第十一話
「――い!!」
またもあの場所での叫びの残滓と共に、メグルは新たな地へと降り立った。
湿った空気が彼女にまとわりつき、ローブを着ているには少々暑いくらいに感じる。
「出てきなさいよ! あたしはもう戦ったりなんてしないんだから帰しなさいよぉ!!」
その声は、辺りに立つ木々に吸収されて消えてゆく。後に残ったのは虫や鳥の鳴き声で、彼女はどこか虚しさを覚え、疲れた体を近くの木に預けて座り込む。
「なんなのよ……。あたしに何をしろって言うのよ……。」
自分に誰かを救う力なんてありはしない。あの男に見せつけられた映像とレイラの熱と血の匂いをを思い出し、彼女は虚無感に打ちひしがれていた。
「できるわけ……ないじゃない……。」
力なく呟いたその言葉も森へと消え、いっそう惨めな気持ちになるメグル。
それから少しして、メグルは何かが動く音を聞いて顔を上げる。
その音は徐々に近づいてきており、否応にも彼女の警戒心を掻き立てる。草木を分け、地面を蹴る音は間違いなく何か生き物の接近音だ。
慌てて立ち上がり、音のする方に注意深く視線を送っていると、地面を思い切り蹴る音がして彼女に向けて謎の生物が飛びついてきた。
「わっ!?」
咄嗟に横っ飛びをして地面を転がり、それの腕をかわす。
「なんなのよ!」
飛びついてきた敵を睨みつけると、飛びかかってきたのは大型の猿のように見えた。メグルより少し小さいくらいではあるが、その体は筋肉質で相対してみるとかなりの威圧感である。
低い唸りを上げながらメグルに向けて威嚇をしている猿に、メグルは嫌な顔をする。
だが、当然彼女の気持ちなど気にも留めずに猿は襲い掛かってきた。自分に向けて突進してくる猿を睨み、メグルはそれを避けることに専念する。
それが何度か続くものの、猿はどこかに行く素振りを見せずしつこくメグルのことを追ってくる。
「ああもう! どっか行ってよ!!」
メグルは腰の短剣を引き抜き、猿にちらつかせる。一瞬驚いたようなリアクションをしたものの、ひるむことなく同様に彼女に襲いかかってくる。
追いかけっこのようなやり取りを繰り返していたものの、徐々にメグルが焦れてくる。
短剣を先ほどのようにちらつかせるのではなく、猿をいつでも斬りつけられる体勢に入った。それを見て、猿は警戒したようにメグルの周囲をゆっくりと回る。
「やあ!!」
メグルが地面を蹴って、猿の懐に飛び込んでその剣を振るう。しかし猿は飛び込んできたメグルの動きにあっさり反応して飛び上がり、攻撃を避けた。
そのまま猿はメグルの背後に着地し、彼女に突進する。それを横に飛んで避けるとメグルは再度猿に剣を振り下ろす。その剣を軽く避けた猿に、メグルは次々と斬りかかる。しかしすべてを避けられ、彼女は怒った表情を浮かべて剣を大きく振りかぶる。
それを待っていたように、彼女のがら空きの腹部に猿が腕を振るってメグルが吹き飛ばされる。
「痛っ……。あっ……!」
二メートルほど吹き飛ばされて尻もちをついたメグルが顔を上げると、先ほどまで相手をしていた猿の後ろから、二体の猿が低い唸り声を出しながら現れた。鼻息を荒くして近づいてくる先頭の猿に、メグルは立ち上がれず手だけでジリジリと後ずさる。
その彼女の様子に、猿は口元をニヤッと笑みのような形に歪めて地面を蹴って飛びかかる。
徐々に近づいてくる猿の姿にメグルは思わず目をつむる。
――どうしてこんな目にばっか……。
自分の運命を呪う彼女の背後から、一陣の風のように何かが飛び込んでくる。
「少女よ、そなたの太刀筋死んでおるぞ。」
