四十三話「バスターホームラン」
ブラッドムーンの中二病スクリームが地底洞窟を響き渡ると、その影響でたくさんのモンスターを引き寄せてしまったようだ。
揺れる地面には未だにのたうつブラッドムーンがいる。
「お、のぉぉぉぉぉおれぇぇぇぇえ!!」
この子は一体、何と闘っているんだろうか。私とアテナはブラッドムーンを心底哀れむように残念な眼差しで見下ろしていた。
まあなってしまったものは仕方が無い。無駄口を叩く暇があったら行動あるのみだ。
ブラッドムーンに近寄って座り込み、彼女の肩を揺らして問いかける。
「ねぇちょっと! ブラッドムーンちゃん!? しっかりしてよ!」
「く……! よりによってこんな時に! 静まれ! 静まれ!」
「遊んでる場合じゃないってば!」
「何処だ! 何処にいる! 我が光にて裁きを下そうぞ!」
「んもう~!」
私にはブラッドムーンが戯言を叫んでいる風にしか見えない。
しかしアテナは心配そうにブラッドムーンを見つめると、剣にカンテラの火を灯してモンスターの波に向き合った。
ファイアブランドソードを両手で握り構える姿は猛敢な女勇者に見える。
「月詠さん、たぶんそれブラッドアウトだよ」
「ブラッドアウト?」
「吸血鬼が取り込んだ血を纏めて一気に失うと、意識が遠のいて残りの血が宿主の肉体に自我を戻す現象なんだ」
「つまり?」
「もうすぐブラッドムーンちゃんの自我は、かつて取り込んだ血の主に入れ替わるってこと。 少しの間だけどね」
「え? だってさっき、誰も人間を手にかけてないって……」
「つまり人間以外から血を摂取してたってことでしょ? 言葉からして彼女のお父様かも知れないよ? 創られたって言ってたし」
「お父様ってことはヴァンパイアの血なのかな」
「かもね。 いずれにせよ死にはしないから大丈夫。 むしろ急に暴れる可能性もあるから離れてた方がいいよ」
話し終わる頃には地揺れはすっかり大きくなり、スピアを杖のようにしてどうにか立ち上がるのがやっとだった。
こんな中でも当然のように立っているアテナのバランス感覚はさすがだ。私も武道に身を置くの端くれなので並ではない筈だが、アテナは伊達に日頃から自然に身を置いている訳ではない。
「でもアテナさん、ブラッドムーンちゃん背負って出口まで逃げ切るってのは無理かな?」
「厳しいね。 逃げることよりも、外にモンスターを連れ出す可能性が高いよ。」
「そっか……」
「モンスター達、すごい血相をしてるの。 まるで久方ぶりにウサギを見つけたライオンみたい」
「そ、そう」
そこはエサにまっしぐらなワンちゃんとかって例えにならなかったのだろうか。女の子の言葉としては少々女子力に欠ける気がする。
ありていに言ってかっこいい。今みたいに女子高生とロリ吸血鬼を庇いながら前に立つ姿といい、完全にイケてる勇者様だ。
「それにここのモンスターは逃げる程強いものじゃないよ。 逆に今みたいな状況なら、狭い道幅がかえって好条件なくらいよ」
そしてモンスターの波がアテナと衝突した。
地鳴りは途端に静まるが、変わりに生々しい斬撃音が次々と鳴らされる。
斬撃音とは正にその通りで、刃と鎧がぶつかる金属音ではなく刃物が肉を裂くスプラッターな音だ。
切り払われたモンスター達は次々と飛び散って大河にボチャボチャと落ちたり、ビチビチと壁や地面に落ちていく。
暗がりではっきりと見えないせいか然程グロさは無く、さながら戦闘というよりも作業といった感じである。
アテナがもし世間様で暮らしたいと言う日が来たら、私は彼女に肉屋の解体人を推すだろう。
――あぁ、なるどほど。
その光景を見て要約アテナ言っていた事が理解できた。
どれほど多くのモンスターが攻めてこようとも、道幅の狭いここならば一気に相手取る絶対数が少なくて済む。
そもそもとして空間が狭ければ戦闘に参加できるのは僅かだけだ。好条件とはそういう事か。
各個のモンスターはアテナからすれば雑魚も当然だろうし、私が邪魔にならない程度にコモウリとかを打ち落としていれば大丈夫だろう。
戦闘をこなしつつ、アテナは視線だけをこちらへ向けて話す。
「だから月詠さんは私をすり抜けた奴だけやっちゃえばいいから」
「それだけでいいの? コウモリとか大丈夫?」
「ルーンバットじゃないから超音波も打ってこないしね」
「攻撃届く?」
