第4章 ~分かち合う悲しみ~
勉強を輝から教えてもらったり、一緒に遊んだりした拓也。そんななか辛い現実を知らされる。
きっと君は知らないでしょう
僕がどれだけ君を愛したか
きっと君は知らないでしょう
僕がどれだけ君を想って泣いたか
きっと君は知らないでしょう
僕がどれだけ君を想って悩んだか
そして僕も知らなかった
君が僕よりも苦しんでいることを
― 君の笑顔も泣き顔も ― 第4章 ~分かち合う悲しみ~
「あー暑い」
いつもの帰り道。
いきなり言い出したのは拓也のほうであった。
輝も納得し、彼の言葉に同意する。
7月中旬。
日に日に気温は上昇するばかりであった。
「もうすぐ夏休みかー」
早く夏休みになれと言わんばかりの拓也。
そんな彼とは対照的に、輝は落ち着いていた。
「そういえば夏休みの前に期末テストあるよな」
その言葉を聞いた拓也はぎょっとした。
「ひーかーるー。そこでテストの話はやめようよ。テストは学生の敵だぜ?」
少しムッとする拓也に輝は小さく笑った。
「なんで笑ってんだよ」
「ごめんごめん。拓也が面白いこと言うからつい」
「何も面白くねぇよ。・・・・勉強は嫌いだ」
言葉の通り、拓也は勉強に自信がない。
いつもテストの平均点は60点前後である。
「なぁ、輝の学校も同じ頃に期末テストだよな?いつからだ?」
「えーと、確か今月の17日に期末テストだったかな?」
ビンゴ。
拓也の学校とまったく同じ時期であった。
「テストの点、いつも何点ぐらいなんだ?」
気になって思わず拓也は聞いてみた。
「うーん大体95点前後かな・・・」
輝は決して自慢をしたわけではないが、不思議にそう聞こえてしまう。
というか、自慢してよいと言っても過言ではない見事な点数だ。
「すげぇ・・・・・・・」
拓也は口をポカーンと開けたまま固まった。
一言で言えばアホ面だ。
95点前後、つまり通知表に5がつくのは確定だと言ってよいだろう。
しかし、驚くほうが間違えであった。
やや長身の体格にしてのありえないほどの身の軽さ。
おそらく足も速いだろう。
その上かなりの二枚目のルックス。
女受けは疑うことなく良さそうだ。
性格もさほど悪いところはなく、憎めない。
(こんなにも完璧な輝のことだから頭もよくて当然だよな)
拓也はとたんにむなしくなった。
「輝、お願いがあるんだけど・・・・」
拓也は妙に口ごもる。
「期末テストの勉強、一緒にやらないか?俺も同じ期間だし、わからないところ教えてもらいたいから」
断られると思いつつ言ったが、そうはならなかった。
「いいよ」
輝は微笑んだ。
どうやらすんなりと拓也の希望は通ったようだ。
「ありがと!俺、今回マジで頑張る!」
「その調子だよ。応援してる」
根は活発な拓也。
そんな彼と対照的に冷静な輝は、自然に彼のテンションにつられてしまうことが多々あった。
「今日はもう9日だから明日から一緒に勉強しよう。場所は俺の家でいい。帰り直行だから」
「了解」
輝はそう言って拓也に手を振り、別の方向へと帰っていった。
(よし、頑張るぞ。輝に遅れをとってばかりじゃダメだ)
拓也はそう思い、一歩力強く踏み出した。
*****
「お邪魔します」
「あら、いらっしゃい。この前はいろいろと拓也が迷惑をかけてごめんなさいね。拓也の事、ありがとう」
そう言って微笑むのは朝本香。
拓也の実の母親だ。
「いえいえ、大したことじゃありません。それに迷惑だなんてとんでもないですよ。むしろ歓迎でしたし、楽しかったです」
