7.
「断固拒否する」
と、答えてやった。
何度も何度も裏切られて来た俺には、自分に都合の良いことなどこの世界には何一つないことが分かっている。その時は本当だとしても、後々に待っている掌返し。それは、こちらにとって条件がよければよいほど起こりやすい。
「そうですか。では仕方ありませんね」
俺の隣に、先ほどのように天摩教師が突然現れる。その手に持つ拳銃を俺の頭につきつけて。
――そうとも、おとなしくくれてやるくらいなら、たとえ言葉だけでもあがいて一矢報いてやる。それが、例え俺の死を招こうとも。
チュゥン――……
「――っ!?」
突然、天摩教師の手が血を噴いた。
「あぐっ、あ――ッ、オオオ……ッ!?」
「天摩ッ!?」
俺に隣接していた天摩教師が、ルピナスの隣へと瞬間移動した。
「漸く、ここまで戻ってこれた――ッ、待たせたな彩無ッ!」
「――っ、お前、生きてたのか……ッ!?」
食堂の窓の外から張り上げられた声に外を見ると、全身筋肉でタンクトップ姿の男、灰が不敵な笑みを浮かべて立っていた。――その手に、長銃を抱えながら。
「ルピナス――ッ、彼は戻ってこられないところにまで送ったのではなかったのですか!?」
銃を取り落とした手から多量の出血をしている天摩教師は、今までの穏やかな様子が信じられない程の剣幕で己の守護精霊を怒鳴り付けた。それに対し、ルピナスは渋い顔を返す。
「我はお前のところからあの男が送られてくる際、底も見えぬほど暗い崖にいた――あの高さならば、助かるはずがないと思って、それも、マリーまで引きはがしたのだぞ……ッ!?」
「悪いが、うちのよもぎがいる限り、不確定な方法で俺は殺せんぜ先生」
灰の肉厚の方の上で、小さなハムスターが口をもごもご動かしていた。話から聞くに、よもぎの力があってここに居るようだが――あいつの守護精霊もなぞは多い。
「彩無! ルピナスの力はおそらく本人、宿主、およびそれら触れて居るモノに対する空間操作だ!」
「……!」
俺はその言葉を聞いて、漸く合点がいった。突風も、羽根の弾丸も、瞬間的な移動も、直感ではあるが大体の事はやってのけられるだろう。本人たちと限定しているのは、天摩教師らが油断を誘うために自らに追い詰められるまでの条件を付けただけなのかもしれないが。
「ルピナスッッ!」
天摩教師が守護精霊の名を呼ぶと、ルピナスの全身から暴風が吹き荒れた。
「どぅああっっ!?」
まともにそれを浴びた灰はモノのみごとに吹き飛ばされるが――周囲の壁や窓、床に切り傷が発生しているにもかかわらず、奴は切られた様子がない。
「――とんだ邪魔が入ってしまいましたよォ」
「先生――」
「灰君はルピナスの能力を分析したようですが、それで何かができるワケではないでしょう? だって、どの道彩無君達に空間移動を止める術はないんですから――」
「――ッ!」
天摩教師とルピナスの姿が同時に掻き消えた。俺は二人がどこに現れたかを確認すべく、周囲を見渡す。
「我は貴様の目の前だ、愚か者――ッ!?」
体の正面からルピナスの声が発せられたと思い振り向くと、目の前で黒い羽の天使が茨によって体を貫かれ、絡めとられていた。
「宿主だけは、どうあっても私以外の誰かには傷つけさせないよ」
いつの間にか、ロサは俺の背後にいた。背が低いため、視線を並行に動かしたのでは視線から外れてしまうのだ。
「小癪な――」
棘によってズタズタになったルピナスの姿が掻き消える。距離を取った位置へと再び現れた漆黒の翼は、羽根の弾丸を無数に飛ばしてきた。
「私が守るはずだったのに、筋肉なんかに手柄を横取りされたら、私の面目丸つぶれだよ」
ロサは炎の壁を作りだして全てを焼き落とす。――と、同時にルピナスを床から生やした茨で捕縛しにかかった。
「しつこい奴め――ッ」
悪態だけをその場に残し、ルピナスの姿がまたか聞消えてしまった。と言っても、すぐ後ろの厨房に移動しただけなのだが。――あいつはあんなところで何を?
「ふんっ!」
ルピナスがその場で一回転すると、辺りに真空の刃がまき散らされる。わずかだが、空気が歪んで見える場所がそのかまいたちのような攻撃の発生個所なのだろう。
ロサはそれを、地面から生やした茨でなんなく受け止めて見せる。防ぐ事態は容易ではあるが――それだけが本当に目的なら、何もあんなのころで……。
厨房の奥から、水道管が破裂して水が噴き出る音を耳にした。
またルピナスの姿が掻き消えたかと思えば、噴きでる水のすぐ近くに現れ、そこに手を突っ込んだ。いったい何を――。
何本もの水の槍がこちらに向かって飛来してきた。
「――っ」
ロサは茨を生やそうと指先を動かしたが、俺は自分の直感に思うことがあり、彼女を抱きしめてテーブルより下の位置まで。
「やど――ッ!?」
茨が、前方からすさまじい勢いで生えてくる。それは本来、ロサが壁として用意したモノだったのだろう。
しかしそれらは、容易く水の槍に貫かれてしまった。
「――危なかったな」
「どうして、こうなるって分かって――?」
「茨で防ぐことが分かってて、効かない攻撃をしてくるとは思えなかっただけだ! ロサ、アレをまたこっちに向けられる前に何とかしろ!」
「分かった――ッ」
直後、俺達の隠れていた机が水の槍によって粉砕される。これで俺達は丸裸。相手の凶器の前に姿を現してしまったわけだが――。
「――ッ、……ッ」
どうやら、間に合わせてくれたらしい。それ以上水の槍は飛んでこず、見ると、ロサは茨で水道管を塞ぐとともにルピナスを磔にしていた。
「――フッ」
「――っ」
てっきり、またその場所を瞬間的に移動するかと思っていたが、ルピナスはなぜか不敵な笑みを浮かべただけだった。何がそんなに――いや、
天摩教師はどこへ行った?
