四話「破邪一閃」
喜んでいたのも束の間、クマが気絶している内に私達は速やかに帰り支度を始める。
泉の水面はすっかり落ち着いて満月を真ん丸に映し、火照った体に吹かれる微風はとても気持ち良い。
本当はすぐにでも両親や公共機関へと連絡を試みたいのだが、自室にスマホを置いてきてしまったのを悔やむばかりだ。
ふと手にしているアルテミスを眺めると、変わらずにきらきらと粒子を降らしている。
こんな弓が存在していたなんて実に驚かされる。原理も素材もわからないが、何よりもさっき放った綺麗な一閃が忘れられない。
家に帰って警察と連絡がつけばクララとはお別れだろうから、今の内に詳しく聞いておこう。
空いた手で紙袋を拾いながらクララに聞いてみる。
「ねぇ、このアルテミスなんだけど」
「アルテミスならあげる」
「……え?」
満面の笑みでクララが即答した。
どういうことだろうか、さっきまでは触ることすら拒んでたのに。
意外な返事で力が抜けてしまい持ち上げた紙袋を落とてしまう。
ぽかんとした表情でクララを見続けると、アルテミスを包んでいた布をパタパタとはたきながら鼻唄を歌っておりとてもご機嫌だ。
しかしくれるとは言ってもさすがに気が引ける。
「悪いから受け取れないよ」
「気にしないで月詠さん。 アルテミスは自分で持ち主を選ぶんだよ?」
「……はい?」
それはつまり使い手と道具の相性的なことだろうか。ならば確かにわからなくもない。私みたいに幼少から弓に触れているならまだしもクララはシスターだし、ましてや外国人だ。
日本では馴染み深い和弓だが、実はその長さは最長で二メートルを越えて世界最大級を誇る。ボーガンやアーチェリーよりもずっと長くてあまり馴染みの無い外国人では厳しいだろう。ましてやクララは体格に恵まれているとは言えない。
だから和弓と同じくらいのサイズをしているこのアルテミスに手を焼くのは仕方の無いこと。
「でもクララちゃん」
「なーに?」
「確かに最初は大変だけど、頑張れば使いこなせるようになるって! こんなに素敵な弓なんだから勿体無いよ!」
昔から弓道や弓関連のこととなるとついつい熱くなってしまう。
両手でアルテミスを強く握り締めながらクララの顔へ詰め寄ると、今度はクララがぽかんとした顔になって布をはたく手を止めた。
「んーとそういうんじゃなくて……その、アルテミスは言葉の通りに『自分で持ち主を選ぶ』んだよ?」
この子は一体何を言っているのだろうか。まさか本当に神話における伝説の武器だとか言い出すんだろうか。
私からの訝しむような眼差しを受けたクララは「ちょっと待ってね」と言うと、ぱぱっと布をはたいてそれをショールみたいに肩にかけた。
すると今度は片手の人差し指を立てて得意げな口調で説明し始める。つぶらな瞳を輝かせる真剣な表情が可愛い。
「説明するとね、さっきルーン・ベアにアルテミスを投げたら凄い音がしたでしょ?」
「う……うん」
「月詠さん? どうしたの?」
「その、あの時は夢中だったからつい……投げちゃってごめんなさい」
「いいからいいから。 結果オーライだから気にしないで」
「どういうこと?」
「つまりね、クマは選ばれざる者だから嫌われてたの。 だから始めは月詠さんが触れるのも危ないかなーって、でも実際は嫌われてなかったね!」
「え……あれってそういう理由だったの?」
「そうよ! むしろ月詠さんはアルテミスを投げ飛ばした挙句にその力まで引き出しちゃったからね! 選ばれたどころか愛されちゃってるよこれ!」
「引き出したって……アルテミスの力を?」
「あの『破邪一閃!』って叫んだ時だよ! あれ超綺麗! 流れ星みたいにキラーン☆って輝いて超綺麗! しかも超素敵! 当たった後に星が砕けたみたいにキラキラ~☆って光が舞うのが、儚げっていうかこう、とにかく超素敵!」
