第十話
集会の翌日、ガルアスの門の前にはタイラを先頭に100人程の男が集まっていた。
全員が同じローブを纏い、その結束を力にサハザターンへ向かおうとしている。
「この格好、ちょっと暑くない……?」
メグルもタイラに貰った黒いローブをジャージの上から羽織っていた。曰く、このローブには魔法などへの防御力を高めてあるようで、この世界の鎧にあたるものだろうかと彼女は考えた。
「さあ、みんな……行くぞっ!!」
タイラの号令でメグル達は一斉に行軍を始める。その背に大きな歓声と生還を望む声を浴びながら。
目的地までは徒歩でおよそ2日。道中で休憩を入れながらの長丁場である。しかし、男たちは自分たちを鼓舞するように歌を歌い、手を叩き、笑いながらの陽気な行進である。
その足取りは軽く、到底戦場へ向かう雰囲気ではなかった。――それが意味するものをメグルは分かってはいなかったが。
道中に悪魔と出会うことはなく、理想的すぎると言いたくなるほど平穏な道中であった。
それは、さもピクニックにでも出かけているかのようであった。しかし、サハザターンが近くなってくると、男達の歌に力はなくなり、徐々に笑い声も少なくなってゆく。その表情は暗くなり、恐怖や緊張の色が濃くなってきた。その様子を見てタイラは全員をいったん止め、森の中の開けた場所で全員の顔をしっかり見て鼓舞する。
「この森を抜けたら古城サハザターン。たどり着けばもう後戻りはできないだろう。今ならまだ戻ることができる。この先で待っているのは戦争だ。それも強大な相手との。家族と、子どもと、大切な人とまだ過ごしていたい者はすぐに背を向けろ。だが、ここで挑まなかったらどのみち我々は奴の餌食となるだろう。さあ、どうする?」
その問いは、選択肢を提示したようでそんなものは存在しなかった。男達は覚悟に満ちた面持ちとなり、タイラに強い視線をぶつけている。
「よし。みんな、いい眼だ。行こう、サハザターンへ。これは、負けられない戦いだ! 街のために、家族のためにっ!!」
タイラが拳を突き上げ、それを見た全員が追って拳を突き上げて鬨の声を上げる。メグルもそれに倣う。
士気は再び上がり、表情に力が漲ってきた。それをみてタイラは大きく頷いて森の先を指し示し、叫ぶ。
「行くぞ! 世界の敵は目の前だ!!」
その言葉に男達は駆け出す。そして、森を抜けた先には確かに城があった。
古びて蔦の絡まった石造りの外壁に、折れた城壁塔。しかしながらその全てがどこか威圧感を放っていた。
その城門は開け放たれており、男達はなだれ込むように場内へ侵入する。
「グギャガギャギャギャッ!!」
それを待ち構えていたかのように悪魔達が飛び出してくる。メグルが倒したような小型の悪魔から、巨体を持つ悪魔などその姿は様々であったが、それらが群れている様は醜悪の極み。地獄絵図であった。
しかし、男達はそれらの前に果敢に立ちはだかる。
「おおおおっ!!」
ある者の手から放たれた炎は悪魔を薙ぎ払い、またある者の雷は悪魔の体を焦がした。
「す……すごい……。」
場内に入ったはいいものの、どうすればよいかわからずにメグルはたじろぐ。そんなメグルを追い抜いて、タイラが城の方への道を遮る悪魔の大群の前に躍り出る。
「メグル様の道を開けろおおおおっ!!」
振り下ろされた腕の先から巨大な竜巻が発生し、悪魔達は奇声を上げながら吹き飛ばされる。
「さあ、メグル様!ここは我々に任せて魔王の下へ!!」
「わ、わかったわ!」
タイラが開けてくれた道をメグルは駆ける。自分のやるべきことがその先にあると信じて。
走ってしばらく進んだはいいものの、どこに向かえばいいのかわからずメグルは建物の前で立ち止まる。
「どこに行けばいいの……?」
キョロキョロと辺りを見回して手がかりを探すものの、なにも見つからない。
途方に暮れたようにたたずんでいると、建物の陰からなにかがメグルの前に飛び出してくる。
「っ!?」
すぐさま短剣を引き抜いて身構えたが、メグルの目の前に現れたものは大きく手を上げて無抵抗を表現する。
短剣を構えたまま観察して、手を上げている人はメグルと同じローブを着ていることに気がつき、彼女はそっと構えた剣をおろす。
「あなたは……?」
「はじめまして。メグル様が魔王の下にたどり着けるように案内しろとタイラ様から命を受けて参りました。」
