十三話「月の龍の某氏は旅人」
私は朝食もまともに摂らせて貰えないままクララに手を引かれて、半ば強引に聖堂へと連れ出された。
聖堂では厳かな空気にそぐわない可愛い元気な声が隅っこの方から聞こえてくる。
並んでいる長イスを見渡せば、その端にとてつもなく長い真っ白なヴェールとそれを囲う数人の子供達が見える。エリス様だ。
クララは走るペースを一切落とさずに、そこを目指してぐいぐいと私を引っ張って進んでいく。
「なんだクララ、こんな朝早くから私を訪ねるとは珍しいじゃないか」
最初に口を開いたのはエリス様だった。
子供達との話しを遮って「お前達もそろそろ支度をしろ」と促すと、子供達は話を止めたクララをやや恨めしそうに見ながらまばらに走り去って行った。
と言うかそもそも何で私達だとわかったのか。ここへ入ってから私達は何も話していないし、子供達が伝えた感じでもないので、足音だけで判別したとしか思えない。
視覚を失った人間は他の感覚が長けるとは言うけども、エリス様もお約束通りに聴覚とかが超人めいてるのだろうか。
「エリス様!」
「ちょっとクララちゃん。 聖堂なんだから静かに」
「他に誰もいないし構わんさ。 それにクララのことだ、どうせ食べ物かなんかだろう? 新種のパンでも見つけたのか?」
「う……」
さすがエリス様、既にご存知のようである。まあ、偶然だろうけど。
エリス様は自分の隣を指差して私達に座るよう促すと、クララが隣に座ってその隣に私が腰を下ろす。
「エリス様! 月詠さんが朝食中に『ヤ○ザキのダブルソ○ト』と言い出しました!」
「何だそれは? 『ヤマ○キのダ○ルソフト』が新種のパンなのか?」
「いいからエリス様! あれを、前アルテミス所有者様の書物を見せて下さい!」
「ほお。 つまり『ヤマザ○のダブ○ソフト』と言うのは、異世界では重要な意味を持つ言葉なのか? 月詠、どうなんだ?」
「いえ……その……パンの名前です」
「クララ、表に出ろ」
クララが一気に凍り付いた。と、同時に私の頭に奇妙な閃きが走った。
このまま二人の微笑ましい冗談のやり取りを見守りたいけど、さすがに今の話は置いておけない。
「エリス様、ちょっと良いでしょうか?」
「なんだ?」
「今の話によりますと、アルテミスの前の持ち主は……私同様に『日本人』ということでしょうか?」
☆ ☆ ☆
今朝――聖堂で話した時にエリス様は「長くなるだろうから、晩餐後に二人で私の部屋に来い」とだけ答えた。
その反応からするに、おそらく私の予想は当たっているんだろう。
実に思わせぶりな態度を取られた為か、今日の教養学や実技修練にあまり身が入らなかった。
「月詠さんも覚えといてね。 ここがエリス様の寝室だよ」
「へぇ~ここが……」
カンテラを持つクララに案内されながら夜の教会を歩いていると、やがてエリス様の寝室へと着いた。
外から見た限りでは他の部屋と同様に素朴な感じで、特に変わった感じはしない。言われなければ大修道女の部屋とは思わないだろう。
私達は揃って部屋の前に並ぶと、クララが小さな握り拳で扉を軽くノックする。
「エリス様、夜分に失礼致します」
「クララか、月詠はもちろん一緒だよな?」
「はい、クララと一緒に失礼させていただきます」
「気にするな。 入って良いぞ」
クララが慣れた手付きで扉を開けて部屋に入ると、私も続けて中へ入った。そこではキャンドルを持つエリス様が壁に備わる灯篭に火を移している。
明るくなる部屋を見るとノスタルジックな雰囲気で、備わる家具等も洞窟にある私達の部屋の物と然程違いは無かった。
「私一人だと灯りなんて要らないからな。 ちょっとイスに座って待ってろ」
部屋の中央にある丸いウッドテーブルには向かい合うようにイスが二脚あり、私達は言葉に甘えてそこに腰を落ち着かせる。
然程時を置かず、エリス様が「待たせたな」と言いながらテーブルへ書物を置いた。それは文明の未発達なこの世界にしては、随分と装いの整った書物だった。なんだか完成度が高すぎて不自然な位である。
エリス様がテーブルから離れてベッドへ腰を下ろすと、クララが「失礼します」と言って書物をパラパラとめくり始めた。
