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五話「できちゃった」

 クララがハッとした表情になる。私の指摘したことに思い当たる節があるのだろう。

 暗い夜の森を歩きながらゆっくりとした口調で話し出した。


「それはね、月詠さんが思っていることと逆だと思うよ?」

「逆? どういうこと?」

「たぶん月詠さんは、あなたの国、確か……にほん、だよね?」

「うん、日本だよ」

「つまり私が、にほんの言葉を流暢に話していると思っているんでしょ?」

「え? 今だって喋ってるじゃない?」

「だからそれが違うの。 今私達が喋ってるのは『ヴィエルジュ』の言葉だよ?」


 そう語る顔は真剣そのもので冗談を言っている風には見えない。この子は服装だけでなく頭の中までもファンタジーらしい。いやアルテミスは確かに物凄いマイソロジーだけども。

 あれだろうか、近頃外国では日本のアニメや漫画が大流行らしいがそれに乗っているのだろうか。

 確かにこの状況を楽しもうとは思ったが幾らなんでも話が突飛しすぎている。


「……クララちゃん、びえるじゅって何?」

「んーと、ちょっと良いかな?」


 クララは立ち止まると、持ってくれている紙袋を差し出すように私に向ける。


「この月詠さんの紙袋の中に何か文字が書かれている物ある?」

「あるよ。 梅干の瓶詰に『天乃神』ってラベルを貼ってる」

「じゃあさ、同じように『天乃神』って地面に書いてくれる?」

「いいけど?」


 道端に落ちている手頃な小枝をつまみ上げると、しゃがみ込んで言われるまま地面に文字を走らせる。

 特に意識することもなく、これまでに何度も書いてきた通りに、自分の名字をさらさらと、気持ち大きめの字でラベルと同様に『天乃神』と書いた。

 これが一体なんだと言うのか。書き終えると立ち上がりクララを見つめる。


「クララちゃんこれで良い?」

「うん……見紛うことなく『天乃神』だね」


 書かれた文字を見ると、クララはあっさり認めてなぜか頬を朱に染めた。そして私の顔を上目遣いでチラチラと見てくる。この文字が一体何だと言うのか。

 ただ不思議なことに今のクララからは恥じらいよりも躊躇いを感じる。一歩が踏み出せずに想いを伝えられないでいる恋する乙女のような、そんな雰囲気。

 そんなことを考えていると、自ずと泉でのプロポーズが思い出されて私まで変な気分になってしまった。

 クララと目を合わせるのが妙に照れくさい。


「それはもちろんそうだけど! そ……それでクララちゃんは何が言いたいの?」

「ご、ごごごめんなさい。 その……それじゃ答え合わせをしよっか?」


 私達は二人して動揺をかき消すように話を戻した。

 クララは照れているのを隠すようにやや大振りな動きで紙袋を開くとそそくさと瓶詰めを出す。

 掴んでいる瓶を回し見ると、クララは大きく頷いて印籠でも掲げるような勢いで私に見せ付けた。


「じゃ~ん!」


 私の目先にはよく見覚えのある梅干の瓶詰めがあった。

 そしてその瓶の側面に貼られたラベルを見て驚愕する。


「そんな……これは一体」


 ラベルに書かれていた文字は『天乃神』と日本語で、漢字で書かれている。その文字を私の頭は『翻訳』するような形で『あまのがみ』と読んだ。まるで英語で記された書面を読むときに一度頭で変換するようなあの感覚だ。

 次いで今度は足元に自分で書いた『天乃神』を見る。こちらは漢字でも平仮名でもないしそもそも日本語じゃない。とてもよく頭に馴染んで『翻訳』せずにすんなりと頭に入ってくる。これがクララの言うヴィエルジュの言葉、もとい文字なのか。

 双方の全く異なる『天乃神』と書かれた文字を交互に見ると、例えようのない様々な感情が入り混じり、訳の解らなくなった私は自分を失ってその場にへたり込んだ。


「あ……月詠さんごめん! そんな驚かすつもりじゃなかったんだけど!」

「…………いえ、いいの」

「月詠さん! 月詠さん!」

「あはは……クララちゃんお願いがあるんだけど」

「なんなりと!」

「頬っぺたつねってくれる?」

「はい?」

「私ね、高校三年生になったばかりなのよ。 早く家に帰らなきゃ……明日からは部長としても……」


 虚ろ気になった私をクララが焦った様子で見ていた。彼女は瓶詰を紙袋へ戻すなりに私の両肩を掴んで前後に揺すり、困った顔で「しっかりして!」と何度も叫んでいた。

 正直開いた口が塞がらないとはこのことだ。

 これはきっと夢だ。そうに違いない。お母さんのお使いでお父さんに荷物を届けに行って、それから――それから何がどうしてこうなった!