100点満点の笑顔で輝は香に言った。
あまりの優しい笑顔に彼女もついつい笑顔になってしまう。
「じゃぁこれから一週間自由にしてってもいいわよ。拓也のことよろしくね。なんてったって拓也は勉強全然できないんだもの。この前の英語のテストなんて62点よ」
「なっ!母さん!!それ言うなって!」
赤面して拓也は怒鳴る。
輝の前では恥ずかしくて黙っていたことを意図も簡単に暴露されてしまった。
それを知った輝は顔色ひとつ変えない。
「テストの点なんてころころ変わるもんだから大して気にしなくていいと思うよ」
輝はいつもと変わらない笑顔で拓也をフォローした。
そんな彼の笑顔を見た拓也は、特に理由もなく安堵の表情を浮かべる。
「じゃぁ勉強に取り掛かろう。俺の部屋はこっち」
拓也は気持ちを切り替え、輝を自分の部屋に連れ去った。
香はふと思う。
(拓也にもようやく親しい友達ができたのね)
そこには二人の背中を暖かく見つめる母親の姿があった。
_________カチ、カチ、カチ、
集中しているせいであろう。
時計の秒針の音だけが小刻みに鳴り、妙に耳障りに感じる。
そんな中、拓也の手が止まった。
解けない問題に出くわしたのである。
困って助けを求めるかのように彼は輝をチラ見する。
輝は少しも手の動きを鈍らせることなく、もくもくと次々に問題を解いていた。
また拓也は圧倒されてしまう。
(やっぱ頭イイんだなー・・・・・)
日に日に輝の才能に圧倒されてしまい、とうとう彼に聞こえないようにため息をついてしまったそのときである。
突然拓也の視界に輝の指が飛び込んむ。
彼の指は拓也の目の前にある問題用紙に置かれている。
「ここの答え"35通り"ね」
思わず驚いてしまった拓也は何のことかわからずにいたが、すぐに理解した。
彼には解けなかった応用問題の答えだ。
疑う必要もない。
解答用紙で答えを確認する気も起きない。
成績優秀の彼の答えに、はずれはよほどのことが無い限りないとふんだのだ。
「なー輝。どうしてそんなに勉強できるんだよ。毎日勉強でもしてるのか?」
「うーんそうでもないよ。暇なときとか気が向いたらしてるだけ。昨日なんてテレビ見てすぐに寝ちゃったよ」
言い終わると輝は可笑しそうに笑った。
「そうなんだ。やっぱすごいなー輝は。イケメンだし、性格良いし、頭良いし。才能いっぱいあるから羨ましい」
拓也はつい本音を零してしまった。
「さ、才能なんて俺にはないよ」
あまり褒められるのに慣れていない輝は照れた。
「ははっ、てんぱってる輝、なんか可愛いかも」
それを聞いた輝はさらに顔を赤くしてしまい、今にも湯気が出そうな状態になってしまっている。
「冗談だろ?」
困り顔の輝はどこか愛くるしい。
「冗談なんかじゃないよ」
「嘘つくなよ」
「ほんとほんとっ。何度でも言ってやる。かわいい。輝かわいい!」
拓也は調子に乗って何度も連呼した。
『可愛い』の連発に何度も恥ずかしくなる輝は真っ赤になってしまい、拓也と目を合わせられなくなってしまった。
「ありがとう拓也」
「? おっ、俺、なんか輝に礼言われるようなことしたか?」
「したって言うか、よくわからないけどとりあえずお礼言っとこうと思って。だから"ありがとう"って」
自分のしぐさ一つ一つが可愛いことに気がつかない輝。
「輝ってやっぱりいいやつだな」
輝を褒めたそのときだった。
暖かいムードをぶち壊されたのは。
ガチャン!
