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二話「月明かりの森の中で」

 いつの日か魅力的な殿方から言われるはずだったであろう言葉を、まさか今日言われるとは思いもしなかった。

 そしてプロポーズしてきた相手が、目の前にいる金髪で色白の修道服を着た乙女なのはもっと想定外だ。ある意味、殿方とは正反対の存在ではないだろうか。

 つい先程の言葉が頭の中で木霊する。


 ――月詠さん、私とけっこんしてください!


 確かに彼女は、クララは私に対してそう言った。

 もちろん嫌われるよりは好かれる方が嬉しいし、それになんていうかプロポーズの直前に、その――してしまったのは事実だけど。

 だけど、だけども。

 ちょっと考えれば、いや考えるまでもなく女の子同士でそういうのはおかしいのではないだろうか、まして結婚なんて。

 被さるクララは熱い眼差しを注いでただ黙って見守るだけだった。さすがに緊張しているのか体を僅かばかり強張らせているようだが。

 ――沈黙が続く静寂を微風が吹き抜けると、月明かりを受けるクララの金髪はさらさらきらきらと艶やかに踊っていた。

 月を背に微笑み続けるクララをこのまま見上げていると、その瞳に、唇に、魅力に呑み込まれてしまいそうな感覚に包まれる。

 やがてクララの両肩に手を置いて体の上から動かすと、起き上がった私はどんな顔をしたら良いのかわからずに顔を背けてしまう。

 思わず指で唇をなぞり、もう片手の平を胸元に添えると、さっきのくちづけが思い返されて途端に胸の鼓動は激しくなる。


 ――どうしよう、私もしかして変になっちゃった?


 ついさっき芽生えたばかりのこの気持ち、これが何なのかはわからない。所詮私は人生経験の浅い十七歳の女子高校生なのだから。

 一時を置いてからゆっくりとクララに向き直るも、恥ずかしくて目が合わせられず視線をあちらこちらと泳がせてしまう。

 返事をするべく考えを纏めると、いや、纏め上げることなど到底叶わなかったけれども、このまま黙って無視するわけにもいかない。


「ケ、ケケ……ケッコンって言ってもね? そっちではそういうの進んでるかもしれないけども、日本だと……その、あんまり理解されないと言うか、法整備が整っていないと言うか――」


 そう答えるもぺったんこに座るクララは不思議そうに首を傾げて私の返事を理解している様子はない。

 わかってる。

 クララが求めている答えはそういう世間体とか環境や状況ではなく、もっと根本的な答えなのだと。

 つまり私自身がクララを受け入れるか、そうでないか、ということだ。

 正直言ってしまえば答えなんて――


 そんな想いに馳せている時だった。

 突然――辺りの木々が吹き飛んだのではないかと錯覚するような凄まじい轟音が聞こえた。それは動物の鳴き声と言うよりも獣の咆哮と言った方がしっくりくるだろう。

 体は自然と反応し、私達は背筋を固まらせるとそのまま互いに視線を交わす。

 その咆圧が森中に響いてやがて静寂になると、私の本能は無意識に危機感を駆り立てる。

 さっきまでの馴れ初めはまるで甘美な夢物語であったかのように覚め、早くもクララの瞳は涙で縁取られていてその矮躯をカタカタと震わせていた。

 次いでその小さな口からは弱々しい言葉が漏れる。


「そんな……うそでしょ……」


 呟くクララはもう私を見ていない。彼女の視線は私を越えて向こうに移されている。一体何が私の背後にいるというのか、最早悪い予感しかしない。

 ここに迷い込んでから小川、小鹿、乙女と来て次は一体なんだと言うのか。

 たぶん、いやきっとあいつだろう。ある日森の中で出会うとしたらあいつを置いて他にはありえない。森の定番だしきっとそうだ、間違いない。

 無駄に思考を築けども休息の間は無い。大地を叩くような音が森一帯に響き渡ると同時に地面も揺らされて、ゆっくりと二度、三度と回数を重ねるごとに音も揺れも大きくなり身近になってくるのがわかる。

 口をへの字に結んで堪えていたクララが、怖さに耐え切れなくなり涙をぽたぽたと流し始めたところでようやく決心が着き、やっとの思いで私は背後を振り返った――


 そこには案の定、大きな大きなクマがいた。灰色の毛並みを纏うその巨体、目測では私の二倍位の高さだろうか。

 泉を挟んで向こう側に二足で立ち尽くし、鼻先をひくひくとさせながら口からはたくさんのヨダレが溶けたつららのように滴っていた。

 低く響く呻き声が私の耳に届けば、それはそのまま恐怖となって全身を駆け巡る。

 そのお猛けりになられているお姿は威厳に満ちており、森の王としての貫禄を存分に撒き散らしていた。

 ぎらりと鋭い眼光はこちらを睨み、まるで糸でも縫いつけたかのように真っ直ぐと私達を見据えている。

 恐怖に縛られて身動きのとれなくなった私達は、そのままクマの様子を見ているだけだった。

 やがてクマは前足をゆっくりと地に着けて歩みだすと、そのまま泉に顔を近づけて水を飲み始めた。

 そういえばクマは嗅覚と聴覚が優れているが視力はそれほどでもないと聞いたことがある。もしかしてクマは私達の話し声に反応しただけで、暗さ故に場所までは把握できないのかもしれない。

