第5章 ~閉ざされた光~
もう一度ここに来ようと約束する二人。しかし、もうここにはやってこれないのかもしれない。波乱の急展開―――――――――
いつだってそうだった
君はどんなに辛くても笑顔を忘れなかった
いつだってそうだった
君はどんなに苦しめられても笑って許してくれた
いつだってそうだった
君はどんなにぼろぼろになっても苦しんでいることを隠してた
僕もいつだってそうだった
君を傷つけていたの僕だった
― 君の笑顔も泣き顔も ― 第5章 ~閉ざされた光~
―――――――――真っ暗だ
どこを見渡しても真っ暗でしかない。
光などひとつも見当たらない。
自分が今どこにいるかもわからない。
思わず拓也は怖くなった。
どうしたらいいかわからなくなる。
ただじっとしていることしか出来ない。
誰かに助けを求めたいが誰もいない。
いいしれない不安にかられる。
そんなとき、いつも思い浮かぶ人がいた。
―――――――――輝
とたんに目の前に何かの面影が見えはじめる。
(なんだ?・・・・・ひか・・る?!)
拓也の瞳に映ったのはほかの誰でもない、輝の姿だった。
輝は背を向けたままこちらを見ようとしない。
拓也は彼が自分に気がついてくれるよう願った。
そして願いが叶ったのか彼が後ろに振り向き拓也を見つめだす。
拓也は彼の名を呼んだ。
しかし、声がでない。
彼を見る輝の表情に笑顔はなく、ただひたすら冷たい瞳と今にも消えてしまいそうな表情をしていた。
そして彼から思いがけない言葉がこぼれた。
「バイバイ・・・・拓也・・・・。」
その言葉を聞いた拓也は目を丸くして騒然とする。
だんだん拓也と彼の距離が大きくなり、やがて彼の背中が小さくなっていった。
『待って!何でバイバイなんだよ!』
懸命に叫ぶ拓也から声は出ない。
口をあけているのに声となって言葉が出てくれない。
まるで自分の声を何者かに奪われた感覚だった。
悲しみの中、彼の頬に涙がそっとつたっていった。
苦しい。
辛い。
悲しい。
そういった感情が交差して拓也の中で複雑に入り混じった。
「―――――――――や!拓也!大丈夫か!?」
聞きなれた透き通るような声がかすかに聞こえ始めた。
ゆっくりと目を開く。
見えてくるのは黒髪の青少年。
「輝・・・?本物・・・なのか?・・・・輝。」
「何いってんだ?本物もなにも、俺は俺でしかないよ」
変なことを言い出す彼を輝は心配した。
輝の頬に暖かいものが触れる。
拓也の手だ。
「よかった・・・本物の輝だ。よかった・・・・よかった・・・」
そう言って拓也は安堵の表情を浮かべた。
拓也は汗だくで、着ているパジャマは濡れてしまっている。
どうやらさっきまでのことは全部拓也が見た悪夢だったらしい。
「本当に大丈夫か?汗スゲーかいてるし、うなされてたし・・・・・」
彼はそう言って拓也を優しく撫でた。
撫でられるたび、余計に安心する。
「大丈夫だよ。少し、怖い夢を見ただけだから。」
そう言って彼は立ち上がり、制服に着替え始めた。
今日は平日である。
当然だが、学校のある日だ。
「拓也、焦らなくてもいいよ。時間は気にしなくていい」
急ぐ拓也はそれを聞いて自分の動きを緩めた。
遠まわしに彼が"遅刻"だと言っているのがよくわかったからだ。
「俺のせいで輝も遅刻・・・だよな?」
「拓也のせいだとかそんなのじゃなくて、俺は自分の意思で今ここにいる」
不意な彼の優しい表情に、思わず拓也はぽかんとなってしまった。
「ごめんな輝。俺、優等生じゃないからさ」
おかしく言う彼に対し、輝は優しく微笑えむ
拓也はどちらかと言うとあまりしっかりしていないほうなので遅刻は多々あった。
「よし、着替え終わったし行こうぜ」
明るい彼の声とともに輝も隣で歩き始めた。
彼らはいつも仲良く登校、下校している。
拓也の家は輝の学校ルートの途中にあるため、いつも輝が彼の家によって一緒に行っているのだ。
言うまでもなく、それはもうすでに日課となっている。
*****
「朝本!最近まじめに登校していると思ったら又遅刻か!!」