突然乱暴な音とともにドアが大げさに開いた。
「兄ちゃん!!あたしが楽しみに取っておいた高級プリン食べたでしょ!」
女の子の声。
思わず彼らが振り向いたその先には、部屋の入り口で仁王立ちしている一人の女の子がいた。
少し長めのショートカットヘアーで、癖毛ひとつ無いストレートな髪質。
パッチリとした二重まぶたの大きい目。
パッと身、可愛い女の子だ。
拓也とよく似ており、そのまま彼が女の子になったような容姿とも言える。
先ほどの怒鳴り声の正体は、拓也の妹である朝本ありさであった。
「ちょっおまえは!今勉強してるんだからじゃますんじゃねぇ!」
拓也はありさに向かって怒鳴り返した。
一般的によくある兄弟喧嘩である。
「輝、ちょっと待ってろ。すぐ話済ませるから」
拓也はそう言って部屋をでた。
そしてありさも輝の存在に気づき数秒彼を見た後、拓也の背中を追った。
輝はそんな二人を見て微笑む。
(にぎやかでいいなぁ。仲いいんだろうなあの二人。)
そんなことを考えながら輝は拓也が戻ってくるのを待つことにした。
「食べてねぇからっ!」
拓也はどなった。
「食べたくせに!嘘つかないでよ!」
今度はありさがはむかう。
それから数秒の沈黙が続いた。
実を言うと彼女の方が正しかった。
ありさが大切に取っておいたプリンを拓也は食べたのだ。
しかし、彼には悪気がなかった。
ありさのプリンだと知らずにおいしそうだったのでついつい口に運んでしまったのだ。
悪いと彼も自覚はしているが、なかなか素直に謝りだせなかった。
沈黙が続く中、先に口を開いたのはありさのほうだった。
「まぁいいわ。ねぇ兄ちゃん、話し変えるようで悪いんだけど、さっきの人だれ?」
いきなり話が輝の話になり、少し拓也は気が抜けた。
ありさは中学3年生。
拓也とは1つしか歳が変わらない。
そんな思春期真っ盛りのありさは、異性に興味でもあるのだろうか。
「あー輝のことか?俺と同級生だ。かっこいいだろ」
「え!?兄ちゃんと同級生だったの?!てっきり年上の人かと思ってた。うん、兄ちゃんなんかよりもかっこいい」
大人びて見えるのは拓也も同意したが、"兄ちゃんなんか"という言葉には同意しがたい。
(兄ちゃんなんかってなんだよぉっ。事実そうだけどよぉっ。)
ほんの小さな拓也の輝に対するやきもちだった。
「そのひかるって言う人、彼女とかいるの?」
生き生きとした表情でありさは拓也にたずねる。
「・・・・・どうだろう。俺もよく知らない」
「なんでよぉ。親友のことくらいもっと知っといてよね」
彼はその言葉を聞いて言葉を詰まらせた。
(俺、輝のこと・・・・・・まだあんまり知らない・・・)
それだけが彼の頭をよぎる。
自分では親友でいるつもりでも彼はそんな風に思っていないかも知れない。
そう思うと拓也は何か悲しくなった。
「兄ちゃん?そんな急に暗くなってどうしたの?」
「なんでもない」
「ねぇ近いうちに伝えといて。今度一緒にお茶しようって」
「お前・・・・」
拓也があきれ返っていると、ありさはひょいひょいっと一階へ降りていった。
(・・・・ありさ、お前輝に一目ぼれしたってわけか。さすが輝)
拓也は改めて輝のルックスの良さを実感するのであった。
「ごめん、結構待たせたかも」
「大丈夫だよ」
ありさとの話を付けた拓也は、輝のもとに戻るなり謝る。
そんな彼に対し、特に怒ることもなく輝は優しい言葉をかけた。
「元気で可愛い子だね。妹?」
輝の問いに、拓也は首を縦に振って肯定した。
「やっぱり。そっくりだった」
「そうか?俺は似てないと思うけど」
兄妹である自身からしてみると、似ていないと感じることはよくあることだろう。
「言っとくけど、あいつ可愛くないぞ。口うるさいし。てか輝、お前ありさに気でもあるのか?」
気になって拓也は思わず問う。
「なんでそうなるんだよ。何でも恋愛にもっていくなって。そもそも好きな人なんていないよ」
輝はテンパりはじめた。
そんな彼にはどこか愛嬌がある。
拓也は彼のしぐさを見て悟った。
