三十三話「初陣」
装具に括りつけられた革鞄から矢筒を出して背負い込む。
揺れる馬体には慣れているのでバランスを取り、筒から矢を一本取り出してチョコバナナに添えて弦を引く。が、放てない。
動く狼一匹に狙いを定めるが手が震えてしまう。
ルーン・ベアの時は余裕もまるで無かったし、今はあの時ほど危機感もない。
「月詠さん、何をしているの? 何かあった?」
アテナが焦燥に駆られた声を出すが、それでも私は矢を放つことができなった。
理由なんて知れている。私が狼を殺したくないからだ。
「無理です! 殺したくありません!」
物語とかではありがちな展開だろう。
虫も殺せない優しすぎる主人公が、大切な人を守るために已む無く武器を手に取る。今こうして自分の番が来ると、その葛藤の苦しさにようやく気付かされる。
されども狼達は徐々にこちらへ詰め寄り、次第に射程距離へと私達を捉え始める。
「う~ん、月詠さんもその口か……。 アマゾネスの訓練はしてなかったもんね」
「ご、ごめんなさい」
私が煮えきらずに躊躇っていると、一匹の狼が予備動作もなくいきなりアテナ目掛けて飛び掛ってくる。
が、アテナはまるでこうなるのを予測していたかのように、表情も変えずにその狼を切り捨てた。一体いつの間に抜刀したというのか。
切られた狼は負け犬のような弱々しい鳴き声と共に視界から消えていった。
アテナの片手には剣、刃渡りには赤黒い狼の血が付いており、空気を切るように素振りをすると綺麗な銀刃に戻る。
そして何事も無かったかのように、剣を腰脇の鞘に収めた。
「でも弓の腕は確かなんでしょ?」
「え……えぇ。 そこは自信あります」
狩人の達人を思わせる腕前に、私は少々呆気に取られていた。
しかし、それでもなお他の狼達は私達を追いかけてくる。残りは九匹。
いくらアテナが狩りの名手だろうとも、まさかこのまま何もしない訳にはいかないだろう。
それに数匹が同時に襲い掛かれば、さすがのアテナもどうなるかわからない。
自分に何かできることはないかと考えていると、一つの案が思いつく。
「あっ! そうだ!」
「何? 名案でも浮かんだ?」
「はい! 確かに命を奪うのは嫌ですけど、ようは足を止めれば良いんですよね?」
「そうだけど……何かあるの?」
「頭と胸を避けて狙います」
私がアテナに提案をすると、彼女は驚いた顔でこっちを向いた。
「え、本気で言ってるの? 一匹だけじゃないんだから、それって命を奪うことより難しいよ?」
「大丈夫です! それに気持ち的にその方が楽ですから」
「君は噂に違わぬ大物だね。 まあ、何にせよ退治してくれるならそれでも良いけど、具体的に策は?」
「はい、ええとですね――」
策を耳元で伝えるとそれを聞いたアテナは「それでいこう!」と頷き、にわかだけ体勢を整えると強く手綱を握り直した。
途端に急加速する馬体、それを追いかける狼達。
前方の視界がめくれるように流れ、木々の群れが左右に割れるような錯覚を覚える。
「さあ月詠さん、どちらが真の狩人か、狼達に教えてあげよう!」
そうと決まれば話は早い。私は早速、被っているヴェールを取って視野を確保した。
見れば徐々に狼達がこちらに近寄ってくる。微妙に位置をずらして陣形を整えている節が見られるので、きっと数匹で纏めて飛び掛るつもりかもしれない。
チョコバナナに矢を構えて左右後方に警戒心を張り巡らせる。
こういう手合いの場面では、先に無駄な動きをした方が負けてしまうものだ。
この場で言えば、私が適当な狼一匹に向けて矢を放った場合、その瞬間に隙が生まれて他の狼達が私達に食いつくだろう。
かといって数匹がかりで飛び掛ってきた場合も、一匹だけ打ち落としても結果は同じ。
頭の中で何度もシュミレートを繰り返していると、やがて狼の方が痺れを切らして左右にいる六匹が私達めがけて飛び掛ってきた。
「左側落とします!」
「了解!」
私は左側から飛び掛ってきている四匹の内、もっとも肉薄している一匹の腹部に目掛けて矢を放つ。
すると――射抜かれた狼はその反動で後方へと飛ばされ弱々しい鳴き声を出す。そしてそのまま後の三匹を巻き込みながら地べたに落下し、四匹はボーリングのピンみたいに地面を転がって視界から消えた。
同時に右側からも負け犬のような鳴き声が聞かれ、見ると二匹の狼が左側同様に地面を転がっている。
さすがアマゾネスのリーダー、アテナはボーリグスラッシュ(そんな技名はないだろうが)を見事にやってのけていた。
仲間の半数以上を失った狼の群れはやがて徐々に失速し、残りは背後から追いかけてくる三匹のみ。さっきのアタックで攻めて来ないのを考えると、狼の駆け足は今の速度が限界なのだろう。
私が三匹に向けて威嚇射的を放つと地面に刺さり、それを境にするように狼の群れは追って来なくなった。
無事逃げ切ることに成功し、ふぅ~と一息吐いて構えを解く。
「よし! これにて一件落着!」
「プッ……一件落着って、月詠さんまるで古風な騎士みたい」
「うっ……。 あはははは……」
確かに時代劇の締めみたいなセリフだ。
緊張から解放された私は、体を前に倒してアテナにもたれる。片手を彼女の脇に添えて、頬を肩に置かせてもらった。
「お疲れ様。 そのまま休んでて良いよ」
アテナもこう言っていることだし甘えさせてもらおう。
互いに少々汗ばんではいるけど、そこは同じ女の子同士なので気にしない。
そのままだらけていると、汗で湿ったシスター服と体が風に吹かれて気持ち良い。
自分でも思っていたより神経をすり減らしていたらしく、目を閉じていると眠気に誘われるまま白昼夢に溶けていった。




