には随分酷な状況である。
「アンジェロ、ペースを上げてくれるかい!?」
太陽の方を見るアテナが言ってアンジェロの頭を撫でると、途端に旅客機から戦闘機に乗り換えたような急加速をする。
風の強さで視界は涙で滲み、髪の揺れに合わせて耳には風切り音が飛び込む。
時折見かける鳥やドレイク(初めて見た)は障害物のようで、アンジェロが通り過ぎると風圧で全て吹き飛ばしてしまった。
アンジェロの速度はそれこそ戦闘機のようだが、これでまだ幼少期なのだから末恐ろしい。
特になんの展開も無いまま飛行し続けると、途中で昼食休憩は挟んだものの驚くことに夕暮れ頃には教会のある山脈に到着した。
夕陽をバックに佇むアンジェロとアテナのペアが格好良すぎる。
ちなみにアンジェロに乗って空高くを飛行しても山脈の頂上は見えなかった。一体何処までそびえてるんだか。
山脈の途中にある開けた崖地で私達は降りると、アテナがアンジェロの鼻先を撫でながら餌を上げる。
「アンジェロ、ありがとね! はい、これお礼だよ!」
嬉しそうに餌を丸飲みするアンジェロ。どうやら餌はゴブリンの首らしい。思わず顔が引き攣ってジト目になるが、アテナは私を見ても首を傾げるばかり。
誰か少しで良いからアテナに女子力を分けてあげてください。
その後にアンジェロはまた私にだけ恭しく一礼をし、大きく翼をはばたかせると一鳴きして飛び去っていった。きっと巣へと戻ったのだろう。
なんだか短い時間だったけど、色々な意味で凄い体験をしたような気がする。
☆ ☆ ☆
アンジェロと別れた私達は山岳地帯を降りながら他愛もない話をしていた。
見慣れた山岳景色が懐かしい。教会より上の山岳地帯は初めて歩くのだが、ここの雰囲気や空気の味は変わらない。妙な安心感がある。
ブラッドムーンも多少グロッキーではあるものの、自力で歩ける程度には回復して今は私に手を引かれながら歩いていた。
「いやー月詠さん大したものだよ。 アンジェロのあんな態度、私初めて見た!」
「私もドラゴンがあんなに甘えてる姿初めて見たよ。 ってかあの一礼は私じゃなくてステラでしょ」
「そうかも知れないけどさ。 でも一目置かれてるのは間違いないだろうね」
「そうかな?」
「ドラゴンは知能高くて記憶力も良いから、たぶん次からは月詠さんソロでも乗せてくれるよ」
「ははっ、それじゃ旅に出たら顔出しに行ってみようかな」
「あの子、ゴブリンの生首が好きだから持ってってあげてね」
先導するアテナとアンジェロの話題で盛り上がっていると、後ろで歩いているシエルが不思議そうに話しかける。
「そういえばアテナ、お前はドラゴンを狩って卵を獲得したそうだが、結局はアンジェロに乗って何処に行ったんだ?」
「それ、私も気になる! バトルの仕方も参考にしたいかも! って私は弓手だけどね……あはは」
「そういえば肝心なこと言ってなかったね。 シエルさん、あの卵は『シヴァのるつぼ』から取ってきました」
「ほう、シヴァの卵とは良い腕だ。 エリスも中々優秀な逸材を見つけたな」
「どうもありがとうございます」
「しば? 何それ?」
「クックック……。 かの地は古よりドラゴンが生まれいずると言われていた獄地なり……うぷっ!」
「ブラッドムーンちゃん……抱っこ、しようか?」
首を強く左右に振って頑なに拒むブラッドムーン。
きっと私達の話しに入りたかったんだろうな。無茶しちゃってまあ。
すると突然、アテナがこちらに歩み寄って来て何も言わずにブラッドムーンを抱き上げた。絵の描いたようなお姫様である。
戸惑い顔のブラッドムーンと、それとは対照的に微笑んで歩き始めるアテナ。
「ち、ちょっと何するのよ!」
「ろくに歩けない癖に何言ってるの。 良いからこのまま私に抱かれてなさい」
「やーよ。 なんで私があなたに抱かれなきゃいけないのよ?」
「あら、いやなら振り払って自力で降りてみたら?」
言ってブラッドムーンをドールのように強く抱き締めるアテナ。
あらやだ、これは素敵なきゃっきゃうふふですこと。
これまであんまり接点が無さそうに見えたのに、実は意外とお似合いかもしれない。いや女の子2人のペアにお似合いも何もないか。
抱かれたブラッドムーンが頬を膨らませると視線を下げたアテナと目が合う。
ポッ――。
みるみる頬っぺたが赤く染まるブラッドムーン。そのまま目線を下げて黙り込んでしまった。愛しのお父様は何処へやら。
まあアテナはイケメンだからなー。仕方ないかなー。2人共美形だしなー。ヴィヴィアンと取り合いとかになるのかなー。
なんてね。