おそらく輝は恋愛ごとに慣れていないのではないかと。
拓也自信も実際に恋愛経験はまだなかった。
「てことは、今は彼女とかいないんだよな?」
「うん」
なぜこんなにも輝に追及しているのか、拓也は自分でもわからない。
一方輝は聞きなれない言葉に出されたお茶をこぼしそうになった。
「じゃぁ過去に誰かと付き合ったことは?」
「ないよ、一度も」
彼の言葉に拓也はキョトンとしてしまった。
「告白はされたことあるけど・・・・・・・。でもなんで俺なんだろ・・・・話したことないのに・・・・」
考え込む輝に拓也は苦笑した。
(それは輝がありえないほど二枚目過ぎるからだよ)
拓也は心の中で自分のかっこよさに気がつかない輝にツッコミをいれる。
「輝のことだからいろんなやつに告白されてきたんだろ?だったらその中に一人ぐらいタイプのやついなかったのか?」
「うーん、どうなんだろう。第一俺、恋ってどんな感じかわからないんだよな」
どうやら輝は初恋すらしたことがないらしい。
輝は弱って苦笑いを浮かべた。
「そっか、じゃぁ俺と一緒だな」
可笑しく笑う拓也に輝は少し気が抜けた。
「俺も実を言うと恋とかよくわかんねーんだ。初恋もないしな」
明るい笑顔を見せる拓也につられ、輝も思わず笑顔になる。
意気投合した二人は顔を見合わせて小さく笑いあった。
「俺の妹ありさって言うんだけどさ、アイツ絶対輝に一目ぼれしたぜ」
「そ、そうなのか?」
突然の言葉に輝は思わず驚いた。
「間違いねぇ。今度お茶しようってさ。めんどくさかったらほっといていいから」
「まぁ考えておくよ」
「考えなくていいって。あっ、そうそう。輝、ケータイもってるか?」
「うん。持ってるよ」
そう言って輝は学ランのポケットから携帯電話を差し出した。
「じゃぁさじゃぁさ、アドレス教えてよ。てかメールしよ。学校じゃ話できないしさ」
うきうきしている拓也は明るい声で言う。
「いいよ。俺も拓也とメールしたいし」
輝は拓也の誘いを快く承諾する。
携帯電話を持っていても拓也には友達がおらず、他人とメールをすることなんてなかった。
拓也も自分の携帯電話を持ち出し、お互いがお互いのアドレスを登録した。
そして彼らは対策の勉強をするという本来の目的をまったくもって忘れてしまっていた。
あまりの嬉しさに心を弾ませて。
瞬く間に時間は刻々と進み、日付は簡単に変わっていった。
拓也と輝は懸命に毎日二人で協力しつつ、必要な知識を頭に叩き込んだ。
そして一週間後の7月17日。
一時限目の開始を告げるチャイムが鳴り響いたと同時に、第一科目めのテストが開始された。
生徒がいっせいに問題用紙をめくる音が拓也の耳に入る。
拓也の通う学校、高原高等学校と輝の通う学校、花咲高等学校は今テストと戦う生徒でいっぱいである。
そしてまず初めの教科は国語。
拓也は必死に問題を解く。
考え込んでいると、ふと思い出したのは輝の言葉だった。
勉強中に数々のアドバイスを輝から受けた拓也。
その内容を思い出しながらもう一度考え直し、彼はなんとか問題を解くことに成功した。
(輝、まじで有難う。お前のおかげだ)
時間と戦いながらもしみじみ輝に感謝した。
そしてテストは終わってはまた始まりを繰り返し、そのたびに拓也はそれと戦った。
*****
「つーかーれーたーっ」
いつもの何倍も勉強し、全教科のテストと戦い終えた拓也は疲れきっていた。
家に帰ると、ゴロンっと勢いよくベッドに豪快に寝転がった。
彼はテストのことを振り返った。
そんなに悪い出来ではないように思う。
結果はまだ定かではないが、ほんとに悩む問題が少なかった。
以前の自分よりもずいぶん問題がすらすら解けたのだ。
(輝のおかげだなほんとに。輝はテストどうだったんだろ・・・・・)
そんなことを考えていた時だった。
拓也の携帯電話から着信音が流れる。
滅多にそれが鳴ることがなかったため、彼はすこし驚いてしまった。
気になりながらも自分の携帯電話を取りに行く。
