2.
♦ ♦ ♦ ♦
「ところで、常々思ってたんだが――」
「なんだ?」
「なんでお前は、この事件を解決しようと動いてるんだ?」
俺は夜になって再び戻って来た灰に、理由を問いかけた。何事か準備を行っていたらしいが――詳しいことは知らない。
「正義感に燃えて――じゃ、駄目か?」
「それはそれでお前らしいが、言うほどそれを妄信してはいないだろ?」
「お見通しかよぉ――」
「これが常日頃、それらしい活動をしていたなら納得もできたがな」
「それならそれで、お前は手伝ってくれなかっただろ?」
「お前もお前で、よく分かってるじゃねぇか」
俺はロサを膝の上に座らせながら、彼女の食べるポテトチップスに手を伸ばしつつそう返す。何事か準備を行ってもよかったのだが、それは全て任せてくれと灰が言ったため、戻ってくるまでやることが無かったのだ。
「だけど悪い。今、それを話すことは出来ないんだ」
「そんなまともに理由も話せない状態で、よく協力を仰ごうと思ったな」
「仕方ないんだ。現場に鉢合わせしたわけでもないし、だから絶対にそいつだっていう確証もない。ついでに言うなら、余計な警戒をして相手に気取られるわけにもいかない」
灰の作戦はこういうモノだった。何も知らない俺が、獲物が少なくなってイラついているはずの学校へと行き、囮になる。そこを絶対的な証拠として押さえ、俺と灰、二人で犯人を捕まえる、と言うのだ。
勿論、明らかに危険の度合いが圧倒的に俺の方が大きい。よって当然反対したのだが、そこが、俺に協力を取り付ける理由だったのだという。
なんでも、灰の調査によると、これまで被害にあった生徒たちは、比較的力の弱い守護精霊を所持している生徒たちだったらしい。つまり、この事件の犯人とやらは、狙って弱い相手を狙っているのだ。
しかし、その作戦には一つの問題があることは否めない。驕るつもりはないが、ロサは守護精霊としてはかなり能力が高いのだ。つまり、俺が囮になったところで、犯人がつれる可能性は極めて低い。何しろ、先日の競技会で規格外の無茶苦茶を行ったのだ。
――が、そこにこそ、付け入る隙があるかもしれない。灰は、絶対に俺に怪我をさせないと強く表明するとともにそう言って、作戦を立てたようだった。
「さて、お前が戻ってきたと言うことは、そろそろ出発か?」
「ああ、そうしてくれると助かる」
「――だとよ。ロサ、行くぞ」
「え? だってまだ半分以上残って――」
「ふざけんな、ファミリーサイズいくつ平らげたと思ってんだ」
俺はゴミ箱の中に詰め込まれたポテトチップスの袋群にちらりと目をやる。いくら食い意地が張っているとはいえ、ジャンクフードをここまで詰め込めば、普通は気分が悪くなりそうなものだが。
俺はごねようとするロサの後頭部に軽いチョップをかまして叱る。すると、口を尖らせながらも、渋々袋の口を巻きとり始めた。
「あ、ロサちゃん、輪ゴム要るかい?」
「うん、ちょうだい」
「――なんでそんなもん持ってんだ」
「いや、ポケットに手を入れたら入ってた」
そう言って笑う灰のズボンのポケットから、よもぎが顔を覗かせる。見た目で判断するわけにもいかないが、少なくとも、囮は灰の方が適任に見える。
そうして、俺達は夜間に寮の部屋を出た。廊下は明かりこそ灯っているが、それは必要最低限で、薄暗さは消えない。
「そう言えば、灰も寮に住んでるのか?」
「おう。お前の隣の部屋だ」
「――は? それは本当か?」
「なんで嘘言わなきゃなんないんだよー、と言うか、今まで知らなかったのか?」
「何で俺がお前の部屋を知ってなくちゃならねぇんだ」
「いやいや、そこは知っておこうぜ? お隣さんとして――」
そうして俺達は寮の建物から出た。そして、これから学校の方へと向か――、
「おっと彩無、お前はこの辺を適当にぶらついててもらえるか?」
「――? 学校へ行って待ち伏せするんじゃなかったのか?」
「そうしたかったんだが、多分そっちはどれだけ待っても来そうにない。――と言うか、絶対追い返される」
「――なるほど、厳重な警備が敷かれてるわけか。そりゃあ、向こうもわざわざそんなところに来ねぇわな。ここで、ひとつ疑問ができたんだが、聞いてもいいか?」
「ん? なんだ?」
「そんな状態で、犯人が来る可能性は何パーセントなんだ?」
新たに気になった点はそこだ。周囲が強く警戒しているとすれば、その時点で事件を起こすことはリスクが非常に高い。そこらじゅう罠だらけにもかかわらず突っ込んでくるのは、イノシシくらいだろう。
「――10%くらいかな」
「帰っていいか?」
「待てって! それでも、やる価値は十分にあるんだから!」
必死な灰の様子に、俺は渋々ながらも帰宅をやめた。本当にこいつはちゃんと計画を立てていたのだろうか?
