2.
「よォッ、彩無! また変わった守護精霊を引き当てたな!」
「うるせぇ」
守護精霊を出現させてもらい、それが終わって一足先に教室に戻った俺。しばらくして、同じように終えてきたらしい一人の男子生徒が、大変やかましい声量で話しかけてくる。誰だか知らないが、からかいにでも来たと思ったので、俺は適当に言葉を返した。
「そ、そんなキツイ言葉吐かなくてもいいだろ――いやまあ、戸惑ってんのは分かるけどさ」
「分かってるなら、なぜそんな相手で、しかも知らない奴に話しかけようとしたんだ?」
窓際の席に座る俺は、窓の外からちらりと一瞬だけ、自分のすぐ視界の下にある頭に目を向ける。艶やかな少女の長い黒髪は、俺の胸に全力に押し付けられている。頭に飾られている一輪の黒い薔薇の花と共に。
すごごごご――……すひゅーっ。すごごごご――……すひゅーっ。
――何をやってるんだこいつは?
「――彩無、もしかして、俺のこと覚えてない……?」
「――?」
俺はそう言われ、面倒臭いモノを感じながらもそいつを見た。
――身長180cm強、体重はおそらく90kgを超えるだろうか? とても高校二年生とは思えない筋骨隆々の姿に、バカデカい声。交流があれば、少なくとも記憶にない、などと言うことはないだろう相手がそこにいた。
もっとも、俺には友達らしい友達など、全くいないのであるが。
「灰 世詩也だよっ! 去年も同じクラスだったろ!?」
「かい、よしや――」
俺は自分の脳内を検索した。
「覚えてねぇな」
「ぬォい!」
――まあ、一応クラスを引っ張るリーダー的なやかましい奴がいたのは思いだした。そして、いつがやたらと大柄であることも。多分、それがコイツなのだろう。
「宿主は、あなたなんかに用はない、って、言ってる」
その時、今の今まで俺の胸に顔を押し付けて呼吸していた俺の守護精霊が、灰の方を向いて棘のある言葉を吐いた。俺は自分自身の言葉を、一応不愛想と自覚しているが、こいつの場合、明らかに敵意がそれに帯びていた。
「ん? はははっ、世間話ってのは、用も意味も大してないところから始まるもんだ」
「…………」
しかし、大して気にした様子のない灰の言葉に、守護精霊は眉間に皺を寄せる。その一方で、俺の背中に回してくる腕はより硬く力がこもっていた。
「まあまあ、そう怖い顔をせず――そうだ、こいつとも仲良くしてやってくれよ」
そう言って、灰は大きな掌を俺達の前につきだした。――その上には、小柄なハムスターが乗っている。それを見た守護精霊は、その赤い瞳を興味深げに見開いた。
「――なんだこれは」
「いやぁ、こいつが俺の守護精霊なんだよー。ほら、可愛いだろ? ちなみに、名前は『よもぎ』ってんだ」
「ぶっ」
「お、今笑ったな! 確かに似合わないが、和みはするだろ!」
つい吹き出してしまったことに、灰は怒ることはせず、むしろ喜んでいるようだった。何がそんなに嬉しいのか。
「…………」
一方、俺の守護精霊。灰の手から、奴の守護精霊ハムスター、よもぎを、恐る恐る、そして繊細な手つきで持ち上げた。
「……………」
「……………」
よもぎは喋らない。守護精霊もしゃべらない。もふもふの柔らかい毛皮に覆われた小動物の守護精霊は、小さな女の子の守護精霊の目の前に、まるで大事なモノのように掲げられる。少女と小動物。この組み合わせは、大変絵になっていることだろ――、
ぱくっ
「よもぎいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっっ!?」
