第一話(11)
僕は目を覚ますと、むくっと上体を起こし、何度か目をこする。あくびをかみ殺しながらベッドの横についている窓の外に視線を向けた。空は白みがかっていて、太陽は遠くにある地平線にまだ隠れていた。
横でまだ眠っているリンの寝顔の目を向ける。普段は大人びた態度をとっているが、その顔には年相応の少女らしさが宿っていた。ふとリンの唇に目線をとどめ、昨日の出来事を思い出す。
リンとのキス。
僕のファーストキス。
何らかの間違いがない限りリンのファーストキスでもある。
思い出すだけで顔が熱くなり、自然と顔がにやけてしまう。苦節17年僕はとうとう初キッスを体験した。しかもリンのような美少女と、相思相愛の形で。理想としては僕がリードする形が望ましかったが、今ではそんなことはどうでもいいことだ。
もし昨日睡魔に打ち勝っていたのならば、僕はひょっとすると大人の階段を昇っていたのかもしれない。
うっひょぉぉぉぉぉ!!と愉快な妄想が僕の脳内で延々と繰り広げられる。
しかし、いつまでも妄想に浸っているわけにはいかないので、一区切りついたところでリンを起こさないようにそっとベッドから降りる。ブーツをはき、なるべく音をたてないように部屋から抜け出す。ぎしぎしいう床板のきしみを最小限に抑えつつ、村長宅を出て、近くの井戸に向かう。
井戸から桶で水をくみ上げ、顔を洗う。
「冷たっ!!」
眠気が吹き飛ばされ完全に覚醒。空を見上げ大きく伸びをする。ポキポキポキッっと背骨あたりから子気味のいい音が発生。
「っはあぁぁ~。よし、やるか」
服を脱ぎ上半身裸になる。腰を左右にひねったり、屈伸などをして全身のストレッチ。それが終わると今度は型の練習。図書館で読みふけった大量の本の中には世界中の武術の指南書なども含まれており、僕はコンコールド家独自の訓練を適当にこなし、隠れてそれらを練習していた。本から得た知識しか持ってないので、本物の武術家には通じないかもしれないが、そこは並外れた運動能力でどうにかすればいい。
とにかく、僕はその何百通りの型を何万回も繰り返す。ただひたすらの同じ行動をやり続ける。これは子供のころからの習慣だ。はたから見れば、上半身裸の少年が一人で飛び回っているのだ。さぞ不気味な光景だろう。
地平線から太陽が半分ほど顔を出し始めたころ、ようやく僕は今日の日課を終えた。今では短時間で日課をかなせるようになったが、この日課を決めた当初は全然終わらなくてよく泣きべそをかいていたを思い出した。よくあきらめなかったものだと自分で自分をほめてやりたくなる。
上半身の汗が朝日を反射して輝いている。肌の上を滑る汗を流すため、僕はひいひい息を切らしながら井戸に向かう。井戸から水をくみ上げると、前かがみになりズボンが濡れないように気をつけながら頭から水をかぶる。水の冷たさが何ともいえないほど気持ちがいい。
汗を流し終えた僕は髪の毛を両手でワシャワシャとかき回し、髪に残っている水滴を飛ばす。
しばらくして体を乾かし終えた後、僕は村長宅に戻った。といってもほんの十数歩ほどの距離だが。日課の途中に村長宅から村長の娘らしき中年の女性が出てきて水を汲んでいったのを思い出し、そろそろ朝食ができているのではないかとずうずうしい期待に胸をふくらます。
予想通りというべきか僕が村長宅に入ると同時に香ばしい匂いを僕の鼻が嗅ぎ取った。匂いからしてヤギ肉のスープとアツアツのチーズだろう。想像するだけで涎があふれてきた。出てくるときは静かだったのに、今は家中が動く人の気配であふれている。
匂いの強いほう強いほうへと進んでいき、たどり着いた扉を僕は遠慮なく開ける。部屋の中には10人近く座れる大きな縦長のテーブルと暖炉。暖炉の中には鍋がつりさげられておりそこからチーズのいい香りが発生している。パンとスープが並べられたテーブルにはすでに村長とその妻らしきおばあさん、中年夫婦、リンが席についていた。
「おお、きましたか。そこに座ってください」
村長が入ってきた僕に気づくと、リンの横に座るよう促した。その言葉に従い椅子に座る僕。
「まだ紹介しておりませんでしたな。こちらが私の娘夫婦になります」
村長がそう言うと同時に、中年夫婦が僕に頭を下げた。どうも、と僕も頭を下げ返す。
「このたびは我々を苦しめるゴブリンどもを退治してくれたそうで、本当にありがとうございます。村人一同あなた方にはいくら感謝してもし足りません」
と中年男。僕としてはキリエを手に入れるためにしたことなのでここまで感謝されると少し後ろめたい気持ちが生まれる。悪いことをしたわけじゃないのに。
「いやそんなたいしたことじゃないですよ」
「いやいや、謙遜はやめてください。リン殿からお聞きしましたが、なんでも病気に母親を治すために諸国を回っているのだとか」
中年男の口から衝撃の事実。
えっ、どういうこと!?僕の母親とっくに死んでるのに。
動揺を顔に出さないように気を使いつつ、横に座るリンを盗み見た。
相変わらずの無表情だった。僕の視線には気づいているはずだ。合わせろってことか。
心の中で長い溜息をつくと僕は脳内で架空の母親を作り出した。