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一話「月は乙女と馴れ初める」

 涼しい夜風に前髪を揺らされると、心地の良い眠気から起こされた私は瞼を開けて小さくあくびをした。

 見上げれば、朧雲がかかる満月と星座が明滅する綺麗な空を、微風に吹かれる桜の花びらが彩る。

 視界の端まで広がる景色はとても幻想的で、まん丸のお月様を見つめていると、このまま何処かに神隠しされてしまいそうな、なんとも不思議な感覚を抱かせた。

 それはとても素敵な春の夜だった。


 夜空を背にする星がきらきら……と輝けば、

 夜風と踊る桜の花びらもはらはら……と舞踊を魅せる。


 そんな音さえも聞こえそうなほどうつつなのだが、しかし決して触れることは叶わない。まるで夢か幻でも見ているような気分。

 先の見えない将来に憂いていた私は非現実的なこの夜景見たさに今日もまたここへと訪れていた。

 ここは家の近くにある古びた小屋の屋根上である。

 こんな場所に寝転んで手を伸ばしたところであの満月や星座が決して掴める訳も無いのだが、今は一人。この夜景に酔いしれて現実とは無縁でいたい。

 しばらくすると体を屋根の端へと転がし、大きめの横窓から室内を逆さに覗いて彼に話しかける。


「ねぇ彦星ひこぼし、私……今日から高校三年生なんだけど、来年の今頃には何をしてるかな?」


 中にいる彦星――我が家の愛馬は何かを答える訳も無く、モシャモシャと食事に夢中である。

 再度ごろんと寝転んでハァッと溜め息、大の字になって夜空を見つめるそんな日々、何も変わらないいつも通りの日常。

 こんなちょっと風変わりなだけの普通の女子高校生が、時を忘れてほんの僅か安らいでいる最中、無常な仕打ちが私を現実へと引き戻した。


「ちょっとー、おつかい頼まれてちょうだーい」


 面倒臭い、まずそう思った。

 しかし親の機嫌を損ねては夕飯にありつけないので否応無しに引き受けねばならない。

 お母さんの呼び声に体を起こして「は~い」と少々ご機嫌斜めな返事を返すと、そそくさと横窓から器用に小屋へと入る。

 窓枠に腰掛けて乱れた長髪を手櫛で整えつつ中を見ると彦星はまだ食事中のようだ。彼に向けて跳ねるとその背中に跨る体勢で着地を決めて馬体から降りる。

 彦星を優しく撫でた後、着ている丈の長い羽織物をパンパンとはたきながら歩いて小屋から出ると、そこにはお母さんが立っていた。


「で、おつかいってなーに?」

「そんな機嫌悪くしないの」

「だって、今日始業式の後に神事を手伝ってまた学校に戻っての部活だもん」


 と言うのも我が家において生計を立てている手段は俗世で言うところの神社だ。

 唇を尖らせて不機嫌と疲労感を滲ませたつもりだったのだが、残念ながらお母さんには通用しないようである。

 さして気にした素振りも見られずに「はいはい、弓道部の部長就任おめでと~」と棒読みされる始末。


「……それだけ?」

「あ、今年もあなたの流鏑馬とても格好良かったわ~♪」

「お母さん、全然心がこもってないよ……」

「本当よ~♪ 我が子の凛々しい姿に見惚れて、あなたの可愛い後輩に交じってキャーキャー騒ぎそうになったのよ?」

「へー……」

「んもう、だって部活も手伝いもあなたが自分でやるって決めたことでしょ? だったら当然よ。 そんなに言うならお爺ちゃんにお線香あげて褒めてもらえば?」

「それは嫌!」


 こんなにハッキリと拒むのには訳がある。

 なぜお爺ちゃんの仏前にお線香を焚くのが嫌なのか、それは単にお爺ちゃんはまだ亡くなっていないからだ。少なくとも私の中では。

 例え十年前から行方不明であろうと、高齢故の認知症が疑わしかっただろうと、家族がけじめを付ける為だろうと。

 私は認めない。お爺ちゃんは絶対に死んでなんかいない。今も何処かで生きていると信じている。

 だから家に帰ってくるまでは少しでもお爺ちゃんの穴を埋めれるよう、私も神事を手伝うと自分自身で決めた。 

 家族からはすっかり呆れられているけども、私はファザコンならぬグラファザコンなのだ。


「ふ~ん……ま、とにかくおつかいはよろしくね?」

「はぁ……で、今日は何処に? 何を?」

「溜め息吐かないの、区長になってお父さんもお母さんも忙しいんだから。 今から公民館に行ってくれる?」

「今から? もう夜だよ?」

「公民館が新築されたでしょ? お父さんが区長だからそれのお祝い準備してるのよ。 だからこの破魔矢のサンプルと梅干を持って行ってちょうだい。 帰りはお父さんと一緒にね」


