1.
「――っっ」
俺ははっと目を開けた。
「――ッ」
体を横にして寝そべっている俺の心臓が、バクバクと強い鼓動を打つ。そして、それと同時に荒い呼吸の音を、俺は全身で感じ取った。
「……っ」
俺は自分を落ち着けるために、今一度目を閉じる。落ち着け、ただの悪夢じゃないか。したがって、こうやって動転していることに意味はないと、心の中で何度も己に言い聞かせる。
「――馬鹿馬鹿しい……」
しばらくそうやって体を安静にしていると、すぐに恐怖によって激しく活動していた内側が、次第に落ち着き始める。全く、今日はついてない。
俺はベッドの枕元に置かれたデジタル時計を確認する。午前七時過ぎ。目覚まし時計が鳴るその時まで、あと三十分もある。悪夢のせいで、予定していたよりも早く目を覚ましてしまった。おまけに、二度寝するような時間でもない。本当についてない。
仕方ないので、俺はベッドから起き上がり、洗面所で顔を洗いに行く。眠気はほとんど残ってはいないが、非常にすっきりとしないためだ。冷たい水を顔にぶつけてやれば、多少なりともマシになるだろう。
俺はたびたび、悪夢を見る。内容は毎回違い、タンスの角に小指をぶつけることもあれば、扉を開けた拍子に外の誰かに当たると言ったモノ、階段で転んで腕を骨折するなどと言った、それこそ多種多様だ。
しかも興味深いのは、それらの約半分が本当に起こってしまうと言う事だ。そう言った夢を見て、ほどなくしてから俺はそんなトラブルに見舞われている。いわゆる、正夢というワケだ。どうせなら、もっといい夢が見たいと思うのは言うまでもない。
――もっとも、今日の夢みたいなモノは、まず起こり得ない典型であるから、とりあえず心配する必要はないだろう。なぜならば、わざわざ銃で殺されるような恨みを買った覚えはないからだ。だいたい、ここは日本。警備もしっかりしているこの学校の、それも出歩く必要のない夜間で、どう銃で殺されろと言うのか。
どちらかと言うと、今の夢の中でならば、誰のモノともしれない「守護精霊」が気になった。襲い掛かってくる方も、それから俺を守ってくれたほうも、かなり強力な力を秘めていたようだった。悪夢に対して思うことではないだろうが、俺にも、あれほどの力を持った守護精霊が憑いていれば嬉しい。
――そうだ、今日は高校二年の新学期で、とうとうその守護精霊を、目覚めさせてもらえる日であった。表面上は興味なさげに振舞っていても、やはりこの学校へと来たからには、そんなことはまずあり得ない。それならば、普通の学校へと通えばいいのだから。
俺は洗顔をした後、朝食の食パンを焼く。新たなる出会いに、ひっそりと心躍らせながら。
♦ ♦ ♦ ♦
俺の在籍する、「アレクサンドロス・クレメンス学園」、通称アレク学園は、小・中・高・大の一貫した、少々特殊な専門の学校である。
広大な敷地に、俺の住んでいる寮や学食は勿論のこと、様々な専門施設のもうけられたこの学校は、近年注目され始めたばかりのモノを取り扱っている。
それは、「守護精霊」である。
守護精霊――時代や場所によって、守護霊や守護天使と言われることもあったらしいが、現在の日本語正式名称はこれだ。この学校は、小学校から大学まで、ずっとそれに関する教育、研究を行っている。
そして、俺の両親はそんな守護精霊研究の第一人者でもある。ある意味、俺がこの学校に在籍しているのは当然と言えよう。
「では、出席番号順に並んでください」
教師の声が、体育館内に響く。俺達生徒は、それに従い一つの列を形作った。
俺の名前は、「彩無 光流」。出席番号順とはすなわちアイウエオ順であるため、俺は割と序盤に呼ばれることになる。
これから俺達は、各々についている守護精霊を目覚めさせてもらう術を施される。
守護精霊と言うのは、その人間が生まれた時から常に寄り添うようにして居る存在だ。宿主の魂と共に在り、魂の力、「魂力」を勝てとし共存している。その力は多種多様、様々で、しかし、その全てが、他の生きとし生けるモノには到底不可能な力を持っている。