「向こうが噛み付こうとすれば近付いてきてくれるよ。 だから私を無視して行ったのだけお願い」
「あはは……了解」
なんかもうアテナが頼もしすぎて冒険って感じがしなくなってしまった。
これじゃアトラクションみたいで危機感が殆ど無い。そう考えるとさっきのブラッドムーンはやっぱり強かったのだろうと思う。正確には神眼の血竜が、だけど。
しかしさすがのアテナにしたって一匹すらも漏らさないとは思わないし、これはスピアの練習に良い機会かもしれない。いや、スピアはブラッドムーンが意識を戻したら使うかもしれないので壁に立てかけておこう。
ならばチョコバナナを鈍器として振り回すのもありかも。
実はさっき、ブラッドムーンの血海の中でガイコツをホームランした時、結構いけると思ったのだ。舐めてるとかふざけている訳ではない。
戦場で矢を尽くした直後、武器を持ち変える暇があるとも限らない。そうなると直ぐ得物になるのは弓本体なのだから。
「よし、いつでも来い!」
私はチョコバナナを両手で持つとバットのように構えた。
お爺ちゃんは今の私を見たらなんと言うだろうか。きっと怒られるだろう。
しかし今後これも何かの役に立つだろう。と、いうよりこれにはきちんと目的があってのことなのだ。
ルーン・ベアにアルテミスを投げた時を思い出す。
あの時、アルテミスに触れた巨躯なルーン・ベアでさえビリビリと体を震わせながら後ずさったのだ。これが並みの体格のモンスター達ならば効果はより大きいだろう。
だからもし近付いてきた敵をアルテミスで叩けば、それはスタンとノックバック付きの一撃となる訳だ。とどめの一撃とは言えないが、決定打となる可能性は多大に秘めている。
よって今の内にチョコバナナで練習をしておこうと思う。チョコバナナなら万一壊れても作り直せるし、これは世界一長い和弓くらい長いのでリーチも申し分ない。
「それじゃ、いくわよ~!」
早速アテナの頭上を通り抜けてきたコウモリがこっちへ飛び掛ってきた。
正確には私の後ろでのたうつブラッドムーンにだ。モンスターとはかくも弱ってそうな得物を狙う習性があるようである。
コウモリは降下しながら真っ直ぐに迫る。まるでホークボールのように。
私は片足を上げるとそれを振り子のようにしてタイミングを取り、チョコバナナを思いっきり振りぬいた。
――き、気持ち良い~!
すると、とても気持ちの良い抜けるような快音が響き渡り、打ち抜かれたコウモリは弧を描くように飛ばされて大河へとポチャッた。
微妙な当たりだ。セカンドゴロにすらなっていない。
私は元の世界にいた頃のバッティングセンターを思い出し、ヒットした時の懐かしい感覚に胸が踊っていた。
聞きなれない快音にアテナが振り向く。
「月詠さん? 今のは?」
「んー、ファールね」
「は、はぁ……」
「次はホームランよ」
とぼけた顔で返事をするアテナだが、顔は戻さすぞもきちんとモンスターを倒している。
モンスターはファイアブランドソードで切りつけられる度に発火し、断末魔を上げながら倒れていく。
「ぬぁぁぁぁぁあああ!!」
そして心地の良い余韻から覚ますように、またもブラッドムーンの叫びが地底洞窟に響く。
ブラッドムーンの恐るべき中二病を微妙な眼差しで見守りながら、私は木製バットたるチョコバナナを再度構える。
そして前で戦うアテナを見据え、今か今かとホームランの機会を待っていた。
「クックック……」
どうやら耳に入る言葉からして、ブラッドムーンの意識が徐々に戻りつつあるようである。
だが、私の目先では天井に張り付いていたスライムがブラッドムーンを狙って飛び出したところだ。
今はブラッドムーンの為にもスライムをホームランすべきだろう。
私は一際強くチョコバナナを握り片足を振り子のようにして、下からすくい上げるように振り始める。
気分は最早、日本発のメジャーリーガーにして野球界のレジェンド、神一郎になった気分だ。
「そなたが私を呼んだのか? ならば――」
脇から中二病のセリフが聞こえる。ブラッドムーンには悪いが、今だけは彼女に寄り添うよりも露払いを優先しよう。
しかし私のフルスイングする範囲に入ってきたのはスライムだけでなかった。
そこには――ストライクゾーンには、いつの間にかドヤ顔で眼帯に左手を添えているブラッドムーンが入っていた。
――だめ~! そんな急に止まらない~!
