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三十二話「森の狩人」

「確かにそのようなことがお爺ちゃんの日記に書いてありました。 私のお爺ちゃんは、異世界に来て程無くゼーレさん……アテナさんのお父さんと契約に至ったようです」

「そうらしいね。 あれからからちょうど十年か、そういえば私は朧さんにはよくして貰ったよ」


 過去を遡るようにゆっくりとした言葉でアテナは話す。

 森の中は変わらずに静かで、馬の蹄が地面を踏みつけるたびに軽やかな音が聞こえるばかり。

 時折だけ聞こえる小鳥の囀りや風に揺れる草木が、霧の中に春の風流を届ける。


「私は色々と武具の扱いが得意だけどね、射手技術は朧さんから教わったんだ」

「お爺ちゃん……スパルタでした?」

「うん。 超が付く熱血鬼コーチだった。 普段は優しい人なんだけど、練習と礼儀作法には滅法厳しかったよ」


 そうは言うけど、アテナの笑顔からするに今となっては良い思い出のようだ。

 しかし異世界にきてもなお歪みなく熱血鬼コーチとは。アテナも相当しごかれただろう。


「お爺ちゃん、こっちの世界でも変わらなかったんだ。 私の家ではね、お爺ちゃんはボケが始まって家に帰れなくなってるって、そんな風に言われちゃってたんですよ」

「いやいや。 朧さんに限ってボケとかないんじゃないかな。 あのお歳で崖っぷち万歳とか言っててさ、生涯現役って言葉はあの方の為にあるようなものでしょ」

「あっはははは! 言う言う! 私が寝坊して朝食抜こうとしたら『お米食べろ!』とか言われて、めちゃめちゃ怒られました」

「私もフリューゲル家唯一の子供だったせいか、父と朧さんにはみっちりしごかれてね。 小さい時なんて男児として扱われて男装までされられたからね」


 その教育方針は完全に王道である男装麗人の騎士長コースだ。ジャンヌダルクじゃあるまいし。

 フリューゲル家の家訓やら跡取り問題は知らないけど、そんなところまでお爺ちゃんは協力していたのか。私に対してはちゃんと女の子として扱ってくれたのに。


「まあもっとも、男児教育は十歳越えた辺りで止まったんだけどね。 体が発育するにつれて隠しきれなくなって、朧さんにばれたらお父様すごく怒られてたのよ」

「あぁ、なるほど。 お爺ちゃんらしくないと思ったら」

「でしょう? その後の朧さんったらさ、礼儀作法の趣が一転したのよ。 なんだか妙に綺麗なお辞儀とかお花の生け方とか、しまいにはお茶の飲み方まで……それがまたなんとも華やかでさ」


 きっと華道と茶道だろう。お婆ちゃんが私に教えてるのをよく見ていた。

 お爺ちゃんってば見稽古だけで人様に教える域に達するとは、弓道は目が命とはいうけどここまでくるとさすがである。


「朧さん、旅に出ちゃったけど今頃は――と」

「アテナさん? どうしました?」

「月詠さん。 どうやら今の私達はご馳走に見えるみたいだよ?」

「え?」


 アテナが手綱を引いて馬を止めると、木々の茂みから低い呻き声が聞こえてくる。

 やがて音もたてずに霧の中から姿を現したのは一匹の狼だった。揶揄でも表現もなく、言葉の通りに肉食獣の狼がそこにいた。

 ふわふわそうな毛並み、強く開かれた眼、イヌ科を思わせる四肢、これぞといった風な狼だった。


「子供狼が一匹か……月詠さん、逃げるからしっかり捕まってて」

「はい!」


 アテナの脇腹から手を回してお腹の辺りを抱き締めると、アテナは手綱を強く引く。

 馬はいななきを森に響かせ、一気に加速してこの場から駆け出した。


 ――この感じ、懐かしい。彦星、元気にしてるかな。


 馬に乗って駆け出すこの感覚が、なんだかとても懐かしかった。それもそのはず、最後に愛馬に乗ったのはもう一ヶ月以上も前のことだ。

 狼が僅か一匹ということと、アテナが頼もしいということもあるだろう。私は完全に危機感を欠いていた。

 背後を振り返っても追って来る狼はどんどん小さくなる。


「わあ、すごい! 狼よりもずっと早い!」


 さすがに彦星に乗って狼と競走したことはないけど、この馬も相当速いのはわかる。優れた馬と慣れ親しんだ乗り手で人馬一体にならないとこうはいかない。

 蹄が大地を蹴る重厚な足音が頼もしい。

 後で私にも手綱を握らせてもらおうか――そんな悠長なことを考えている時だった。


 狼が遠吠えをした。

 霧が残る森の中によく響く、とても澄んだ綺麗な遠吠えだった。


「っ~! 仲間を呼んだか! つまり奴等は近くで陣形を組んでる可能性が――」


 アテナが言い終わるより早く、蔓延る木々からガザガサと遠慮のない音をたてて群れは現れた。

 灰色の毛並み、鋭利な眼光、イヌ科らしからぬ巨躯、それらが現在確認できるだけでも五頭。

 さっき追いかけてきた狼よりも迫力が段違いである。


「アテナさんっ! こ、これは……!」

「子供が狩りに失敗したから、親の群れが本腰をいれてきたのよ。 ちょっとやばいかも!」


 全力で走る馬の速度を以ってしても徐々に距離を詰められている。

 霧から次々に群れの狼は姿を現し、今やもう八頭にまで増えていた。これからも増えるだろう。


「仕方ないな。 月詠さん、狩るよ!」

「へっ?」

「弓、得意なんでしょ?」

「あの狼の群れを退治するんですか!?」

「私も手綱持ちながらだけど援護するから!」

「私が!? どうやって!?」

「そのチョコバナナで!」


 辺りを見渡すと狼は増えに増えて十頭。その全てが大人の狼。

 チョコバナナで練習に励むこともなく、勢いに任せて初の実戦に突入することとなった。

 幼少から三騎射のような練習に励んでいたので、動く的だろうがなんだろうが百発百中当てる自信はある。

 もちろん――動物の命を奪ったことなんて一度足りとも無いが。

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