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四十話「全て遠き理想胸」

 昼下がりの教会、食堂にてティータイムを嗜む乙女と女医の姿があった。

 シスター長であるクララ――クラティアと、それからセイラ・ナイチンゲールだ。


「クララ君、パンケーキの味はどうだった?」

「美味しいですよ! セイラさんが作るのはふわふわだし、フルーツジャムも作り立てのホカホカで、胃が弱い私でもあっと言う間に食べれちゃいます!」

「それは良かった。 これでも一応看護師だからね。 病人食は当然として、病人向けのおやつも覚えたんだよ」

「どうもごちそうさまです」

「それじゃ食後のホットティを持って来るからちょっと待っててね」


 ナイチンゲールがトレイを持って台所に消えると、クラティアは唇に付いたジャムを指にとってペロリと舐める。

 見た目と仕草だけは無邪気な少女のクラティアだが、実は彼女は二つほど深刻な悩みを抱えていた。

 まず一つは、魂約者である天乃神月詠のことである。




   ☆   ☆   ☆




 春の月夜が輝く晩、クラティアはかねてからの念願であった魂約者を今日こそ呼び出そうと一人森の中へ向かった。

 これまでにも夜な夜な一人で森へ出かけることはあったので、守衛のアマゾネス二人組みは特に気にする様子も無く通してくれた。

 名目は決まって夜のお茶会で食べるフルーツ集めである。菜園や台所のフルーツを使うとエリス様に怒られるので、この夜間収集は乙女達の間では暗黙の了解なのだ。

 夜の森は殆どの動物達が眠りについているのでとても静かだ。響くのはフクロウの鳴き声と、微風に木の葉が揺らされる音くらいのもの。

 この夜、クラティアは万全を期すためにアルテミスを包んでわざわざ持って来た。

 というのも、クラティアはひょんなことからこの神器アルテミスを受け継いだのだが、努力するも空しく使いこなせずに困っていたのだ。

 かといっても神器は気難しいので、そうそう簡単に人様にも託せない。そこで今回の召喚でアルテミスを持参すれば、その目に叶う猛者が引き寄せられ召喚されるのではないかと思い至ったのだ。

 もちろんそんなことは希望的観測であり、気休めに過ぎないのだが。

 クラティアが森の中を歩き続けると泉で憩う小鹿を見つけた。野生の動物が休んでるなら、きっとここは安全だろう。彼女はそう思い、今夜はここで召喚することに決めた。

 

