二十五話「新たなる可能性」
私とクララが静養室の前に着いた。
今頃はきっと、シスター達が森でハーブ採集に勤しんでいることだろう。そこにはもしかしたらシャマルやギブリ達もいるかも知れない。
皆に感謝の気持ちを思いながら、扉を開けて中へと入った。
「失礼します。 クララちゃんを連れてきました」
入り口から見た静養室の中はベッドが左右に二つずつあり、幸いなことにいずれのベッドも使われていなかった。
奥にあるウッドテーブルとそこに備わる二つのイスで診察するのだろう。
片方のイスに座っているのは、アホ毛を生やした真っ赤な長髪を持つ白衣の女性だった。きっと彼女がナイチンゲールだろう。わかっていたことだが、私が授業で習った偉人ではない。
彼女は今、机に向かって何かを読んでいるようだ。
「さあ、遠慮しないで入って着たまえ」
姿勢をそのままに、振り返ることもなく私達に告げると、私達は手を繋いだまま彼女の下へと向かった。
空いている片方のイスにクララを座らせたところで白衣の女性がこちらに向き直り、私を好奇の目で見つめている。
伸ばされた前髪を片側に集めるも、纏めきれずに片目が隠れてしまう。着ている白衣は少々の乱れが見られ、やや首元が肌けていた。
ただそれは彼女自身がズボラなのではなく、看護業ならではの多忙さに振り回されているように思われた。
外見年齢こそ二十代半ばに見えるが、纏う雰囲気は若い看護婦というよりも経験豊富な女医に感じられる。
「はじめまして、私は看護女医のセイラ・ナイチンゲール。 君が月詠君か。 噂は乙女達から聞いているよ」
「どうもはじめまして。 天乃神月詠と申します。 これまで挨拶にも来ていなかった非礼を――」
「そんなの子供が気にすることじゃないよ。 ここは病人や怪我人が来る場所だしね」
「そういえば、ロイスさんとメルセデスさんは?」
「あー、二人ならシスター業に戻らせたよ。 とりあえずはクララ君と君がいれば良い。 それではさてと――」
挨拶を手短に済ませると、ナイチンゲールは机に積み重なった木の板から一枚を取り出して読み上げた。
どうやらカルテのようだ。紙が貴重なので木版に書き溜めているのだろう。
「名はクラティア、歳は今年で18歳、身長150センチ、体重35キロ……この数値はいつ見ても慣れないわね。 えーとスリーサイズは――」
「え? こ、今年で十八!?」
「何? どうしたの?」
「い、いえなんでもないです。 止めちゃってすみません。 続けてください」
「静かにしててね。 えーと、スリーサイズは上から――」
今年で十八歳となると、私と同い年ということだ。
ここ一ヶ月ずっと一緒だったのに、私はそんなことも知らなかったのか。
さっきから完全に黙り込んでいるクララを見ると、私と目を合わせまいとプイッと顔を背けてちょっだけ口を尖らせている。自分の実年齢と外見年齢のギャップにコンプレックスがあるようだ。
体重よりも年齢に反応する私もあれだが、まあ私がこんな反応するとわかってたから言わなかったんだろう。
きっと体重だけではない、クララには私の知らない部分がまだまだたくさんある。
「――で、心臓には先天性の不整脈がある。 クララ君、間違いないね?」
「身長と胸はもう少しあるかと思います!」
「はいはいそうね。 思いますね、思うだけよ。 その元気があれば大丈夫。 とりあえず聴診するから胸とお腹出してくれる?」
「……はい」
クララの抗議はあえなく却下され、そのままシスター服を脱いでいくと最後のブラウスになり、背中に並んでいるボタンを私が何も言わずに外し始めると、クララは黙って受け入れた。
そして肌着を脱いで胸とお腹を晒したクララに向けて、ナイチンゲールはゆっくりと顔を近づけ、耳を当てる。
「み、耳!?」
「ん? さっきからあなた騒がしいわね」
「す、すみません! 聴診器とかを使うと思ってたので」
「チョウシンキ? それは何なの?」
「えーと、こうやって――」
ナイチンゲールが興味ありげな表情だったので、身振り手振りをまじえながら聴診器の概要を説明した。
話を聞いたナイチンゲールは「へ~! 君の世界にはそんな素晴らしい道具があるのね~!」と心底感動していた。
私としては、道具に頼らず自身の研ぎ澄まされた聴覚で鼓動やその他諸々を聞き取れるナイチンゲールの方が素晴らしいと思うけど。
エリス様といい、ナイチンゲールといい、教会で生活してればこの様な達人になれるのだろうか。
大平原で暮らしている人たちも視力が異常に発達してるっていうし、環境が人を作るというのも嘘ではなさそうだ。
その後は聴診を終えて雑談をまじえながら三人で話を続けていると、
「よし、とりあえずクララ君はしばらく静養室のベッドで寝ていること。 体に影響が出始めてるとなれば運動は禁物、絶対安静にしてなさい」
「は~い」
「ナイチンゲールさん、その……結局どうすればクララちゃんは治るんですか?」
「クララ君の不整脈は心臓の弱さからきているものだから、心臓に激薬を送れば直る可能性があるけど」
「けど?」
「そうね……あなたは魂約者だしハッキリ言うわ。 クララ君には以前話したけれど、失敗すれば彼女は絶命します」
「そ、そんな! 他に方法は無いんですか!?」
「あなたのいた世界の医療技術は知らないけど、こっちでは他に手段はないわ。 それと最後まで話は聞きなさい」
「はい……」
「可能性とは言ったけどね、それは激薬の種類によって上下するの。 体に馴染みやすいほど成功率は高いわよ」
「例えばどういった物が?」
「そうね。 そもそも薬じゃなくて血清とか。 小難しいから説明は省くけど、完治者の血液を投与するの。 ただこれだと血液の相性もあるし、効果が出るまで時間がかかるのよ」
「他には?」
「即効性ならニトロ薬ね。 ただ効き目が強烈なほど、ハイリスクハイリターンになるわ」
話を聞いていたらクララが何も言わずに私の手を握り締めてきた。その小さな体が僅かに震えている。
顔は俯かせたままだが怯えているのがわかる。
クララは徐々に迫る死と、それに対抗できるのは命を賭した行為という狂気の狭間で恐怖と闘っていたのだ。
気軽に自分の意見を言える空気ではない。でも、クララからは離れたくない。
そこで私は、一つの我がままをナイチンゲールに申し出た。
「今日だけで良いので、どうか私も静養室で寝させてもらえませんか? 二人で話し合いたいんです」
この言葉を言い終えると、クララが握っていた手を離して何も言わず私に抱きついてきた。




