光見えるまで
暗闇の中、よく聞こえる音は水の音と誰かの鼓動を打つ音。
その2つの音の中で、私は生きている。
誰かと叫びたいが、叫べず。
誰かいるか確認したいが、手が動かせず。
手どころか、足も動かせず。
何もすることができないまま、私は生きている。
私がここにくるまでには長い年月と様々な人間模様があった。その中でも忘れられないのは、やはりあの日のことだろう。
それは突然に起きたことであり、突然にすべてを失った日でもある。
失ったのは、妻や子、父や母、仕事に友人。なんといっても、私の人生そのもの。
いつものような朝。何気なく始まったあの日。
「いってきます」
その言葉が違う意味へと変わるなんて誰も思っていなかったろう。少なくとも私は思っていなかった。
笑顔で見送る妻と子を背に玄関を開け、車に乗り込む。
いつもと変わりもない風景。通いなれた道をゆっくりと走行し、毎度お馴染みの交差点で信号につまずく。
その瞬間だった。
「バンッ」という大きな音と共に目の前には空があり、その次に乗っていたはずの自分の車が見えた。辺りが白くなり、誰かの声が遠くの方から聞こえるも、だんだん弱まり初め、すべてが聞こえなくなった時、目の前は完全に白くなった。
これが私の前世というべき人生の結末だ。
あれから、妻はどうしているだろうか、私のことを悲しみ、息子をしっかりと育ててくれただろうか。いや、あの妻のことだ。必ずしも息子を偉大に育てたことだろう。
それより不安なのは、再婚のことだ。やはり旦那としては、再婚をして欲しくないが、しないならしないでかなりの苦労を妻に押し付けてしまう。息子の育児、私の両親の面倒、仕事や家事。例えやりくりの上手い妻でも辛いものがある。再婚に関して、して欲しくない反面、妻の為にもしてもらいたいという気持ちも少なからずある。
昔、よくドラマなどにでも、後悔のある者は幽霊になって、近くにいるとかいう設定があったが、あれは嘘だった。
幽霊どころか、目の前が白くなった先はもうあの世。
どんなに後悔有ろうとも、導かれてしまうあの世。
切ないね…
私が死んでから、私に対しての情報は…
「あなたは、死にました。もう一度、生を宿すまで、ここにいてください」
その言葉を言った白いタキシードの男は、そのセリフを吐いたら、すぐさま消えた。
その後の日々は、絶望と疑問、後悔や恨み、それらを頭の中で繰り返しながら過ごしていた。
皆は知らないだろうが、あの世というははっきり言ってなにもない白い空間。
時折、その空間にやってくる訪問客。
訪問客には、私が幼い頃に亡くなったおじいちゃんやお婆ちゃん。私が大人になったぐらいの時に亡くなった恩師や昔の友人などがくる。
そんな訪問客の誰もが最後にいうセリフが…
「やっと生を宿すことが、できるらしい。先に行ってるよ」
と話し去っていく。
白い空間には時間というものが、存在しない。
あれから何日経ったのか、今朝なのか、夜なのかもわからない。
何もすることができない空間で、ほとんど寝ていたりして過ごす。
死んでいる者には、食事など存在しない。
むしろ、空腹というものすらない。
そういうことで、あの世に対して、理想を描いている方にはなんとも言えない空間である。
そこで私は何年間。いや、何ヵ月いたかはわからない。
しかし、これだけは言えること、私がその空間にいる間に、妻や子。親父やおかんはこの世に来ていない。
そのため、私が亡くなった後の状況は知らないまま。
そして、今こうして生を宿すことになるときに、あの白いタキシードの男は
「あなたは事故死だった為、普通の方より早い段階で生を授かることになりました。つきましては新たなる命を大切にしてください。」
と私に告げた。
生を宿した私は今、誰かの胎内に存在し、手足も効かず。ただ暗闇の中で2つの音と共に生きている。
新たなる人生への希望と不安。
どのような両親の元で、これからどう生きるのか。
もし、優しくない親ならどうしよう。
むしろ、無事に俺は産まれることができるのだろうか。
希望と不安と言ったが、ほとんどは不安で1割ほどが希望である。
そんなことを考えた矢先に今、ものすごい勢いで揺れ、水の音がすごく聞こえるようになった。
まさか、この親は私を殺そうとしている訳じゃないだろうな…
そして、同じような揺れが五回ほど続いた。
このままだと破水され、最悪殺されてしまう。
どうしよう…
その時、足が少し動き、何かを蹴った。