それを手に取った瞬間、彼の表情が緩やかになった。
件名には空西輝と書いてある。
彼からの初メールだ。
よほど嬉しかったのであろう。
こればかりには拓也も飛び跳ねて喜んだ。
ここまで交流が進歩するほどの仲のいい人がいなかった拓也には最高のひと時だった。
『テストお疲れさん。俺はいつも通りな感じだったよ。拓也はどうだった?』
メールの内容を読むなり、彼はほっとした。
実はひそかに心配していたことがある。
それは自分のせいで輝の勉強の妨げになっていたのではないかということだ。
実際に拓也にはわからない問題がいくつもあり、頼りになる輝であるだけにたくさんのことを教えてもらっていた。
そのため拓也に教えることで精一杯になり、あまり輝の勉強を優先していなかったのだ。
そのようなことが気がかりで拓也は少し罪悪感を抱いている。
そんな中、彼は"いつも通り"と言う言葉を目にして思わず安心した。
輝からのメールを読み終わるなり即座に返信。
『俺はいつもの何倍もよく問題が解けた。悩む問題もほんとに少なかったんだ。輝のおかげだよ。本当にありがとな』
感謝の念をこめた言葉を並べ、メールを送信する。
それから2,3分経過して本日2度目の着信音が鳴った。
反応する拓也は再び胸を弾ませる。
もちろん輝からのメールだ。
先ほどの返事であろう。
『よかったね。礼なんていらないよ。でもそう言ってくれて嬉しい。こっちこそありがとう』
拓也は顔が熱くなった。
いつも礼を言っているのは拓也。
そんな彼はいつも輝を癒したいと思っている。
そのため、逆に輝から礼を言われてとてつもなく嬉しいのだ。
しばらく浮かれていると、もう一度着信音が耳に入り込んだ。
まだ返事を返していないと言うのに。
『あ、言い忘れたけど8月5日ってあいてる?もしあいてたら一緒に遊ばないか?ずっと前から一緒に遊びたかったんだけど』
突然の嬉しい誘いに拓也は夢ではないかと疑った。
何度も目をこすってケータイの画面を見るが、やはり本文にはそうつづられている。
(よっしゃ!夢じゃない!)
拓也の喜びっぷりは異常だった。
思わず拓也はベットの上で飛び跳ねる。
そして瞬く間に字を打ち込み、輝へ送信。
その後も何度かメールのやり取りをした。
8月5日の午後1時に山木遊園地で落ち合うことになった。
*****
いくつもの学校が各自で1学期の終業式を終え、生徒たちの楽しみである長い夏休みのスタートとなった。
無論、ほとんどの学校では宿題が出題されている。
小論文や読書感想文、各教科の大量の問題集などなど。
学校によって内容は多種多様である。
他にもそれだけでなく、部活動で忙しい者もいるであろう。
拓也の場合、毎年いつも夏休みの終わりごろになって宿題に追い込まれるはめになる。
最初の7月と8月の中旬まで放置する状態だ。
いつも宿題をコツコツとやらない拓也であるが、めんどくさがり屋ということを前提に今年はもうひとつそれに取り組めない理由があった。
それは8月5日に輝と遊ぶこと。
つまりそれが楽しみでたまらなく、宿題の存在がまったくもって空気と化していた。
今日はまだ7月28日。
にもかかわらず、待ちきれない拓也は日々上の空だった。
きれいな透き通るような青空を見上げる。
暑さなんかちっとも感じない。
気持ちの問題であるのだろうか。
今年の夏はなんだか涼しく、すがすがしい。
青い空を見上げているうちに、しばらく会っていない輝の存在が頭の中をよぎった。
次第に不思議な気持ちになる。
今までに異性にとどまらず、同性にこんな気持ちを抱いたことがなかった。
友情とか尊敬とかそういった感情とはどこか違っているように思う。
どう表現したらいいかわからない。
あえて言うならば恋愛感情に近いのかもしれない。
いろいろと下手に考え込んでしまう拓也は、それ以上そうしていると混乱してしまいそうだったので、深く考えることをやめた。
「兄ちゃーん!」
「うわっ!」
背後から急に名を呼ばれた拓也は思わず声を上げてしまった。