全力で振り抜いたチョコバナナはブラッドムーンのお尻を思い切り叩き、そのまま彼女はスライムと一緒にすくい上げる様に叩き飛ばされた。
それはアテナと闘うモンスターの波を越えて、見事にホームランとなった。
やがて視界から薄れてゆくブラッドムーンだが、その口からは止まらない中二病言葉が放たれている。
「わらわと共にふんぎゃぁぁぁあ!」
ブラッドムーンは中二病を全うすることなく遥か向こうまで飛ばされてしまった。飛ばした犯人は私なのだが。
洞窟に悲鳴が響くとアテナと群れるモンスターは戦闘を中断してピタッと手を止め、飛ばされたブラッドムーンとスライムの方を眺めている。
しばらく沈黙が続いていたが、アテナが口を大きく開けてこっちを振り返る。
アテナには珍しく(゜Д゜;)な感じの焦った顔をしていた。
「月詠さん、え?」
「え?」
互いに視線がぶつかると双方言葉に困っている様子だった。
モンスター達でさえ何が起きたのか理解できずに手を止めてしまっている。いやきっと驚いているのだろう。
敵の壁を越えて中枢に入り込んだ仲間が、まさかあんな末路を辿ってしまえば無理もない。敵ながらその心情は推し量れるというもの。
途端、敵は踵を返すように反対側へ逃走して行く。
「あれ? アテナさん、モンスター達もしかして逃げた?」
意外な顛末だが、そんなに悪くない結果なのではないだろうか。ブラッドムーンには申し訳ないので後できちんと謝罪をしよう。
ん? いや、そもそもそのブラッドムーンが遥か向こうにいるのだ。これはまずいんじゃないだろうか。
「逃げたかも知れないし、ブラッドムーンちゃんを狙いにいったかもしれないし……」
「ど、どどどどどうしよう! ご、ごめんなさい!」
こうなると平謝りするしかなかった。
アテナは心底面倒臭そうな顔をしている。
('A`)な顔つきで、いかにも溜め息を我慢している風だ。
そりゃそうだ。さっきまでは楽勝ムードだったのに、ホームランだと思った私の一撃が勝機をバスターしたようなものだ。
「はぁ、まあ月詠さんも悪気があった訳じゃないだろうから……」
「すみません」
「せっかく鴨がネギを背負ってきたのに、せっかくの戦利品達が逃げちゃったよ。 当面は生活費が大丈夫だと思ったのに」
「え? そこ?」
「ん? 他に何が?」
「いやほら、ブラッドムーンちゃんが心配とか、そういう風な内容かと」
「それは大丈夫だよ。 ブラッドムーンちゃんが何処まで飛ばされたか知らないけど、要はあのモンスターの群れを倒せば良いんだし」
「……はい?」
「ブラッドムーンちゃんは吸血鬼だから大袈裟な事になってないだろうけど、痛かったろうから後でちゃんと謝っときなよ」
アテナは仲間の軽い凡ミスをフォローするように気軽に話し続けていた。
自分では結構なミスだと思っていたのだが、どうやらアテナにとってはそうでもないらしい。
しかし、こんなんではアテナの足を引っ張るだけだ。私は自分でも知らず知らずに彼女に甘え、腑抜けてしまったのだろう。アマゾネス長で優れた彼女だから何とかなりそうだが、それに甘えるだけではいけない。
ましてや今回の件は完全に私のミス、それも普通に考えれば取り返しのつかないレベルのミスだ。
「アテナさん、このミスは私に多大な責任があるわ! 私にできる事があれば、何でも言って!」
強い眼差しでアテナを見ると、彼女は待ってましたとばかりにくすりと微笑んで私を見ている。
するとアテナは壁にかけたスピアを手に取り、またもファイアブランドスピアへと換装した。
矛先のナイフを鞘に収めてローブの中にしまうと背負っていた荷物を降ろす。
「それじゃお願いしようかな。 月詠さん、こうなってしまった以上、あれしか手段はないわ」
「あれ?」
「フォーリングスター・神風アタックよ」
アテナは私の肩に手を置いて首を左右に振りながら語った。
その様子はまるで使いたくない切り札を示唆しているが、話す内容とはそぐわずに彼女の目の色はとても爛々と輝いていた。