「月女神に魅入られし彼方地の者よ、我が魂の呼びかけに――」


 アルテミスを傍らに召喚呪文を唱え始めると、早くもクラティアは背中のルーンが熱を帯びるのを感じた。

 自分の中に蓄積された魔力がみるみる消費され、これまでの召喚とは違い異界から大物を招いているのがすぐに理解できた。

 これは期待できる。と、胸の高鳴りを覚えながらも辺りの警戒を怠らないよう冷静に詠唱を続けた。

 クラティアは自分が召喚士であることを隠してはいないが、万が一にも森がざわつけばエリス様に気付かれてしまうだろう。

 それだけは避けねばならない、なぜならばクラティアは――


「――応じるのならば、黄金の力と我が御心と共に……っ!」


 病弱なのだ。

 その詠唱は目眩めまいにより完唱することなく終えてしまった。クラティアは生まれつき心臓に疾患を抱えているのだ。

 皆に余計な心配はかけたくないので、クラティアは教会には申告していなかったのだ。元々貧血持ちだとだけ伝え、毎年の健康診断は風邪と言えばそれで免れられた。

 当然ナイチンゲールは微妙な顔をしていたが、訳ありが集う教会でまさか国や都に行けとは言えなかったのである。

 残念ながらクラティアの詠唱は中断されたが、背中のルーンをなぞる様に熱さが迸るとクラティアは確かな手応えを感じたのだった。

 すぐさまクラティアはシスター服の紐とボタンを解いて上背を露出させると、背後のルーンは仄かに光り輝いていた。

 最後の一言こそ唱え損ねてしまったが、既に相手は空間を越えてこちらの世界に来ていることが判明したのである。

 嬉しさに安心、それから目眩と膨大な魔力消費が重なりその場にへたり込んでしまったが、耳に早くも何者かの足音が聞こえてきたのに気付き、クラティアの胸は一気に高鳴る。

 このタイミング、間違いなく自分が異世界より召喚した者なのだと思わずにいられなかった。

 胸に手を当てて呼吸を整えながら辺りをキョロキョロ見回すと、人影が近付いてくるのが見える。

 しかし相手は異界の者、どんな顔をすれば良いのだろうか。そもそもどんな言葉を話すのだろうか。今まで勉強した世界の言葉とは限らない。

 不安要素が浮かび上がると途端に高鳴りは緊張に変わる。クラティアはどうすれば良いのかわからず、またもその場に座り込んでしまう。

 やがて小鹿が泉の水を飲み始めたので、その間だけは邪魔をしないようにと身を潜ませていたが――なんとも間抜けな音が聞こえた。


「あっ……」


 隙間から覗き見ると、声を漏らした魂約者はどうやら木の枝を踏んでしまったようである。気の毒にも驚いた小鹿はその場から一目散に去って行った。が、そんなことはクラティアにとって最早どうでも良かった。

 クラティアは自分が呼び出した相手を見るなり、歳の近い女の子だという事実に歓喜していたのだ。


 ――きましたわ~!!


 クラティアは嬉しさのあまり、その場に倒れ込むと己が身体を抱きながらのたうちまわった。

 相手の子は漆黒の綺麗な長髪を微風になびかせなせ、落ち着いた表情はとても凛然としていた。

 月光を受ける髪は三日月状のキューティクルを成し、手足は木々の枝みたいに細長いが根が生えたように足が地に付いている。

 クラティアは歳が近いであろう彼女に、しなやかさと逞しさを兼ね備える熟達した武人みたいな雰囲気を感じていた。


 ――たまりませんわ~!!