低く、貫禄のある声の後に、肉が切り裂かれる音と獣の悲鳴。それに誘われてメグルが顔を上げると、彼女の前に刀を振り抜いた格好の大きな背中が。そこかしこに補修の跡のある使い込まれた着物と袴を着流し、後ろで雑にまとめられた髪が風にたなびいている。
「茂みまで下がっておれ。そこにいては邪魔になる。」
メグルの方を見ながら言われたその言葉に彼女は頷いて立ち上がり、猿のいる方とは反対側に走っていく。
その先にあった茂みに飛び込み、身を隠すようにしゃがみこんで刀の男の方を見る。
「アンタ、死にたいの?」
と、そんな彼女の上から短い言葉が投げかけられる。声のした方を見ると、木の太い枝の上に立ち精悍な顔つきの青年が弓を引き絞っている。
「そんな訳ないじゃない!」
メグルが青年に向けて声を荒げると、青年は彼女の方を一瞥もせずに言葉を吐く。
「でもそれじゃ、いつか死ぬよ。」
そう言った直後に彼は引き絞っていた弦を離し、矢を放った。その矢は空気を裂きながら猿目がけて飛翔し、その眼孔を撃ちぬいて脳まで貫き、猿を一撃で絶命させた。
仲間の死に慌てたのか、二体の猿が吠えて刀の男に向けて駆け出す。だが、男は微動だにせず猿が向かって来るのを静かに見つめる。
それを無抵抗と判断したか、猿は男に時間差をつけて飛びかかる。
その瞬間を待っていたかのように男は重心を落として地面を蹴ると、先に飛びかかってくる猿の懐に潜りこんで刀を振りかぶって斬りつける。そしてすぐに後ろにいた猿の下まで一気に迫り、刀を反して切り上げた。
猿は悲鳴を上げる間もなく地面に倒れ伏し、綺麗な傷口から血を流している。その倒れる猿を一瞥もせずに血振りをして男は鞘に刀を戻した。
「ゲンジ、もうよいぞ。」
男がそう声をかけると、木の上にいた青年が飛び降りて男の方に歩いてゆく。
「親父、あいつどうする?」
ゲンジと呼ばれた青年はメグルの方をチラッと見てそう言う。
それを聞いた男はメグルの方歩み寄ってくる。正面から見ると男の顔には傷が刻まれており、五十代程に見える。口を一文字に結び、彼女を値踏みするように見る表情からは威厳が感じられる。
「少女よ。名は?」
「……メグル。風岡メグルよ。」
何をされるかわからないため、メグルはやや警戒しつつ応答する。
「メグル、メグルか。どこから来た?」
「あたしは……。遠くから旅で。でも、ここから先のあてがなくて困ってるの。」
当然その場を取り繕うためのウソではあるが、メグルが旅といったところで男の表情に驚きの色が浮かぶ。
「ほう、だとしたらよくぞここまで辿り着いたな。ワシはイワオ。この近くの村の村長をしておる。そなたさえよければ村にしばらくいるといい。」
メグルにとってはこれ以上ない申し出に彼女は何度も頷いた。
「よし、ならばついてくるがいい。ゲンジ、村に引き上げるぞ。」
イワオがそう呼びかけると、ゲンジは無言で首を縦に振って歩き出したイワオの後ろをついてゆく。その時、メグルの方をチラッと見たゲンジは彼女をバカにするように鼻で笑った。
その様子にムッとしながらメグルも後を続くのであった。
そこから十分ほど歩くと、川の横に作られた村にたどり着いた。木製で簡素に作られた建物が多く、まるですぐにでも移動できるように備えているかのようだ。また、大きな見張り台のようなものも見受けられる。
およそ二十から三十世帯ほどの規模のようだ。その小規模な村の中で、見張り台には男が弓を構えつつ立ち、村では女や子どもが農作物を運んだり木を加工したりしていた。
「ここが私の家だ。メグルにはここに滞在してもらう。なにか特別なものがあるわけではないが、ゆっくりしていくがいい。」
村に入って自分の家の前までメグルを案内すると、そう言ってメグルを家に招きいれる。
イワオとゲンジは家に入って武器を下ろすと、一息つくように座り込む。