熱血教師こと、氷川教師の怒鳴り声が教師中に炸裂する。
教室に入った瞬間、怒られてしまった。
それは筋の通る話である。
現在時刻は9時23分。登校しなければならない時間は8時20分。
1時間と3分オーバーだった。
「罰として今日の放課後教室の掃除だ!逃げるんじゃねぇぞ!」
「!? 待ってください先生!友達待たせるわけにはいかないんです!」
「言い訳するんじゃない!自分のせいで友達待たせてるようなもんだろ!」
「うっ・・・」
当然すぎる正論に拓也は言い返す術をなくした。
輝に申し訳ないと思い、ここは素直にこれ以上面倒ごとにならないよう従うことにした。
*****
現在時刻はもうすぐ18時になろうとしていた。
部活をしている生徒以外のほとんどは、学校を出ているだろうと思われる時間帯だ。
そんな中、教師の命令により拓也は言われたとおりに教室の掃除に取り掛かっている最中である。
「おーい拓也ー。何してるんだ?」
めんどくさいとつくづく思いながら掃除をしていると、後ろから声が聞こえた。
お決まりの彼の声だった。
後ろを振り向くとそこには窓から顔を出している輝の姿があった。
「お、輝か。悪い、俺先生に罰受けて掃除やらされてるんだ。あんまり遅くなるようだったら先に帰ってていいから」
「そういうわけにはいかないよ。拓也にも悪いし。第一俺、拓也と一緒に帰りたいから」
何気なく言った輝の言葉に拓也の心は動揺する。
正直言って純粋に言われて嬉しくなった。
「大変そうだね。俺も手伝っていい?てか手伝わせて」
窓から身を乗り出してひょいっとフェンスを通り越すかのように身軽な体で彼は教室に浸入した。
1年の教室は基本一階であるため、何の不自然も無い。
あえて言うならば不自然な点と言えば輝が土足であること。
せっかくキレイにしているのに外ではきまわる土足ではさすがに悪いと思い、輝は教室の片隅に靴をそっと置いた。
「いいって輝。罰は俺だけでいいんだ。何もしなくていいよ」
「気遣いはいらないよ。一人じゃ大変だろ?手助けさせて」
そう言って彼は軽く拓也の肩に自分の手のひらをポンッと乗せた。
「さて、俺は何したらいい?雑巾がけ?」
「・・・・ほんとにごめん。助かるよ。俺は黒板のほうしてるから。」
少し戸惑いながらも拓也は輝にお願いした。
それを彼は快く了解する。
そして教室の隅にあるロッカーの中にあるモップと廊下の雑巾がけにかかった雑巾を手に取り、準備する。
同時に拓也のほうも黒板のほうへと移動し、黒板けしを持ってキレイにする。
それから五分後ぐらいだっただろうか・・・。
「うわ!」
突然廊下から輝の叫び声が聞こえてきた。
何が起こったのかと拓也は廊下へ躍り出る。
そして廊下の光景に驚いた。
バケツの水がこぼれたのか、誤って蛇口をひねりすぎたのかは定かではないが、床いっぱいに水が浸水していた。
次に輝に目をやる。
彼が目にした輝の姿は満遍なく体に水を浴びていた。
少し毛先のはねる髪も、滴る水のせいであまり気にならない。
いわゆる水も滴るいい男と言うものだ。
「だ、大丈夫か?」
「ははっ。びっくりしただろ?おかしいよな。思いっきり俺のこと笑っていいんだよ?」
自分でもおかしく思ったのか、輝はそう言うなり笑いをこぼした。
「いや、そうゆうわけには・・・・・・」
拓也の心境は輝が思っているものとはまったくもって違っていた。
アホだのかっこ悪いだのと謗るようなものではなく、むしろ真逆である。
可愛い。
癒される。
純粋にそう思うのだ。
「俺さ、昔からおっちょこちょいで中学のころもよくこんなことあったんだ」
中学ではこんな姿が何度も見れたのかと拓也は余計な妄想を抱く。
いつものように何を考えているんだ俺は、と心の中で自己暗示をかけ、我に帰る。
「輝、お前・・・・本当に男だよな?」
「何言ってるんだ?俺は男だよ。拓也より身長高いし」
「それはそうだけど・・・・なんだか俺にはものすごく輝が可愛く見えるんだ。あっ、いや、変な意味じゃなくてさ。純粋に本当にそう思うんだ。・・・・・・変か?」