「そ……そっか。 確かに綺麗だったね。 その……はじゃ……いっせん……」
「『破邪一閃』凄かったよ~! また『破邪一閃』見たいな~! まったくあんまり綺麗だから『破邪一閃』にときめいちゃったよ!」
私は恥ずかしさのあまりにすっかり目を泳がせていた。耳のさきまで真っ赤なのが自分でもわかる。
つい勢いで口から出てしまったとは言え、なんで私は『破邪一閃!』なんて大声で叫んでしまったのか。今思うと顔から火が出そうだ。
無邪気に褒めちぎるクララに話を濁すつもりはないのだろうが、結局アルテミスがなんなのか肝心要がわからない。だがこのまま褒め続けられると悶え死にするのは確実。自分で言っといてあれだが破邪一閃の殺傷力は恐ろしい。
とりあえずはこの空気をなんとかしようと思い、紙袋を拾って歩き出すと半ば強引に破邪一閃の話題を終わらせる。
「そろそろ行こうか? ほら、クマが気付いちゃうし」
「それもそうか。 で、月詠さん先歩くのは良いんだけど」
「だけど?」
「道わかるの?」
気まずそうに尋ねるクララ。
ここは私にとって庭のようなものだ。さっきまではそう思ってたけども今となればもう何もわからない。
歳上としては頼りないかもしれないけど、だからこそここで私が弱気な態度になる訳にはいかないんだ。
根拠の無い自信で強気を装いながら微笑むと、見透かしたように急に表情が曇り始めるクララ。
「クララちゃんそう落ち込まないで。 とりあえずは来た道を戻ってみようよ」
「そうだよね? わからないよね?」
「わからないけど、どこかしらに出るはずだし。 まずは歩こうよ」
「……大事なこと話してなくてごめんなさい!」
そう言うと腰を曲げて頭を下げるクララ。落ち込みながらもはっきりとした言葉で謝罪を述べる姿勢からは誠意が伝わる。
だから余計に、クララが何で謝っているのかが理解できない。
大事なこととは言うが、クララとは出会って早々に女の子同士でしちゃうし、その後に追いかけてきたクマを退治したと思えば、アルテミスの説明は脱線する始末。
苦笑いを浮かべ訝しむ目で見ると、ほんのりと涙腺を緩ませるクララにちょっと焦る。すっかり喜怒哀楽の激しいイメージが定着してしまった。
「本当にごめんなさい!」
「え? 何? 何々? 何なの一体?」
「クマがいるので歩きながら説明するから。 私の後について来て」
「え? なんで? とりあえず私の家に行くんだよ? クララちゃん私の家知ってるの?」
「無理なの」
「うん?」
「月詠さんは家に帰れないわ」
「なんで?」
「信じられないと思うけど、私の『召喚魔法』によってこの世界に招かれたからよ」
そんなことを言われた私はまたも紙袋を落としてしまった。クララは「持ちますね」と申し訳無さそうに苦笑いを浮かべると、それを両手で持ち上げてそのまま歩き出した。
――ほんの一瞬だけ呆気に取られるも、不思議と惹かれてしまった。何故かクララとその言葉に疑念や如何わしさは覚えず、変わりに抱いたのは胸が躍るような高揚感。
もちろんクララの言葉通りに不思議な世界に招かれたなんてちょっと信じられないけど、この手にあるアルテミスがその存在で以って何かを物語っている気がする。
何もどこぞの小国家に囚われて人質になった訳でもない。こうなった以上、少しは楽しむのも一興かも知れない。
クララに追いつき横顔を見ると、まるで呪文でも唱えるように小難しい顔でぶつぶつ唸っている。断片的に聞かれる言葉からするに、どうやらどこから切り出したら良いのか迷っているようだ。
調度良い機会だ。ちょっと前からもの凄く気になっていたことがあるしこっちから聞いてみよう。
「ねえクララちゃん。 ちょっと良いかな?」
「な~に?」
「いつの間にかまったく噛まないで話しているけど、何で? 最初の自己紹介の時と全然違うよ?」