「それでは始めるか。 先に言っておくが、私は殆ど何も知らん。 月詠が言っていた疑問を解くのはクララ、お前だ」
「ふぇっ!? 私ですか!?」
「そうだよ、そもそも騒ぎ始めはお前じゃないか」
「まあ……確かにそうですけど。 それではエリス様、この書物に関して知っていることを全て教えてください」
「それはご存知の通りに前のアルテミス所有者の書物だ。 そいつは自分のことを『月の龍』とかふざけた偽名で名乗っていたよ。 私が知ってるのはその程度だ」
あまりにも少なすぎる情報だった。仮に本当に日本人だとして『月の龍』なんて名前の人物はもちろん知らない。
投げやりな言葉にエリス様は続ける。
「クララには以前にもこれを見せたことがあったな。 あれは確かお前が語学の勉強をしている時だったな」
「そうです。 その時にこれを開いた時、中に挟まる栞に書かれていた文字が……」
「例の『ヤマ○キのダ○ルソフト』と言う訳か」
「はい」
……そんなアホな話があるのか。
さすがに興味を引かれたので、ちょっと読みたくなってきた。
「クララちゃん、その栞見せてくれる?」
「うん、これだよ」
クララが紙圧でピンと伸ばされた栞を差し出す。
それを見た私は度肝を抜かれた。確かにそこには『ダブルソ○ト』と記されていたが、そもそもとしてそれは栞ですらなかったのだ。
「ちょ……これ、コンビニのレシートじゃない!」
「月詠さん、それやっぱりニホンの言葉なの? なんか上の文字が違くない?」
クララが不思議に思うのも無理はない。上に書かれた文字は店名であり、それは日本語ではなく英語で書かれているのだから。
「クララちゃん、これは日本語じゃなくて英語なのよ」
「エーゴ?」
「何て言うのかな。 住んでる世界は同じだけど、違う国の言葉なのよ」
「「はっ?」」
私が説明をすると、クララとエリス様は揃って疑いの声を上げた。何かおかしなことでも言っただろうか。
部屋は静まり返ってシーンとしている。
「月詠さん、ちょっと待って」
「なーに?」
「そっちの世界では、国ごとに何でわざわざ違う言葉を使うの?」
「え、そりゃあ国が違えば言葉だって違わない?」
「国が違うからこそ揃えなければならないんじゃない? ただでさえ誤解や擦れ違いでいざこざが絶えないのに、言葉が違ったらなおさらって感じが……」
「そこまでだクララ。 そういうのは個人でどうこうできる問題ではないし、話が脱線してるぞ」
「う……」
なんだか話の規模が大きくなったけど、気を取り直して次に行こう。
レシートを見ると、日付は調度十年位前のものだった。
――平成十七年の四月一日か。
十年前のこの日に願掛けを始めた私としては、あまり良い思い出が無い。
溜め息を吐いてレシートをクララに返すと、ふとした疑問に気付きエリス様に尋ねる。
「そういえばエリス様は月の龍さんには会ったことあるんですか?」
「会った事はあるが見たことは無いな」
「そうですか……」
そう言われてしまうとちょっと気が引けてしまう。あまり深くは聞かない方が良いのだろうか。
妙な気を遣っていると、エリス様はそんな気遣いを見透かしたように話す。
「あくまで素顔の話さ。 奴とは失明する前に会っているが顔を見たことは無い。 戦時中だったから互いに鎧姿だったんだよ」
「戦争、ですか」
「戦後はアルテミスを置いて旅人になったらしい……とまで聞いている」
「手がかりは、そこまで……ですか」
「残念だがな」
「ちょっと、月詠さん」
「ん? なーに?」
話が途絶えたところでタイミングを待っていたらしいクララが入ってきた。
例の完成度の高すぎる書物をこちらに向けて表紙の文字を指差している。それを見ればもう、その書物の正体がすぐにわかった。
「この書物の表紙に書かれているのもエーゴ?」
「それはダイアリーっていって、つまりそれは日記……日記? ちょっと読ませてくれるかな?」
「うん、良いよ。 こっちに来て一緒に読もうよ」
「面白そうだな。 ちょっと声に出して聞かせてくれるか?」
日記となれば、重要な何かが記されている可能性は高い。
イスごと動かしてクララの隣に行くと、日記を受け取った私は境界日だろうと思われる、例の『平成十七年四月一日』のページを探した。