自分で言っておきながら拓也は少し恥ずかしくなった。
「よっ、よくわからない」
純粋な彼はそうとしか返事のしようがなかった。
輝も思わず驚いて赤面する。
相手が男と言うだけに何か不思議な気持ちになるが、言われて嬉しくないわけでもなかった。
余談ではあるが、実際のところ輝より拓也のほうが童顔ではある。
「可愛いくなんかないのに・・・・・なぁ、前から気になってたんだけど、どうしてそんなふうに思えるんだ?」
「普通に」
純粋にそう答えた。
聞いてのとおり、あまりちゃんとした答えになっていない。
「普通って、どこの世界の普通なんだ」
否定的な輝は思わずツッコミを入れる。
「・・・・・・結構言われるほうは恥ずかしいんだぞ」
「そうやって赤面するところが可愛いんだよ」
「・・・・・」
これ以上言い返したらもっと言われそうだったので、輝は素直に照れて赤面した。
「まぁとりあえずこのままじゃ風引くから俺のタオル貸してやるよ」
そう言って彼は自分の鞄から一枚のタオルを持ってきた。
「あ、ありがとう」
受け取ろうとする輝をかわして彼はそのまま頭をくしゃくしゃとかき混ぜてふき始める。
「たっ拓也。これぐらい自分で出来るって」
「いいからいいからじっとしてろって」
そう言ってふき取る彼は気配りの反面、すこし楽しそうだ。
「よしっ。これでオッケー」
「あ、ありがと」
こんなささいなことでも輝は嬉しく思った。
「どうする?もうある程度掃除も片付いたし帰る?」
「あ、うん。そうだね。もう遅いし帰ろっか」
廊下の浸水はどうしようかと一瞬迷ったが、おそらく明日までには自然乾燥しているであろう。
「このぐらいいよな。すぐ乾くし」
とか何とか言って輝を納得させるなり下校することにした。
それから歩き出してちょっといったところだっただろうか。
視界いっぱいに色とりどりのものが入り込む。
「輝!チューリップがいっぱい咲いてるぜ!」
そこにはあたり一面にたくさんのチューリップが咲いていた。
彼のはしゃぎっぷりは幼い子供のようである。
どうやらこれほどまでの数のチューリップを見るのはかなり久しぶりらしい。
「チューリップが好きなのか?」
「ん?あ、うん。なんか可愛いし昔からずっと好きなんだ。幼稚園児の頃に植木鉢に植えておいたのが枯れた時すごくショックだったの覚えてる」
今となれば笑い話。
そんな感覚で彼は話す。
「そうなんだ。俺も花好きだよ」
チューリップと目線を合わせるかのようにしゃがんで眺める拓也。
まるで彼とそれが会話をしているかのようにも見えた。
その光景に輝は自然と笑顔を浮かべる。
「拓也。チューリップの花言葉しってるか?」
「うーん・・・。実は知らなかったりして。」
拓也は思わず困ったように笑いをこぼした。
好きなのは変わりないがそこまでの知識は彼にはないようだ。
「チューリップの花言葉は『恋の告白』『まじめな恋』。まぁ色によって様々なんだけどね」
それを聞いた拓也は少しなんとも言えない気持ちにかられた。
そんなに深い意味があったなんて知らなかったのだ。
ましてや恋のことだなんて。
拓也はただただ赤面するしかなかった。
なぜ恋という言葉に敏感に反応してしまうのかは今の拓也にはわからなかった。
横目で拓也の姿を見て輝は
「さぁもう暗くなってきたからいこう」
穏やかにそう言った。
「そうだな。また一緒にいつか来ようよ。きっと、きっとだよ」
そう言って彼も子供のような笑顔で返事を返す。
「うん。俺もこの場所にまた二人で行きたいよ。この場所なんだか好きだ。すごく落ち着く」
拓也もその言葉に同意する。
そして二人は再び歩き始めた。
*****
「ただいまー」
そう言ったさなかに彼の返事を返すものはいなかった。
部屋には電気もついていない。
帰りはそう早くはないというのに、彼の家族は皆いなかった。
彼の父は仕事でもう何年も帰って来てない。
拓也はどうせいつものことだと思い一通り部屋を回り、明かりをつけた。
一段落すると自分の部屋に向かい、スクールバックを床へ投げつけ、軽く自分のベットに腰掛けた。