「そ、そう……。」
フードを目深にかぶったその人影は、その声とメグルに比べて圧倒的な存在感を誇る胸から女性であるとわかった。
「メグル様、魔王はこっちです。」
「わ、わかった!」
駆け出した女性の後を追おうとして、メグルの脳裏にふと疑問が浮かぶ。――ここまで来る道中に女性を見ただろうかと。
しかし、それを気にしている場合ではなく、見落としもあるだろうとそれを振り払って彼女の後を追った。
「この先です。」
追っていた女性が目の前の広場を指さし、走る速度を緩める。
メグルは頷いて彼女を追い抜いて広場に出るが、何の気配もない。
――何もいないけど……。と、言いかけたメグルは広場の先、扉の向こうになにか“嫌な気配”を感じ、そこに目が釘付けとなる。
それを確認したかのようなタイミングで、ゆっくりと扉が動き出し、その向こうから“異形”が姿を現した。
蹄をつけた脚が地面を踏みしめる度に世界が悲鳴を上げ、獣の頭蓋骨を模したような被り物の向こうからは目を背けたくなるほどのどす黒いなにかを感じる。
細く、長い腕で扉を開けて姿を現した半人半獣の“ソレ”は、メグルのことを嘲るようにその首を傾けて言葉を放つ。
「我が城へようこそ、脆弱な人間よ。我が贄と成り其の蛮勇を祟るがよい!」
その言葉を発すると同時に魔王は脚を地面に打ち付ける。その音に乗ったように纏っていた力場のようなものが解き放たれ、風となってメグルの髪を撫でる。
「戦わなきゃ……。そうだ、あなたも一緒に!」
メグルは、先ほどまで一緒に走ってきた女性のいるであろう方を見たものの、そこに人の気配はなかった。
「怖気づいたか? ならば先手は戴く。」
魔王の目が爛爛と輝き、細いその両手に黒い槍が顕現する。
そして、それを無造作にメグルの方に投擲する。
「えっ……? きゃあっ!!」
音速に近い速度で飛来した槍は、何をされたのかということの理解が及ぶ前にメグルの足元に着弾して爆発し、彼女の体を宙に浮かせた。
「覇ァッ!!」
魔王の手からは次々と禍々しく輝く黒球が放たれ、浮いたメグルの近くで破裂して彼女を吹き飛ばす。
黒球の嵐が止み、メグルは地面に打ち付けられる。
「っ……。痛ッ……。」・
そんな彼女の方に手を向け、魔王はその眼光を暗くして低い声で呟く。
「破滅を司る王の銘に於いて命じる。」
その手元に集まる物は、この世の醜悪さを詰め込んだような色をしていた。形容するのも憚られるそれは、魔王の言葉に呼応して地面に倒れるメグルに向けて飛翔する。
「――死ね」
それはメグルの体に直撃し、彼女に“死”という破滅を与えるために体を蝕もうとする。
この世にある負の想いが心にすべて流れ込んでくるような錯覚を感じさせられる中、おぞましい色に包まれたメグルの視界に、ふと明るい一筋の光が差し込んでくる。
それを感じた瞬間に、彼女を包んでいたものが光に切り裂かれて掻き消える。メグルのペンダントから放たれたそれを見て、魔王の眼が苛立たげな色となる。
「小賢しいィッ!」
その眼に呼応するように、魔王の眼前に巨大なエネルギーを圧縮したような球が生成され、みるみるうちに巨大なものへと成長しようとする。
メグルはその隙に立ち上がり、短剣を引き抜いて真っ直ぐ魔王に向けて駆け、剣を振り上げた。
「その程度か。その程度ならば貴様に我と対峙する資格はない。」
魔王とメグルの距離は5メートルもない。そこで、エネルギー球が極大に達する。
「壊せ、地を喰らう咢よ」
放たれた熱線は空気を焦がし、衝撃波で地面を消し飛ばしながらメグルへ向かう。
正直に突き進んでいたメグルは、目を見開いて驚きを露わにする。
あと数秒もたたぬうちにそれと激突し、彼女の体が消し飛ぶ。そのことを確信し、その被り物の下で魔王は恍惚の表情を浮かべる。
『――命の運び屋の責は続行不能と判断された。この世界の願いは為されない。帰還せよ、運び屋。』
目前に迫った死に絶望するメグルの体を感じたことのある浮遊感が包み、彼女の視界は白に包まれた。
魔王の熱線を目前に、その姿を消した少女。その姿を建物の上から見ていた者は茫然とした表情を浮かべ、ボソッと呟く。
「あら……。運び屋のお嬢さん、弱すぎ……?」
と、そこで離れたところに立つ魔王の力場が先ほどまでとは一変したことを感じる。
「これはまずいかも……。」
