4.
♦ ♦ ♦ ♦
「――疲れた」
俺は寮の自室に戻るなり、自分のベッドの上で大の字になった。ヒトの話をただ聞いて居るだけなのに、ここまで疲労感を感じたのは初めてだ。
あの後も、面倒臭いハイテンション男子生徒とグミを勧めてくるハイテンション女子生徒に、どうでもいい話をひたすら延々とつづけられた。いったいあれだけの言葉は、どこから出てくるのだろうかと思ったほどだ。
――一応、途中で帰ることも考えた。が、立ち上がると二人に「まーまーまーまー」とか言われて、席に座り直らされる。……新手のイジメか?
「宿主、お疲れ様」
ベッドの脇に、守護精霊が座る。幼さの残る少女が、優しげな様子を含んだ笑みと共にこちらを見下ろしてくる。
「ねぇ、宿主。なんで私を止めたの?」
「――? ああ、白踏 舞香の頭突きの件か。一度説明したはずだろう?」
しかし、守護精霊は首を横に振った。
「それだけじゃない。私がその気になれば、宿主を、いつでもあの場から解放してあげられたのに」
「会話に巻き込まれてなかなか帰れなかったことを言ってるのか? アレも同じだ。どうせお前の言う『解放』は、二人が無事で済むモノでは決してないんだろ?」
守護精霊は、こくりと首肯した。
「無駄な騒ぎを起こすなって言っているのがわからねぇのか? 目の前の問題に片が付いても、新しく別の、それこそ、より厄介な問題を引き起こすことになるだろ」
「…………」
守護精霊は、人間とは全く違う考え方をする。これも、授業で習ったことだ。元々が人間だった魂であることもあるが、それはケースのうちの一つでしかない。植物には植物の、動物には動物の、天使には天使の。それぞれの思考の源があり、それらは皆出自に準じた知識の元に行動をする。
――守護精霊が自分の手に入った以上、もう一度復習をしておくべきだろうか?
「そんなこと、気にしなくてもいいのに」
「――っ!?」
突然、守護精霊が俺にぐっと顔を近づけてきた。
「私、ずっとずっと――宿主があのヒトたちと話してるとき、思ってた」
「――何を、だ?」
鼻が触れ合いそうになるほど、とても近い位置に顔がある。紅い瞳は、不気味な色で光りながら俺の目を見つめてきた。
「宿主は、困ってたんだよね? でも、自分の今の立場があるから、それを崩しかねない危険なことは出来ない。もし私がヒトに危害を加えたら、私を宿らせている宿主が、同じように――もしくは、それ以上の目にあうかもしれない」
守護精霊は、両手を俺の頭の左右について微笑んだ。背筋が凍るほどに、優しい笑みだ。
「大丈夫、私が全部、何とかしてあげるから。宿主は、私に身を任せてくればいいの。何もかも私が、うまくやってあげる。私が、あなたをどんな不都合からも守ってあげる」
「一体、いきなり何を言いだすんだ――? ……っ」
いつの間にか、俺の手足はベッドから生えた植物の蔓のようなモノで縛られていた。状況からして、こいつがやっているのはまず間違いないだろう。
「よせっ、何をするつもりだ!? 俺はお前の宿主だろ!? 突然危害を加えてくるなんて、何を考えて――」
「危害?」
守護霊は目を瞬かせた。全く想定していなかったことを言われたらしい。
「違うよ――別に私は、あなたを傷つけたいんじゃない」
「言ってることとやってることの辻褄が合ってねぇ――ッ」
「そうかな――? 私はこれでも、あなたを守るためにやってるんだから。私が宿主と二人きりでいる限り、宿主は安全なの。だって、他の危害を与えうる誰かが居なくなっちゃえばいいだけだから。私だけの宿主になれば、宿主は何も心配することはないよ?」
俺は何とか抜け出そうともがく一方、頭の中でこの突然自分勝手なことを言いだした守護精霊の言葉を噛み砕く。
――確かに、こいつは俺をここに縛りつけようとしているようだった。そして、それは意図的に傷を与えるモノではなく、その言葉には全く何の矛盾もない。
今のこいつの独占欲は、俺を守るために働いている。
――いや、違うな。
「おい、離せ」
俺は今ひとたび冷静になり、守護精霊に命じる。
「ふふっ――駄目だよ、離さない」
しかし、ただ一言そう言っただけでは従ってくれそうもない。なぜなら、宿主と守護精霊は、主従の関係というわけではないからだ。
「離せ――『ロサ』」
「――っ」
一瞬、俺を拘束していた蔓が緩んだ。それを好機と見るや、手足を抜けさせ目の前の守護精霊を突き飛ばす。