「――犯人にとっても、遅かれ早かれチャンスは一度しかないと思うんだ。事件が解決するまで、どうせ警備はやめないだろうしな。それだったら、まだしっかりと網の張られていない早いうちに、何とかしようと考えるだろ。まあ、それが今日なんてこと言いきれないのは確かだけど」
「どうにも、計画が穴だらけな気がしてならねぇんだがな――」
はっきり言って、不安しか残らない。こいつの話を聞いて協力しようと言ったのを、俺は早速後悔し始めていた。
「そんじゃあ、ロサちゃんは俺と一緒に待機だ」
「――分かったよ」
そして、本来予定していた作戦通り、ロサは灰と共に物陰に待機しに行った。
最初にこの話を聞いた時、ロサは当然反対した。あいつにとって、守護精霊的な意味でも俺が危険にさらされることを避けたいと言うのは当然だ。
しかし、ロサには植物を使って即時に遠隔攻撃を行える能力がある。それを使って、絶対に守ってくれるんだろ? と言ってやると、彼女は渋々ながら、承諾してくれた。――少しばかり、余計な心配をかけることに罪悪感はあったが、宿主を守る意識の高い守護精霊で、本当によかった。
「…………」
そして、俺は街灯に照らされた夜の道を一人歩く。行先は、近所のコンビニで、その区画の間を往復することになっている。
そんな俺を、ロサや灰、よもぎが見ていると思うと、何ともシュールに思えた。カメラでも持っていれば、素人による映画の撮影にも見えたかもしれない。
「ちょっと、君」
「――っ」
背後から声をかけられ、俺は思わず飛び上がりそうになった。
「こんな時間に、何を出歩いてるんですか? 君はどこの誰ですか?」
振り返ると、そこには一人の青年がいた。年齢は俺より少し上程度で、その背後には髪の長い女性の姿をした守護精霊が控えている。丁度街頭に照らされていないため、その表情が分からない。
――こいつが、犯人なのか?
「えっと、高等部二年一組の彩無です」
「えー、あー、高等部のヒトかぁ。なんでこんな時間に出歩いてるんです? 確か、特に夜間は自宅から外へ出ないように、言い渡されてたはずだよね?」
「――そうですけど、あなたは?」
「あ、僕? 見えないかもしれないけど、教師なんだ。小等部の」
「あなたこそ、何でこの時間に――?」
「――あれ、これお互い疑ってる感じかな……。僕は今、自主的に警備中」
そう言って、教師と言うその青年は、暗がりの中でぼりぼりと頭をかいた。その通りだ。俺も、あんたを疑ってる、が――、
「二年、と言うことはもう守護精霊は覚醒させてもらってるハズだよね? とりあえず、今は特に物騒だから、出掛けるにしても守護精霊と一緒じゃなきゃ駄目じゃないか」
「はぁ――すいません。ちょっとコンビニ行くくらいですし、大丈夫かなと」
「そのちょっとが、危険を招くことだってあるんだよ君? どうしてもっと警戒しないのかな?」
「――すいません」
まさか、犯人を捜している最中とは言えず、俺はとりあえず謝る。出会った相手が必ずしも相手が犯人とは言えないし、よくよく考えればむしろ怪しいのは俺達である。下手をすれば補導モノだ。
「そう言うワケだし、君も早く帰りなよ? それじゃあね」
「は、はい――」
それだけ言って、その自称教師は夜の闇に消えていった。犯人ではない、と言うことでよいのだろうか――。作戦が失敗したのか、関係のない人間だったのか、俺に判断はつかない。
何もなかったので、俺は再び歩き始める。今の相手が違ったからいいモノの、もしあれが犯人だったのであれば、やはり危険だったのは揺るがない。
ホント、なぜこんな頼みを俺は引き受けちまったのか。
結局、それ以降誰にも声をかけられることはなく、俺はコンビニにたどり着いてしまった。
折角来たので、俺はポテトチップスを一袋だけ買って帰ることにする。ロサが俺の貯蔵していたお菓子を片っ端から平らげてしまったので、新たに増やしておく必要があるのだ。
一般的なコンビニは、スーパーなどよりも単価が高いわけであるが、ここは学内にある関係か、比較的に安く購入できる。こう言う時は、寮に住んでいることがとてもラッキーに思えるわけだが、同時に自分と言う人間が少しばかり小さく見えたりもするのはどうしてだろうか?
