三十七話「血染めの月」
アテナを追いかけて狭い通路を抜けると、言われていた通りに大広間に出た。
カンテラを持つアテナの近辺だけが、ぼんやりとした明かりで照らされて赤々と見える。
作戦通りにロングスピアで以って囮をするアテナには近寄らず、私は距離を置いてチョコバナナを構えると好機を待つ。
しかしルーン・バットなるボスモンスターは何処にも見当たらない。それどころかコウモリの一匹すらも見当たらないのはどういうことか。
アテナを遠くから見ていると、彼女は何処からか持ち出した毛皮(たぶん、さっきの食い散らかしから拾ったのだろう)にカンテラの火を付けた。
燃え盛るそれをロングスピアの先端で刺し、下から抉り上げるような素振りをすると、矛先から赤々とした火の玉が高くまで飛ばされ、それが天井付近まで昇ると辺りが照らし出される。
見上げた天井には――視界いっぱいにコウモリがぶら下がっており、ホラー映画のような光景に背筋が凍り付いて思わず顔が引き攣ってしまう。
やがて火の玉が落下して地面を叩くと同時に、アテナがロングスピアの柄端で足元を数度鳴らすと――
「ほら、お目覚めの時間よ。 そのまま寝てるなら遠慮無く素通りさせてもらうけど?」
すると――アテナのモーニングコールが届いたのか、コウモリ達は一斉に目覚めると翼を羽ばたかせながら纏めてアテナ目掛けて飛び掛って行く。
ほんの刹那の間に、アテナはこちらを向いて安心するようにとウインクで伝えた。
自信に満ちた女勇者の表情に安堵し、私は一先ず胸を撫で下ろす。
しかし囮役とはいえ、挑発までする必要があるのだろうか。私的には黙ってやり過ごせるに越したことはないと思うのだが。
そのまま見守っていると瞬く間にアテナはコウモリの群れに囲まれて、カンテラの明かりも纏めて黒き闇の中に閉ざされてしまった。
事態の中心部から、コウモリと思しき甲高い鳴き声が重なって聞こえてくる。
次の瞬間――空気が破裂するような爽快音が聞こえるとボタボタと闇が剥がれ落ち、そこにはアテナが堂々と佇んでいた。ロングスピアを掲げる彼女の立ち姿と先程のインパクト音からして、恐らく一振りだけで群がるコウモリを全て叩き落したのだろう。
現にアテナの足元にはたくさんのコウモリが撃墜されて息絶えている。
「ルーン・バットだかボス・バットだから知らないけどさ、まさかもう終わりな訳? ちょっと拍子抜けなんだけど……」
アテナが顔をキョロキョロさせていると、幾許かの間を置いてから彼女のアンコールを読み取ったかのように、どこからともなく洞窟が吼えた。
するとそこかしこにあるだろう穴という穴からたくさんのコウモリが入り、それら全てが空高くの一箇所に集まり始める。
バサバサと羽ばたく音と、キーキーとした鳴き声が幾重にも重なり織り交ざると、やがて大きな黒いタマゴみたいな球体となった。そしてそれがうねりのたうち震えると、赤い亀裂線がヒビのように入る。
――間違いない。あそこからボスが出てくる!
緊張が走り、無意識にチョコバナナを握る手に力が入る。
ゴクリとツバを飲んでノドを鳴らし、登場するボスに備えていると――
「それっ!」
アテナが一際気合を入れて叫んだので、思わず彼女を見てみると、なんと彼女は空に浮かぶ黒きタマゴに向けてロングスピアを投擲していたのだ。
テレビなんかでも変身シーンを邪魔する悪役は見たことあるが、まさか逆に味方がそれをするとは思わなかった。
投げられた槍は見事に黒きタマゴを貫通して「ふんぎゃっ!」と妙に間の抜けた悲鳴みたいのが聞かれ、私は思わず吹き出しそうになってしまう。
やがてタマゴを覆う黒い殻はメッキのようにパラパラと剥がれ落ち、その中身は黄身というより満月に近いモンスターが現れた。それは真っ赤な絹のような繊維を幾重にも重ねて纏い不規則に蠢いていているが、しかし何故か不思議と嫌悪感は抱かずに、むしろ何処か美しいとさえ思っている私がいる。
見惚れているとロングスピアは抜け落ちて地面に突き刺さり、その刃渡りには多量の血液が付着しているのが見えた。
アテナがロングスピアに近付くと、私を見つめて口パクに手仕草で説明してきた。
(気を付けて、あれどう見てもルーン・バットじゃないよ)
(え? それじゃ一体あれは何なの?)
(……さあ?)
(リスクを冒す必要も無いし、今の内に逃げる?)
(いや、帰り道もここを通りたいから手筈通りで。 少し様子を見て逃げるか狩るかはそれから考えよう。 援護射的期待してるからね!)
(了解!)
どうやらタマゴの中身はアテナも知らないようで、彼女は両手の平をハの字に広げて首を傾げるとロングスピアを引き抜く。
そして足元にカンテラを置き、素振りをして刃から血を落とした後に、次いでそのまま矛先をカンテラの火元に近付けると――
ロングスピアの矛先は着火して燃え盛り、拒火を宿すファイアブランド・スピアとなった。
両手で掴むアテナの表情はいつに無く真剣で、超本気モードなのが見て取れる。つまり、これは緊急警戒体勢ということである。
あんな得体の知れないダークファンタジー全開の物体が出てくれば、誰だって焦るだろう。さっきはちょっと気が抜けてしまいそうになったが、それでもあのアテナが警戒しているとなれば気を引き締めねばなるまい。
チョコバナナを強く握り直して視線を上げると血に染まったような満月が浮かんでおり、ぱくりと横に割れるように目蓋が上がると金色の眼があった。
まるで邪眼ならぬ朱眼のようなモンスターだ。それはアテナと私を交互に睨みつけると――
「クックック……わらわは数多の亡者達の終着点、血染めの月、ブラッドムーンなり。 これより血の涙により汝らを血の海へと誘わせてくれる」
不気味な声が洞窟全体に響く。
やがて真紅の瞼が降りて金色の瞳を隠すと、大きな真紅の雫が一粒だけポタリと滴り落ちた。
それは地面に着地するより早く、空中で蒸発すると霧のようになり辺り一帯を包み込む。
「クックック……初めに『第一固有血海、血環の理』に導かれるがいい!!」