メグルは興味深そうにその家を見回す。村長の家とはいえ、他の家と比べて大きいわけではなく、家財道具も囲炉裏と動物の皮でできた寝床がある程度だ。
「改めて、ワシがこの村の村長のイワオ。そして、そこにいるのが息子のゲンジだ。」
イワオの紹介を受けてメグルがゲンジの方を見るものの、彼はそんなことは気にも留めずにボサボサの髪を掻きながら弓の手入れをしている。
そんな彼の愛想のない仕草にやはりいい気分にはならず、メグルの表情が少し不機嫌なものとなる。
と、ここでメグルはふと違和感を持った。この家にはこのふたりの生活感しか感じないのだ。
ゲンジの母親はいないのだろうかとふたりに質問しようか迷った瞬間、家の外から大きな声が響いてきた。
「北から奴らが来てるぞ! 目視で5体!!」
それが聞こえた瞬間にイワオが立ち上がり、外に向けて叫ぶ。
「戦えぬ者は家の中に退避! 動ける奴はすぐに向かえ!!」
そう言って家を出ようとしたところで、メグルの方を見て声をかけてくる。
「メグルよ、そなたも武器を持っている。これも何かの縁だ、共に戦ってはくれまいか。ゲンジについてきてくれ。」
「え、ちょっと待って!」
戦いたくないと言いたかったメグルをよそに、イワオは家を飛び出して行く。それに続こうとしたゲンジは立ち上がろうとしないメグルを感情の籠っていない目で見つめる。
「お前、行かないのか。」
ゲンジの短い言葉に、メグルは目を逸らして応える。彼女が思い起こすのは平凡な女子高生であったはずの彼女にはとても苦しい記憶。
「戦いなんてしたくない……。」
漏れだすように出たその言葉を聞いて、ゲンジは大きくため息をつく。
「じゃあそこで震えてろ。」
弓を持って外に出ていこうとする自分と同じくらいの年齢に見える青年に、メグルは小さな声で問いかける。
「なんで、アンタは戦えるのよ。」
問いかけに足を止めて、ゲンジはメグルの方に振り返る。起伏の少ない表情ながらも、その顔には疑問の色が浮かんでいる。
「戦わないとみんな死ぬ、それだけ。」
淡々と、当然の事実を確認するようにゲンジは答えた。
「怖くないの?」
ますます、彼の顔が『わからない』と言いたげなものになる。
「村を守るために戦う役目。そこに感情はいらない。」
その言葉には、彼の意思が乗っているように感じられるほどの重みがあった。俯くメグルにそれは重くのしかかる。
「武器を持っている奴が戦わないのはただの怠慢。」
はっきりと言い放たれたその言葉にメグルは声を荒げようと口を開こうとするが、彼の目線が彼女の腰にある短剣に目をやっていることに気がつき彼女は口を閉ざす。ゲンジは目線を短剣から彼女に移し、大きな覚悟を内包した目で見つつ言葉を続けた。
「戦わないならそれに意味ない。誰かに渡して子守りでもしてろ。」
メグルは自分の腰に刺さる剣を見る。それは、レイラに渡されたものだ。傭兵として剣を振るって感謝されていた彼女の姿が目に浮かび、メグルは顔を上げる。
「ああもう、やってやるわよ! 怖いけど、嫌だけど、前に進まないとどうしようもないじゃない!!」
自分の知っている世界に帰るためには、どうせこの世界でもなにかをしなければいけないのだ。立ち止まっていても仕方がない。
メグルは立ち上がってゲンジの目を見る。ゲンジは数秒彼女の目をじっと見てすこし広角を上げる。
「行くぞ、こっちだ。」
イワオの家を出ると、村の女や子どもが不安そうに家の中にいるのが見えた。
この村の男達はこの人達を守るために戦っているのだ。その手伝いをすることが自分の目的に繋がる、そう考えてメグルはゲンジの後ろをついてゆく。
その先の森からは、男達が戦う声が聞こえてきた。




