二十話「犬も食わない」
消灯時間を過ぎても結局クララは帰って来なかった。
シングルベッドなので二人で寝るには少々狭いのだが、独占して快適だったにも関わらず物足りなさが後を引いている。
クララは昨晩、夜を通してヴィヴィアンと夜を越したのだろう。
洞窟部屋の空いてる穴からは夜明け前の瑠璃色の空が見える。二人はこれから朝チュンを迎えてらぶらぶになるのだろうか。
まさか自分がクララに対してこんなに嫉妬するなんて思っていなかった。結魂なんてのは言葉の響きがあれなだけで、実際はたんに友達の延長上の仲。の、はずだった。
最近ではそれだけの関係では満たされていない自分がいる。そんな気がする。
――気晴らしに水浴びでもしよ。
思い立った私はすぐさま行動に移し、部屋から出ると山岳内の洞窟を歩いて下まで降りる。
麓に着く頃には瑠璃色は薄くなって仄かに朝の装いを整えていた。
☆ ☆ ☆
泉に着いたのでそそくさとローブを脱ぐ。
朝方のためか、少しだけ霧がかっていている泉はいつもより雰囲気が違っていた。
水辺に腰を下ろしてつま先を水に浸けるとちょっと冷たかった。普段は一日の終わりに入っているのだが、体が火照っているので調度良いのだ。
そのままゆっくりと体を沈めて肩のあたりまで浸かると、バシャバシャと音を立てて顔を洗い始める。
「ふーっ、スッキリした!」
でもまだスッキリし足りない。ここ数日の溜め込んだ感情が心にわだかまりを残している。
ボーっとしながら辺りを見渡すも、白い霧の層が広がるばかりだ。
――これって、叫んだりしたら気持ち良いんじゃない?
広がる開放的な泉と、霧の層による閉塞感に包まれているとそんなことを考え始めた。
大きな山を見るとつい叫びたくなるあの感覚と、王様の秘密を穴に叫んでスッキリしようというあの感覚が、ちょうど混ざった感じとでも言おうか。
霧のせいで回りは見えないが、こんな朝方ならどうせ誰もいないだろう。
すぅーと大きく息を吸い込むと――
「クララちゃんのバーカ!」
クララちゃんのバーカ……
バーカ……
と、あたりに私の声が響き渡り、思っていたよりハッキリするこだまに驚くと同時に少し焦る。
さすがに山岳の中腹までは届いないと思うけど。
しかし何より結構スッキリしたのは間違いない。そのまま勢いに乗った私は叫び続けた。
「私っていう魂約者がいながら、なんで他になびいてるのよー!!」
なんで他になびいてるのよー……
なびいてるのよー……
今度も結構良い具合に響かせると、大分スッキリした。
愚痴なんかも聞いてもらえるだけでスッキリするけど、こういうのも叫ぶだけで大分楽になるようだ。
さて、スッキリしたところで決心が固まった。今日は思い切ってクララに事の真相を聞いてみよう。
人前だとさすがに憚られるので、個別に会ってる時だろう。
まあクララがいつ時間が空くかわからないけど、なんならヴィヴィアンでも良い。
今日の流れを頭で纏めて考えている時だった。
「うっさいわ! 月詠さんのアホー! バカって言う方がバカなんですぅ~っ!!」
言う方がバカなんですぅ~……
バカなんですぅ~……
霧の層の向こう側から返事が返ってきた。
声の主なんて確かめるまでもなくクララだった。まさかお寝坊さんのクララがこんな早くから水浴びに来ているなんて。
わたふたしていると、答えが繋がった。ヴィヴィアンだ。
そういえば数日前にシャマルが話していた。ヴィヴィアンは朝方に水浴びを済ませることが多いのだと。
まさか二人は夜を通して愛を囁きあった後、流した汗も関係も水に流してしまおうと朝からここに来てたのだろうか。
きっとそうだ、そうに違いない。
その後も互いに遠距離からの言葉の応酬を続けていると、霧の中にぼんやりとした人影が二人分浮かんだ。
起伏のある妖艶な影と、それに手を引かれる小さな影。
やがて姿を現したのは予想の通りに、ヴィヴィアンとクララだった。
片手を口元に当てて小さく笑っているヴィヴィアン、それから彼女に手を引かれるも私から顔を背けているクララ。顔を真っ赤にしてプンスカしている。
「あなた達、一体何でケンカなんかしているの?」
ヴィヴィアンがまるで子供のケンカを仲裁するような態度で私とクララの顔を交互に見ている。
理由なんて今まさに私の目の前だ。
さっきあんなに叫んでいたのでヴィヴィンが呆れるのも無理はないけど、私も年相応に子供ではないので順序立てて彼女に聞いてみることにした。