そして目をつぶる。
掃除で少し疲れてしまったせいだろうか、まぶたが重かった。
途中から輝の手助けがあって少し楽だったが、掃除の前半は彼がすべて一人でやりとげた。
クラス全員分のいすと机を運ぶだけでもそれなりの負担があった。
彼が通う高校は進学校だったが、普通科のほかに専門科もある。
先生もさすがに鬼ではないので自分のクラスの掃除だけですんだ。
しかし、やはり専門科に比べればずいぶんクラスの人数も多い。
今いる部屋には時計の針が動く音しかしない。
__________またか。
心の中でつぶやいた。
また今朝と同じ風景。
ただひたすら真っ暗で、何一つ見えない。
まったく同じ状況で拓也は不安になるしかなかった。
ならずにはいられなかった。
そして嫌な予感は容赦なく的中してしまう。
また彼の面影が見え始める。
また同じように冷たいまなざしを拓也に向ける。
__________どうしてまた俺を見捨てて行っちゃうんだ
今朝と同じようにまた別れを告げられ、置き去りにされる。
置き去りにされる理由を探しても見つけられない。
そしてどん底に落とされる。
悲しみによどんだ暗闇に閉じ込められる。
「―――――――や!拓也!しっかりしろ!」
同じタイミング、同じ声。
輝の呼びかける声が聞こえる。
拓也はゆっくりと目を開ける。
しかし視界に輝が入ってきた瞬間、もう一度硬く目をつぶった。
「どうしたんだ。今日の朝から変だ。ほら、拓也に好きなチューリップ買って来たよ」
輝は拓也のためにチューリップの花束を買ってきていた。
彼に喜んでほしかったから。
今朝の出来事でずっと心配していたから。
元気を出してほしかったから。
彼の笑顔が見たかったから。
喜ぶ顔が見たかったから。
輝は拓也にそれを見せた。
そして拓也の肩に触れようとしたその瞬間________
「さわるな!」
拓也が怒鳴り声を上げた。
輝は彼の怒鳴り声に驚いて体を振るわせた。
呼吸が止まりそうになる。
彼にこんなにも大声で怒鳴られたことなんてなかった。
かつ、こんな暴言など。
拓也と接してきてこんなこと初めてだった。
「ご、ごめん拓也。俺、何かお前の気にさわることでも言ったか?もしそうだったらごめん」
輝はそう言って黙って頭を下げた。
ほんとはこのまま頭を下げていたかった。
拓也の表情があまりにも怖かったから。
とても向き合っていられなかったから。
「どうせお前も、ほかの奴と一緒なんだろ?」
「え?」
突然の言葉に輝はさらに混乱した。
「ほかの奴と同じように俺を一人にするんだろ?」
「何言ってんだよ、一人にするわけないだろ。俺は拓也のこと捨てたりなんかしないよ。裏切ったりもしないよ。ずっとそばにいるよ」
「うるさい・・・・・うるさい!うるさい!!」
拓也の声は言うにつれてどんどん大きくなっていった。
(今までとまたいっしょなんだ。俺はずっと孤独なんだ。どうせ捨てられるんだ)
拓也の目からは涙がこぼれていった。
頬を伝ってぽたぽたと落ちていく。
「気休めなんていらねぇ!お前も結局みんなと同じなんだ!俺を人として見ないんだ!」
今までに受けてきた孤独という名の刃物が自分を突き刺す。
突然不安がこみ上げてくる。
輝もまた混乱し、冷静に物事を考えられなくなっていった。
自分がなぜ拓也に怒られているのかわからない。
何かしただだろうか。
自問自答を繰り返す。
自分を何度も問い詰めても、考えても、やはり答えは見つからなかった。
「お、落ち着いて拓也。安心してよ。俺は絶対そんなことしない。本当だ。このチューリップ拓也のために買ってきたんだよ」
そう言って輝が拓也に花束を差し出した瞬間だった。
拓也は立ち上がり、思いっきり腕でチューリップを振り払った。
そしてそれはばらばらになった。
はかなく舞い散る。
跡形もなく。
部屋の床と空間はチューリップの花びらで巻き散らかされた。
拓也は振り払った姿勢のまま息をあらす。
輝はもう何も言わなくなってしまった。
言葉も喉を通らない。
(!?)