 渡された紙袋の中には、絵馬の無い破魔矢が数本と瓶詰めにされた梅干が入っていた。

 纏めて束ねられた長い破魔矢は両親が特別に作ったもので、梅干は瓶のラベルに書かれた文字からしてお婆ちゃんが仕込んだものだろう。

 家は神社近くにある一軒家に昔から住んでおり、人里から少々離れた場所にある神社の敷地で暮らしていたせいか、夜道が怖いとかそういう感覚が無いのは確かだけども。


「めんどくさ……」

「そうね、お母さんも夕飯の支度が面倒だと思っているわ」

「はいはい、行くわよ行くから」

「それじゃ~お願いね~♪」


 そうしてお母さんは家の方へと戻って行った。

 なーにが「それじゃ~お願いね~♪」だ。夕飯をダシにして疲労困憊の女子高生を夜道に遣わすとはとんでもない母親だ。

 まぁそうは言っても我が家から公民館までは近いし一本道だけども。

 お母さんから預った紙袋を両手で持つと溜め息を吐いて歩き出す。

 ふと時間が気になったのでスマホを見ようとした、つもりなのだが。


 ――あ、そういえば部屋の机の上に置いたんだっけ……ま、いっか。


 そう思い出して自室へ寄ろうとも考えたが面倒なのでやめた。

 どうせ公民館までは林道を越えてすぐだし、たいした時間もかからないだろうからこのまま行ってしまおう。

 着替えもせずにそのまま歩き続け、やがて鳥居を越えて階段を降りると、桜と緑がはびこる林道へと入って行った。




   ☆   ☆   ☆




 月明かりが照らす林道は意外と明るく幼少より慣れ親しんだ道なので庭のようなものだ。

 雰囲気を損ねるのと、節約が理由で外灯の類は一切施行されていない。だからこそこんな童話みたいな雰囲気になるのだろう。

 私はこの雰囲気が好きだ。

 古木の幹と幹の隙間を縫うように心地の良い微風が吹くと、木々の葉や枝は踊らされてかさかさと囁く。

 のどかな夜に響くのは梟の鳴き声、さらさらと和やかな音が聞こえてくる方を見れば扇状を縁取る澄んだ泉とそこで憩う小鹿。


 ん……?

 おかしい。

 なんでここに小鹿がいるのだろう。少なくともこれまでに私が生きてきた十七年間、この林道ではお目にかかったことがない。

 それだけじゃない。あの扇状の泉だって、あんな雅やかな天然の井戸がいつの間に形成されていたのだろうか。

 目先の光景に驚いて思わず立ち止まる。

 改めてじっと目を凝らすも、やはり子鹿が泉の水を飲み続けている。しかしそれがなんとも綺麗で、まるで映画や絵本に迷い込んだかのような錯覚を覚えてしまう。

 しかしどうにも信じられず、それならば試しに小鹿を撫でてみようと歩みだす。

 が、足元にあった小枝を気付かずに踏んでしまい――なんとも間の抜けた音をたててしまった。

 突然の音に驚いた小鹿は顔を上げると、こちらを見て私と視線がぶつかるなり、


「あっ……」


 と言う間にその場から一目散に走り去ってしまった。

 落胆したまま蹄の跡が残された場所まで行くも、既にこの場より遥か遠くに行ってしまっているのは明白。

 小鹿に対して一抹の申し訳なさが残るが、それならば次は泉に手を入れてみようと視線を移す。

 その泉は夜にも関わらず底が見えてしまう程に澄んでおり、水面には歪みのない満月を映し一層に風雅なものだ。

 紙袋を置きしゃがみ込んで水面をそっと見つめると、そこには見慣れた自分の姿が映されていてちょっとこそばゆい。

 癖の無い真っ黒な長髪はさらさらと風になびき、前髪は今日の神事の為に横一直線にばっつんと切り揃えた。

 神事でも流鏑馬でも髪型等の決まりごとは無いのだが、私が幼い頃からお爺ちゃんはこれがお気に入りだったので願掛けとして今も続けている。もちろんお爺ちゃんと再会するまでの願掛けだ。

 まじまじと自分の顔を見ているとなんだか妙に可笑しくて苦笑いをしてしまう。

 こんな童のような顔立ちでも気を引き締めていれば凛然な撫子になるらしいのだが、それはさておき。

 ふと、意識を水面から水中に戻す。

 まさかこのまま自分と睨めっこをするつもりもないし、ナルシストでもないので早々に泉の中へ手を入れることとした。

 左手で水面に触れてしまいそうな髪を纏め、右手で水面を撫でるようにそっと浸ける。


 ――冷たい。


 ただただ泉の水は冷たかった。そうとしか思いようがなく何のてらいもなく普通の水だった。

 しかしだからこそ、私にはこの現状が理解し難いものとなっている。

 この泉が夢や幻でもないとあっては、さっきの小鹿の存在すらも疑うことなどできないのだから。

 