「あのヴィヴィアンさん。 ここ数日、私のクララちゃんと随分仲が宜しいみたいですけど、お二人はどういう関係なんですか?」
「はい? 私とクララさんの関係?」
「そうです。 私知ってるんですよ」
「何をですか?」
「一昨日の昼、地下でヴィヴィアンさんがクララちゃんに後ろから抱きついてたじゃないですか! ヴィヴィアンさんにはもうお相手がいるのに、どーしてクララちゃんにも手を出すんですか!?」
冷静に話をするつもりだったけど、切り出すと徐々に熱くなってしまう。
一方のヴィヴィアンは見た目同様に変わらず落ち着いて私の話を聞いていた。クララは変わらずそっぽを向いている。
「あーあれは、棚の高いところにある物を取ろうとしただけですよ。 クララさんってば、私が持ち上げようと脇を掴んだらくすぐったいって言うものですから」
「……え? いやそんな、クララちゃんは確かに小さいですけど……まさか持ち上げようとしたんですか?」
「その通りよ。 別に彼女に限った話じゃないの」
ヴィヴィアンはそう言って私の元に近寄ると、そのまま正面から抱き付いてきた。
「な、何をするんですか!?」
「うふふふふ」
ヴィヴィアンが涼しげに微笑むと、彼女は私の脇腹を掴んで一気に体を持ち上げた。
赤子が親にされる、たかいたか~いだ。まさにあんな感じになっている。
余裕たっぷりに微笑み続けるヴィヴィアンの手には力も込められておらず、特に力んでいる様子もない。
少なくともクララよりは体格の良い私を持ち上げるとなれば、クララなんて余裕だろう。
「え……いや、ちょっと、これ恥ずかしいんですけど」
「こいうことよ。 一々踏み台を探すよりも、そのまま持ち上げた方が早いもの」
「わかりましたから、もう降ろしてください!」
ヴィヴィアンはゆっくりと私を降ろす。
こんな妖精乙女みたいな容姿をしているのに、実は乙女らしからぬ怪力だったとは驚かざるを得ない。
「ヴィヴィアンさん、その力は一体……」
「うふふふ。 乙女の秘密よ」
笑って誤魔化された。
いやいや、誤魔化されないぞ。
「それで、お二人の関係はなんなんですか?」
本題はここだったはずだ。
ヴィヴィアンから目を逸らさずに尋ねると、彼女は淡々と答えた。
「関係も何も、ここ数日は引き継ぎで忙しいのよ」
「引き継ぎ?」
「そうよ。 だってクララさん、あなたがクラスアップしたら一緒に旅に出るんでしょ? そうなるとシスター長の後任が必要じゃない」
「……え?」
「もしかして、クララさん? 月詠さんに教えてないの?」
「…………」
ヴィヴィアンに見つめられるクララは黙して気まずそうに目を逸らしている。
確かにここ数日の間、クララは帰ってきても疲れ切った様子ですぐに眠っていた。
理由がわかれば実にしょうもないオチだった。
私は勝手に勘違いして誤解して朝から叫んでいたのか。それは文句を言われたクララも怒る。
早とちりをしてしまった自分が恥ずかしい。耳の先まで熱くなるのがわかる。
ヴィヴィアンもクララも私の顔色でそれとなく事情を察したのか、ちょっと笑いをこらえてるようだ。
「でもなんでヴィヴィアンさん? 在任のシスター達から選ばないんですか?」
「それはつまりね、私が大修道女補佐だからなの。 つまりエリス様の右腕ってところかしら」
「な、何ですって……」
どうりで日頃あまり見かけないし、周りからレアキャラ扱いされる訳だ。
ヴィヴィアンは元から多忙なだけだったのか、そのミステリアスな外見から正体は妖精さんか何かだと思っていた。そんな訳ないのに。
「じゃあ今回の原因は、お互いが好きすぎてすれ違っちゃった……ってことで良いのね?」
ヴィヴィアンの言葉に私とクララは顔を真っ赤にして俯かせた。
これはこれでとても恥ずかしい。
素直になれないクララがヴィヴィアンの言葉に反応してしまい、
「でもだからって、なんで私とヴィヴィアンさんが、その……そういう仲だって思うのよ。 月詠さんは普段、私のこと……その」
そこまで言って言葉を詰まらせている。
そこから先の言葉は言われずともわかってしまうのでとても恥ずかしい。
「だって、私達は出会ったときに……しちゃってるんだから、意識しちゃうじゃない」
二人して顔色を窺って視線を泳がせていると、ヴィヴィアンがクスクスと笑いながら私とクララの手を掴んで引き寄せる。
「はい、それじゃあケンカはこれまで。 これで仲良しね」
そしてヴィヴィアンはそのまま私とクララの背を押すと、互いに抵抗することもなく頬を赤く染めて顔を俯かせながら寄り添った。