拓也が現実に帰る。
涙がとまらない。
(・・・どう・・・し・・・・て・・・。)
拓也の呼吸が辛くなる。
どうしてこんな行動をとったのかわからない。
どうしてこんな暴言を吐いたのかわからない。
どうしてこんなにも泣いているのかわからない。
何もかもがごちゃごちゃに混ざる。
混乱するばかり。
そして慌てて輝のほうに目をやる。
拓也の表情がより一層悪化した。
光景そのものが最悪であった。
花びらが無残に散っている。
輝は顔を見せないようにして下にうつむいていた。
「ひか・・・る。ごめん。俺おかし・・・い。どうかしてる・・・・」
大きな罪悪感と大罪に体を縛られ、必死に震える声で謝った。
しかし返事は返ってこなかった。
当然であった。
「ごめんね拓也。俺みたいなおせっかいな奴なんてうざいに決まってるよな。気持ち悪い・・・・よな・・・俺みたいな・・・や・・・・つ」
最後の言葉はもうほとんど声にもなっていなかった。
輝は必死で笑っていた。
でもそれは偽りに過ぎなくて、無理やり作った笑顔。
心から笑う笑顔じゃない。
彼は必死でこらえていた。
拓也を心配させないように、迷惑をかけないように、必死に、必死の思いで笑顔を作った。
しかし、やっぱりそれは長続きしない。
つーっと大粒の涙が次々とこぼれていった。
それが何よりも傷ついた彼の心の現われだった。
「輝!俺っ!!――――――」
拓也は必死に言うが、輝は何も言わず、振り向きもせずその場を去ってしまった。
奥のほうでドアのしまる音が聞こえてきた。
拓也には彼を止めることができなかった。
あれだけのことをしたのだから。
「輝・・・輝・・・・ごめんね・・・・ごめんねっ」
拓也は一人、静かに泣いた。
拓也自身、こんな行動をとるつもりなどまったくなかった。
ただ輝に捨てられるのが怖かった。
輝がそんなことする人じゃないことくらいわかっていたのに。
それなのに恐怖心なんかに負けてあんなにひどく彼を責め立てた。
自分が最低な人間なんだと思い知らされる。
取り返しのつかないことをしてしまった。
「輝、ほんとは俺、すごく、すごく嬉しかったんだよ・・・・」
彼のそんな言葉は輝に届くはずがなかった。
いまさら無駄だった。
自分の大好きな花を大好きな人からもらえて、これほど幸せなことはない。
なのに、なのに、台無しにしてしまった。
最高の幸せを自らの手で振り払ってしまった。
照らしてくれていた光さえも自ら断ち切った。
凛々しく光っていた光が消えてしまった。
自分は最低だ。
自分が嫌いで嫌いでたまらない。
もう一度ちゃんと輝に謝りたかった。
でもできない。
相手にされないのが怖い。見放されるのが怖い。
(本当に自分勝手で・・・・最低だ、俺)
部屋一面に散った花びらに囲まれ、拓也は身動きひとつ取れなくなっていた。
暖かい希望がかすんでいく_____
*****
天気は曇天だった。
輝の気持ちを補うかのように空には光ひとつ見当たらなかった。
暗く、気味が悪いとさえ感じさせる。
体中に力が入らない。簡単に体力が削られていく感じがした。
走る気力もなく、ただぽつんと人通りの少ない道を一人で歩いていた。
ショックで心が痛むのが自分でもよくわかった。
進む足が重い。
まるで引き釣り下ろされそうな感覚がする。
表情は無表情よりかなりひどかった。
そんなとき、彼は立ち止まった。
ある一点を見つめて。
その瞳に映っているものはのチューリップだった。
さっきまで拓也と見ていたはずのチューリップ。
無意識にこの場所に来てしまった。
彼らがまともに最後に会話をした場所。
そして交わした言葉。
交わした約束。
何もかもはっきり覚えている。
『また一緒にいつかここに来ようよ』
その言葉はとても優しかった。
(もう一緒にここには来れない・・・・・。ごめんね、俺拓也にひどいことしちゃったのかな。自覚なくて本当にごめんね)
ずっとそばにいたい、ただ拓也と笑顔でいたい。
ほんのささいなことでいい。
「もっと楽しく笑いあっていたかった。俺は拓也の友達になる資格なんてなかったのかな」
歩いているときにずっとこらえていたはずの涙があふれるように流れた。
この場所に来ると感情が高ぶる。
その時だった。
「おい、お前この前の奴だな!」
背後から不意打ちをかけるかのように怒鳴り声が聞こえてくる。
しかし、今の輝の耳にはとどかなかった。
何が起きても表情は暗く、顔色ひとつよくなんかなかった。
だが、彼には聞いたことのある低い声だった。
声の主は架瑠だった。
この間彼は輝に惨敗だった。
勝気でプライドの高い彼は根に持っていたのだろう。
ガッ!!