そしてその人影は魔王のいる広場とは反対側から飛び降り、その姿を消した。
放った一撃が獲物を貫かずに消えてゆく光景を見て、魔王は怒りに震える。
「逃げた……。逃げただと……? 到底許容し得ぬ行為だ……。その罰は、彼の者等に受けさせよう。」
軽く地面を蹴り、魔王がその体を宙に浮かせる。黒い瘴気のようなものを纏い、空中から、城内で自身の手下と戦う人間を睥睨する。
そんな魔王の姿に気がついた人間が、指を向けて声を上げる。
「おいッ! あれ、魔王じゃ……?」
「馬鹿な!? じゃあメグル様はどうなったんだ?」
ひとりから始まった声は全体に伝播し、動揺が広がってゆく。
その様子を眺めて嘲笑の色を被り物の下に浮かべ、魔王は言葉を足元の人間に投げかける。
「貴様等が頼りにしていたメグルとやらは、先刻我が眼前より逃亡した。」
その言葉にいっそう人間のざわめきが大きくなり、絶望したような表情を浮かべる者も少なくはない。
「愚かな者共よ、もう容赦はせん。我が力の前にその身を横たえて終えよ、その生を。」
地上から魔王に向けて大量の魔法が飛んでくるが、瘴気がそれらを弾き飛ばす。
「宣言。――終焉の日。」
低く、それでいて世界のどこまでも響いて行きそうな声が放たれた瞬間、魔王の周囲にあった瘴気が破裂するように四方八方へと飛んでゆく。
それは、空気を入れ替えるかのように世界に充満してゆく。
「なんだこれはっ! があああっ!!」
それを吸い込んだ者は苦しそうに喉を掻きむしり、自らの頸動脈を掻き破って絶命した。また、ある者は近くの建物に頭を打ち付け、ある者は身を投げ、ある者は狂ったように魔法を放って近くの仲間を巻き添えに魔力を枯らして死に……。
――その瘴気はどんどん世界を蝕み、人々は水に飛び込み、魔法の炎に自ら焼かれ、悪魔の闊歩する荒野にその身を投じ、狂ったように死んでいった。
その中にはもちろんタイラも、ガルアスの人々も含まれていた。
あまりにあっけなく、数分のうちに滅んだ人間の様子を見る魔王の眼は、ただただ冷え切っていた。
視界から白い輝きが取り払われ、メグルは何度目かのあの場所へ戻ってきたことを自覚する。
すると、すぐにどこにいるかもわからない男に向けて声を荒げる。
「ちょっと! なんてことさせるのよ、本当に死ぬところだったわよ!!」
その声に反応したように、暗がりの中から痩せ細った男が姿を現す。
「運び屋よ、その怠慢のせいで多くの人間が命を落とした。」
「は……?なに言って――」
「見ろ。先刻まで身を置いたあの世界の惨状だ。」
「なによ……これ……。」
男が指を指すと、暗闇の中にさっきまでいた世界の映像が映し出される。
そこに映ったのは、共に数日間歩いた男たちが無惨にその生を終えた姿。彼らを見送った家族たちが倒れ伏す姿、人の営みというものがなくなった終わった世界。
「っ!!」
最後に映った映像に、メグルは胃の底から何かがせりあがってくるのを感じ、しゃがみ込んでえづく。
そこに映し出されていたのは、喉を掻きむしるだけでは足りなかったのか、肘の辺りまで腕を体内に突っ込んで絶命するタイラ。その顔は苦悶に満ちていた。
上がってきたものは吐き切っても、今度は別の場所から感情がこみ上げてきてメグルは映像を直視できずに地面に大きな滴を落とす。
「これを引き起こしたのは全て運び屋の力不足だ。」
「あたしの……せい……。 アレを倒せなかったから、タイラが……みんながあんなに苦しそうに死んで……?」
お前のせいだ……。お前のせいだ…………。
――そう考えだした瞬間に、メグルの脳裏を共に歩いた男達の非難の声が打ち付ける。
幻聴であるのだが耐えきれずにメグルは耳を塞ぐ。
「運び屋としての責を果たすためには力が要る。故に、次の命へ赴け。そしてその力を育ててもらう。」
責め立てる声をかいくぐるように脳裏に響く男の声。それに噛みつくようにメグルは声を荒立てる。
「まだあたしは戦うの!? あたしほんの少し前は高校生で、レイラに護身術を少し教えてもらったくらいで――」
「征け、運び屋。次なる命へ。連なりし運命と共に。」
「待ちなさ――」
メグルの叫び声が光と共に消え、空間に静寂が訪れる。
薄暗い空間でひとり、男は滅んだ世界を眺めていた。
「これもまた、運命のひとつ。然るべき物なのだから……。」




