1.
「やーどっぬしっ――ぐえっ!?」
ロサの気配を感じ取り、寝そべった状態で俺は足を上げる。何かが当たったと思うと、それだけで潰れた蛙のような声が上がった。
「お、おご、おごごごご――……」
「学習しねえな」
「お、女の子のお腹を蹴るなんて――」
「俺が足を伸ばしたところにお前が飛び込んできただけだ」
――まあ、言うまでもなくロサが飛びこんでくることを見越して伸ばしたわけではあるのだが。いい加減、俺の腹にボディプレスなりパンチなり叩きこんで起こそうとするのはやめてほしいものだ。
天摩教師が行方不明になってから、三日が経った。と言うことになって居る。
あの研究者モドキは、俺達の目の前で肉も骨も血液も完全に空気に解けるように――それこそ、守護精霊が死んだときのごとく何も残さず消滅した。影も形も残さず居なくなったため、その消息を知るのは、俺とロサ、そして灰くらいのモノだろう。
あの時、天摩教師が守護精霊のルピナスと共に消えた。自らの能力による自爆によって。――正確には、ロサの手にした能力によって。
ロサはあの時、俺の魂を齧ることで新たな力を身に着けた。俺がそれを思いついたのは追い詰められたときで、実際にどうなるかもわからなかったが、結果はご覧の通り、生き残ることができたわけだ。
ロサは対象の魂を喰らう。しかし、ただそれだけではなくそこから記憶・思念をむさぼり、それを力として発現させることができるのだ。
普段、彼女は茨や炎を扱っていた。しかし、それは元から持っていたものではなく、俺やねぇちゃんの魂を喰らって、得たモノだったということに俺は気が付いたのだ。俺の記憶の中のねぇちゃんの姿が不鮮明なことや、ロサのあの姿はそのせいで、それをきっかけに、彼女の本当の力に気が付くことができたのだ。
そんな発想の上でロサに俺自身の魂を食わせ、彼女が手にしたのがあの力だ。硫酸でもかけられ続けたかのように溶けていくのが、どんな記憶をもとにしているのかしばらく思いつかなかったが、俺の中で最も大きな思考を起点にしてみると、納得が行った。
あれは、対象が自らの能力に「裏切られる」力なのだ。
適用できる範囲がどの程度のモノなのか分からないし、試す気もないが、俺が今まで感じていた感情を考えると、恐らくそれだったのではないかと推測できた。ロサに触れて居たあの瞬間、天摩教師はルピナスの、触っている物体に干渉する力に裏切られ、分子レベルにまで分解されてしまったのだ。
「――それはともかく、宿主、学校だよ?」
「ああ、分かってる」
「始業は後五分」
「もっと早く起こせッ!?」
俺はベッドから飛び起きて、急いで支度を始めた。朝食なんぞ、食べている暇などない。今すぐに出なければする必要のない遅刻をする羽目になる。
「時間が迫ってたから叩き起こそうとしたのにぃ」
「だからもっと早く起こせって言っただろ!」
♦ ♦ ♦ ♦
「よぉッ、彩無!」
「帰れ」
「はぐあっ!?」
俺の席へとやってきた灰に、俺は早速辛辣な言葉を浴びせてやる。こんなことを割といつもしていた記憶はあるが、随分久しぶりに思える。
「しばらくぶりに教室で会ったって言うのに、そんな言い方しなくてもいいだろー……」
「宿主の言う通りだ、カエレカエレ」
「ロサちゃんも、せめてもう少し態度を軟化させてくれないか――?」
俺の膝の上に座るロサにとどめを刺され、心底落ち込んだ様子で、灰はがっくりと肩を落とした。これで少しは静かになるだろう。調子に乗らせると、うるさいことこの上ないからな。
「――で、今日は何の用だ?」
「お、俺達友達だろ――? 用がなきゃ来ちゃいけないなんてことはないだろ……!?」
「壮大な隠し事をしていて、何が友人なんだ?」
「あ、アレは極秘事項だしよぉ――」
「そもそも、いい歳した大人が、高校生に友達だと迫るのは少し問題があるんじゃないのか?」
「う、うう――」
灰 世詩也と言う人間は、元々どこぞ組織の密命を帯びてこのアレク学園へと来たらしい。
そもそも、こいつは年齢が高校二年生の十七歳ですらなく、ただ単に、今まで守護精霊を覚醒させてもらっていなかった、若干二十二歳のおっさんなのである(それだったら大学の方行けよと思う)。
それを、灰は隠し通せないとさすがに思って俺に明かしたらしいのだが、まさか、本当に高校生ではなかったとは――。思わず俺の口がそれを言った時の灰の顔は、いわゆるドヤ顔的なモノで、「意外とバレないモノだろう?」をそのままにした表情は、とても俺をイラッとさせるモノだった(脛に一撃食らわしてやったのは言うまでもない)。
そして、密命と言うのが天摩教師に関することだったわけで――本人が行方不明になってしまった以上、その任務は中断。しばらくここに潜伏しているのだそうだ。突然消えたらそれこそ目立つだろうから、おそらく目立ちたくない組織とやらのことを考えれば、
「――冗談だ。別に用がなくても構わねぇよ」
「――っ、何! 本当か!?」
「一応、友人って事になってるからな」
一時はこいつの、俺の過去を調べやがった無神経さに腹が立ったものだが、むやみやたらと言いふらしたりするような奴ではないことは見て居ればわかる。俺自身のこの観察眼による判断は裏切られることはないだろう。それに、なんだかんだで助けられもした。
その力は、今コイツの方で頬袋をもぐもぐ動かしているよもぎのおかげでもあるのだろう。灰曰く、その能力は幸運を呼び込むというモノで、漠然とした概念ではあるが、都合のよいことがあいつの周りで起こっていることを考えると、間違ってはないだろう。
「おおっ、彩無ぃ! 心の友よォッ!」
「ロサ、やれ」
「えいっ」
「はごぉっ!?」
ロサが手をかざすと、ゴシックドレスの袖の隙間から、先端を丸めた茨が飛び出し、強かに灰の鳩尾を打ち据えた。
「な、なぜに――?」
「調子に乗るんじゃねぇ」
その鋼鉄のような大胸筋と上腕二頭筋で抱きしめられては、こっちの命が持たない。ついでに、俺にそっちの気の趣味はない。
「ふぅ――」
ま、これからは話を聞いてやる、くらいのことはしてやるつもりだ。だから何も、大袈裟にする必要はねぇだろ。――もっとも、それを倒れ伏す灰の後頭部に言ってやるつもりはない。
なぜかって? ――面倒だからに決まってるだろ。他に理由なんぞは存在しない。