節約は大事。これ鉄則。故に後ろめたく思う必要はない。――もっとも、ロサが食いつぶさない限り、わざわざ買い物をする必要も無かったわけだが。
さて、帰ろう。灰は犯人を捕まえたがっていたようだが、こっちとしては、何も起こらないほうが嬉しい。俺は身近な人間が危機にさらされているのなら心は動くが、それ以外の人間なら、誰がどんな目にあおうと知ったこっちゃない、薄情な人間なのだ。
だから、自宅でこもっていろと言われた以上は、自らこのように動こうとしない限り、事件に巻き込まれることはなかったはずなのだ。
夜であるためか、それとも殺人・誘拐犯のせいでほとんど人が歩いていないせいだろうか? とても辺りは静かだった。何故だか、とても心細く感じる。
――いや、辺りだけではない。俺の周囲が、死にそうなほどに静かだった。しかし、考えてみれば、以前は同じものを感じていたように思える。ここまで静かなのは、最近は、常に俺の隣に誰かがいたのが、突然いなくなったからだ。
――全く、馬鹿馬鹿しい。俺が、こんなことを思うことになるとは。どうやら、俺は自分が思っている以上に寂しがりやだったようだ。
とっとと帰ろう。誰も近くにいない外でこんなことをしているより、家にいてバカやってるほうが、よっぽどマシ――、
突然俺の背後で、アスファルトが砕ける音がした。
「――ッ!?」
その音に振り向くと、地面から突き出した茨がそれを捕縛していた。
「――ッ、……ッ!?」
それは、一言で表せば壊れた人形だった。
中心からいくつもの、そして種類も様々な腕が足が、そして頭が突きでており、しかし、それらの目には一切の生気が宿っておらず、しかし焼け付くような視線。あらゆる動物や人間のパーツをより合わせて、部位など関係なく繋ぎ合わせた、奇怪な何かという説明が一番しっくりくるだろうが、それでも耳にするまでは絶対にこの姿を思い浮かべることはないだろう。
何せ、目の前のこれはあまりにも悪夢的姿過ぎたのだから。
そんな肉塊を、ロサが遠距離から操作する茨がぐいぐいと締めあげている。だが、それでも化け物は、意志のない焼け付くような視線を俺から外すことはない。
ギチギチと縛り上げられたそれ。だが、幾本もある腕をそいつは俺に対して伸ばし続けていた。さっきから俺の頭に警鐘が響き渡っているが、それに反して体は地面に座りこんだまま全く動こうとしない。
生き人形がアスファルトに叩きつけられた。
「――っっ」
グシャリという湿った音と共に、周囲にそれの破片がばら撒かれた。その一部が、地面に落ちて空気に溶けるようにして消滅する。
「宿主っ!」「彩無っ!」
そんな中、どこからか聞き覚えのある声が俺の耳に響いた。
「宿主、宿主っ!」
「おい、彩無大丈夫か!?」
「――っ、ロサ……? 灰――?」
肩を揺すられ、俺はようやくその声の主が、自分の守護精霊と自称友人のモノであることに気が付いた。二人は、俺の顔を不安げに見つめている。
「――っ、なん、何なんだよアレは……ァッ!」
俺は思わず叫んだ。肉塊は茨に覆われながらも、なおもがき続けている。一向に傷を受けた気配を感じさせないそれに、俺は今夢を見ているのだと思いたくなった。
ぶちっ ぶ、ぶ、ぶ――……、
「な、んの、音だ――?」
もぞもぞと、肉塊は動きを次第に活発にさせていった。その姿は、集められた蛆虫の大群がバケツの底で蠢いている姿を連想させる。
そんな醜悪の塊から、何かのちぎれる音が鳴った。それが茨を引きちぎる音だと気が付いた時、落ち着き始めていた俺の心が再び泡立ち始める。
「――落ちついて。宿主……」
「――っ」
この場にそぐわない、妙に穏やかな声でロサが俺の頭を抱きしめてきた。
この時のロサは、その体躯に反してまるで慈愛あふれる女神のようですらあった。柔らかく、優しい言葉と体が、同時に俺の頭を包み込む。
それにより、俺は無理やり心を落ち着かせた。こんなことをしている場合ではない。今俺がすべきことは、現状への対処だ。怯えて腰を抜かしたまま固まっていることじゃない。自分の守護精霊のぬくもりが、俺の凍りついていた思考を解きほぐす。
「――っ、ロサちゃん! アレが逃げる!」
灰の声が響き、ロサが顔を上げる。俺もつられて顔を上げ、その全身を覆っていた茨から脱出しようとしているそれを見た。
「――?」
その時、俺は肉塊から光る糸が伸びているのを見た。
「くっ――」
ロサは肉塊を睨み付けた。すると、すぐ下のアスファルトを突き破って再び醜悪な物体を覆い尽くす。だが――、
「――っ、だめ……ッ」
先ほどまでよりも活発に活動し始める物体。今まで無意識的に動いてように見えたそれが、幾分か冷静になった俺の目には、まるで真逆。何としてでも抜け出さなければならないと言う、確固たる意志――すなわち、人間性が映っていた。
「ロサ、解放してやれ」