よもぎを、まるで餅でも頬張るかのようにもしゃもしゃしだす俺の守護精霊。その様子を見て大柄な体躯に見合わない悲鳴を上げる灰。流石の俺も、この状況には困惑せざるを得ない。
「ぺっ、しなさい! ぺっ!」
「もしゃもしゃもしゃもしゃ――……」
「――ッッ!? ――ッッッ!?」
俺の守護精霊の口から、下半身だけ出して暴れるよもぎ。灰は青ざめて自分の守護精霊を救いだそうと試みるが、相手の見た目が小さな女の子であるためか、結局何もできずに慌てふためいている。
――が、しばらくして、
「ぺっ。マズいっ」
「そもそも食べ物じゃないぞ『よもぎ』はァッ!?」
「だったら餅みたいな名前をつけてんじゃねぇよ」
「名前じゃなくて見た目で判断しろよお前らァ!?」
守護精霊から吐きだされたハムスター守護精霊のよもぎは、床に転がり落ちると混乱した様子で灰の足を上り、ポケットの中に隠れてしまった。
「おー、よしよし、俺が守ってやるからなぁー! 今後は誰にももしゃもしゃされないように気をつけるからなー!」
――まあ、そもそもハムスターを見かけて食べようとする意味不明な奴は、そうはいないだろう。かくいう俺も、別においしそうには見えなかった。食べようとした本人もマズいと感想を漏らしたようであるし。
「――そう言えば、さ。彩無、その娘はなんて名前にしたんだ?」
「名前――?」
「まあ、自分の守護精霊は初めて見ただろうから、まだ決めてないかもしれないけどよ」
「――別に、必要か?」
「――は?」
俺は窓の方に目をやりながら返答するが、その表面に灰のあからさまに驚いた顔が映る。
「いやいやいやいや、決めてやらないと駄目だろ!?」
「何故だ?」
「授業でも、そう推奨されてただろ!?」
そう、確かに灰の言う通り、守護精霊を扱う人間は、自らの精霊に名前をつけることが勧められていた。と言うのも、常に眠っている状態の守護精霊が憑いている一般の人間ならいざ知らず、目覚めている守護精霊と共に様々なことを行う精霊術師にとって、その精霊はパートナーである。それゆえ、友好な関係を築いておいたほうがよく、そのための一つとして「名付け」が推奨されていた。――だが、
「こいつに必要とは思えねぇな」
俺は自分の守護精霊に視線をやった。人懐っこい猫のように引っ付いてくる守護精霊が、どこかで見たことのある視線で見上げてくる。――この視線は……。
「いや、確かに滅茶苦茶友好的に見えるが――」
「呼びたいときは『おい』でも何でも、伝えられるだろ。別に、必要ないなら考えなくてもいい。その分の時間と労力をわざわざ無駄に浪費しなくてもいいからな」
「だがよぉ――」
何やら意味ありげな視線を、灰は向けてくる。が、これは俺の問題であって、別に他人にあれこれ言われる筋合いはない。
――とは思いつつ、一応考えてなくはない。が、明らかな人外に名前をつけるのと違って、小さな女の子に名前をつけると言うのは、少しばかりこそばゆかった。基本人に無関心に見える俺にも、人並みの周知くらいはある。
と、そこへ――、
「きゃあ、可愛い女の子!」
――と、また、面倒臭い予感を俺はキャッチした。
「とぉりゃあああああああああああああああああああああああああああああああああっっ!!」
「――っ!?」
がつーんっ!
俺の視界に女生徒が映ったと思ったら、次の瞬間星が散った。
「きゃあああああああああああっ! かわいいーっ! ちっちゃーい! やわらかぁーいっ!」
「ああっ、くそ――ッ」
どこのどいつだ、俺の顔面に図作を食らわして、かつ守護精霊の上からのしかかってくるこの馬鹿は!