しかしながら、彼らは始めその大半は眠っていて、完全な休眠状態であるその間は、その姿を見ることができない。今日は、そんな彼らを、常に俺達の前で姿を現す、つまり「目覚めさせる」日なのだ。
つい二十年ほど前まで、世間ではただのオカルト的存在だと思われていたのはそのためである。だから、それが世間で初めて認知され始めた時はかなりパニックが起こったらしいが――まあ、授業で習った程度の知識しか持ち合わせない俺としては、偉そうにあれこれ語れるモノでもない。
「えっと、彩無 光流君。次、どぅぞ」
前のクラスが終わり、俺の番になる。本来なら俺の前に一人女生徒がいるはずなのだが、以前目の前に晒されたある女生徒の守護精霊が、パニックに陥って風でその場の全員の服を吹き飛ばすと言う事態が起こったため、男女別にしているらしい。
「それじゃあ、そのままじっとしていてくださいねぇ」
俺は目の前の精霊術師(スーツを着ているため、初めて見た小学校の当時はイメージに合致しなかった)の男性教師に言われた通り、その場で直立不動になる。
「…………」
教師は俺に手をかざし、呪文を唱え始める。と、同時に、その教師の守護精霊である、中性的な顔をし、白い翼の天使が、隣に立って復唱を始めた。その内容は、小学校のころからならっている精霊言語であるが、相変わらず小難しく、また特殊な術式であるため、半分も理解できなかった。
――ちなみに、俺のこの学校での座学成績は中の上程度である。
ぽすっ
「――?」
と、丁度詠唱が終わったその時、俺の両肩に何かがのしかかってきた。
重量にして、約30kg程だろうか? この間、教師に頼まれて担いだモノとほぼ同等の重さが俺の腰にかかるが、なんとなく柔らかいせいか、そこまで重くは感じない。
「ぶっ」
――後方の生徒の誰かが、思わず噴き出したような音を俺は耳にする。そいつは、というか、他の生徒たちはいったい何を見たのだろうか?
「光流君? そのコがあなたの守護精霊みたいねぇ?」
「そのコ」? タイミング的にそいつが俺の守護精霊であることは分かるが、その言葉は、何と言うか、小動物や女の子に向けるような言葉ではないのだろうか?
守護精霊は決まった姿形を持たないし、元が人間だったり天使だったり、それ以外の動物だったりするため、何が出てきてもおかしくはない。しかし、彼らはその人間の魂と共存しているため、交換が効かない。
別に、俺は何が出てこようとも気にするつもりはなかった。なんにせよ、これから一生がいつきあって行く相手だ。そもそも、何か言ったところでどうにもならない。――きっと後ろで吹きだした奴は、子供のパンダやカピバラでも見たのだろう。確かに、俺には似合わない。
そう思い、大した期待もせぬまま俺は、そいつを肩からおろすべく身をかがめる。肩車など初めての経験だが、思いの外うまく、黒い靴を履いた小さな足を下ろすことができた。
――ん?
俺が頭を股の下から抜くと、白いふとももと黒いニーソックスがスカートで覆い隠される。レースがふんだんにあしらわれた黒いそれは、真っ黒な薔薇の花を思わせた。
そんな、漆黒のゴシックドレスに身を包んだ少女。外見年齢は、12歳前後と言ったところではあるが、その妙に完成された美しさは、その少女性も含め、さながら、日本人形と西洋人形のいいとこどりをしたような存在感を放っている。
「――?」
少女――おそらく、俺の守護精霊なのだろう。そいつは、潤んだ紅い瞳を見開いて、触ったら折れてしまいそうなほどの華奢な首を傾げる。白く透明感のある肌に、紅をさしたような頬がとても愛らしいが、その一方で不吉な程真っ黒な服装と床につかんばかりの長さの髪、そして、頭に飾られた一輪の黒薔薇が、それを呑み込むほどに重い気配を生み出している。
「宿主っ」
「――っ!」
不意に守護精霊が俺に抱きついてくる。妙に不気味な第一印象だが、その言動や仕草は、見た目相応の年齢からは逸脱していない。つまるところ、本気で小さな女の子を相手にしているかのようだ。
――まさか、俺はこれからこの子供のお守りをすることになるのか?