第一話
「はぁ……。もうっ! どれだけ歩けば良いのよ!!」
鬱蒼と生い茂る森に、少女の声だけがこだまする。どうやら彼女は私の指示に従う意思は無いらしい。
先程の丘から海沿いの街へ向かい、だらだらと文句をこぼしながらひたすら歩を進める。
そして、半刻程歩いただろうか。彼女は森を抜け、活気に溢れた港へと辿り着いた。
「良かった……ちゃんと辿り着けたじゃない…………」
何を思ってなのかは分からないが、目に涙を浮かべ、ジッと人の動く様を眺めている。
しかし、彼女は理解しているのだろうか。
『救わなければならない。いや、救わざるを得ない事になる。分かっているのか。』
「うわぁあっ!? ちょっと! いきなりなんなのよ……って、いい加減姿を見せなさいよ!!」
『言葉が通じていないのか……。You have to save. Vous devez le sauver. Sie mussen es sparen. 你必须——」
「言葉が通じて無いのはそっちの方でしょう! 説明もしない! 顔も見せない! 話も聞かない理解もしない!! さっきから聞いてれば救うだの救わないだの、あんたは一体何様のつもりよ!」
『……你必须救助。Deve salvarlo. Deve salva-lo.」
「あぁぁーっ!! もうっ!!」
彼女の元居た世界の言語を幾つか試して見たが、通じていない様に思える。しかし彼女の用いている言語も、“ニホンゴ”と言う物と推測され、此方側からの通信がうまく行っていない可能性もある。
私は通信は諦め、観察に徹することにした。
「だいたいあんたおかしいのよ! 他人の事を勝手に連れ出しておいて、その上命令するなんて常識知らずもいいところよ!!」
随分と物騒な目つきでたった今抜けて来た森を睨みつけながら、大きな声で叫び続ける。
どうやら感情が不安定な個体を引き当てたらしい。
「〜〜〜っっっ! なんで黙ってるのよ!!」
声とは思えぬ叫び声を上げ、ひとしきり暴れたと思えば今度は森の中へと戻って行った。
彼女の行動には些か無駄が多く思えるが仕方ない。
「どこよ! 出てきなさいよ!! 居るんでしょ!!!」
草木を掻き分け、森を奥へ奥へと進んで行く。何かを探している様にも思えるが彼女がこの地に立ったのは今が始めてで有ることから、不自然な点が多い。
「ああぁぁああ〜〜〜もうっっ!!! はあ……。早くうちに帰りたい……。」
奇声を発し頭を掻き毟った後、ガックリと肩を落とし再び歩き出した。
まったく不毛な時間ではあったが、結果前に進むのであれば問題は無さそうだ。
「あれっ……? えーと……あたしどっちから…………。」
まだ何かを探しているのか、辺りを見回し立ち尽くしている。
あまり時間に猶予は無いが、言葉の通じていない状態では事態を間延びさせるだけだろうか。
「こんな森で迷子なんて……。それってもう遭難じゃないのよ…………。」
また両目に涙を浮かべ、きょろきょろと周りを見回している。
こんな所で立ち止まって貰っては困る。
私は行動を起こすことにした。
「ひぃっ!? な、なに? なにか居るの?!」
私は声では無く、手を叩く音を彼女の耳へと届けた。
ただ届けたのでは困惑するだけだろうと、わざわざ街の方から導く様に届けてやった。
案の定少女は意識をそちらへと向け、ゆっくりと歩き始める。
「この音って……。何かを叩く音? それとも木が折れる音……?」
いちいち木に身を隠しながら進んで行く。
じれったい。
もう少し要領のいい個体を引き当てたかった物だ。
「ね、ねえ……? さっきは怒鳴ったりして悪かったわよ……。その、居るなら出てきなさいよぉ…………。」
先刻大声を上げていた人物と同じとは思えぬ程小さな声でぶつぶつ呟きながら、一歩一歩進んで行く。
「黙ってないでなにか……。あ、あれって……!」
そして街が見える所まで来ると、溜めていた涙をこぼし、一目散に走って行った。
「着いた……! また辿り着けたのね……!」
涙を拭い、身体中に着いたゴミを払うと、また以前の澄ました顔で街の中へと入って行った。
入って行ったその矢先、彼女はまた立ち止まってしまった。
「…………そう言えばここ、日本……じゃないわよね……。」
道に敷かれた石畳や、家の壁のレンガに触りながら同じ場所をぐるぐると回り始めた。
「…………日本語、は通じないとして。あとは……英語? も通じないって事は無いわよね。何処かホテルとか、空港とか、旅行客が来る所に行きましょう。」