「――邪魔っ」
「ほぶぅっ!?」
そんなやたらテンションの高い女生徒が、正反対にテンションの低い――と言うかあからさまに機嫌の悪い守護精霊の声と共に吹き飛んだ。
「あいたたたたた――……」
「宿主に、よくも――ッ」
守護精霊が頭上に手を掲げると、サッカーボール大の炎の玉が誕生した。
「待て待て待って!? ストップストップ! 落ち着いてっ!?」
しかし、そんな彼女の制止を聞くことはなく、守護精霊はその炎の玉を叩きつけた。
そこに、一本の大剣が割って入る。
「――っ」
その剣を伸ばしていたのは、いつの間にか現れた、漆黒の甲冑に身を包む騎士だった。乗っている馬までもが黒い鎧に覆われたその姿から、俺は押しつぶされるような圧迫感を感じる。
俺の守護精霊は、今度は先ほどよりも巨大な炎の玉を作り始める。
「――っ、やめてやれ」
「でも――」
「でも、もなんでもない。無用な騒ぎをお前に起こされたら、俺が困る」
「むぅ――」
守護精霊は頬を膨らませるが、宿主である俺の言うことを聞いて、炎の玉を霧散させた。ほら、名前なんざなくったって、ちゃんということを聞いてくれる。
「こほん、失礼したわね――」
ぶっ飛ばされた長い髪の少女は、ゆっくりと立ち上がって制服のスカートをはらった。
その少女は、有体な感想ではあるが、かなり美人だった。くっきりとした目鼻立ちに、切れ長の目。その中に納まる黒い瞳は黒真珠のように輝き、本物の宝石のようである。
身長も同年代の女子と比べると高く、手足はすらりとして長い。スカートから覗く脚や、袖から覗く手は透き通るように白く、そして頬は桜のように暖かい色をしていた。
「えっと、確かあなたは――彩無 光流君、だったよね?」
「そうだが、なんだ? うっとおしいことをするだけなら帰ってくれないか?」
「悪かったってぇ~。グミ食べる?」
「いらん!」
女生徒は苦笑いしながらも、一袋百円で売っているフルーツグミを取り出し、一粒口に含んだ。俺は今だ痛む鼻をさすりながら、灰に対するモノ以上に冷たい視線を向ける。
「な、なあ彩無――このヒトって……」
「――? なんだよ?」
「――やっぱりそうだ、間違いない!」
灰は一人納得すると、突然女生徒の手を握った。
「白踏 舞香さんっ! 俺とつきあってくださいっ!」
「ごめんなさい」
「ぐはぁっ」
――なんだ? この目の前で突然繰り広げられた寸劇は? 灰は謝られたとたん、血を吐くようにして床の上に崩れ、ぴくぴくと痙攣している。
「えっと、それから光流君。今の頭突き、ごめんなさい」
「あ、ああ――」
「私、あなたと同じクラスの白踏 舞香です。そしてそれからこっちが――」
「…………」
舞香が示すと、漆黒の馬が一歩前に出る。守護精霊と共に過ごすと言う関係上、かなり広く作られている教室だが、この騎士のせいで妙に今は狭く感じられた。
「私の守護精霊、名前は『マリー』、よ」
これまた、似合わない名前だな――俺はそう思い、ちらりと騎士の顔を見上げる。どう考えても、「死神」とか「ジェイソン」と言った名前の方がしっくりくる。
「あなたのそのかわいいかわいい守護精霊ちゃんは、既に名前は決まってる?」
舞香から何かを感じ取ったのか、俺の守護精霊は舞香が近づくと、あからさまに引いて見せた。攻撃を加えるなと俺が指示した以上、それを守り続けるつもりではあるようだが――さすがに、顔をひっぱたくくらいは許してやってもよかったかもしれない。
「いや、別につけるつもりはない」
「あら! 駄目じゃない!」
またか。
「そこに転がっている筋肉の塊にも言ったけどな、別に俺が自分の守護精霊に名前をつけようが付けまいが、あんたらには関係のないことだろ? 何でヒトのことにいちいちとやかく口を出すんだ」
「…………」
また一瞬、どこかで見たことのある視線を守護精霊が向けた気がした。しかし、記憶に引っかかるだけで、意味までは理解できない。
「だって、つけてあげないとかわいそうよ?」
「こいつは気にしていないようだがな」
先ほどの事件のせいで、未だに守護精霊は舞香のことを睨み付けている。――このことから見ても、こいつにとって、名前は大した問題ではないと判断できる。
「それでは、私がこの娘に名前をつけてあげましょう!」
「余計なことはしなくていい」
「んー……花子、と言うのはどう?」
「…………」
俺は相手するのも煩わしくなり、窓の外へと顔を向けた。
外では、自動車専用道を車がひっきりなしに走っていた。