突然輝は髪を後ろに思い切り引っ張られた。
「無視してんじゃねぇよ!」
何の反応の無い輝に腹が立ち、行動に出た。
輝は衝撃で彼のほうを見るが、表情を変えなかった。
輝の視線が左右に泳ぐ。
この場所にいるのは輝を含む二人だけではないようだ。
誰だかわからない男が3,4人立っている。
架瑠のグルであろう。
輝はすぐにそう悟った。
輝の本来の腕前ならば数人がかかろうが関係無かった。
でも今は、手をふりほどくほどの元気や力はなかった。
いつかは死んでしまう運命を背負っている輝。
今殴り殺されようが同じことだ。
そう思わずには居られなかった。
そして輝は拓也に嫌われたと思っている。
輝は彼と一緒に生きていく、そう誓っていた。
これから生きているうち、二人で頑張ろうと約束した。
ちゃんと前を向いていた歩いていた、生きていた。
現実から目をそらさずに凛々しく立ち向かっていた。
しかし、今の輝は生きる理由をなくした。
頑張る理由、信じる理由、笑顔になる理由何もかもが。
拓也は自分を必要としていない。
だからもう自分には希望も夢も未来もなにもない。
たとえこの場で死んでもなにも変わらない。
「おいお前ら!とっととこいつを殺っちまおうぜ!」
グループで次々と輝に襲い掛かり始めた。
蹴る殴るの繰り返し。
輝はどんなに痛めつけられても抵抗をしなかった。
抵抗をする理由も、自分が生きる理由も何もないのだから。
架瑠たちは笑う。
面白がるかのように笑う。
遊ぶかのように笑う。
体中に激痛が走るのがわかる。
でもたとえすごく痛くても、拓也に嫌われたことのほうがずっと、ずっと苦しく痛かった。
「ざまぁねぇな」
そう言って輝の前髪をつかみ、輝を思い切り殴った。
*****
曇天はとうとう雨を降らし始めた。
暗い空の下、一人倒れこむ輝の姿があった。
架瑠、そのほかの奴らはもう飽きたのか、輝に暴行するのをやめ、姿を消している。
輝は打たれるかのように激しい雨を浴びた。
輝の状態は感情的な内面の傷だけでなく、外面の傷もひどい状態になった。
殴る蹴るの繰り返しの暴行を受けた身だ。
とても歩けない。
歩ける状態じゃない。
ましてや起き上がることもできやしない。
傷とともに彼の涙もまた、止まらなかった。
流す涙は、ぽたぽたと流れる血とともに交じり合って赤く染まっていった。
涙ばかりが零れ落ちて声さえもかすれるどころか出ない。
意識を保つのがやっとだった。
植えられていたチューリップは輝を囲むかのように並んでいる。
だが、チューリップがすべてキレイに咲き誇っているわけではなかった。
先ほどのことではかなく散ってしまったチューリップも少なくはない。
輝の失う代償は、またひとつ増えていった。
拓也、今何処で何をしている?