ドギュンッッ
「――ッ、え?」
食堂に、一発の銃声が鳴り響いた。
そちらの方向を見ると、いつの間にそこにいたのか、少し離れた位置で天摩教師が銃を構えていた。ルピナスに気を取られてばかりで、こちらまで気が回せなかったが、その間に銃を拾っていたのだ。
――だが、その顔には驚愕の表情が浮かんでいるようだった。きっと、俺も同じように目を見開いているのだろう。なぜなら、
ロサが背中を血まみれにして、俺に覆いかぶさっていたからだ。
「――ッ、自ら盾となりましたか……ッ、守護精霊としてはある意味合格、と言うべきなのでしょうかねぇ――?」
「ロサッ!?」
「う、ぐっ――宿主……っ」
なぜこいつは、ここまでして俺に拘るのだろう? 守護精霊が宿主を守ろうとするのは、確かに当たり前のことだ。したがって、人間よりも頑丈なその身を盾にすることだって、充分に考えられるだろう。
しかし、こいつのこれは、守護精霊が守護精霊たる本能とはまるで無縁の、個人の感情によるモノだということが、これまでの様子から分かっている。なぜこいつは、あれほどまでの執着、排他的態度をとるのか。
「…………」
当然、それは俺にはわからない。魂はつながっていようとも、同じではない。こいつの考え自体が読めるわけではない。痛みによるモノなのか、これからを想定した故の悲しみによるモノなのか、その目にいっぱいの涙をためるロサ。少なくとも、その背中の傷は体格に対して大きなものだし、俺と離れることをロサはとても嫌がる。
「もう良いでしょう? 流石の私も、これ以上は手の痛みを我慢できる保証はありませんからねぇ。このあたりでおとなしく、投降してくれるとうれしいのですがぁ」
額に脂汗を滲ませる天摩教師の隣に、ルピナスが舞い降りる。絶体絶命とは、こう言うことを言うのだろうか?
ねぇちゃんの魂を喰らったロサ。――おそらく、彼女が死んでから、その魂をいただいたというのは嘘ではないだろう。答える気がないのなら、始めから違うと言えばいいのだから。
それでも、ねぇちゃんの魂を食べたということに対する嫌悪は抜けきらない。この、他の誰のモノでもない守護精霊に対し、俺ができること。それは――、
「ロサ――俺の魂を少し齧れ」
「――っ」
俺が彼女の耳元で小さく囁くと、ロサの喉の奥が驚いたように小さく鳴った。
「いいからやれ。俺が、あいつらに殺される前に」
「…………」
俺の体に覆いかぶさる小さな体。人間の姿に即しているためか、心臓の鼓動までもを感じる。早鐘を打つそれからは、戸惑いが大きく感じられた。
「お別れの挨拶は済ませられましたかぁ? いい加減、出血で目がくらんできました。十秒以内に済ませていただけない場合は、射殺しますのでご理解くださぁい」
「――いや、もういい。済んだ」
「ほう、では――」
「あんたにこいつを渡してやるつもりはねぇ」
その瞬間、一瞬天摩教師は驚愕に目を見開くが――すぐにその顔は嘲笑の笑みに変わった。
――残念だよ。守護精霊について教職の弁をとるあんたが、そんな風にこいつらを見下して考えてるなんてな。
天摩教師は、次は防がれまいと考えたのか、ロサの腕をつかんで引き寄せた。彼に意外と力があるのか、それとも俺の守護精霊の体重が軽いのか、片腕で持ち上げられたまま宙ぶらりんとなってしまう。
「では彩無君、お別れ――ッ!?」
次の瞬間、天摩教師の皮膚が古びた塗装のようにパラパラと剥がれはじめた。
「天摩ッ!? ぐ、あっ――あ、あああああああああああああああッッ!?」
同じように、ルピナスの体にも異変が起こり始める。漆黒の羽から羽根が次々と抜け落ちてゆき、全身に血が滲み始めた。
「な、何をしたんですか、彩無君、ロサさん――ッ!? か、体が、皮膚が熱、ああああッ」
銃とロサを落とした天摩教師が、膝から崩れ落ちる。もはやその全身に皮膚は残っておらず、赤い筋肉がむき出しとなって悶えている。そして、それはルピナスも同様だった。一心同体の宿主と守護精霊が、床の上に血だまりを作ってミミズのようにのたうち回っている。
「さぁ、な――厳密なことは、俺にも分からねぇよ」
魂を齧られた影響だろうか? 俺の全身を身を引き裂かれるような痛みが支配する。しかし、それでも俺は目の前で崩れ解け行く二人を見届けた。火であぶられたアイスクリームのように溶けてゆく天摩教師とルピナスは、木製の棒が現れるかのごとく骨をむき出しにしていった。
そうして、人間とその姿の一部を模倣した守護精霊は、骨以外を全て赤い液体へと変えた。
「――勝利を裏切られた気分はどうだよ……?」
這うように俺の元へと戻って来たロサを抱き寄せ、俺は天摩教師だったモノに悪態をついた。
その言葉で白骨を震わせたが最期、それまでもがガラリと崩れ去った。