ポンっと手を叩き、ようやく街の中へと入って行く。
そして手近に居た女性に近づき声を掛けた。
「え、Excuse me? えっと……Could you tell me how to――」
「え、えくすきゅー?? わ、ワタシソウイウノシャベレナイだから……えと……。」
「えっ……? 日本語……?」
「ニホンゴ? あの、ゴメンナサイ!」
「あ、ちょっと!」
女性は走って逃げてしまった。
だと言うのに彼女は顎に手を当て、うんうんと頷いている。
「あの人はどう見ても日本人じゃなかった。でも日本語で喋ってた……って事は、他にも日本語が通じる人が居るって事よね。」
またポンと手を叩く。何かを理解したと言わんばかりに勝ち誇った顔でまた何かを探す様にしながら歩き始めた。
「細い道は避けましょう。あと、男の人も出来ればやめておきましょう。出来れば女の店員さんにでも聞きたいんだけど……。」
はっとしたように一件の酒場の前で足を止め、窓からジッと中を見つめる。
「居るじゃない! お客さんだけど、女の人が!」
何かを見つけたようで、勢い良く店のドアを開けると、真っ直ぐに窓際のテーブルへと駆け寄った。
「あのっ! ちょっといいですか?」
そしてそこに突っ伏しているローブを羽織った女性を揺さぶり、顔を覗き込むように声を掛ける。
すると、それに応えるように女性は上体を起こし、空になった木のコップを少女の前に突き出した。
「うへへ〜……。レイラこれしか飲んで無いから……ひっく。酔っ払ってにゃんてにゃいですよ〜…………ひっく。」
女性は真っ赤になった顔を緩ませ、少女を引っ張るようにして抱きついた。
「ちょ、ちょっと! うわ、酒臭っ! 話を聞いて……。いや離して下さい!!」
腕と頭に手を当てて引き剥がそうとするが、女性は更に強く抱きつき、少女を腹部に顔を擦り付けるようにした。
「えへへ〜…………離さないよ〜…………うっ……。」
「え……嘘でしょ! ちょっと待って!! 今バケツとか——」
赤らんだ顔を真っ青にして、そしてそのまま少女の体に嘔吐した。
「いやぁぁああああ!!!!!!」
「うう……頭痛い……。あれ、ここは?」
「酒場の二階よ。あなたが酔い潰れたから貸してもらったの。」
「貴女は……っ!? 何故僕のローブを被っている!!」
目を覚ました女性は、目の前の少女が自分のローブを纏っていることに驚き、声を上げた。
「あんたがあたしの服に、ゲロブチまけたからでしょうがぁぁああ!!!!」
そして少女も声を荒げ、手近にあった小さい金だらいを投げ付けた。
「痛いっ!? そ、そうだったんですか。申し訳ありません、早とちりを……。」
金だらいをぶつけられた額を押さえ、女性は深々と頭を下げる。
「そう言うのはいいから、顔上げて。あなたに聞きたいことがあるの。」
少女の促しに応え、顔を上げると女性はベッドの上に座り直し、姿勢を正す。
「分かりました。お詫びではありませんが、なんでも聞いて下さい。」
「……なんか調子狂うわね。とりあえず、あなた名前は?」
「僕はレイラと申します。貴女のお名前もお伺いしても?」
「あっ……と、ごめんなさい。あたしはメグル。風岡メグルよ。」
少女は、少し罰の悪そうな顔をしてすぐに名前を名乗った。
「風岡メグル、良い名前です。」
「……やっぱり調子狂うわね。レイラ……さん? えっと歳は幾つかしら?」
「歳、ですか……。えと、22になります。」
「げっ、五つも歳上!? あー……。うん、やっぱりいいや。」
少し驚いた表情をし、また罰の悪そうな表情になったと思えば、いつもの澄まし顔に戻る。
メグルと言う個体は感情の変化が激しい様だ。
「あの、メグルさん?」
「ううん、なんでも無い。ここはなんて国? 見たところヨーロッパとか、中東かしら?」
「よーろっぱ? ちゅうとう? よく分かりませんが、ここはスクヴェルト皇国のヴェルモンドと言う港街です。」
レイラと名乗る女性は、初めて疑問の色を顔に浮かべメグルの疑問に答えた。
「スクヴェルト……ヴェルモンド……。全然聞いたこと無い名前ね。この辺特有の呼び方なのかしら。」
メグルはまた顎に手を当てる姿勢を取り、ぶつぶつと呟き始める。
「あの、もし良ければ案内しましょうか? ここへ来るのはもう五度目なので、それなりに知識は備えていますよ。」
レイラは足を崩し、俯くメグルを下から覗き込むように話しかける。
「それは助かるわ。お願い出来るかしら。」
「任せてください!」
そしてメグルの願いに、笑顔で返事をしたのだった。