序章
月明かりの照らす砂の隆起が、流れ来る風の圧力によって波模様に削り取られていく中で、闇に溶け込むかのような漆黒の身を持つ一機の飛行艇が音も無く佇んでいた。静寂に包まれたその場所では、風でうねる砂波だけが大地の模様と共に僅かに音を形成していく。
機体の中で静かに目を瞑るカインの耳に、その響きが届いたのは不時着してからずいぶん時間が経過したあとで、小波のような音色は心地よく意識を取り戻させる効果があった。
「う……ん。ここは……? うっ! 頭が痛い!」
光の無いコクピット内で身をよじりながら目を覚ましたカインは、朦朧とする意識の中で瞼を開き、同時に襲う頭の鈍痛に驚く。どこかにぶつけたのだろう頭を抑えながら細目で辺りを見回し、自身がどこに居るのか確認しようとした。雲の失われた大地の月光は、暗闇になれていない目のカインにはまぶしく感じられ、大地が輝いているように錯覚させる。それでも徐々にではあるが意識がはっきりしていき、今おかれている状況に何故自分がいるのかを認識できはじめた。
「そうか、俺は墜落したのか……! そうだレン!」
カインは記憶をはっきりさせると同時に、不時着するまで声を張り上げていた同乗者、レンの存在を思い出した。体を固定しているベルトを外し、あわてて複座の後部座席へ乗り出す形になる。
暗闇の中で、レンの顔がうっすらと浮かび上がる。月明かりのせいか青白い肌と全く微動だにしない表情は作り物のように美しく、同時に恐ろしく静かだった。ベルトに固定されているせいか、だらりと体を重力に預けている姿に、カインは思わずぞっとして、すぐさまレンの口元を掌で覆う行為をさせた。
僅かではあるが、掌に温かみのある息吹が確認できる。
「よかった……生きてる」
カインは安堵する余り、座席のシートにもたれ掛ってしまう。
しばらくなにも考えられずに、そうして干物のように垂れ下がっていたが、ずっと窮屈な格好でいたせいか、どうしても体を動かしたくなった。いかに体の小さなカインといえど、さすがに長時間の閉所は辛かった。また、意識がはっきりしてきた今、自分が置かれている状況を把握しなくてはとも思ったのだ。
だからまず初めに、暗闇になれた目で機体の外を再度見渡す。すると相変わらず目がなれていなかったのか、外の景色は月明かりに照らされて、まぶしいほど燦然と輝き放っていた。それこそ満天の星空が大地に落ちてきたのではないかと思える光景に、カインは一抹の不安を覚えた。
ただ、眩しい中でも墜落した場所がどういう所なのかは何となく分かった。どこまでも続く隆起を繰り返す大地と、小波のような音色、それは現代の〝海〟というに相応しい場所、大地の多くを占める、砂漠であることは明らかだった。
「砂漠に落ちたのか。でもどこだろう。エアーズロックからはかなり離れたよな。あの速度だったし、大陸じゃないかもなあ」
カインは墜落するまでの記憶をたどる。水素をエネルギーとした自身の飛行艇〝ライジン〟の驚くべき速度は操縦などという感覚ではなかった。飛び交う水素艇の合間を稲妻のように走ったあれは、まさに青天の霹靂という言葉の体言であったと思う。
幼い頃よりなれ親しんだ機体の意外すぎる一面を考えながら、カインはウインドシールドを解放した。考えても今は仕方が無い、自分とレンの心配もそうだし、何より状況を把握して、先に発った二人の安否も確認しなければならないのだ。考えふける場合ではない。そう思った。
外気は生暖かく、風が少々強めに吹きぬける。未だ目を覚まさないレンに配慮しつつ、カインはコクピットから下りていった。地面の質を確かめるように、ゆっくりとブーツの裏で地面を踏み込む。砂と思える物質は随分と軽いようで、踏み込む足が軽く埋まる。大分時間もたち、完全に目が慣れた中での目視。カインはただただ驚くばかりだった。遥か先の砂丘も、眼前に広がる波模様の傾斜も、ブーツの上を転がる砂さえもが、月明かりに照らされて輝き放ていたのだ。
「なんだ? これ。目がなれてなくて光った様に見えていたわけじゃないのか」
よく見れば、砂漠の砂が今までに見てきたケルマディックの砂のように、土色のものではなく、エアーズロック周辺に広がっていた黄土色でさえなかった。白、完全な白い世界が広がっていたのだ。
カインは嫌な予感がした。おそらく予想が的中するであろう事を覚悟し、確認作業を行った。地面にしゃがみこむ。操縦桿を握る為の手袋を外す。そして純白の砂を人差し指の腹で撫でるように掬い取り、おもむろに口元へ運ぶ。砂にまみれて白く光る指をそっと舌で舐めたのだった。
「やっぱりこれは……」
予感は的中した。同時に最悪な場所に不時着したという事実がカインの胸を締め付ける。すぐに行動を起こさねばならない。そう判断せざる終えなかった。立ち上がり、急ぎ足でコクピットに戻る。ウインドシールドを開けっ放しで、カインは同乗者レンの肩をゆすった。悠長に眠らせている場合ではなくなったのだ。
「レン起きろ! 急がないと取り返しが付かなくなる!」
「んーまだ寝てるー……」
「馬鹿言っている場合か起きろって!」
かなり強めに肩をゆすられ、眉をひそめながらレンは目を覚ました。
「ふあ……なんだよ、まだ夜じゃんか。せがまなくたってあたしはいつでも相手してやるって。だからベットを――」
「回り見ろ! 状況思い出せ!」
眠気まなこでレンは言われるままに周囲を見渡す。
「ああ、砂漠に落ちたのか。んんーいい眺め!」
レンは両手を組んで腕を突き上げる形で背を伸ばす。その落ち着いた猫のような動作に、呆れたカインは、寝起きのレンにもすぐに分かるよう、先ほど砂をすくった指を口元に押し付ける。
「むう?」
まるで静かにするよう注意をされたかのように、口元に押し付けられた指を見て、レンはにやりと笑みを作ると、ぱくりとその指に食いついた。
「む! んげぇーしょっぱ! なにすんだカイン! そんな粗相を躾けた覚えは無いぞ父さんかなしい!」
「冗談言ってる場合じゃないって!」
レンの口から引っこ抜いた指を、今度は指し示すように広大な砂丘群へ向けるカイン。レンはいつものやり取りの変わりに示された指の先を見て、先ほどの砂漠、妙に白い砂漠を再認識する。そして口の中に広がる不快な味とを結びつけ、ようやくカインの言いたい事、自身の置かれている状況とを理解した。
「げ、マジか。最悪じゃんか。早く脱出しないと干からびるか敵に見つかるか二択だねえ」
カインは、それでも軽いレンを見てため息を吐き、レンに答える。
「そうだよ。だから寝起きで悪いけど、すぐに機器の確認をしてくれよ。不時着でどこがいかれてるかも分からないんだ」
「了解、ちなみにカインさ、もう降りたんだろ? その指だとさ。やっぱ全部〝塩〟なのか」
カインは沈痛な面持ちで頷き返す。
「ああ、間違いない。ここは〝塩砂〟だ」
幻想的な光景はどこか儚くも美しく、純白の砂丘を彩る。だが、見た目とは裏腹に広がるその大量すぎる塩の山は、侵入者をあっという間に干からびさせる、有名な危険地帯であった。カインもレン急く様に機器をいじり始めるのだった。
早く脱出しなければ、それに、アカネとシルバは大丈夫なのだろうかと思考を巡らせながら。