俺は―――――――
すごく拓也に会いたいよ。
沢山話したいよ。
おせっかいな俺でごめん、ごめんね。
本当に大好きだ。
大好きだよ拓也―――――――
無意識に目を閉じてしまった。
まぶたがとてつもなく重たく感じる。
もう限界だった。
意識が朦朧としていくのがわかる。
もしかしたらこのまま二度と目を覚まさないかもしれない。
そう彼は思った。
_______俺は、すごく拓也を大事に思ってたんだよ。
彼は決して体の傷が痛くて泣いてるわけではない。
痛いのは自分の思いと気持ち、そして心。
とうとう彼の意識は吹っ飛んでしまった。
*****
「ごちそうさま」
二人の視線が一斉に声の主のほうへ向けられた。
視線を送った二人は拓也の身内である香とありさ。
視線をぶつけられたのは拓也だ。
いきなり見られたため思わず驚く。
その一方で彼女らも驚いた表情をしていた。
テーブルの上には拓也の好きな料理が並んでいる。
いつもは残さずおかわりをするなどと、少々大食いの拓也なのだが今日はおかわりどころか、まだ一皿目に料理が残されている。
それに二人はそろって驚いたのだ。
そんな二人に少し戸惑った拓也だったがすぐにもとの表情に戻って席をはずしかけたときだ。
「兄ちゃん。なにかあったの?」
ありさだ。
不意打ちをかけられるかのようなタイミングで痛いところをつかれる。
彼女は割りかしら勘が鋭かった。
女の勘というものだろうか。
「何も無い。気にしなくていいから」
彼はかすれた声でありさに返事を返した。
表情といい、帰ってからずっとうかない顔をしている彼が正直ありさは気になって仕方がない。
しかし、深追いてはいけないと思い、問い詰めることはしなかった。
ありさなりの気遣いである。
拓也とケンカはよくするが、内心では結構慕っていたりもする。
これが兄妹のあり方であろう。
拓也が夕飯を残した理由ははっきりしている。
時間を作って輝に謝りに行くためであった。
あの後も深く考え込んでいた。
今どうするべきなのか、どんな行動をとればいいのか、どんな言葉で謝ればいいのか____
そんなことを限りなく考えて、結果的にすぐにでも謝るのが一番ふさわしいと判断したのだ。
もちろん、そのようなことをしたとしても解決すると思っていない。
あれだけのことをしたのだ。
輝を酷く傷つけてしまった自分が嫌で嫌でたまらない。
そして今自分にはそれしか手段が無いことも同時に解っていた。
拓也は食べ終わった後、自分の部屋に戻り、学ランのまま、家族に出来るだけ気づかれないようにそっと家を出た。
*****
小池総合国立病院。
名のとおり小池医師の病院だ。
そして輝の今の自宅でもあった。
拓也は入り口前に立ち止まり、息を大きくすっては吐き、深呼吸をした。
心の準備を整え、右足で前を踏み出した。
中に入ってあたりを見渡す。時間帯が遅いせいか、歩き回っている人がやたらに少ない。
少し不審に思ったが、迷わず彼は歩いた。
そして目的の輝の部屋にたどり着いた。
この前に泊まりに行った時のさいに、覚えておいた。
さすがの拓也の記憶力もだてではない。
記憶力の面ではおそらく輝よりも上であろう。
彼は気まずく思うが何もしなくていいわけがない。
緊張が走る。
そう思い返して拓也は震える手でノックした。
コンコン
彼のノックを返す音がしない。
ためしに拓也はドアノブをゆっくりまわす。
(あいている・・・・・。いないのか?)
部屋の中に目をやったが誰もいない。
ものけの空だった。
「・・・・・あら?拓也君、こんな時間にどうしたの?」
不意に後ろから話しかけられた拓也は体を震わせた。
声をかけてきたのはココに勤務する看護士の原田さんだった。
「あ、すみません。俺、輝に用があってきました。でもいないんです。どこに行ったかわかりますか?」
彼女に問う拓也であったが、彼女の表情は曇り、青ざめいている。
いかにも何かあった感じが嫌でも伝わってくる。
「原田さん?大丈夫ですか?・・・・・もしかして輝になにか・・・・・」
彼女の表情をみて、いっきに不安にかられる拓也。
「・・・・すごく言いにくいんだけど、疑わずにしっかり聞いてほしい」
拓也は心を落ち着かせて息をのんだ。
「輝君ね、帰りが遅いから私心配になって迎えにいったの。そしたら輝君をみつけたんだけど・・・・・。そのときの輝君の状態がすごくひどいの。雨でずぶぬれになって、体全体がボロボロで・・・・。気を失って・・・・倒れてたの・・・・」
彼女の声はいっきに震えだした。
それと同時に拓也の顔がいっきに青ざめいていく。
「それで輝は!今輝は何処へ?!」
「小池医師のもとで手術を行ってるわ」
あまりにも衝撃過ぎる状況に拓也は声を失い、部品が外れたかのように体が動かなくなってしまった。
輝―――――