なんか可愛い妹をあっと言う間に攻略されてしまった間があるけど、気のせいだろう。
それに私にはクララがいるし。
「そういえばアテナさん。 しばって何処なの?」
「『しば』じゃなくて『シヴァ』ね。 ソフィアから北西に辺りにある孤島だよ」
「より正確に言うなら火山島だな。 ドラゴンは絶滅危惧に瀕しているから今や生態系もすっかり変わってしまったが」
「それでどうやってドラゴン狩りを?」
「実は倒してないんだなこれが」
「え?」
「てか倒せる訳ないじゃん。 相手、ドラゴンだよ?」
「おいおい、私の賛辞と期待は何処へやら」
「ははは、すみません。 あの卵はアンジェロが囮になってその隙に巣から頂戴したんです」
「アンジェロが囮? チビ・ドラゴンにそんなことできるの?」
「チビだからできるんだよ。 火口の影に隠れたり、咆哮上げて親ドラゴンを呼ぶ振りをしたり」
「ほう。 チビ・ドラゴンにしては随分と頭が回るな」
「私が指示を出したんですよ。 アンジェロとの連携もすっかり慣れましたんで」
パーティメンバーにドラゴンですか、そうですか。やっぱ規格が違うよこの人。
こちとら伝説の武器を使って相方を囮にしても、クマ一匹で手一杯でしたよ。
「ほう、ドラゴンと組んだのか。 やはりお前は期待を裏切らない逸材だな」
「どうも、重ねての賛辞ありがとうございます」
「あれ? でもあの時は血まみれじゃなかった? 武器も壊れたとか?」
「血まみれなのは道中倒したモンスターの返り血。 武器は本当にドラゴンとの戦闘中に壊れたんだよ」
脳筋イケメン美女とチビ・ドラゴンの組み合わせとか、それだけてファンタジー作品が一本できそうな勢いだ。
私とクララの組み合わせではありえない骨の太いアテナの物語だろう。
しかしまあ、ヴィエルジュってまだまだ私の知らないことだらけだ。
クララと旅に行っても色んな初めてがあるんだろうな。
しばらく話し込むと、少しばかりだがヴィエルジュの大陸知識が付いた気がする。
アテナとシエルの話では、クレセント大陸より西側には真ん丸のお日様状の大陸があり、そこは聖国セレスタニアというらしい。
そのセレスタニアとやらは一国で大陸を支配するほどの強国とのこと。
前々から聞いていた10年前の世界大戦とは、そのセレスタニア対クレセント連合国でのドンパチだったようだ。
つまりは私のお爺ちゃんこと天乃神朧が、アテナの父ことゼーレ・フリューゲルに召喚され、エリス様やシエルさんと戦友になった戦争だ。
「まあその戦争もうやむやで終わったんだけどな」
「確か戦争中にどうしようもない化け物が現れて、両国で共闘せざるを得なかったんですよね?」
「今となっては懐かしい話さ。 その戦いで両国は疲弊し、その後は互いに干渉せず認知せずだ」
「私のお爺ちゃんもその化け物と戦ったんですよね? どんなのだったんですか?」
「真っ黒な蛇さ。 世界を回って自分の尾を噛み付くほどの長くて真っ黒なでかい蛇だよ」
神話なんかでいうところのウロボロスみたいなのだろうか?
まあ戦争もウロボロスも私には関係無い。それはまた別のお話しだろう。
雑談をしているとやがて見覚えのある建物に着いた。黄昏の教会である。
――クララ、体は大丈夫かな。 皆は元気にしてるかな。
大きな正面口の脇に備わる身の丈程の木製扉を開けて中に入る。
すると中にはヴィヴィアンがいた。相変わらずこの世の存在とは思えない幻想的な美貌である。
ヴィヴィアンは私達4人の存在に気付くと、唇をキッと閉めてこちらに駆け寄ってきた。
私の脇にはブラッドムーンをお姫様抱っこするアテナ。
向かってくるは少々気難しそうな表情をしているヴィヴィアン。
これはもしかして修羅場ってやつだろうか!?
もしそうならドラマみたいだ。でも私、ヴィヴィアンからもアテナからもキスされちゃってるんだよね。
まあ片や魔力の測定だし、片やただのマウス・トゥ・マウスなんだけど。
でも2人共相当な美形なんで正直ちょっとときめきましたとも。それも今となっちゃ良い思い出です。
さて、修羅場に関しては大人のシエルに任せるとして私はエリス様にご挨拶をしてクララの元へ行くとしよう。
近くのウッドテーブルにチョコバナナやら矢筒やら下ろしていると、ヴィヴィアンがアテナを素通りして私の方にやってきた。
あれ? 私?
ヴィヴィアンはそのまま私の手を取って少々強引に引っ張り出し、端的に告げる。
「月詠さん、早く来て大変なの!」
「な、何々? どうしたのヴィヴィアンさん!」
「クララさんが……眠り姫になってしまったわ」