 私は何を思ったのか、アルテミスを置いてクララの手を払いのけると紙袋にある瓶詰めを取り出した。そしてフタを取るなり中の梅干を一つだけ摘むと口に放り入れる。


「んんんんんんん~~~!!」


 頬が強制的に引き締められて口にツバが溢れる。美味しい、頭いっぱいにお婆ちゃんの笑顔が広がると自分を戻し、無事に逃避行から戻ってきた。

 うん――私やっぱり日本人だ。由緒正しくて奥床しい大和撫子だ! これで沢庵にお味噌汁に納豆でもあれば完璧だったのに!

 私は立ち上がるとアルテミスを脇に挟み、自分の両頬をパシッとはたいて気合を入れた。


「ツ、ツク……ヨミさん?」


 今度はクララが私を訝しむ眼差しで見ている。どうやら私がどうかしてしまったと思っているのだろう。

 わかっている。さっきのクマといい、書いた文字といい、この梅干といい、もう認めるしかない。

 これは――現実だ。そして私のいた世界とは異なる別世界でもある。

 私はどういう訳かクララの言うとおりこの世界に招かれてしまったのだろう。さっきから謎が謎を呼ぶばかりで一向になにもはっきりとしないのが本当に困る。


「ふふ、ふふふ……」

「ツクヨミさん……だよね?」

「大丈夫。 ちょっと取り乱しちゃっただけ」

「で、ですよねー」

「それで? 次は何かしら? もう何を言われても大丈夫だから、どんどん言ってくれて良いのよ?」

「月詠さん、え?」

「梅干を食べた日本人は無敵なの」

「は、はぁ……」


 なんとも微妙な表情をしているクララだった。

 その後、懇切丁寧な説明をしてくれた内容を把握するのは困難を極めた。いや、いずれもさっきの文字書きの件で合理性は示されていたので理解するのは容易かったのだが。

 ただ如何せん内容が内容だったので、言われたことを頭に留めるだけの簡単な作業として割り切っていた感じはある。


 大まかに流れだけ纏めると、クララはこの森で召喚魔法を試みるも魔力が途中で切れてしまい、私が現れる場所に多少のズレが生じたとのこと。ちなみに実際に見るまでは自分が何を召喚したのかはわからないらしい。魔法や召喚の詳細は長くなるので機会を作ってきちんと教えてくれるそうだ。

 次に召喚した生物、つまり私を見つけるために森の中を歩いていたが、風変わりな身なりを見て召喚されたのが私だと確信したらしい。

 そして大事なのはここから。特に重要なのは『なぜ私がこの世界の言語や文字を知っている』のかということ。

 その理由は召喚された者は契約が完了すると、言語が強制的に召喚者の既定に準えられるというものだった。ただそれによって元々の記憶や知識に影響がでることもなく、言語以外は完全にそのままらしい。

 つまり今の私は――話す言葉はもちろん、書き記す文字も、こうして不意に馳せている自我や思考で用いる言語すらも、クララと同調されてヴィエルジュ語になっているということだ。

 そして知識や記憶はそのままというのは、弓道の射手技術に始まりラベルに書かれた天乃神の文字をきちんと読めたという事実で確認が取れている。


「ちょっと待って、質問良いかな?」

「なーに?」

「この世界に呼ばれて契約完了は良いとしてもさ? それじゃ初めに交わした挨拶は?」

「あー、あれは私が勉強したから。 異界の言葉、あなたの国、にほんの言葉をね」

「え?」

「珍しいと言えば珍しいんだけど、異世界からの召喚者って言っても前例がないって訳じゃないのよ。 だから来たるべき時に備えて勉強しといたの!」

「べ、勉強って……そうなんだ」


 てっきり自分が物語の主人公にでもなった気分だったのに、ちょっと肩透かしをくらってしまった。っていうか今の話だと日本人がここに来た前例があるってことじゃないのか。

 もちろん他にも気になることがまだある。やはりここでも謎が謎を呼んでいる。ここまできてクララを疑う訳ではないのだが、なんというか単純に好奇心がそそられるのだ。

 クララの方もそんな私の気持ちがわかるのか、嫌な顔一つせずに笑顔で答えてくれるので、こっちとしてもどんどん突っ込みやすい。


「それで、なんで日本語なの?」

「にほん語だけじゃなくて、色々な言葉を知ってるよ。 この世界の古典文学から始まって異世界にいる様々な種族まで幅広くね」

「……へぇ」


 どうやらクララの守備範囲は日本だけじゃないらしい。将来はさぞかし熱心な民俗学者、というより異世界学者? になるんじゃないだろうか。

 実際今に限って言えば先生と言うよりも学者が教鞭を振るっているような感じで、ちょっと興味が湧いてくる。


「驚いた?」

「うん、大分驚いた。 他の言葉も話せるの? ちょっと話してみてよ」

「なかうどはばとこのくぞんみいだこのュジルエィヴゃじれそ」

「おぉ……見事に意味不明だ。 他には?」

「oD uoy wonk egaugnallegnahcrA?」

「なんとなくだけど、結構上手く話せてる感じ? 一番苦労した言葉は?」

「たどたどしくなっちゃうけど……。 “耳+口+王”・“[+)”・“Я⇔”・“∀(⇔90°)”・“C+L180°”・“水-H×2”・“Z90°”」

「うへぇ……なんかもう、言葉としてどうなのか疑うレベルだね」

「どこの言葉か教えようか?」

「ううん、ちょっと興味があっただけだからいいよ。 っていうか正直お見逸れしました。 よくそんなに覚えたね!」


 始めの方はまだ言葉として機能しているのはどことなく感じ取れたけど、最後のはもう何を言っているのかさっぱりだった。あれはもうクララがぎこちないとかそういう問題じゃないと思う。