 クラティアは両手の平を頬に添えると、つぶらな瞳をとろんとさせて夢にいるような錯覚に陥った。

 相手の純真そうな外見とはそぐわない佇まいに、クラティアはアルテミスが彼女を呼び寄せたのではないかと運命を感じずにはいられなかった。

 だがそのまま見守り続ていけると、彼女がしゃがみ込んで水を飲み始めたのだが、長い髪を片側に纏めてうなじを晒す後ろ姿がなんとも艶っぽかった。

 取り付かれたように魅入っていたが、やがてクラティアはハッとしたように我を戻し、アルテミスを持つとゆっくりとした足取りで立ち上がり、彼女に近付いて行った。

 そしてクラティアは彼女と対面を果たし、そのまま流れでプロポーズをすると一気に結魂まで持って行ったのだった。




   ☆   ☆   ☆




 クラティアは月詠に自らの過去を明かしていない。それが彼女の悩みの一つである。

 より厳密に言うのならば、クラティアは孤児なので自分の出生を知らない。よって月詠に話しようがないのだ。

 もちろん出生を知らないからといって、記憶が無い訳ではない。ただ覚えている範囲の記憶はお世辞にも良い思い出とは言えないのである。

 それでも月詠に言うべきなのか。しかしそれでは余計な気遣いをさせてしまうだけではないか。と、クラティアは今も悩んでいる。


「クララさん、ちょっと良いかしら?」


 ヴィヴィアンがクラティアの元にやってきた。実は彼女こそがクラティア二つ目の悩みの種である。

 いや、彼女も悩みの種の一つと記した方が的確だろうか。

 自分の隣にヴィヴィアンが座ると、クラティアは意図的に彼女から視線を逸らす。

 ヴィヴィアンの用件はシスター長の引継ぎの件だった。

 しばらく業務の話を続けていると、新たな客人が食堂に訪れた。


「すみません。 この子にミルクか何かいただけませんか?」


 食堂に入ってきたのはサイサリスだった。彼女が胸元に抱えているのは可愛い子猫で、ニャーニャーと甘えるように鳴いている。

 この場にいるのはクラティアとヴィヴィアンだけなので、サイサリスが彼女達の元へ駆け寄ったのはごく自然の成り行きだった。

 だが残念なことに、サイサリスもクラティアの悩みの種の一つなのだ。

 やがてサイサリスがクラティアの隣に座ると、やはりクラティアは意図的に彼女からも視線を逸らした。

 こうしてクラティアは二つの悩みの種に挟まれることとなる。


「みんなの分も持ってきたよ。 子猫ちゃんのミルクもね」


 しばらく談笑していると、台所の奥からナイチンゲールがトレイに人数分のティーを淹れて持って来た。

 それぞれの前にカップを置くと、子猫は小皿へまっしぐらに駆け寄ってミルクを舐め始める。

 三人が座る向かい側のイスにナイチンゲールが腰を下ろすと、ヴィヴィアンとサイサリスは揃って「いただきます」とティを飲み始めた。

 されどもクラティアだけはカップを手にするのを躊躇っていた。


「クララさん? いただかないの?」

「クラティア・シスター長? 体調がよろしくないのですか?」


 両サイドから疑問の目線が注がれるクラティアをただ一人、同情するようにナイチンゲールは眺めていた。

 クラティアは覚悟を決めたように息を飲むと、両側にいる二人の乙女を交互に見る。


 ――でかい……。ふたりともでかすぎるわ。


 両手でカップを持っているだけで、ヴィヴィアンとサイサリスの恵まれた谷間は顕現していた。

 覚悟を決めたはずのクラティアだが既に絶望の淵に立っていた。

 クラティアの二つ目の悩みとは――自分のフルフラットすぎる断崖絶壁な胸のことである。

 目の前には幼き日よりクラティアが夢に見ただろう理想胸があった。ただそれが自分のではないのが彼女には耐え難い現実だった。

 クラティアは両手を震わせながらカップを掴む。が、その空間には何も無い。カップと胸の間には今日も冷たい風が吹く。

 あまりの辛さにクラティアの心はすっかり虚ろに捕らわれてしまった。


「ちょっとクララさん? どうしたの?」

「夢を……見ていました」

「ゆ、夢……だとっ!? クララ君、大丈夫か!?」

「はい……遠い夢です」

「シスター長、夢は寝てみるものですよ! 私がベッドまで抱っこします! こう見えても私、アマゾネスなんですから!」


 クラティアはそんなの冗談ではないと思っていた。

 自分より三つも年下の女の子が自分より遥かに大きい谷間を作り、そこに自分の体がぶつかってしまえば、きっと自分は殺意が目覚めた覇道を突き進むこと間違いなしだろうとわかっていた。

 ではおんぶはどうか? もっとダメだ。そんな相手の背中に自らの戦闘力を晒してしまうような真似、クラティアにはできなかった。むしろ戦闘力を感じ取ってくれるのかさえ疑問だった。

 強く首を振って拒んだクラティアを、両脇の乙女は豊かな谷間をチラつかせながら心底心配そうに見つめていた。

 そんな二人を心底恨めしそうにクラティアは視線を逸らしていた。


「二人共ありがとう。 神様ってば、ほんと残酷よね……」


 本音が心から零れると、本人の意図とはまったくの無関係な意味で食堂は沈黙に包まれる。

 せめて自分にそれなりで良いから胸があればと、クラティアは遠くにいる結魂相手の存在を強く想っていた。

 クラティアは知っている。

 結魂相手の月詠も、ヴィヴィアンとサイサリスには及ばないが細身の割に中々裕福なのを知っている。

 あれは初めて出会った夜のことだ。月詠の胸に倒れ込んだクラティアは、彼女が意外と発育していたので着痩せするタイプなのだと気付き、しばらく体が固まってしまったのを今でも覚えている。

 あれはあれで残酷だ。目に見えてわかり易いヴィヴィアンとサイサリスの方がある意味良心的とも言える。見ただけでラスボスとわかれば諦めも付くが、仲間と思わせといてその実は伏兵の類でした。とか残酷な教示他ならない。

 だからクラティアが結魂相手とは別に、自らの願望を発散させる仲間を欲するのは自然なことなのだった。


 ――せめて私みたいな発育に乏しい友達が欲しいよ~!


 クラティアの悩みは終わらない。いつか彼女の悩みが心底から理解される日が来るのだろうか?

 答えは神のみぞ知る。

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