声をかけたのはありさだ。
「なにもそんなに驚かなくてもいいのに。まるであたしが幽霊みたいじゃない」
「お前こそもう少しましな登場しろよ。んで、何のようだ」
呆れた顔つきのありさにムッとした表情で拓也は問う。
「忘れてなんかないよね?輝先輩に言っといてくれた?」
どうやら彼女は輝のことを『輝先輩』と呼ぶらしい。
「あぁ、一応な。お前のこと考えとくってさ」
「本当!?」
思わずありさの表情は明るくなる。
「そう言っていたのは確かだが、真は俺にもわかんねー。まぁ期待はしないほうがいいぞ」
「なんで?」
「輝が恋愛に関して初心だからだ」
「そうなの?外はカッコイイのに内はなんだか可愛いかも」
輝のギャップを知ったありさはどうやら惚れ直したようだ。
「あたしのこと女として見てくれてないのかなー」
「当たり前だ。第一、初対面でそんな発展するもんじゃねぇだろ。まぁお前みたいに輝も一目惚れしていたら別だけど」
ありさの表情は複雑になった。
「どうしたらあたしのこと好きになってくれるんだろ・・・・」
ありさは独り言を零し、拓也の部屋を後にした。
「何しにきたんだ・・・・」
拓也はあきれた表情でつぶやいた。
*****
8月5日
拓也は時間通りに待ち合わせ場所に到着した。
時間的に遅れたと言うよりむしろ早めについたというほうが正しい。
あたりを見渡す。
早くつきすぎたかと思いきやそうではなかった。
広場の途中にあるベンチに輝が座っていたのだ。
「輝ー!」
彼が気づくように大きめな声で拓也は彼の名を呼んだ。
するとすぐに輝と目が合った。
どうやら気がついてもらえたようだ。
「ごめん、待たせた?」
「全然。まだ1時になってないしさ」
輝はそう言って笑顔を浮かべた。
彼によると、相手より先に着いていないと気がすまないらしく、予定時刻よりも30分前から待っていたのだと言う。
しっかり者の彼を見習わなければならないと拓也は思いつつ、彼の服装に目をやった。
私服姿を見るのはこれがはじめてである。
見た感じおしゃれであった。
おしゃれと言っても派手と言う感じではない。
おちついた雰囲気であり、より好青年を引き立てているようであった。
輝の姿は普通にかっこよく、何人もの女がすれ違い間際に彼を見て賛美の声を上げた。
その光景は拓也の視界にも自然に入り込む。
拓也は思わずなんとも言えない表情を浮かべてしまった。
そんな彼自身も、輝と同じようにおしゃれだ。
「なぁ輝、早速だけどジェットコースター乗ろうぜ」
元気よく乗り出した拓也の言葉に少し輝は青ざめた。
「・・・・いいよ」
ぎこちなく、あきらかに不自然丸出しな口調であった。
輝はジェットコースターなど、いわゆる絶叫系がダメらしい。
食わず嫌いとおなじで、乗ったことは一度もなかった。
しかし、今日は拓也と一緒なため、断れなかった。
断れなかったと言うより、拓也との時間を少しでも大切にしようと思ったのだ。
「行こう!」
拓也は言うと同時に輝の手を握り、列の最後尾めがけて走る。
(よかった。拓也が楽しんでくれて)
ニコニコしながら走る彼の姿を見て輝はそう思った。
たとえジェットコースターが苦手だとしても、怖くても、拓也の笑顔が見れれば幸せな気持ちになる。
輝は恐怖心を捨て、優しい表情を浮かべた。
1時間後
「あ~楽しかった!輝も楽しかっ・・・・・?!」
言葉をとぎらせて彼は輝の元へ駆け寄った。
輝がふらついている。
「っ大丈夫か?!もしかしてあーゆうのダメだったのか?何でもっと早く言ってくれなかったんだ」
「・・・・だって断りたくなかった。少しでも拓也と楽しんでいたかったから」
ふらつく体を拓也に支えてもらいながら輝が言う。
「何言ってんだよ輝。まるで俺と輝がもうすうぐ会えなくなる言い方じゃねーか。ずっと輝と俺は一緒だ」
真剣な表情で拓也は輝にそう言い聞かせた。
「そうだね」
不安が解けたかのように輝が笑顔になる。
「とりあえずどっかで休もう。俺ものどか渇いたし」
「俺も何か飲みたいなー」
