2.
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「あ、光流君、ロサちゃん、おはろー。グミ――」
「いらん」
俺達が病室に入るなり、白踏 舞香はその顔に花のような笑顔を咲かせた。――今病院でそうなっている原因を作ったのは俺達だというのに、相変わらずワケが分からない。
「――? グミ女、包帯は……?」
「うっわ、遂に私にあだ名が付いたと思ったら、結構辛辣ぅ――」
掃除の行き届いていないトイレの匂いを嗅がされたような顔で、舞香はそのほとんど元通りになった顔に涙を浮かべた。
「――成功したんだな」
「あ、光流君、心配してくれたんだ?」
「違ぇよ。ただ――ちょっと罪悪感があったから、ほっとした……それだけだ」
以前の医療科学であるならば、あれほどの重度の火傷を負ってしまえば、傷は完治しても痕は残り、今のように元の顔を復元するにはさらに高い技術が要求されただろう。しかし、世間にはいろんな守護精霊がいるモノで、要するに、治癒とか、美容とか、そう言った類の彼らを持つ医者が復元手術を行うことで、今の舞香はロサに焼かれる前の姿をほぼ取り戻していた。
――ただ、完全に切断してしまった足だけは戻ることはなかった。それでも、こいつは俺に笑顔を向けてくる。それを見るたびに、心臓を針で刺されたような気持ちになるが、それがこいつなりの報復のつもりなのだろうか? ……いや、それはないな。
「光流君がデレた~、ロサちゃん、光流君がデレたよ~?」
「もう一度、レアステーキ焼死体みたいになってみる? ――あたっ!?」
「やめとけ」
「ふふん、光流君の心はついに私のモノに――」
「やるなら屋外にしろ。火事になるからな」
「退院直後にまた病院送りにする気!?」
こいつもこいつで、灰同様少し気を許せばすぐに調子に乗る。ちゃんと、釘を刺しておかなきゃな。
「――やっぱり、天摩先生居なくなっちゃったんだよね……?」
「ああ。目の前で完全に消滅するところを見たからな」
俺が舞香に重傷を負わせたことや、その舞香が殺人事件に関与していたことを隠蔽していたのは、おそらく天摩教師なのだろう。――あのヒトがいなくなった今、俺達にはどういう結末が待ち受けているのかわからない。特に、舞香の場合は。
「あの先生、結構好きだったんだけどなァ。生徒の話にも親身になって耳を傾けてくれるし、フレンドリーで面白いし」
「それら全てが、自分の研究を円滑に進めるための行動だったわけだがな」
「――でも、今でも嫌いになれないよ……」
「それは、お前が自分の境遇から抜け出すきっかけを作ってくれたからか?」
「さっすが光流君。君のそう言う鋭いところも、私は好きだよ?」
「これくらいは誰でも察せられるっつぅの」
俺は――どうだろうな。そもそも、ねぇちゃんや両親以来、ヒトを好きにも嫌いにもなったことはなかったからな。多分、今でも天摩教師に対しては、「残念」くらいにしか思っていないと思う。
「まあ、何はともあれ光流君が無事であることには勝らないよ。マリーを灰君に託して、よかったよかった」
そう言えば、そのマリーはどこへ行ったのだろうか? ――そう思い見回していると、ベッドの向こうの、台の上に置かれたポットに一生懸命手を伸ばしている姿がちらりと見えた。やはり、鎧を操り人形にすべきではないのだろうか?
「思いきったことをしたもんだ」
「病院内で、そうそう危険に見舞われることはないしね。それに――光流君に死んでほしくなかったし」
「一度殺そうとしやがった癖に」
「そうは見えなかっただろうけど、私も必死だったのよ~!」
「それも知ってる」
以前から思っていたことだが、こいつには独特の雰囲気があった。慌ただしく、騒々しい奴なのであるが、その一方で、話していると妙に安らいだ気持ちになる。気がする。
――それが、こいつが学校で好かれていた理由なのだろうか? こうして話していると、気が緩んで余計な事まで話てしまう気さえした。もっとも、今の俺にそんな大層な秘密も――、
「だああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
突然ロサが飛びあがり、俺と舞香の間に割って入った。すぐさま、床に着地してしまうわけだが。
「――? いきなりどうした、何をしてるんだ?」
「宿主! 私を置いて行きすぎ!」
「あははっ、光流君、そろそろロサちゃんの相手をしてあげないとね」
「――ハァ」
「宿主!? いかにも面倒くさそうなため息つかないでよ!?」
――まあ、実際に面倒臭い奴であることには間違いないからな。ねぇちゃんの姿をコピーしておきながら、どこでどう間違ってこんな性格になってしまったのか。
「それじゃあな」
「次は学校でかな? 退院して、すぐに舞い戻ってあげるよ!」
俺は鼻だけでクスリと小さく笑いながら、舞香の病室を後にした。灰も含め、またそのうちウンザリするようなやかましい日々が始まるに違いない。そんな、期待なのか憂いなのか判断のつかない気持ちを胸に秘めながら。
♦ ♦ ♦ ♦
「ねぇ、宿主――」
夜。今まさに就寝しようと明かりを消した頃に、ロサが声をかけてくる。真っ暗闇であるために、その顔は見えない。普段は彼女がパソコンで遊んでいるために完全な闇ではないのだが、今日は起動すらさせていない。