 私が驚いて目を丸くすると満足げな表情をするクララ。なんだか謎の感動に包まれたので小さな拍手を送っといた。

 っといけない。また脱線してしまった。


「ちょっとごめんクララちゃん。 色々な言語を知ってるのはわかったんだけど」

「うん、また話がそれちゃったね。 え~とそれで……なんだっけ?」

「えーと、これで召喚と言語に関する疑問は解決したかな。 あ、もう一つだけ良い?」

「なーに?」

「契約……っていつ成立するものなの? 話しの感じだと召喚=契約じゃないよね? つまり私達が出会った段階では契約はしてないんだよね?」

「え、えぇ……そうね」

「でも今となっては契約してるみたいだし、いつの間にしたんだろ?」

「そ、それはね」

「うん?」

「き……きす……」

「きす?」


 クララは急にしおらしくなると顔を真っ赤にしてもじもじとし始めた。とても可愛らしくて妙な感情が胸をくすぐる。

 しかしきすが一体何なのか『きす』から始まる言葉を考えても何も思い浮かばない。

 片手を唇に添えて考え込んでいると、クララが突然叫んだ。


「だから、キス! くちづけよ! くちづけが契約の儀式なのよ!」

「え……」

「キスした時、背中が熱くなったでしょ!」

「う、うん」


 言っていることはよくわかった。聞いてる私でさえもの凄く恥ずかしい。

 確かにあの時、不思議と背中が熱くなるような感覚があったのを覚えている。


「……ちょっと見てくれる?」


 クララが恥ずかしそうな表情をすると私に背を向けた。

 そしてそのままクララは――自分の修道服を脱ぎ始めた。


「え! ちょっとクララちゃん何してるの!」

「いいから見てて!」

「見ててって、そんな見てられないよ!」


 私は脱ぎだすクララを見ていられずに両手で顔を覆ってその場にしゃがみ込む。

 落としてしまったアルテミスが地面を叩いてハープのような音色を一弾きだけ奏でると、次いで布が擦れる音や紐が解かれる音が聞こえた。

 女の子同士だから意識することじゃないのに不思議と胸がドキドキする。学校で皆と着替える時は全然平気なのに、なんでだろ。


「良いよ、目を開けて。 見てくれる?」


 その声に胸が高鳴ってしまう自分がわからないが、クララの言葉に心を開かれるようにゆっくりと瞼を上げた。

 視線の先にはシャツの背ボタンを外して背中を露出させているクララがいる。長い金髪を一纏めにして胸元へ流しており、雪を思わせるうなじがとても綺麗だ。

 それと、何よりも惹かれたことがある。

 クララの背中にはまるで翼のような模様が明滅していた。

 さっきのルーン・ベアのとはまた違い、天使の羽のような模様が左右にそれぞれ、肩から始まって腰の辺りにまで広がっている。


「えへへ……できちゃった」


 クララは背中をそのままに顔をこちらへ向けて微笑むと、嬉しさ全開のままで妙なことを言い出した。

 心底喜んでいるクララが、まるで産婦人科から吉報と共に出てきた大人の女性のように見えてしょうがない。見た目は中学生位なのに、早くも人生のゴールを決めたような雰囲気だ。


「これね――私のルーンなの。 私とその……結魂したから、月詠さんにも同じ模様が背中にあるはずよ」


 そしてそのまま聞き捨てならないことまでクララはさらっと言ってきた。

 ちょっと待って欲しい、確かにその模様は綺麗だと思うし、見惚れてしまったけれども。

 ――けっこんしたから。

 流れに任せて何をクララは言っているんだ。


「け、けけけっこんって……いやクララちゃん何言ってるのよ」

「普通はその……一回しちゃった程度で、できるものじゃないんだけど」

「いやいやいや! 訳がわからないよ! なんでそんなもじもじしてるの! なんでそんな恍惚とした顔してるの!」

「月詠さん、これって運命だよね? 私、勢い任せだったけど『できちゃった結魂』でも嬉しいよ?」

「『できちゃったケッコン』とか言わないで!」


 私は予想を遥かに超えた展開についていけず、理解の及ばない困難を重ねたような流れに目眩を覚え、瓶にある梅干を幾つか纏めて掴むと一気に口に放り込んだ。

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