二人は顔を見合わせてあははっと軽く笑いあい、一緒に自動販売機のある場所へと向かった。
「うーんどれにしようかな・・・・」
たくさんの飲み物が並ぶ自動販売機の前で拓也は一人迷っていた。
それから数分後、拓也は炭酸飲料を選んだ。
「んじゃ俺はこれにしよう」
そう言って今度は輝が自動販売機にお金を入れ、迷うことなくボタンを押した。
彼が選んだジュースは―――――というかジュースではない。
缶コーヒーだ。
(どこまで大人なんだろ・・・・・)
何度それを思ったことやらと拓也はすこし肩をすくめる。
「高校1年に缶コーヒーは早いぜ」
「俺は特にそうゆうの気にしてないな。時間があれば毎朝コーヒー飲んだりしてるよ」
そう言われた拓也は問うことをやめた。
あれから30分ぐらいがたった頃だっただろうか。
二人とも飲み物を飲み干した。
次は何に乗ろうかと考えていた拓也に輝が言った。
「観覧車に乗らないか?」
「いいぜ。観覧車眺めいいもんな。ゆっくりできるし」
子供らしい笑みを見せる拓也は同意する。
準備を整え、観覧車のほうへ向かうことにした。
「やっぱ観覧車って高いな」
最後に乗ったのはいつだろう。
そう思うくらい、ずいぶん観覧車には乗っていなかった。
無邪気な子供のように外を眺める拓也を見て輝は微笑んだ。
その様子から拓也は自分の行動に気がつくと、苦笑して着席した。
「ごめん、俺やっぱ子供っぽいな」
「俺はそんな拓也のほうが好きだよ」
毎回優しい言葉をかけてくれる輝に拓也はとてつもなく感激した。
「?」
「どうした?」
しばらく二人で外を眺めていると、輝は突然何かに反応した。
そんな彼の様子を気にした拓也は思わず問った。
「今なんか変な音しなかった?」
「そうか?俺は何にも気にならなかったけど」
拓也がそう言って立ち上がったそのときだった。
『!?』
突然大きな音と同時に大きなゆれが二人を襲った。
視界が吹っ飛び、足元が傾く。
音の原因は彼らが乗っていた観覧車を固定していたものが外れた音だった。
観覧車そのものが傾く。
自分の耳に輝の叫び声が入り込んできた。
ドアから落ちていく輝の手を反射的に拓也はつかむ。
そして拓也自身もドアから半分体を投げ出されていた。
輝の右手と拓也の左手はしっかり結ばれている。
それと反対側の手である拓也の右手が唯一の命綱となっている状態だ。
握力が尽きるのも時間の問題である。
あまりにも現実離れした状況に置かれた二人は、動揺する顔を隠せない。
背筋が凍っていくのを嫌でも感じた。
頭の中が真っ白になっていく。
「大丈夫か!?」
混乱しながらも拓也は必死に輝の安否を確かめる。
すると、すぐに輝の安全を示す言葉が返ってきた。
拓也は一時的に今にも崩れそうな安堵の表情を浮かべた。
「拓也・・・・お願いがあるんだ・・・・・・」
いつもよりトーンの低い輝の声。
それを耳にした拓也は再び言い知れない不安にかられた。
「俺の手を離して」
予想もできなかった輝の言葉。
拓也の目は一瞬で丸くなった。
さらに混乱する。
手を放してしまえば無論、輝は地面めがけて落下する。
落ちてただではすまない。
間違いなく命を落とす。
"手を離す"、それはすなわち輝を見殺しにすることに等しかった。
「何言ってんだよ!そんなことしたら死んじまうだろ!」
「俺のことはいいんだ!」
「意味わかんねぇこと言ってんじゃねぇ!」
拓也は感情が高ぶり、怒鳴った。
それでも輝は続ける。
「このままじゃ拓也も落ちる。俺は拓也を失いたくない。心の底からそう思っている。だからお願いだ、手を離してくれ。それに俺のせいだ。観覧車に乗ろうなんて言った俺のせいなんだ!」
当然、輝はこのような事態が起こるとなんて思ってもみなかった。
それは拓也も同じであり、彼は少しも輝のせいでこのような事態に巻き込まれているなど思ってなんかいない。
言うまでもなく、誰が悪いと言うわけでもない。
「放すわけないだろ!俺がそんなこと素直に引き受けるだなんて思ってるのか!?絶対に俺は放さない!」