 ――どう考えても変だ、おかしい。


 不安に胸が駆り立てられると、無意識に立ち上がって辺りを見渡す。

 いつからこの林道には泉ができて小鹿が奔走するようになったのだろうか。少なくとも今日の夕方、私が部活から家に帰る時には普段通りの林道だった、はずなのだ。

 ここには動物なんておらず辺り一帯には咲き誇る桜が――


 ない。

 辺りを見渡すと今更ながらにようやく気付く。

 何処にも見当たらない。

 今いる場所から見渡せる限り何処にも桜が見えない。

 私の知る林道ではそこかしこに咲いているはずの桜が、木一本どころか花一輪たりともない。

 一層に茂った木々が密集していてそのいずれもが知っている木々ではなく、蔓延る密度からすれば林というか完全に森だった。

 呆然と立ち尽くしていたのも束の間、物怖じした足元が落ち着かずにふらふらと後退すると――


「きゃっ――」


 お尻に何かぶつかったような感覚が伝わり、次いで小声が聞こえた。

 今度は何かと恐る恐るそっと背後を振り返るとそこには女の子が立ってこちらをぼ~っと見上げていた。

 こんな夜に小鹿と出くわす童話のような展開なのだ。だからとは言うまいがその点に関してはあまり驚かなかった。小鹿よりは人間の方がよっぽど現実的である。

 ただ驚いたのはその子の見た目で、とても普通の女の子とは思えない。

 長い絹のような金髪をツーサイドアップに整えており、肌はモッツァレラチーズみたいに白くてぷにぷにしてそう、ドールのごとく綺麗に縁取られた輪郭に、ぱちくりとしたつぶらな碧眼がとても愛らしい。

 眠たそうな眼をしつつもあどけなく微笑む顔は好奇心を覗かせており、さながら夢にまどろむ乙女みたいだ。体はそんなに発達してないし中学生辺りだろう。

 服装は慎み深そうな真っ白な衣類で、ヴェールこそ外しているようだが見間違いようも無く修道服だ。おまけに身の丈に合わない大きな何かを布で包み両手で抱き締めている。

 麗しの修道女だ。まるで宗教絵画を思わせる厳かな雰囲気に見惚れてしまい言葉を忘れる。


 と、ここは美術館ではないし絵本の世界でもない。

 私は一先ずこの子と協力し合って事態の打開に努めようと思い立った。

 正直なところ彼女に頼り甲斐はあまり感じないが、小鹿と違って逃げ出さないし言葉だって……ん、金髪とくればやはり英語なのだろうか。

 いや、日本にいるくらいならばカタコト程度は話せるかも。

 とにかく考えてても仕方が無いのでとりあえずは自己紹介をしてみよう。


「はじめまして。 私は日本人の天乃神あまのがみ月詠つくよみといいます。 あなたは?」


 そう声をかけると、どうやら私の言葉を理解してくれたらしい。

 途端に彼女の表情から眠気は無くなり元気はつらつとし、胸元に抱えた荷物を一層強く抱き締め、大きな瞳を爛々とさせながら挨拶を返してきた。


「ご……ごきげんようっ! ツクヨミさん、ワタシはクラティア! クララでいいデスヨ!」


 彼女は自らをクララと呼ぶようカタコトで答えると、頬をほんのりと朱にそめて全身を震わせていた。

 どうやら念願の言葉が通じる相手に出会えて心から喜んでいるのはクララも同じらしい。

 それに緊張のまざったカタコトとは言え「ごきげんよう」がとても流暢だったので、意外と日本語がいける口かもしれない。なんにせよ最初の関門突破といったところか。

 そんなことを思っていると、気が抜けてしまい小休止とばかりにその場にぺたんと座り込んでしまう。

 つられるようにクララもぺたんと隣に座って手荷物を脇に置くと、今度は指先をもじもじさせながら気恥ずかしそうに微笑んで一層頬を朱に染めている。

 なにやら様子のおかしいクララだが、もしかして乙女の言うところのお花摘みだろうか。


「その、遠慮……じゃなくて、気にしないで良いからね?」


 クララにそれとなくお花摘みを促してそっぽを向く。が、彼女が立ち上がりそうな気配はまるでない。

 一時ばかり置いて不思議に思った私が向き直ると――

 そこにはクララの唇があった。

 突然の展開についていけず身も心も固まってしまうが目を瞑っているクララはそのまま迫ってくる。彼女はそのまま無遠慮に距離を縮めると瞬く間に私達は重なる。

 私とクララは一つになった。

 何故か背筋はとても熱くなり、心からは不思議と高揚感が湧き出していた。

 なんとも例えようの無い感覚が私の心身を抱擁しており、築かれていた良識や道徳は溶かされてゆく。

 変な言い方だが頭がクララ色に染まっていくような、そんな感じ。


 どれだけの時間だったのか、ほんの刹那だった気もすれば永くまどろんでいた気もする。

 やがて唇を離すとクララは私にもたれかかり、そのまま被さる形で私達は倒れこんだ。

 すると私の胸元からほんのりと赤らめた顔を起こすなり「えへへ~……しちゃった」と照れくさそうにはにかみながら私を見つめる。

 その瞬間、その表情を見た私の胸はなんだかとても締め付けられるような、ある種甘酸っぱいような感覚に襲われた。

 更にそこへ、そんなあられもない私の心へ、すかさずクララは生涯において一世一代の大勝負と思われる言葉を私にぶつけてきた。


「月詠さん、私と結魂けっこんしてください!」

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