「きゃ――ッ!?」
外見年齢と同じ年頃の少女と変わらない体重の俺の守護精霊「ロサ」は、短く悲鳴を上げた後に後頭部を壁に打ち付ける。
「――ッ、……」
「ハァ――、ハァ……」
なんとなく、守護精霊に名前をつけなければいけない理由が分かった気がする。
「宿主ぃ――……」
「――なんだ?」
「痛ぁい――……」
「――ハァ……見せてみろ」
俺は今の今まで俺を拘束していた涙目の守護精霊の肩を引いて、もう一方の手で後頭部を触って確かめてやる。――別にコブは出来たりはしていない。そもそも、体の構造自体が違う精霊が、人間と同様にタンコブを作るのかどうかは分からないが。
「宿主――」
「今度は何だ?」
「そのまま、頭なでなで――」
「断る」
「うう――けちんぼ……」
まあ、とりあえずおとなしく引き下がったことと、言うことを聞いてくれたことだけは、褒めてやってもいいかもしれない。
守護精霊とは、宿主の魂にとり憑く形で初めて存在できる。すなわち、宿主が死ねば精霊も死んでしまうため、危害を加えるなどと言うことはほぼ無いと言っていい。
しかし、だからと言って心が無いわけではない。知能は皆人並み、もしくはそれ以上ある彼らには、同様に人間と同じように性格もある。臆病だったり、怒りっぽかったり、それも守護精霊によってさまざまだ。だから、「ほぼ」、なのだ。怒りで我を忘れて、宿主である人間を傷つけることも、無くはない。
――こいつの場合、どうやら宿主に対する独占欲がやたら強いらしい。今の今まで行っていた行動も、恐らくそのためである。つまりこいつは、守ることを理由にして、俺を自分だけのモノにしようとしたのだ。そう考えると、幼少期の俺の身の周りで起こったゴタゴタも、目覚めていなかったこいつが無意識化にやっていたと考えられるが――今はいいだろう。
――そんな守護精霊が、名前を持っていない。宿主に付けてもらえない。それが何を意味するか。それは考えるまでもなく、自身を視界に入れてもらっていないと言う事になるだろう。
ヒトは、名前があって初めて認知されると言う。同じように思考能力がある守護精霊が、同様の考えをしないとは言いきれないだろう。
だから、「宿主」が自らの「守護精霊」に、その存在を認めるとして名前をつけるのだ。今、身を持って知った。思いついた名前を口にした瞬間、目の前の守護精霊「ロサ」は、目に見えて態度を変えたのだ。
ああ、面倒臭い守護精霊を持ったものだ。
「とにかく、もうさっきのような真似はするな。分かったか?」
「…………」
「――返事をしろ」
「――宿主が、私をぎゅっとしてくれたら考える……」
「ハァ――……」
なんだか、さっきからため息ばかりをついている気がする。まあ、また拘束されるよりはずっといい。見た目は子供だが、まともに力比べをして勝てないのは、身を持って理解した。
「えへ、へへへ――……」
「…………」
ロサを抱きしめてやると、彼女は変な声を上げる。一応その気持ちも、少しは分からないでもない。その原因を過去に作ったのは、他ならぬコイツなのだが。
いつの間にか、ロサの目からは、いつか自分に見たのと同じ負の感情の色は消え失せていた。
♦ ♦ ♦ ♦
「ハァ――ッ、ハァ……ッ」
夜の学校の廊下に、学校の上履きの音がせわしなく響く――……
「な、んなのよぉ、あれぇ――ッ」
動転した頭で、思考すらしていない言葉を吐きつつ、少女はは知っていた。夜の学校に呼び出された彼女は、今しがたその教室へとたどり着いたばかりだったが、今となってはそんなこと、気にしている余裕など微塵も無い。
他の生徒を、紐で絞め殺す一体の人型と目が合ってしまったのだから。
逃げる女生徒の背中を、狂ったように動く人型が、手足をばたつかせ追いかける。女生徒は自らの足に自信を持っていたが、人型は歪な走り方であるにもかかわらず、容易くその距離を詰めていく。
そして、
「ぐぇっ!?」
器用にも女生徒の背後から、とても人間らしい顔をしているとは言い難い人型は首に紐をかけた。それを引っ張った瞬間、とても女性らしいとは言い難い、汚らしい声が出る。
そして、同時に首の骨を折られた女生徒は、一瞬にしてその場で事切れた。
「…………」
そんな、倒れた女生徒を、一人の女性とは冷たい目で見降ろした。人型は、当然その少女に襲い掛かることはない。
人型を操る少女は、獲物が自分のモノになった姿を見て、にやりと笑みを浮かべた。