「お願いだ!言うことを聞いてくれ!」
「嫌だ!」
自分を殺す方向にしか考えない彼の意見を拓也は全力で否定し続ける。
こんなところで大切な人を失いたくなかった。
自分一人が生き残ったって何の意味も無い。
「お願いだ拓也!俺はどうせ死ぬんだ!俺の病はまだ完全に治ってなんかいないんだ!またいつ再発するかわからない!けど拓也にはまだ未来がたくさん残ってる!それをここで無駄にしちゃダメなんだよ!」
拓也はこの言葉に息を呑んだ。
驚いて思わず力が抜けそうになる。
彼は輝の病はてっきり治ったと思っていたのだ。
あまりにもこんなに元気で、笑顔で、暖かくて―――――。
とてもそうだと思えなかった。
そしてそれと同時にずっと抱いていた疑問が解けた。
時々輝が見せる笑顔の奥に眠る悲しみの正体。
それは自分の中に眠っている病におびえる不安と恐怖心。
病が再発したとき、もしかしたら死んでしまうかもしれない。
彼はずっとそんな恐怖におびえているんだと初めて拓也は理解した。
「俺は死んだってかまわない!だから手を放せ!」
苦しい声で輝が言う。
「嫌だって言ってんだろ!!ぜってぇ放さねぇ!」
目の奥が熱い。
拓也は涙をこぼし、歯を食いしばった。
「輝、いつだって俺がついている!だから簡単に死ぬだなんて言うな!お前の病気治るかもしれねぇんだぞ?!苦しみから解放されるかもしれねぇんだぞ?!わずかな希望さえ捨ててここで死ぬのか?!俺が知ってる輝はそんな弱い奴じゃない!俺が知ってる輝は人を幸せな気持ちに出来る奴だ!人を笑顔に出来る奴だ!そんなお前が誰よりも俺は大好きだ!辛いとき、悲しいとき、苦しいとき、俺がずっとそばにいるから!だから・・・俺と一緒に生き抜くんだよ!俺と輝はずっと一緒だ!」
拓也の声は次第に大きく、言葉は強くなっていった。
想いの向くまま、力強く続ける。
「輝は俺にたくさんの笑顔をくれた!たくさんの人の温かさを教えてくれた!俺はまだ輝に何もしてやれてない!俺がお前に恩返しをするまで、お前を幸せにするまで、絶対に死なせねぇよ!」
拓也の言葉に輝は心を打たれた。
嬉しくて嬉しくて、たまらなく感動した。
「拓也・・・・・・有難う・・・・有難うっ」
輝の震える声と温かい手。
身を投げ出そうとする彼の姿はもうどこにもない。
涙を流し、拓也の左手をすり抜けようとする彼の右手は強く握り締めた。
「やっと俺の言うこと聞いてくれた。よかった・・・」
時間がどれだけ経ったのかわからない。
手の感覚がおかしくなりそうだった。
すると向こうから何かが飛んでくるのが見えた。
近づいてくるうちにだんだんとあらわになっていく。
救助用のヘリコプターだ。
はっきりとは聞き取れないが、声が聞こえはじめる。
中には救助隊と思われる数人の人がいた。
どうやら同じ遊園地内にいた人々が異変に気がつき、連絡をしてくれたのであろう。
彼らのおかげで、拓也と輝の安全は確保された。
後からわかったことだが、今回の事故の原因は観覧車の点検ミスだったらしい。
「えぇ?!そんなことがあったのかい?!」
無事に帰ってきた拓也と輝は事のすべてを話した。
今生きているから言える話である。
「でもほんとによかったわ。二人が無傷で帰って来てくれて」
出来事を聞いた小池医師は驚き、原田看護師はほっとする。
「た、拓也、本当に有難う・・・・・ものすごく嬉しかった」
「礼なんていいさ。輝は絶対死なせねぇよ」
「お、俺。絶対生きるよ」
「当たり前だ。ばーか」
赤面する彼に拓也は痛くないようにデコピンする。
そして仲良く二人は笑いあった。
「先生。二人とも前より仲良くなったみたいですね」
「そうみたいだね。いやーしかしほんとによかったー」
二人は強く誓った。
たとえ何があっても絶対に負けない。
何があってもどちらか一人が欠けてしまわないように。
一人の悲しみは二人の悲しみ。
一人の喜びは二人の喜び。
そこには子供のようにじゃれあう二人の青少年と、それを見て微笑む二人の大人がいた。