揺れが収まり、水の音も落ち着いた。
よかった。
私の意思で動いたのか、体が勝手に動いたのかわからない。
ただわかったこと。
それは私が生きているということで、希望への気持ちが大きくなったということである。
それから、どれぐらいの月日が経ったのかわからないが、2つの音以外にも聞こえてくる音ができた。
それはなんの曲だかはわからない。
でも、心地良い曲で自然の森の中を歩いているような曲。
ピアノがメインを飾っており、裏で木琴のメロディーがある。
この曲は両親が私に聞かしているのか、ただ親が好きなだけなのかわからない。
しかし、どっちにしろ。この曲を流す人に悪い人はいないと思う。
自然を愛し、その曲を私に聞かす。なんともいい親なんだ。
これは私の思い過ごしの話なのかも知れないが、両親への希望はこの曲で生まれた。
そう言えば息子がまだ妻の腹にいた頃、同じように曲を聞かしていたな。
あの時はどんな曲を流してやれば、子供の為になるかで妻と長い間考え話し合い、結局クラシックになってしまったな。
全く興味のないクラシックを聞き漁り、最終的には妻が探し当てた曲を一日五回ほど流してたな。
そんなこともいざ自分が子供という立場になるともっといい曲で胎児が心地良くなれるような曲にしてあげるべきだったと後悔する。
ただ親バカと言われても構わないが、息子はそのクラシックが効いたのかはわからないが、とても音楽性豊かで、初めて聞かしたメロディーも覚えてしまうような子に育った。
息子は今、何をしているのだろうか。
あれからどれぐらい経ったか知らないが、しっかりした大人になっているのだろうか。
私が生きていた時は、まだ五歳。
来年からは小学生という時に、私は何をしているのだろうか。
そして、我が子のランドセル姿も見れずに、私は新たなる人生を歩んで良いのだろうか。
どのように私は死んだのかはわからないが、我が子にはすまないことをしたと思っている。
どうか無事に育ってほしい。
それだけしか思うことができない情けない父親。
仕事が忙しくほど遊んであげれなかったダメな父親。
親として何もすることができなかった父親を許してくれ。
その時だった。
多分、母親の鼓動の音だと思うが、いつもより早い速さで打ち始める。
その速さに私は動揺を隠せずに足を動かしてしまう。
そして、足が何かに当たり、鼓動の音が強くなる。
それと同時に水の音もいつも違う音に変わっていく。
「もうすぐだからね」
誰かの声が聞こえた。
母の声か、助産婦さんの声かはわからないが、久しぶりに声というものが聞こえた。
その瞬間に頭の上から光が差してきた。
私は産まれるというより天に導かれるような不思議な感覚になり、これから天国なのかという錯覚にも陥った。
光の先に見えたものは、緑のマスクと帽子を着けた人が光に包まれていた。
天使と言えるような装備ではなかったが、少なからず私には天使のように見えた。
その後、私はなぜか声を出そうとすると鳴き声になってしまう状態になり、その天使のような人に抱えられ、初めて母の姿を目にした。
「ほら可愛い女の子ですよ」
女の子…
私は驚きのあまりにさっきまでの鳴き声が止まり、母の顔をよく見た。
額から尋常のないほどの汗。
疲れている表情の中でも笑顔があり、とても幸せということを表しているような母の顔に私はホッとし、眠くなってしまった。
次に目を覚ますと目の前にはどこか見覚えのある顔をした男の人の姿があった。
「あら、可愛い女の子。目元なんて健一にそっくりじゃない。」
健一…
息子の名前だ…
視線を少しずらすとそこには、年老いているが、紛れもなく妻の顔があった。
まさか…
バカな私でもこの状態は察せられる。
そう。私が生まれ変わったのは、前世の息子の娘
。つまり、私は息子の子として生を宿したのだ。
これは偶然か、神のイタズラか。
これは良き話か悪き話か。
どっちにしても、前世の私の家族に再び会えて、無事ということがわかったのは、私にとってとても嬉しいことである。
そして、再びこの家族一員として人生を歩んで行けるということに幸せを感じている。
そんな幸せに満ちた私は、今息子の腕に抱かれている。
一週間後、私は今までの記憶をすべて失った。
前世の家族の無事を確認したことへの安心感なのか、それとも意図的に忘れ去れているのかはわからないが、これで本当の新たなる人生のスタートを私は切ったのだ。
こうして、私の前世を知るものは誰もいなくなった…
完