 好機を悟った私は、今の内ならばとクララに向き直り小さな声で囁く。


「ねぇ、今の内にここから離れよう」


 聞いたクララも私に向き直ると無言で二度も頷く。彼女も大賛成のようだ。

 すぐさまクララは脇に置いてある包み物を両手で抱えると、再度こちらを見て大きく頷く。

 今度は私が置いた紙袋の荷物を取ってくる為、そこを見据えると息を潜めてゆっくり這うように進む。

 僅か数歩分の距離なのだが、一歩進む度に向こう側にいるクマの威圧感が増し増しになり緊張感が込み上げてくる。

 ついに紙袋を手にした私はそれを肩にかけるとクマの様子を窺いながら、恐る恐るとクララの元へと後ずさる。

 そして私達は互いに見合わせて頷くと、それが合図だと示すかのように同時に走り出した――と思われたのだが。

 クララが付いて来ていない。

 立ち止まって振り返り見れば、クララは大の字で地面に突っ伏して倒れていた。そして勢いで投げ出されただろう空を舞う包み物が地面に落下すると、乾いた音をたてながら勢いをそのままにこっちに滑って来る。

 こちらに向かって来るそれは不思議な音色をやたらに発し、まるで弦の張られた楽器が乱暴に扱われているように思わせる。

 やがて失速したそれは調度私の足元で止まると同時に音色も止んだ。しかしその余韻に浸ることは許されなかった。

 直後にあの咆哮が放たれたのだ。クマは完全にこちらの存在に気付いてしまい、前足を浮かせて立ち上がる。

 すると――クマの四肢の先には刻印されたような模様が浮かんで光り輝き始め、それを見るなり私は呆気に取られて思考が停止してしまった。


「月詠さん、ごめんね……。 私、腰抜かしちゃってたみたい」


 謝罪と後悔が込められた言葉を口にするクララを見ると、あどけなさの残る彼女にはとても不似合いな表情をしている。

 そんな彼女の背後には泉を渡り歩いている大きなクマ。三メートルをゆうに越える巨躯ながら二足で立ち、泉へと歩を進めると水飛沫を散らしながらこちらに向かって来る。


「私のことは大丈夫だから、月詠さんはそれを持って逃げて!」


 それとはもちろん私の足場にあるこの包み物のことだろう。楽器だかなんだか知らないけどそんなに大事な物なのか、クララが命を賭けるだけの価値があるのだろうか。

 いずれにせよ、例え如何なる事情があるにせよ、このままクララを見殺しなんてできない。できる訳が無い。

 しかしクマを見ればもうすぐ泉を渡り終えそうだ。そうなれば足の速いクマから逃げることは難しいだろう。

 それでも私の答えは決まっていた。


「クララちゃんを見捨てるなんて、そんなことできる訳ないじゃない!」

「良いから! このまま二人共食べられちゃうよりマシでしょ!」

「なんで……なんでそんなことが言えるの!?」


 叫びながらもクララの元へと走る。

 駆け寄る私に対してクララは文句を叫び続けていたが、それとは裏腹に嬉しそうに泣いている。

 私が戻るとクララは両手の平を口元に添えて「信じられない」と言って私を見つめていた。


「そういうのは後、今はクマから逃げなきゃ!」


 クマを見ればちょうど泉を渡り終えており、このまま夢物語の続きに耽っている余裕は無い。

 肩から紙袋を乱暴に落とすと、見た目もさることながらそれ以上に軽いクララをお姫様抱っこするなりに、踵を返す勢いで全速力で逃げ出した。もちろん単純に脚力任せの駆け足だけで考えるならば逃げきるのは難しいが、暗い森の中に溶け込めさえすれば可能性はゼロじゃない。

 そんな浅はかな考えを持っていた――

 背後からクマが駆けて来る音が聞こえる。その足音の迫力は既に知っての通りだが驚かされたのは速度。まるで大地に連続で砲火器でも放ったかのような轟音に驚き、思わず振り返り見れば――

 二足で疾駆するクマが両手を振りながらとてもつもない速さで追いかけて来る。四肢の先を光らせながら人様のように走るその姿に私は戦慄を覚えた。

 抱いていた安易な希望は早くも消失し、迫り来る恐怖に泣き言を叫ばずにはいられない。


「ちょっとやだ、何あれ! 信じられない!」

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