ごそごそと、俺の隣にロサが入りこんでくるのが分かる。こう言ったことが無いわけではないのだが、今日はいつもと違う雰囲気が感じ取れた。
「――どうした?」
「宿主は、私のことを許してくれたの?」
「いきなりなぜそんなことを聞くんだ?」
「それだけじゃなくて、宿主が最近ちょっと他のヒトに対する態度が変わった気がする――」
「…………」
ロサに言われ、今日のことを思いだしてみる。――確かに、以前の俺に比べれば、他者に対する態度は軟化しているかもしれない。だが、
「別に、お前のことを許したわけじゃねぇ」
「え――」
「ついでに言えば、誰かに気を許したつもりもない。人間が裏切るかもしれないと思っているのも相変わらずだ。その考えは変わらねぇよ」
「…………」
俺の言葉に対する返答はない。振り向いたとして顔は見えないだろうし、見えたとしても、別段誰かが得をするような表情をしているとも思えない。
「――ただ、そんなことばかりしてても仕方のねぇことには気が付いた」
あまりにも沈黙が続いたので、俺は言葉をつづけることにする。
「裏切られて裏切られて、さらに裏切られたとして、それで他人を遠ざけたその先に、何かあると思うか?」
「…………」
「いつものお前なら、『私がいるから他には必要無い』って言ってると思うんだがな?」
「…………」
近くにいるため、そして静かであるため、ロサの息遣いがよく聞こえてくる。息を少々多めに吸ったり、止めたり。鼻から抜いたかと思えば、ゆっくりと吸い、飲みこんだり。無言ではあるが、緊張と戸惑いが手に取るようにわかる。その反応は、人間と全く変わるところが無い。
「天摩教師とルピナスが、ロサが俺から抽出した力で溶けていくのを見た時、ふと思ってな」
「何、を――?」
「身を滅ぼすって言うのは、ああいうことを言うんじゃないか、ってことだ」
天摩教師、そしてその守護精霊のルピナス。あの二人は、自らの能力のベクトルを逆向きにされ、消滅した。アレは、ロサの力によるものだが、さらに元をただせば、裏切りと言う闇に恐怖する俺の心だ。
それが意味するところは、裏切りの恐怖がその身を滅ぼす、ということになるだろう。闇を押し付けられた結果が、あの通りなのだから。
「確かに、俺は誰かを信じ切ることは出来ない。やっぱり、裏切られることは怖ぇからな。心のどこかで、いつも相手のことを疑っていることは間違いねぇ。けどよ――いつか必ず、どこかで信じなきゃならないんだよ。じゃなきゃ、本当に自分の身を滅ぼすことになりかねない」
「…………」
「――分かりやすく言うと、そうだな。例えば、誰かが危険だと警告したとするだろ? それを嘘だ、裏切られるかもしれない。そう思うことは間違いではないとは思う。けど、それが本当かもしれないだろ?」
「…………」
「理屈じゃねぇんだ。どこかで、必ず折り合いをつける必要がある。
――確かに、ねぇちゃんの魂を食ったお前のことは、そう簡単に許せそうにはない。それだけは確かだよ。……ただ、だからと言って、それはお前が俺に対して何らかの不利益をもたらそうとしてやったワケじゃないんだろ?」
「――っ、それは、う、ん……。でも宿主は信じ」
「信じるぜ」
「え――?」
「無意識化の元で食っちまったって話。信じるっつってんだ。あの時のお前の話は本当だって、な」
「宿主――」
「俺はもう寝る。これ以上この話を続けてもしょうがねぇからな」
あの戦いの日から、ロサはもう一度俺を絞め殺そうなんてことはしなかった。こいつが、なんとなく俺の変化に気が付いていたから、というのは常々感づいていたが、恐らく今ので、こいつの疑問も少しは解消されたに違いない。
――まあ、それですっきりしたから殺される、なんてことにならない、などと言うこともありうるかもしれないが。どちらにせよ、俺はこいつを信じる以外に無い。自らの守護精霊を信じないということは、すなわち自分を信じないということなのだから。
「宿主――」
「…………」
先ほどの話をつづけるのが――これまでの自分の心情からの変化をこれ以上口にするのが妙に気恥しく、俺はそっぽを向く。
「――彩嶺は、多分今の宿主をみて、喜んでる。……と思う。私の意志とは無関係に、少しだけ自分のことを責めることをやめたあなたを感じて、少し安心してる」
「…………」
「たとえ許されなかったとしても、私はずっと宿主と共に居る。それだけは今も昔も変わらない」
「…………」
「ただ一つだけ、変わったのは――」
「――?」
「宿主のほかに、夜虹 彩嶺っていう、もう一人の大切なヒトができたこと。彼女がいるから、今の私がある。彼女がいるから、より宿主の近くにいられる。彼女がいるから――」
「…………」
「宿主が少しでも前を向けたことを、一緒に喜べる」
「…………」
「…………」
「……――そうかよ」
俺はそう短く応え、本格的に寝入り始める。馬鹿馬鹿しいなんて斬り捨てない。切り捨てることなんてできやしない。
ロサと言う名の俺の守護精霊が、今は亡きねぇちゃんの代わりに、ずっと暗い背後ばかり振り返っていた俺を見ていたことが分かったから。これからも、見て居てくれるから。
あー、ホント――、
何もかも馬鹿馬鹿しいと思っていた俺自身が、本当に馬鹿馬鹿しい。




